(2/2)花沢くんから中原さん
今目の前にいる人はどう見ても中原さんだ。オレ心臓がドキドキした。
友達の家に遊びに行った帰り道、彼女を見かけた。どうしてこんなところにいるんだろう。確かここは中原さんの家には近くないし、会社にも近くない。やっぱり友達に会いにきたのかな。
でもなかなか声かけられなかった。だってオレ彼女のことが入社当時から好きだったんだ。何度か話しかけたこともあったんだけど「うん」とか「違う」とか必要最小限の返事しかしてくれなくて
『やっぱ小市民のオレじゃあ相手にする気もしないのかな』と落ち込むこともしばしばだった。
ここで声かけて『なにあんた』みたいな顔されちゃったら立ち直れなくない?
『仕事忙しいのかな~』とかごまかしてたことも粉砕されそうじゃない?
で、たぶん3分間くらい後つけちゃった。中原さんが突然後ろを振返り『なに!? 花沢!? ストーカーかよ!』なんて言わないかビクビクしたよ。
彼女ふんわりキムチの香りがした。どう考えてもオードトワレじゃないわけで、今日のお昼は韓国料理だったんだろな、って思った。
花沢光彦がんばりました。一生に一度の勇気を振り絞りました。
声をかけたときの、彼女の驚いた顔といったら、なかった。
◇
で、なるべくなにげなーい顔を装ってお茶とか誘ってみちゃったの。お前のような愚民とお茶を飲む時間などないわ! って言われる恐怖と闘ってみたの。そしたら中原さん意外やOKしてくれたんだ。
鷹揚に二度ばかりうなずいてくれた。
『下々の者、良きにはからえ』って感じだった。
さすが中原さん! 格が違うよ!
嬉しかったけどちょっとテンパッた。喫茶店を慌てて探したな。
◇
ところが中原さん。席についた途端にニヤニヤし始めたんだ。
なに? なんなの!? そんなニヤニヤ顔『ガンダム』のシャア・アズナブル以来だよ! やばい! きっとなんか『坊やだからさ』系のこと思ってるよ。てゆーかオレの顔なんか変なのかな!?
慌てたオレはいろいろ話しかけてみた。
「ここらへんはよく遊びにくるの?」ニヤー。
「この近くに俺の友達が住んでてさ」ニヤー。
「何にする?」ニヤニヤー。
怖い~! 怖いよ! 中原さん! 物凄く顔が何かを企んでるよ!
よし、思いきって聞いてみよう。
今のオレなら『額に肉って書いてあるよ?』とか言われても信じるよ。アイスコーヒーを頼みつつ、オレは言ってみた。
「ところでさっきからニヤニヤしてるけど俺の顔なんかヘン?」
◇
そしたら急に中原さん下を向いて小さく言った。
「そういうわけじゃないよ」
あれ? なんかへこませちゃった? 別の意味でやばい雰囲気になってきちゃった? うわっ他の話題をださないと。そうだ! 今日のお昼とか聞いとけ。これ以上危なくない話題はないぞ。
で、聞いたの。
「ところで今日のお昼は韓国料理だったの?」
すっと、中原さんが、上目遣いに、オレを、睨んだ。
◇
正直、今すぐどこでもドアとか使って逃げたいと思ったけど、そんなもんないし。蛇に睨まれたカエルみたいな気持ちだったよ。中原さん低い声だった。
「…………なんで?」
「キムチの匂いがするもん」
「そんなする?」
「うん。なんかキムチの匂いがすると思って振り向いたら中原さんだった」
「………………それ、どのくらいの距離で気づいたの?」
「1メートルくらい」
ああ、恐怖のあまりいらんウソとかついちゃった。
でもここで『ほんとは3分前くらいから気づいてたんですけどなかなか声をかけられなかったんです』とは言えないじゃない?
ていうかそんなこと言ったら『なぜそんなにカカルッ! 小心者めが!!』って怒鳴られそうじゃない?
カエルにできることって震えることくらいじゃない?
と、そこに救いの手が。アイスコーヒーが来たんだ。良かった。とりあえず冷たいものでも飲んで体制を立て直そう。
しかし、なぜだか中原さん、物凄い勢いでアイスコーヒーを飲み干した。
◇
『やっぱり怒らせたんだ!』背筋が凍った。
席を蹴って帰る気だ。
と中原さんが叫んだ「お代わりください!」
………………アレ?
