(1/2)中原さんから花沢くん
なんで今目の前に花沢君がいるんだ。アタシは奈落に落ちた気分だった。
同じフロア、2つ向こうの部で働いている花沢くん。入社したときから彼が好きだった。
同期とはいえ巨大なわが社で接点なんてほとんどない。ていうか好き過ぎてたまに会っても喋れない。
そんな花沢君がなぜ、休日の、会社にも自宅にも近くない公道を歩いてるんだ。
今アタシは異常にキムチ臭いのに。
キムチが恐らく日本一好きなアタシはこの『韓国胃袋共和国』という名前の、つまり韓国のおばちゃんたちが集まって店をやってる一角によく足を運んだ。明るく楽しいキムチライフのためなら電車だって乗り継ぐとも。
そこでいつも通りおばちゃんたちとべちゃくちゃしゃべり、大量にキムチを買い込み、ついでに試食を散々したのだ。
自分が食べるキムチの5日分くらいはこの3時間で食べてしまった。そしておばちゃんたちに買ったキムチを一旦預けて、コーヒーを飲みに外に出たのだ。
そんなとこで声を掛けてくるなんて花沢君。あなたはひょっとして悪魔なのか。
またまぶしい笑顔だ。
「どうしたの? こんなところで?」だと。
というよりあなたがこんなところでどうしたの、だ。言えない。花沢君の前でキムチが死ぬほど好きなんですなんて。
アタシは下をむいて(なるべく息がかからないようにして!)小さく言った。
「いや……ちょっと」
「そうなんだ」と受けて続けた彼の言葉に心臓が止まりそうになった。
「時間があるならお茶でも飲まない?」
◇
飲むとも。親を質に入れても飲むとも。というか花沢君ひょっとしてアタシが好きなんじゃないか、こりゃあデートってやつじゃないか。
カクカクと後から考えれば不自然な首の振り方でアタシは承諾した。うなずいてから自分の体内に蔓延するキムチを思い出した。やばい、今すぐありとあらゆる消臭剤をかけたい。
アタシはなるべく下を向き気味に花沢君の後に従った。
◇
大丈夫さ。女の子はとにかく笑っときゃーそれでいいんだ。アタシにだって必殺の笑顔がある。何を言われても笑っておけばいいんだ。
その必殺ぷりったら男を落とすのに100発0中だ。
…………………………花沢君が1発目になるかもしれないじゃないか。
で、喫茶店に入ってニコニコしていた。
「ここらへんにはよく遊びにくるの?」ニコー。
「この近くに俺の友達が住んでてさ」ニコー。
「何にする?」メニューを指してニコー。
「あ、アイスコーヒーね。じゃあそれ2つ」と頼んでからおもむろに花沢君は尋ねた。
「ところでさっきからニヤニヤしてるけど俺の顔なんかヘン?」
◇
この顔が悪いんだ。母親にうり二つのこの顔が。今すぐタイムマシンに乗って母親を撲殺したい。そして松坂慶子の子供に生れなおしたい。アタシは激しくかぶりをふった。
「そういうわけじゃないよ」と小さな声で(息が花沢君にかからないように!)言った。
早く来い、アイスコーヒー。そしてアタシの胃袋の中のキムチを消臭作用で抑えてくれ。
しかしその心配はなかった。花沢君は言ったのだ。
「ところで今日のお昼は韓国料理だったの?」
◇
アタシは上目遣いになって恐る恐る聞いた。
「…………なんで?」
「キムチの匂いがするもん」
「そんなする?」
「うん。なんかキムチの匂いがすると思って振り向いたら中原さんだった」
「………………それ、どのくらいの距離で気づいたの?」
「1メートルくらい」
下を向いてりゃいいとかそういう問題じゃなかった。今すぐタイムマシンに乗って『韓国胃袋共和国』を全焼させたい。何もかもなかったことにしたい。
アイスコーヒーが来た。すごい勢いで飲み干した。
「お代わりください!」といった。
花沢君がびっくりしている。今更消臭作用も何もないが、てゆーかなんだよせっかく2人きりなのにこの事態。キムチめ! 生まれて初めてアンタを憎んだよ。
しかしそんないたたまれないアタシに花沢君は畳み掛けた。
