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re:1 二つの記憶

「何時まで寝てんだよっ。さっさと起きろ!」


 心地良く寝ていたというのに、耳障りな大声の所為で悪い目覚めを迎えたゼクトだったのだが、その起してきた者を見ると気分などどうでもいいくらい驚いた。

 遅れるぞ、と人の掛け布団を手にする男は樹陽であり、見慣れない服を着て呆れた顔をしている。


「お、おにいさん。ちょ、何で人の部屋にいんのよっ」

「はぁ? いつお前の兄貴になったんだ、俺は。つーか、ここは俺の家だっての」

「は? 何で私がおにいさんの家にっ、どういうつもりよっ」


 樹楊は馬鹿を見るような目でゼクトを見ると額に手を添えて長嘆。

 

「お前ね。昨日から俺の家に引っ越してきたんだろうが」

「引っ越し? 誰がっ?」


「お前が」

「何でよっ?」


「今日から日本の高校に通うんだろ? 本当にお前大丈夫か? さっきからぎゃんぎゃん騒いで……。変なキノコでも食べたんですかっての」


 聞き慣れない言葉が樹楊の口から出てきた。

 ニホン、コウコウ。


 頭を抱えて混乱するゼクトの目に、映るのは本棚や机や変な機械。

 益々訳が解らないゼクトだったが、樹楊はベッドに腰を下ろすと頭を撫でる。その落ち着いた瞳にゼクトは何故か安堵を覚えた。

 心の奥に渦巻く不安が消えていく。まるで大自然の中で心地よい風に吹かれるように、それは洗われるようでもあった。


「まぁ、昨日入国したばかりだしな。混乱もするか」

「え……うん。何が何だかさっぱり」


「じゃあ……お前が前にいた国は?」

「スクライド王国」


「ス……何だって? お前が居たのはカナダだろ」


 樹楊は盛大に溜め息を吐くと、ゼクトを寝かせて今日は休むように促して部屋を出ていく。

 何か変な事を言っただろうか、とゼクトは布団にくるまりながら唸る。

 自分はスクライド王国に居て傭兵をやっていて、変な巨大ムカデと戦って……それで。


 ゼクトは勢い良く起き上がると部屋を飛び出た。そして目の前の階段を駆け下りて靴を履いている樹楊の肩を掴んで振り向かせる。


「な、何だよ。朝飯ならテーブルに置いてるって」


 生きている。

 樹楊は生きている。


 どうやらあの巨大ムカデを本当に倒す事が出来たらしい。

 それが解ると凄く嬉しくなり、涙が滲んできた。


「良かった……。おにいさん、ムカデに殺されてなかったんだ?」

「は? 俺はムカデに殺されるほど弱くねーけど。んな事より、ボタン」


 樹楊はゼクトの胸元を指差し、ごちそうさまと冷淡に告げる。

 何を言っているか解らないゼクトだったが、差されるままに視線を向けるとシャツのボタンが全部外れていて肌が露わになっていた。ついでに言えば、ズボンも履いていなくて下着姿だ。ゼクトは顔を真っ赤にすると、自分を抱き締めながら座りこむ。


「み、見たの!?」

「見てねーけど」


「けど?」

「ピンクでした」


 間違いなく見られていた。下着はピンクじゃない。樹楊がピンクと言ったのは……。

「うるさい! さっさと行けっ」


 手元にあったスリッパを投げつけるも、樹楊は難なく避けて意地が悪い笑みを浮かべた。

 そして笑いながら家を出ていく。その後ろ姿は大きく、幼い頃に見たそれとは全然違くて頼もしくも思えた。


「ったく、何なのよ。今日は入学式だってのに――って、あれ?」


 入学式。高校。日本。カナダ。

 そして樹楊の「いつお前の兄貴になったんだ」という言葉。

記憶がじわじわと蘇ってくるようだった。それは炙り出しで浮かんでくる文字のように、ゆっくりと確実に。

 この見慣れた家は幼い頃、そう。

 自分がまだ五歳だった頃に何度も遊びに来た家だ。確か家が隣で、両親同士の中が良くて樹楊とは幼馴染のように育ってきて、それで六歳になる前にカナダへ引っ越した。だけど、高校入学を機にこの家に昨日から住み込む事となって、それで。