…………中原さん…………どんだけ喉が渇いてたの?
ずぞぞぞ~っとオレはアイスコーヒーに口をつけてみたね。
ああ、そうだよ。そもそもオレ中原さんのこの飲みっぷりにホレたんだ。
あれは新入社員歓迎会のこと。うちの会社はデカイから、社長以下役員が勢ぞろいと新入社員100名あまりで行われるんだ。そーゆーときってさあ。普通乾杯の音頭は社長がやるよね?なのにご指名が中原さんだった。新入社員のおまけに女の子(失礼!)がどうして? ってみんな思ったよ、きっと。
中原さん全くビクつくこともなく、なぜだか大ジョッキを持って壇上に上がった。未だにわからない。配られたのはコップだったのにどこから調達したんだろう。あの大ジョッキ。
中原さん言ったね。
「この度、難関を勝ち抜きまして、この大日本帝国産業に入れていただいたことを大変嬉しく思っております! 入社後は身を粉にして働く所存です! まずはわが社の繁栄を祈念しまして、イッキをさせていただきます!!」
………………イッキ? 大ジョッキを!? てゆーかそれ大学のサークルでやることじゃないの!?
と大変焦ってしまった小市民ぷりのオレをよそに、中原さんイッキした。会場内から沸く怒涛のイッキコール。
5秒だった。
割れんばかりの拍手。にこやかにお辞儀する中原さん。社長が物凄いえびす顔になってる! すげえ。入社1日目にして幹部の心を鷲づかみだ!!
その後もあちこちから「イッキ」を頼まれた中原さんは、全てに5秒で応えにっこり笑ってみせた。
オレすっかりホレちゃったの。こんな男前な人見たことないよ!
◇
そうだ。お酒つながりで、とってもいい話を思い出したんだ。
この間の忘年会。中原さんの部で事件があったらしい。あんまり業績がよくなかったんだよね。部長機嫌を損ねて乾杯の音頭がすっかり説教だったんだって。
消えていくビールの泡を尻目に部長の訓示はエンエン続いて『こりゃあ30分はかかるぞ……』ってみんな諦め調子だった。
忘年会、台無しだよね。
ところがだよ。説教開始から10分くらいで中原さんがすっと立ったんだって。
みんなびっくりした。落ち着いた調子で彼女言った。
「部長! お気持ち承りました! でも大丈夫です。今期は確かに振るわない業績だったかもしれませんが、来期があります。人間ヤル気になればなんだってできます!」
あわわわわ、だよ。確かに豪気な中原さんだけど。俺たちのオピニオンリーダー中原さんだけど。まだ、入社1年目だよ? 部長に真っ向言える実績とかないわけじゃない? 部長怒鳴ったらしいよ。
「偉そうなことぬかすな! なんでもできるって、じゃあお前なにができるんだ!!」って。
でも中原さん動じなかったんだって。見事な笑顔でいったんだって。
「はい。例えば逆立ちしてお酒が注げます」
逆立ちしてお酒がつげる!? もうね。みんなの心は赤文字フォントサイズ4センターリングだよ。それで頭がいっぱいだよ。どうやるんだよ、逆立ちしてさ。
部長驚愕のまま言った。
「…………なんだと?できるもんならやってみろ!」
「はい」って声も涼やかに中原さん部長の前に進んだ。失礼しますって頭を下げた。
鮮やかに逆立ち、片手のみで体を支えたまま、顔をやや上げてきっちり泡まで作ってビールを注いだんだって。
「どうぞ」って渡したんだって。
部長真っ白だよ。
「……………………どうも」って受け取っちゃったらしいよ。
そこで課長が立ち上がった。
「みなさん! 部長のお話を胸に、来年もがんばりましょう!」
かんぱーい。
あとは拍手の嵐。取り残される部長。何事もなかったかのように席に戻る中原さん。
あんなにカッコイイ人いないと、同期が興奮していってた。中原さん偉そうな顔一つしないで「私にも」「私にも」ってリクエストに応えたらしい。
あとから聞いたんだけど、体操の、全日本チャンピオンだったらしいよ。
なんでオリンピックにでなかったんだろう。いや、なんでオレの前にいてくれるんだろう。
もうオレ感激しちゃってさ。中原さんを褒め称えようと言ったよ。
「ところで中原さん忘年会で逆立ちしながらお酒をついでまわったんだって?」
中原さん、また下を向いてしまった。
◇