「ところで中原さん忘年会で逆立ちしながらお酒をついでまわったんだって?」
◇
3度の飯より人の爆笑を貰うことが好きなこの性格が憎い。受けたいがために寝ている部長の顔にいたずら書きをして左遷された父親の、性格を受け継いだのが悪いんだ。
今すぐタイムマシンに乗って父親を撲殺したい。そして堺雅人の子供として生まれ変わりたい。
「いや……まあ……器用なので逆立ちしながらでもお酒が注げるとゆーか…………」と言いながら涙が滲んできた。
これはデートじゃないのか。実は手の込んだ拷問なのか。
そんなアタシに花沢君はとどめを指した。
「中原さんの課にいる宮野さんさ、今彼氏とかいるのかな?」
◇
もうなんでもこいよ、畜生。そんなオチかよ。
そりゃそうだ。このアタシに花沢君がデートなんて誘ってくれるわけないんだ。100名はいる同期の中でもアタシは最初から「色物グループ」だった。どうせアタシは合コンでも盛り上げ要員。後から「あのコ面白いよね」って感想しかこない。花沢君。こんな短時間でも夢を見せてくれたアンタが憎いよ。
「いない…………」とアタシは正直に答えた。
花沢君は嬉しそうだ。
「なんでかなー可愛いのに」とか言ってる。知るか。
「好みのタイプとかって知ってる?」
◇
不潔な感じの笑わない意地悪な男。外見はルー大柴。ととっさに嘘をつきそうになった。ただ単に花沢君を逆転させただけだ。馬鹿なアタシ。この期に及んでも花沢君を悲しませたくなかった。
で、正直に言っちゃったんだ。
「……………………花沢君みたいな人じゃない?」
なんだよ。なんで敵に塩を贈っちゃったの? 花沢君の悲しい顔はみたくないけど、今、嬉しい顔はもっと見たくない。断頭台を見上げるような気持ちでアタシは花沢君を見上げた。
でも、花沢君困った顔をしたんだ。
「いや…………俺じゃなくてさ。ホラ、上条みたいな奴、タイプじゃないかな?」
◇
事態が呑み込めた。なんだ、そうだったのか。アタシをデートに誘ったわけじゃないってことは変わらないけど宮野さんが好きなんじゃないんだ。よかった。
今すぐ「無罪です! 無罪です!」って言いながら走り回りたい気分だ。いや、そんな気分だってだけだよ。
「うん…………タイプかどうかは…………わからないけど……上条君に聞いてくれって言われたの?」
「そう。あいつなかなか声をかけたりとか出来ないみたいで」
「告白すりゃーいいじゃん。中学生みたいにただウロウロ見てないでさ。当たって砕けてみればいいじゃん」と、アタシは自分を全面的に棚に上げて言った。
「まあ、それはそうだけど同じフロアだろ? 玉砕したら社内で顔をあわせるのが辛いだろ?」
そりゃそうだけど………………。
「でもさ、とりあえず自分の気持ちを伝えないと何も始まらないじゃん」
◇
って、言いながら反省した。そりゃあそっくりアタシのことだよ。今言っちゃおうかと思ったが思いとどまった。今日は止めよう。なんてったって今日のアタシはキムチの臭いプンプンのニヤニヤした忘年会で逆立ちして酒をついだばかりの女なのだ。
「そうだよなあ…………」
なんて感心してた花沢君。一瞬意を決したような顔をして今日一番の爆弾発言をした。
「そりゃそうだよ。ところで中原さんは俺みたいなのタイプじゃない?」
◇
いえ、アタシのタイプはブラットピッドとオーランドブルームと松田龍平を足して3で割ったような人なんです、なんでやねん。とつまらないギャグを飛ばしそうになった。この期に及んで受けを狙おうとする自分がほんとに憎いよ。
黙ってうなずいた。
「あっそう」て受けられて何事もなかったかのように次の会話に移るんじゃないの、と警戒しながらうなずいた。
「よかった……。じゃあ来週映画にでもいかない?」
瞬間、松坂慶子と堺雅人と両親と韓国胃袋共和国のおばちゃん達をまとめて抱きしめたい、と思った。
【次回】花沢くんから中原さん
2006年2月5日初稿