「あ、あれ? でも私はスクライドに、赤麗にいたハズじゃ……」


 この世界の記憶は確かにある。カナダの友達の顔もハッキリ覚えている。

 だけど、ソリュートゲニア大陸にいた頃の記憶もハッキリと覚えている。

 つまり、


「なんじゃ、こりゃ」

 なのである。


 自分がこの世界にいるという事は、向こうの自分はどうなっているのだろうか。

 覚えがあるのは、ムカデを倒して帰る途中に食べた飴が血の味がして……。

 それから……、覚えていない。

 すると、何か。向こうの自分は死んでいるのだろうか。

 いやいや、待て。

 

 肌寒く感じたゼクトは部屋に戻るとベッドに潜って状況の整理を再び始めようとした。

「これ、おにいさんの匂いがする……」


 布団の匂いが樹楊の顔を思い出させ、幼い頃の記憶と別の世界での記憶をごちゃ混ぜに蘇る。

 あっちの樹楊は頼りなくて、蓮の思い人。別に好きでもなんでもない。

 だけど、こっちの樹楊は自分が長年会いたいと思っていた人で、蓮の顔を思い出すと胸がちくりと痛んだ。

 変な思いだ。明らかにこっちの記憶は、樹楊を好きでいる。あの顔を思い浮かべると笑顔さえも浮かんでくる。

 早く帰って来ないかな、とゼクトは含み笑いを――。


「って、乙女か私は!」


 うりゃ、と布団を投げ飛ばしてクローゼットの中から私服を取り出した。

 その中にツバつきのニット帽があり、こっちの世界でも目つきの悪さをコンプレックスに感じている事に溜息が出る。

 机の上には棒付きの飴が何個も置いてあり、好みも変わらない事に更に長嘆。

 

 ゼクトは今更学校に行く気にもなれず、服を着替える前にシャワーを浴びた。

 朝起きたらシャワーを浴びるのは、こっちでも向こうの世界でも変わらない。

 レモン色の髪も膝裏まで伸びていて、使用した花の香りがする。肌は傷一つ無い。

 

「よっし、準備は終わりっ。これでおにいさんに会っても恥ずかしくな…………」


 言っておいて恥ずかしかった。

 こっちではこれが普通なのだが、向こうの自分からは想像出来ない。想像したくもない。

 本当に自分は樹楊を好きなのか、と思えば情けなくもなってくる。

 ゼクトは素っ裸のまま風呂場の壁に手を着いてしばらく落ち込んだ。



 ◇



 昼が過ぎる頃になってようやく元気を取り戻したゼクトは帽子を被り、飴を咥えるとポケットに手を突っ込んで家を出た。

 何処にでもある民家の通りで、駅に行けば都会まで一本で行ける電車が走っている。とは言え、ここは田舎と遜色ない町並みであり、レモン色の髪をなびかせるゼクトの存在は目立ちまくっていた。

 主婦も外回りのサラリーマンも、誰かれ構わず吠えまくる馬鹿チワワもゼクトに目を奪われている。

 だがその不機嫌そうな顔は健在で、誰も近寄っては来なかった。


 しかし駅まで行くと、その姿に興味を持った男三人が疑似餌に釣られるゴキブリのように歩み寄って行った。

 そしてゼクトの前に立ち塞がると、下心全開の顔で見下ろす。


「何か用?」

「おっほー、気が強いね。いいじゃん、いいじゃん」


 やっぱりと言うべきか、下らない連中だとしかゼクトは思っていない。それと同時に相手をよく見てほしいものだ、と憐れんだ眼を可哀想な男達に向ける。こう見えても傭兵という稼業で戦地を潜り抜けてきたのだ。