まずい。後で部長にこっぴどく叱られたに違いない。嫌なことを思い出させたんだ。焦ったオレは続けた。
「中原さんの課にいる宮野さんさ、今、彼氏とかいるのかな?」
『ごめんな、上条。お前をダシにするよ』とオレは思った。上条に受けてた恋の相談を中原さんと共有したところで問題ないよね? 中原さんはウワサを流すような人じゃないしさ。
中原さん顔をあげてくれた。
「いない……」
よかった!うまく話の方向転換ができたぞ。嬉しくなって続けたんだ。
「好みのタイプとか知ってる?」
そしたら中原さん言った。
「花沢君みたいな人じゃない?」
◇
いや、オレがタイプじゃ困るよ、と思った。だってオレが好きなのは中原さんなんだもん。
あ、えっと「オレじゃなくてさ。ホラ、上条みたいな奴、タイプじゃないかな?」
事情がつかめた中原さん告白すりゃあいいじゃん、と言下に言い切った。うん。確かに中原さんみたいなタイプなら何事も恐れずにやれるだろうけどさ、オレたちは違うんだよね。小市民どもは声をかけるのも結構勇気がないとできないんだよね。
「まあ、それはそうだけど同じフロアだろ? 玉砕したら社内で顔をあわせるのが辛いだろ?」
オレ説明した。
世の中には、中原さんみたいな前に前に進んでいく人種と、同んなじところでくるくる回る人種がいるの。オレ後者。だからいつも中原さんを見つめるばかり。
中原さんわかんないよな、って顔して言った。
「でもさ、とりあえず自分の気持ちを伝えないと何も始まらないじゃん」
◇
…………そうだよなあ…………。
オレ感じ入った。食事一つ誘えないで、ただ見てるだけのオレなんて中原さんにとってはアリ以下なんだろな。中原さんの男前に追いつくのはなかなか難しくても、アリ以下って思われるのヤだな。よし、玉砕するぞ。なんて覚悟を決めたのに、つきあってくれって言えなくて遠まわしな言い方になった。
「そりゃそうだよ。ところで中原さんはオレみたいなのタイプじゃない?」
言った瞬間気づいた。ヤバイ。この言い方は誤解を受けるぞ。オレ顔面蒼白。
◇
違うんだ中原さん。
オレは「タイプですかね?」ってお伺いを立てたかったんだ。
「(当然)タイプだよね?」って自信満々勘違い君じゃないんだ。
中原さんにキレられる。
『ふざけんな! 私のタイプはブラットピッドとオーランドブルームと松田龍平を足して3で割ったような人だよっ! 誰がお前なんかこのシロアリ!!』ってキレられる。
オレ縮こまった。
なのに中原さん。うなずいてくれたんだ。
◇
優しいなあ、中原さんは。でもオレ調子に乗っちゃうことにした。
「よかった……。じゃあ来週映画にでもいかない?」
そしたら中原さん意外なこと言った。
「いいよ! あ、花沢君。あたし来週はちゃんとしてるから。出かける前にハミガキ隅々3回してモンダミンもしてくるから! ごめんね。ほんとに今日はごめんね!!」
………………?
「うん。わかったよ」
といったものの、意味がわからない。なぜハミガキの有無などオレに予告するんだ? その上なぜ謝る?
聞こうと思った瞬間に中原さんはオレを凍りつかせた。
「あ……そうだ……花沢君。今のうちに言っておかないといけないことがあるんだけど…………」
なに? てゆーかなにテーブルの下でコブシを握り締めちゃってんの? どんな打ち明け話が始まっちゃうの?
豪気な中原さんのことだ。実は以前社長の愛人でしたぐらいのことは言いかねない。この人ならやる。役職の壁など越えてみせる。うわ~。泣きそうになってるよ!? そんな中原さんを見てるオレの方が泣きそうだよ!
「あたし………………実は………………死ぬほどキムチが好きで………………」
……………………それが、なんなの? 中原さん?
(終)
イラスト:加純様
【2006年2月5日初稿】
【次回作】
『オレの隣に中原さん』
映画デートをすることになった中原さんと花沢くん。
ところが花沢くんには悩みがありました。
彼の身長は165センチ。中原さんの身長は178センチだったのです!
13センチも違うから花沢くんは上を向いてばかり。
果たして2人の距離は縮まるのでしょうか!?
↓↓↓スクロール下です↓↓↓↓↓↓