re:2 樹楊の溜め息
「岡咲高校ってどんな学校なの?」
翌日、ゼクトは樹楊と一緒に登校していた。
本来であれば昨日の入学式に登校するはずだったのだが、ゼクトの様子が優れないと判断した樹楊がストップを掛けた所為で、今日が初登校となる。
今日は始業式であり、二学年、三学年の生徒も登校していた。
樹楊は頭の後ろに手を組みながら空を見上げ、どうでも良さそうに答える。
「のほほーん、とした学校だよ。可も不可もない普っ通ーの学校だって」
「何か期待外れね。日本の学校は初めてだからわくわくしてたのに」
緩やかな斜面を登り、アーチのように咲く桜の花道を抜けるとこれから三年間の舞台である高校が見えてきた。外観は新築であり、どこぞの有名建築士が建てたかのようなデザイン性がある。中央に置かれた惑星を思わせる巨大なオブジェクトが嫌でも目に入る。
ゼクトは眼を輝かせると、小走りで校門を潜った。
「すっごいじゃない。学校も大きいしカフェテリアでもありそうっ」
桜の花弁と戯れるゼクトの姿は生徒の目を惹く。
長く伸びたレモン色の髪に薄紅の花弁がデコレーションとして舞い、よく似合う制服が映えている。コンプレックスの目を隠すニット帽は健在であるが、その顔は嬉しそうに綻びていた。樹楊は嬉しそうに鼻を鳴らすとゼクトと肩を並べ、校舎に向かった。
と、その途中。
「な、何あれ」
「んー、何って」
登校する新入生達が避けて通るその真ん中に、明らかな異物が微妙なステップを踏んでチラシを配っている。樹楊はそれを指差し、冷淡な口調で――、
「ウマだろ」
それはウマの着ぐるみだった。
やたら首が長くて間抜けなウマ面のそれ。
売れないテーマパークが起死回生を意気込んで作ったものの、失敗に終わった駄作にしか見えない、ウマ。
ゼクトは顔を引き攣らせてなるべく関わらないように心掛けるも、その努力も虚しくウマの目に止まってしまった。
ウマは一時停止のように止まると、じーっとゼクトを見つめる。
二人の間にはちらほら生徒もいるが、何故か目が合っていた。
まさか、来ないよね?
と、思っているとウマの足が一歩前に出てきた。
それに合わせるかのようにゼクトも一歩後退。
それを三度ほど繰り返すと、ウマは痺れが切れたかのように走りだしてくる。勿論、クラウチングスタートでゼクトと接触する気まんまんだ。
砂煙を巻き起こして大きく手を振るウマの顔はぶるんぶるん揺れ、ゼクトは全力で逃げようと背を向けて走る。
「いやぁぁぁぁ! なにがふつーのがっこーよぉぉぉ!」
「ぶるぁっ、ぶるっはあああああ!」
「ちょ、何で追いかけてくんのよっ」
「ぶるわははははははははははははははははっ」
チラシを配るのが目的だったのではないのか、ウマが手に持っていたチラシは宙に舞っている。ひらひらと舞うそれを手に取った樹楊は長嘆し、追いかけっこしている二人を見やった。パンツが見えようが汗を掻こうが兎に角逃げるゼクトと、暑苦しかろうが呼吸困難になっていようが、しゃかりきに追い回すウマ。
その二人が目の前を通り過ぎようとしていた時、樹楊はウマの足を引っ掛けて転ばした。
「ぶるおわああああああああ!」
ごろんごろん転がってくるウマにゼクトは「ひいっ」と悲鳴を洩らすと、ようやく樹楊の後ろに隠れてブルブル震える。
「なーにやってんだよ」
樹楊が嘆息混じりに言うと、ウマはのっそりと起き上がってきてその頭を取る。
中から出てきた男は汗をびっしょり掻いていて息切れしている。その男を見たゼクトは大きな瞬きを三度ほどすると、指を差して叫ぶ。
「あー! アンタ、何やってんの!」
樹楊は大して驚いた顔はしていなかったが、疑問符を浮かべた。
「サルギナの事知ってんの?」
ウマの中身はサルギナであり、綺麗なプラチナの髪を掻きあげてゼクトを見る。そして、俺は知らん。とあっさり言いきった。
この世界では初対面だが、別世界に居たゼクトは知っている。
この女好きそうな垂れ目で、プラチナの髪はスクライド王国に仕えていた元傭兵団の男であるサルギナだという事を。しかしこの世界でのサルギナはゼクトを知らない。さんざん追い掛け回していたのは、ただの好奇心だと言う。
「なあ、もしかしてサルギナもその……スクライドだかに居たのか?」
