1.砕けた初恋
「リーズとの婚約を破棄したい。」
幼馴染のアンサー様の突然の言葉に、私は小躍りしたいほど嬉しいと思ってしまった。
婚約者がいるからと蓋をしたこの気持ちが、もしかしたら報われるのかもしれない、と。奇跡のようなことを想像して、心の中で小躍りをしてしまった。
だけど、続いた予想外の言葉に私は固まった。
「そしてエミリアと婚約をしたいんだ。」
……誰? いや、エミリア様は知っているけど。同じ学園に通う一学年年下の子爵令嬢だ。
だけど、それだけだ。私と同じ学年で伯爵令息のアンサー様とは結び付かない。
「なぜエミリア様と?」
「僕は、彼女に運命の恋をしたんだ。真実の愛とも言い換えてもいい。」
真顔で言うアンサー様に目の前が真っ暗になった。アンサー様のその言葉は、私の胸を鋭く刺して、酷く抉った。
小さいころからアンサー様はずっと私の側にいた。というのはさすがに私の妄想かもしれないけれど。それでも、物心ついた時から、同じ伯爵位であり屋敷が隣同士だったアンサー様は、私の2つ年上の兄と、私と、3人でよく遊んでいた。
私がアンサー様に恋をしたのは、初めての恋をしたのは、6歳の時だった。いつものように、アンサー様と兄と3人で、いつもよりも遠出をして森にピクニックに行った時に、私は一人ではぐれてしまった。侍女や護衛もいたはずだったけど、気付くと私は一人ぼっちになっていて知らない森で泣いていた。
そんな私を真っ先に見つけてくれたのは、アンサー様だった。
「大丈夫だよ。皆のところに戻ろう。」
そう言って差し伸べてくれた手が、とても温かかったことを今でも覚えている。だけど、私達の前に突然大きな野犬が現れた。もしかしたら本当はそんなに大きい犬ではなかったかもしれないけれど、その当時の私には、物理的にも心理的にもとてもとても大きく思えた。
「……僕がサナを守るから大丈夫だよ。」
アンサー様は、怯える私をかばう様に、野犬と私の間に立った。……だけど、力強い行動と言葉とは裏腹にアンサー様の手が震えていることに私は気付いてしまった。……震えながらも必死で私を守ろうとしてくれている、そのことに気付いた時、私は恋に落ちた。
「サナ様! アンサー様!」
野犬が襲い掛かる間一髪のところで、護衛が私達を見つけれくれて、私達は無事だった。
そして、私はあの日からずっとアンサー様に恋をしている。
私の初恋から4年が経った10歳の時に、アンサー様と、1つ年下の侯爵令嬢であるリーズ様との婚約が決まった。
その時にも私は酷く傷ついたけれど、アンサー様は『リーズとの婚約は家のため、貴族の義務だ。』と常々言っていたので、きっと決定的な失恋とは違ったのだとは思う。ただ、私は自分の初恋にそっと蓋をした。胸の痛みには気付かないふりをして。
——だからそれから6年が経った16歳になった今、まさか突然全然別の令嬢への恋心を打ち明けられて、決定的に失恋をするなんて思ってもいなかった―—
「……エミリア様とお知り合いだとは知らなかったわ。」
出来るだけ冷静に聞こえるように私は聞いた。
「学園の入学式の日に、道に迷っているエミリアと出会ったんだ。入学式の会場まで案内している間に色々な話をして、それからは学園で会うと話をするようになった。」
……入学式の会場って、学園の入り口の門を越えたらまっすぐよね? 入学式だったら、新入生は皆会場に向かっているだろうし、迷うことなんてある? ……のか?
「貴族の女性とは思えないほどくるくると変わる表情がとても可愛いんだ。」
照れたようにいうアンサー様に、私の胸はもう一度酷く痛んだ。
「……だけど、婚約破棄なんて簡単には出来ないでしょう? ……リーズ様との婚約は、それこそアンサー様がいつも言っていたように『貴族の義務』なのだから。」
胸の痛みを抑えて、私は、きっと今のアンサー様にとっては残酷な事実を告げた。
「そうだ。伯爵家の僕から侯爵令嬢のリーズに婚約破棄なんて言えるはずがない。」
「だとしたらやっぱり婚約破棄なんて……。」
「だからサナの協力が必要なんだ。サナしか頼れる子がいないんだよ。」
いつものように優しい口調で私を見つめるアンサー様に、私は思わずいつものように顔を赤くしてしまった。だけど、アンサー様から告げられた計画はとてもではないけれど納得できるものではなかった。
「サナにエミリアを虐めてほしいんだ。僕とエミリアの仲を邪推したサナが嫉妬に狂ってエミリアを徹底的に虐めるんだ。そしてエミリアを階段から突き落としてほしい。」
「……は……ぁ!?」
「階段から突き落とされたエミリアには消えない痣が残ってしまったことにする。僕とエミリアにはやましいことなど何もなかったけれど、サナがエミリアを階段から突き落としたことは僕への恋心のせいだと僕は自分を責める。そしてエミリアの痣の責任をとるという名目でリーズに婚約の解消を願い出る。貴族女性にとって一生消えない外傷は致命的だ。リーズもさすがに納得せざるを得ないと思うんだ。」
目を輝かせてとんでもないことを言っているアンサー様に、今まで感じたことのない恐怖を感じた。……この人、正気? ……頭とか打ったの?