 殺す事が出来ないのはつまらないが、気を失わせる程度ならいいだろう。

 相変わらず汚い笑みを見せる真正面の男に向って、ゼクトは固く握った拳を振るう。


 弾丸のような突きは風を巻き添えにしながら男に鳩尾に吸い込まれ、そして。

 ぼきっ。


「………………?」


 変な音が自分の手首から聞こえた。

 男は吹き飛ぶ事もなく、腹に埋まりもしないゼクトの手を無言で見つめている。

 ゼクトは首を傾げて男を見やるが、痛そうな顔をしてはくれない。


「い、痛い……」

 自分の手首が。


 どうした事か、自分の手首に激痛が走っているではないか。

 本来であれば、この男が「ぶきぃっ」と豚のような鳴き声を上げて命請いをするはずだったのに。

 しかしよくよく考えてみれば、こっちの世界で自分は暴れた事などない。

 普通の中学生活を送り、普通の成長をしてきた健全な女の子だ。

 身体を鍛えた事などない。一度もない。そう、皆無。


 ゼクトは手首を撫で回しながら悔しそうに涙を浮かべる。

 手首を挫くにはいつ以来だろうか。傭兵として戦地を駆け巡っていた時は手を挫くどころじゃないというのに、何故堪えきれないほど痛むのだろう。

 貧弱な身体になってしまった事を悔しがっていると、殴った男がその手首を捕まえて荒っぽく引いてくる。


「ちょっと痛いじゃないっ。離してよ、この不細工」

「人を殴っといてそれはないんじゃねーの? 俺は何もしてないっつーのに」

「るさいっ。その顔で生きているだけで犯罪でしょ、アンタは!」


 完全に男の神経を逆撫でたゼクトは、引く力にさえ抵抗できずにずるずると引き摺られてしまう。これは不味い状況かもしれない。何とかしたいがひ弱な自分じゃどうにも出来そうにもない。周りの人達は見ているだけで頼りにもならない。

 何でこんな事に、と思っていた矢先。


 ふっと引く力がなくなり、変わりに後ろから優しく包まれる感覚を覚えた。

 振り向けば、頭一個分高いところに樹楊の顔がある。


「てめぇら、こいつに何か用でもあんのか?」

「お、おにいさん……」


 樹楊の顔は見た事もないくらいに頼もしいものだった。

 何か良からぬ事をしようとしてきた男達は、青ざめた顔で倒れている仲間を起こす。


「い、いや。赤崎さんの妹さんでしたかっ。すいませんでした」


 と、へこへこ頭を下げながらフェードアウトしていく。ゼクトを掴んでいた男の顔には足跡が付いていて鼻血も出していた。どうやら気を失っているようで、仲間に引き摺られているが。


「もしかして、おにいさんが倒したの?」

「ん? ああ。そうだけど?」


 し、信じられねー! とは言えずとも顔に思いっきり出しているゼクト。

 スクライドに仕えている樹楊はヘタレで弱い男だったし、幼い頃の記憶を引っ張ってみても頼り甲斐があるところなどない。樹楊は恥ずかしそうに頬を掻くと抱いていたゼクトの肩を離した。


「えっ」

「ん? どうした?」

「や! 何でもっ」


 まさか、離すの? とは言えないゼクトは両手を前に突き出して振るが、その時に挫いた手首が思い出したかのように痛みを伝えてきた。ゼクトは顔を歪めると痛む箇所に手を添える。

 すると樹楊がその手首をそっと取った。


「あー。捻挫か、こりゃ」


 同じ掴まれるのでも、さっきの男とはまるで別だ。

 優しくて、ちょっとひんやりとした手の平が気持ちいい。


「こ、こんなはずじゃなかったんだけどっ、でも……ぼきって」

「殴ったのかっ? お前は昔っから非力なんだから無茶すんなよ」


 非力、という言葉が岩石となって頭の上に落ちたような気分に包まれた。仮にも赤麗という最強傭兵団のNo,4を担っていたというのに、こっちの世界じゃ自分の身も護れない貧者な女子高生……。もう、お先真っ暗だ。もういっそのこと、お箸より重い物は持てないの、とでも言おうか。

 奈落の底にまで沈むゼクトだが、その頭を樹楊は撫でる。眼が合うと優しく笑ってくれた。


「大丈夫だって。何かあったら俺が護ってやるから」


 ゼクトは何も言えず、ただ顔を真っ赤にして頷く事しか出来なかった。その様子を傾げた首で見る樹楊だが、それでもゼクトは恥ずかしくて、でも何だか嬉しくて背を向けた。


「さ、帰るぞ」

「う、うん。帰る……」



 ◇



 捻挫した手首に湿布を貼ってもらい、特に何かする気にもなれずにいると時刻は既に夕食の時間を迎えていた。キッチンを見れば手際よく調理している樹楊がいる。自分はというと、ソファーでクッションを抱えてドギマギしながら樹楊の方をチラ見という始末。