「う、うん。この人、将軍だったのよ。これでも」
ひそひそと話す二人に首を傾げる半着ぐるみのサルギナだったが、細かい事はきにしないようでゼクトに握手を求めた。
「初めまして、だよね? 俺はサルギナ・オク・ロイズ。キョウの先輩だ」
「で、サルギナはここの生徒会長でもある」
樹楊が補足すると、サルギナは「まあね」と胸を張って威張る。
生徒会長というのは信じられないゼクト。あのサルギナは不真面目で、ここでもこんな着ぐるみを着て変なチラシを配っていた。確かに人をまとめる力はあるかも知れないが。
「サルギナ、こんな所で勧誘すんのはどうかと。しかも変な着ぐるみ着て、新入生を恐がらせてどうすんだよ」
「変な、とは何だよ。これでも気を使ってだな、生徒会に勧誘してたんだっつーの。で、発見したのがそのー……何て名前?」
「ゼクトです……」
伸ばされた手――蹄だが――を無視するわけにもいかず、不本意ながらも握手をしながら名乗ったゼクトだがすぐに樹楊の後ろに隠れる。眉根を寄せて野良犬のように警戒するゼクトにサルギナは頭を掻くと苦笑し、
「じゃ、俺は勧誘に行ってくるわ。良かったら生徒会に入ってねゼクトちゃん」
大きく蹄を振って駆けていくサルギナだったが、やっぱり新入生には恐がられて逃げ惑われるだけだった。
「じゃー行くか」
「はぁ……どっと疲れてきた」
早くも落胆するゼクトの背を叩いて校舎に促す樹楊も流石に苦笑いをしている。ゼクトも思いっきり疲れたようだったが、樹楊と同じクラスと聞き、ようやく笑顔に戻る。
◆
窓側の一番後ろの席で樹楊は「どうしたもんか」と頬杖を着いている。
昨日は入学式で、クラスメイトは全員自己紹介を終えていたのだがゼクトだけは欠席していた為、今が自己紹介の時になっていた。しかしそのゼクトが教壇の上に立ち、完全にフリーズしている。帽子は深く被り、少し俯いているゼクトを見るのは少し新鮮でもあるが。
何せ、幼い頃のゼクトは明るくて人懐っこい性格だったのだ。こんなにも人前で緊張するのは意外だ。それもこれも、スクライドとかいう別世界の性格が混じっているからなのだろうか。
「ゼク、ゼクト……リアっ…………。うぅ……」
ちらっと視線を向けて助けてアピールをしてくるが、これだけはどうにも出来ない。担任のラクーンは「あっはっは」と人事のように笑うだけで助け船を出さない始末。
そう言えばラクーンも別世界に居たらしく、何でもお偉いさんだとも言っていた。ここではただの一教師だと言うのに。
「ゼクトリアさんは照れ屋さんですねー。でも頑張って自己紹介しましょうね」
子供扱いだ。ゼクトの幼稚さに心を打たれたのか、いそいそと飴玉を用意し始める女子生徒までいる。クラスメイトの目は各々の想いを込めた視線をゼクトに送っていた。早くしろと言わんばかりに目を細めていたり、何やら熱っぽい視線を送っている奴もいる。
ゼクトは様々な視線を感じると益々身体を強張らせるが、どうやら決意したようだ。
俯いてはいるものの、力んだ両肩を上に持ち上げると声を張る。
「ゼクトリア・イルウェイですっ。よろしくお願いします!」
するとクラス中から拍手喝采。
幼稚園児か、あいつは。
ゼクトは真っ赤にした顔で全員の視線を浴びながら席に向かう。
その席は樹楊の隣で、着席するなり帽子の陰から涙目で睨んでくる。助けてやらなかった事に不満を感じているのだろうが、どうにもならない事だった。これじゃ逆恨みもいいところだ。
「御苦労さん。良く出来ました」
「るさいっ。私は子供じゃない。何でこんな仕打ち……」
ぐすぐすと鼻をすすり、不貞腐れるゼクトに元気を取り戻させるのに午前の授業全てを費やした。幸い、始業式ともあり授業らしい授業はなかったのだが、それでも宥めるのには一苦労だった。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、生徒達は鞄を持って立ち上がる。これから何処に行こうか、などと相談する生徒達もいた。
「あれ? 何でみんな帰ろうとすんの?」
「あ? 今日は午前で終わりだ。始業式だろ?」
「そっか。終わりか」
「まぁ、帰っても時間余るし、ここで飯でも食っていかねーか?」