計画自体もぶっ飛んでるけど、『サナの僕への恋心』って真顔で言ったわよね? ……私の恋心知ってたの? いや、確かに自分でも分かりやすいとは思ってはいたけど、でも今までは『僕何も気づいていません』的な体で幼馴染やってたよね? それなのにあっさり『サナの僕への恋心』とか言っちゃうの?
「これで全員が幸せになれる。こんなに円満な婚約破棄なんてないだろう? サナさえ協力してくれたらすべてが上手くいくんだよ。」
ヤバい。アンサー様がヤバい。なんかヤバい。
私が困惑して何も言えないでいる時に、お兄様が応接室に入ってきた。
「ねぇ、アンサー。お前は自分勝手な運命の恋(笑)のために、俺の妹を犠牲にするの?」
「ジョアン!? まさか聞いていたのか!?」
突然のお兄様の登場に、さっきまでニヤニヤしながら語っていたアンサー様が狼狽しだした。そんなアンサー様をさくっと無視したお兄様は私に向かって言った。
「サナ。婚約者のいるアンサーと2人きりで会ってはいけないと言っただろう?」
「お兄様ごめんなさい。緊急の用事なのでどうしても2人で話したいと先触れがあったので……。この応接室なら外にいる侍女達に会話を聞いていてもらえるので問題ないかと……。」
「へー。どうしても2人で話したい緊急の用事ねぇ? それがさっきの馬鹿げた真実の愛(笑)の話?」
お兄様は口調は完全に馬鹿にしているけれど、殺人鬼みたいな冷たい目をしてアンサー様を睨みつけた。
「まさか閉鎖されているこの部屋の声が外で聞けるなんて……。そんな現象聞いたことがない……。」
「サナの発明した魔法道具だよ。この部屋の音声を、指定した別の部屋にある機械から流しているんだ。」
お兄様は、呆然とするアンサー様の言葉に自信満々に答えた。それから誇らしそうに私の頭を撫でてくれた。
「それで? どう考えてもサナだけが悪者になるその計画をどうやってサナに了承させるつもりなの?」
「……エミリアはとても繊細な女の子だから。格上の婚約者のいる僕と付き合っているなんて知られたら、貴族社会では致命的だ。もし僕の浮気が原因でリーズとの婚約を解消出来たとしても、今後の社交生活に支障がでる。
……だからサナしか頼れる人がいないんだ。サナ。お願いだ。僕の幸せのために悪役になってくれないか?」
アンサー様は、すがるような、甘えるような目をして私を見つめた。私は今までアンサー様にその目で見つめられてお願いをされたことにはすべて応えてきた。
たとえば、武術の試合の前に強化魔法をかけてほしい。
たとえば、学力試験の前に試験問題を予想してノートにまとめてほしい。
たとえば、毎日回復魔法をかけた特製ドリンクを差し入れしてほしい。等々。
そのすべてを私は応えてきた。アンサー様のお願いを叶えることが私の幸せだと、アンサー様に恋をしてから10年間ずっと思ってきたことだから。
「アンサーいい加減にしてくれないか? サナの今後を蔑ろにするな!」
いつもは優しいお兄様は、いつの頃からかアンサー様のこと関してだけ途端に厳しくなった。私はお兄様の怒鳴ったところなんて初めて見た。だから、とてもびっくりした。
……だけど、その後のアンサー様の言葉は、今までの何よりも私の心を刺した。
「だってサナは結婚しないことを本人が希望しているから。少しくらい世間で評判が落ちたって支障ないだろう?」
……そう。私は結婚しないと明言している。
普通であれば貴族女性にそんなことは許されない。家のために結婚をすることは貴族にとっての義務だ。
だけど、私には恵まれていることに魔法の才能があった。魔法の才能があるのはこの国でも数十人程度しかいないので、希望すれば学園を卒業した後で王宮で働くことができる。
王宮で働くことは家にとってもとても名誉なことであり、望めば一生でも働き続けることができるので、結婚をしなくても問題がないのだ。
だけど、私が結婚をしないのは、その一番の理由はアンサー様が好きだから。
アンサー様以外の人と結婚をするなんてどうしても考えられなくて……。だから、アンサー様と結婚できないのなら独身でも構わない。そう思っての決断だったのに。
まさかそれを理由にアンサー様本人から、婚約者以外の女性と婚約をするために、悪役になってほしいと頼まれることになるなんて。
私には自分の初恋が、そっと蓋をして、だけど大切にしまってきた初恋が、粉々に崩れていく音が聞こえた気がした。