 これじゃ完全に不審者だ。しかし他にどうしようもないのだ。


 手当てしてもらっている時に落ち着かない心を静める為に、何気なく樹楊の両親を尋ねれば「んー。帰ってくるよ、三年後には」と普通に告げてきたのだ。

 それはつまり三年間二人っきりの生活を送るという事であり、年頃の男女が幾度も夜を共にすれば雪崩式に「そいやっ」的な事が起こり得るわけだ。樹楊も健全な男であり、ピンクの世界に興味がないわけではないだろう。

 

「おーい、ゼクト」

「な、なななななな何っ」


「棚からコンビーフ取ってくれ」

「は!? こ、ここここここっ?」


 今にもコケーっと鳴き出しそうなゼクトに樹楊は顔を引き攣らせると「やっぱいい」と調理に戻る。ゼクトは恐る恐るキッチンに近付くと、樹楊がコンビーフを取り出したのを見て安堵の溜め息を吐く。そしてよたよたとソファーに戻る途中、樹楊がまた声を掛けてきた。


「ゼクトは生がいいか?」

「にゃにお!? にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃまって、おにいさんそれはっ」


「あん? ああそっか、お前はカナダの方が長いから生モノを食べる習慣はねーか。お前んとこ、両親共にカナダ人だもんな」


 樹楊の手には生牡蠣が持たれていて「じゃーフライにでもすっか」と独りごちていた。コンビーフといい生といい、ゼクトは激しく取り乱していた。

 しかし樹楊は二人きりの状況に平然としているではないか。

 女として見られてないのか、少しだけ寂しい。というよりも、腹が立つ。

 もう少し意識してくれてもいいんじゃないか、と先程まで感じていた恥ずかしさを怒りに上乗せしたゼクトはテレビのリモコンを振りかぶる。


「でもよ、緊張するな」

 唐突に樹楊は赤らめた顔で振り向いてきた。頭を掻いて恥ずかしそうに笑ってもいる。

 それを見たゼクトは、やっぱり嬉しかった。自分を一人の女として見ていてくれる事は嬉しい。そっとリモコンを戻してソファーに座ると、笑いが漏れないように抱き締めているクッションに顔を埋める。


 しかし樹楊。

 緊張するな、と言ったのは料理を振る舞う事であり、顔が赤かったのは火を使って熱かっただけであった。しかし、そんな事は十年経とうが二十年経とうが、ゼクトが知る事はない。



 そして振る舞われた夕食を美味しく食べ終えたゼクトは満足げに樹楊の顔を見ていた。何が面白いのか理解できないお笑い番組を見て笑っている。こっちの世界ではありふれた光景だという事は解っている。だけど別の世界を知っているゼクトとしては、何とも平和でのんびりとした時間にしか思えなかった。

 自分は女子高生で、カナダの血を引く者であり、樹楊の幼馴染。

 ひ弱で料理も出来ない、ただの女。


 それが少しばかり悔しい。

 暗色が落ちるゼクトに、樹楊は煎餅をかじりながら聞く。


「どうしたんだ、お前。今日は朝からおかしいぞ?」

「え、別に。何でもないから……」


 そうは言うものの、落ち込みを隠せないゼクトだった。樹楊はテレビを消すとゼクトの隣に座って頭を撫でる。


「どうした? 何でも言ってみろ」

「……でも、信じてくれないもん」

「言ってみないと解らないだろ? それに俺はゼクトの味方だぞ?」


 その微笑みが優しかった。

 そんな樹楊であれば自分の身に起きている事を言っても信じてくれるかもしれない。そう考えたゼクトはしばらく閉ざした口を薄く開ける。そして、事の全てを告げた。

 大雑把に、でも丁寧に。


「……で、お前はそのスクライドとやらの自分の記憶を持っている、と」

「うん、そうなの。……ははっ、信じてくれないよね。笑っちゃうでしょ?」


 ゼクトは眉を下げて悲しそうに微笑んだ。

 言っておいて、この世にはあり得ない事だと解っているから。

 それでも樹楊なら……。


「だーっはっはっはっは! 信じれるわけねーっ。何だそれ、パラレルかっ、パラレル少女なのかお前は! ぶはっ! ぶっははははははははははっ、腹がよじれるダス! お母さん、救急車一台ばっちこーい!」