「ご飯食べるところなんてあるの?」
「先生達はまだ帰らねーからな。学食が開いてるよ」
嬉しそうに頷くゼクトを連れて学食に向かうと、意外にも生徒で満たされていた。考えてみれば、上級生は午後も授業があるんだった。計算外だったな、とゼクトに帰ろうかと言おうとしたのだが当人は眼を輝かせている。まるで祭に初めて来た子供のように。
「おにいさん、色々あるよっ。すっごい、デザートもあるっ」
確かにここの学食はバラエティーに富んでいると思う。和食洋食中華、イタリアンなどもありデザートもそこら辺のレストランに負けないクオリティーだ。まぁ、これが人気で毎年の高校入試の倍率の高さに一役買っているのだが。
「ね、ね! 早く行こうよ、なくなっちゃう」
「解った解った。慌てんな」
ゼクトの機嫌は上々。それならまぁいいか、と樹楊はゼクトと長い列に並んで空腹を耐えた。ゼクトはオムライスで樹楊は唐揚げ定食。勿論デザートも忘れてはいない。
清潔感あふれる白い長テーブルに向かい合って座ると、ゼクトは満面の笑みでオムライスにスプーンを刺した。こういうところは昔から変わっていなくて、樹楊は少しだけ安堵する。
何もスクライドとかいう世界の記憶を持っている事が不安なんじゃない。自分の知らないゼクトを見ていると、少しだけ胸がざわつくのだ。その気持ちが何なのかは解らないが、決していい気分ではない。
はむはむと一生懸命にオムライスを食べるゼクトの隣は空席だったのだが、樹楊のクラスメイトが座ってきた。こいつは午前いなかったくせに、昼飯だけは食いに来るのかと嘆息。
「よー。飯食いに来たのか?」
「ん……、きた」
ゼクトはオムライスを頬張る事を続けながらも疑問符を浮かべて横を向くと、何かに覚醒したかのように目を見開く。そして、
「ぶっは!」
こなれたケチャップライスと卵が隣の生徒に噴射される。噛み砕かれた米粒の弾丸を雨霰と喰らったその生徒は米粒を顔中に付けながらゼクトを見た。
「なにするの……」
「な、何って蓮ちゃんだよねっ」
「いや、謝れよ」
ゼクトは激しく取り乱し、頷く蓮の肩をがっしりと掴む。まるで三日ぶりの餌であるネズミを掴まえる鷲の如く。
「なにそのバッハがカールに失敗したかのような髪は!」
「……んぅ」
蓮は物凄い剣幕のゼクトに気押され、ぴくぴく震えながら樹楊に視線を送った。
織上蓮。
樹楊のクラスメイトであり中学生の時も三年間同じクラスだった小動物のような女子生徒だ。ゼクトが言う通り、バッハの失敗カールのような、冗談にしては限界を超している髪型で色は白い。そして蓮は絵を描くのがとても上手で、ゴッホのひまわりを描いた時には贋作としてでも売れそうな気がした。しかし、それもあってか、バッハとゴッホが合体したような人物として『バッホ』といじめられていた事もある。
樹楊は皮肉な男ではあるが人の悪口を言っていじめる輩ではない。蓮はいつも隔てなく付き合ってくれる樹楊の事を気に入っている。
そしてその蓮が今正にピンチの時を迎えていた。
目つきの悪い女子生徒に肩を掴まれて激しく揺さぶられている。無表情ではあるが、あれは相当怖がっているのだろう。樹楊は肩を落として立ちあがろうとした時、蓮の後ろから女子生徒が声をかける。樹楊は思った。こいつなら止めてくれるだろう、と。
「あら、蓮。お友達?」
尋ねられた蓮はふるふると首を振る。きっぱりと否定されたゼクトは悲しそうな顔を浮かべるが、声を掛けてきた者を見た途端、何かを切らした。
ぶちっと。樹楊には、ゼクトの背後で爆発寸前の火山が揺れている背景が見える。
「しっ……………………」
ゼクトは蓮を離すと椅子の音を立てずに立ち上がり、布巾で蓮の顔を拭いてやり、水を一杯飲むと声を掛けてきた女生徒の胸倉を掴んだ。
「しゅりょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」
ゼクトが絶叫した相手は紅葉アゲハで、彼女も中学生の時からの友達である。
おしとやかで面倒見がよく、クラス委員長には最適なスキルを兼ね備えているのだが、奈何せん地味だ。スカートの裾は長いし、折角綺麗な赤色の髪も三つ編みで二つに束ねている。