 思いっきり笑い転げていた。

 涙を流し、大口を開けて床をごろごろ転げては咽たりしている。 

 

 爆笑する樹楊を見て、やっぱり言うんじゃなかったと激しく後悔するゼクト。何度も「本当だもん」と叫んでみても信じてくれそうにない。証拠を求められれば何も出せないし、あるのは自分の記憶のみ。そんなんじゃ樹楊は納得してくれず、腹を抱えて笑うだけだった。あまりの苛立ちに殴ろうとしても非力な自分じゃダメージを与えられず、樹楊は自分が傭兵であった事を笑われる運びとなってしまう。

 

 ゼクトは悔しくて涙を流すとリビングを飛び出し、部屋に戻るとベッドに潜る。信じてもらう事は出来なくても、あんなに大笑いされるとは思ってもみなかった。

 それが悔しい。嘘じゃないのに。いや、真実じゃないのかもしれない。証拠がないのだから。


 それでもあのスクライドで送った日々はあまりにも鮮明で、確かに自分は生きていた。そして命を捨ててまで樹楊を護った。それなのに、酷い仕打ちだ。

 電気も点けずに不貞腐れていると、扉が軋む音を立てた。そして足音が近付いてくる。

 

「笑い過ぎたな。ごめん」


 被っていた布団をずらされ、頭を撫でてくる。それに心地良さを感じる自分が情けない。

 樹楊は何も答えないゼクトに溜め息を吐くと朝と同じようにベッドに腰を降ろした。


「まぁ、今日のお前と昨日のお前とじゃ態度が全然違うしな。非科学的だけど、お前は嘘を吐ける奴でもないし。それにお前の口からおにいさん、なんて初めて聞くぞ俺は」

「信じて……くれるの?」


 ひょこっと顔を出せば、廊下の電気を背負う樹楊が苦笑して頷いた。半信半疑である事は見て取れるが、それでも少しは信じてくれたのだろう。それが嬉しい。

 ゼクトが涙目を擦ると樹楊は安心したようで立ち上がる。しかしゼクトは樹楊の裾を掴んで退室を弱々しくも阻止した。


「どうした?」

「ん……一緒に…………」


 それ以上は恥ずかしくて何も言えなかったが樹楊は解ってくれたらしく「ガキの時以来だな」とだけ呟いて隣に寝転がってくる。顔を見る事は出来ないが、赤ん坊を寝かしつけるように身体を叩いてくれる樹楊は幼い頃から変わらない。

 よくこうやって一緒に昼寝をしたものだ。

 スクライドでの関係からは考えづらい光景だけど、それは言わないでおく。何せ自分は樹楊を殺そうとした時もあったから。


「なぁ、ゼクト。向こうでのお前は幸せだったのか? そんな戦いの毎日で、さ」

「幸せ……とは言えないけど、後悔はしていない。かも。うん、後悔はしていない」


 向こうの自分の口からは出そうにもないが、大好きな樹楊を護る事が出来たから後悔はしていない。それでも幸せとはほど遠いとも言える。


「じゃあ、こっちでは幸せになれよな。多分、向こうのお前がその為にこっちのお前に記憶を託したんじゃなか?」

「記憶を?」


 そういう考えもある。

 何も生まれ変わったのではなく、記憶がこっちの自分の渡されたのかもしれない。

 それを確かめる術はないが、もしそうだとしたら幸せにならなければならない。

 向こうのゼクトが望んでいたものは、何だったのか。今の自分では解らない。

 例え幸せの定義が異なっていても、同じ自分なのだ。こっちで幸せになれれば向こうのゼクトも喜んでくれるだろう。 


 いつの間にか身体を叩くリズムは消え失せ、その代りに樹楊の寝息が聞こえてきていた。自分の肩に腕を乗せ、すやすやと寝ている。こっちはドキドキしていて堪らないというのに。

 それでも。


 その寝息と、少しだけ重く感じる樹楊の腕から伝わる体温が嬉しい。

 ゼクトは樹楊の胸に顔を埋めると、幸せそうに笑いを含んだ。

 

  

 

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