スタイルがいいんだからもっと気をつかえよな、とは樹楊の評。
ゼクトは紅葉の三つ編みを両サイドへ引っ張ると、長縄とびのように振り回す。
「何ですか、このくそ真面目な髪型はっ!」
「え、ええっ。そう言われましても……」
ゼクトのあの反応を見る限りでは、紅葉もスクライドとかいう大陸に存在していたようだ。
しゅりょーとか言っていたが、もしかして首領だろうか。そうなれば、ゼクトが属していたという傭兵団のトップとなるのだが。人をまとめる力はあるが、三つ編みをぶるんぶるん振り回さされてあわあわしている姿を見ると、どうにもそうは見えない。
やんちゃな小娘に悪戯されているだけの優等生だ。
「首領! 覇気が無さすぎです!」
「私に覇気なんてありませんよー……」
「何を寝惚けた事をっ」ゼクトは忙しく辺りを見回して一番近くにいた女子生徒を手招きで呼ぶ。まるで猛獣に見つかったかのように怯えるその女子生徒は紅葉の親友であり、図書委員という言葉を与えられる為に生まれてきたような、小柄な女性。
「ちょっとアンタ、立っている首領にぶつかってみて」
突然の要求に戸惑う女子生徒だが、やる気だけが空回りしている映画監督のようなゼクトに「アクションっ」と手を叩かれるとおずおずしながら歩いてくる。そして二つの拳を顎に添えている紅葉にぶつかる。控え目に。
「あ、ごめんなさい……」
「はい、首領! そこでアナタが取る反応はっ?」
「え、えーと。……いえいえ、こちらこそスミマ」
「ちっがーーーーーーーーーーーーーーーーーう!」
襟首を掴まえてそのまま持ち上げそうなほど力を込めるゼクトに紅葉は顔面蒼白になり、何度も謝罪の言葉を並べる。この頃になれば辺りが騒ぎ始め、大道芸を見るような目でゼクト達を眺めていた。樹楊もちょっとだけ楽しくなってきて紅葉の救いを求める瞳を完全にスルー。「そ、そんな」と、蚊の鳴くような声で呟かれたが無視を決め込む。
「いいですか、首領! アナタはぶつかった相手を真っ先に押し倒して――ハイ言うとおりにやるのっ」
紅葉は親友に小声で謝るとぎこちない動きで押し倒し、ゼクトに言われるがままマウントポジションを取る。まるで子供のお遊戯だ。周囲の目が痛いのか、紅葉は名前の通り顔に朱を散らしている。
「そこで鼻を殴るっ。思いっきりよ! 最初の一撃は相手の鼻をぺったんこにするようにっ」
「で、でででで出来ませんよそんな事っ」
「いいえ、出来ますっ」
「無理無理無理っ。私、人を殴った事なんて一度もっ」
「何を言ってるんですかっ。ぶつかる、押し倒す、殴るっ。アナタはこれを一、二、三の流れでやってのける人です! 私は少なくとも五人の男が顔面を潰されたのを見ました! ちなみに四で冷笑し、五で立ち上がる。そして最後は顔面を踏みつけるっ」
向こうの紅葉はそこまで残虐な性格なのだろうか。紅葉に押し倒されている図書委員っぽい親友とやらはガタガタ震えて今にも泡を吹きそうになっていた。紅葉は「違うのっ違うのっ」と懸命に否定しているのだが、ゼクトの止まらぬ熱弁に説得力を失い掛けていた。野次馬のようにたかっていた生徒達も恐怖を顔に貼りつけて紅葉から距離を取っていく。
そろそろ止めておくか、と樹楊が腰を上げるた時。
「ごはん……」と、蓮が箸を持ち、
「もう嫌」と紅葉が涙ぐみ、
「あ、そうだ」と、ゼクトは何やら閃いた様子だった。
そのゼクトに嫌な予感をひしひしと感じた樹楊は阻止すべく近寄るのだが、それよりも早くゼクトが紅葉と蓮の襟首を後ろから掴んで走っていく。
「おにいさん、私早退するねっ」
早退もなにも、もう終わりなんだが……。
紅葉は歯医者に連れていかれる子供のように泣き叫び、蓮は「あー」と感情がないような声をもらして鯉のぼりのようにぱたぱたと揺れながら連れて行かれる。箸を伸ばしてあるあたり、ご飯に未練があるらしい。
生徒達は闘牛のように突進して出て行ったゼクトを見送り、次いで樹楊を見る。無言で説明を求められても困る樹楊は椅子に座るとやっぱり溜め息を漏らすだけだった。
あのやんちゃ娘は何をやらかすのだろうか。
このまま帰ってもいいのだが、気が進まない。
取り敢えず、
「おい、大丈夫か?」
「は、はひ」
失神寸前の紅葉の友達に声を掛けてみるのだった。