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青を、往け。【短編集4】

作者: 浅野新
掲載日:2017/10/13

閉店

私はこの年齢_二十七歳_になるまで結婚式、お葬式共に出た事がない。

いや、厳密に言えば、小さい頃に近所のお葬式に出た事はあるのだが、大人になってからはない。

そのせいからか、私は向こうから来る別れと言う物にすごく弱い。

今までだって別れは数多くあった。しかしそれは私が全て選び、決断した別れだった。言い換えるなら、別れは私が呼び寄せた。

友人にしても、仕事にしても、恋人に対しても。

もちろん、別れはそれなりに辛い。空しさや、自責の念が暫くつきまとう。

しかし、それは自分が選択し、決断したものであるから、同じ別れでも気持ちが違う。

一度覚悟してしまうと、それほど悲しくはない。

同じ悲しみでも、はればれとした悲しさなのだ、呼び寄せた別れは。

しかし、やって来る別れは前者とは別物だ。それは何の前触れもなしに、突然やって来る。こちらはそれに対する知識も心構えも何も持ち合わせていないから、実際は大した事ではなくても動揺したりする。


 全く、別れは言ったもの勝ちだと思う。


 なずなはベッドに腰掛けて宙を見ていた。

少し離れた所にクローゼットある。白い、ぼんやりしたクローゼット。

やめよう、と恋人に言われた時、遂に来たか、と思った。思ったけれども相手の顔を直視できなくて、のどの辺りをずっと見ていた。細すぎず、太すぎない形のいい首と、のど仏。男らしくて、格好いいと思っていたのど仏が、つばを飲む度に動いて、ごくり、と大きな音がした。

前から駄目になるだろう、という予感はしていた。お互いあまりにも傷つく事に臆病だったから。二人の人間がまるで同じ事なんてあるわけがないのに、知っていて黙っていた。二年付き合って一度も喧嘩をしなかったが、提案もしなかった。行きたい場所、見たい映画、物の考え方。

やめよう、というのはすごくぴったりな言葉だ、となずなは思った。よくドラマで「別れよう」なんて言ったりするけれど、決まりすぎてて嘘くさい。第一そんなセリフ恥ずかしくって言えない。

でも。

よ、となずなは立ち上がった。のろのろと正面のクローゼットへ近付き、扉をゆっくりと開ける。右端にかけてあるベージュのスカートを見、小さくため息をついた。

でも、別れは言った物勝ちだ。


午後六時半。

ベッドに置いてあった携帯が鳴る。なずなが出ると、来たよ、とだけその声は言った。

アパートを出ると、見覚えのある黒い自動車が停まっている。なずなは首を傾げて運転席をちょっと見てから、助手席のドアを開けた。

「お待たせ」

「いいよ」

形のいいのど仏が動いた。ベージュのスカートがするりと中へ入り、車は静かに動き出した。


誕生日を一緒に過ごして欲しい、というのは恋人への、なずなの最初で最後の要求だった。彼に未練があったわけではない。一人暮らしをしている為、誕生日を一緒に祝ってくれる人が近所にいなかったのだ。一人で過ごす誕生日なんて論外だった。

恋人に別れを告げられた時、つい、誕生日の前日に別れるなんて、とぽつりと言ってしまったのだが、

「誕生日を一緒に過ごしたら、話せなくなりそうで」

と恋人が寂しく笑ったので、それ以上何も言えなくなってしまった。

同じ不幸という境遇の中で、しゃにむに動いている時と、ひたすら悩んでいる時は同じくらい辛い、という事をなずなは知っている。時として、後者の方が辛い事も。だから、それ以上責めなかった。


冬の夜は深くて暗い。暗闇と透明な空気の中を車が静かに走ってゆく。街の中心から脇道に入り、少しさびれた通りに入る。古びたデザインの街灯が、「○○商店街通り」という看板を、ぼうっと照らしている。

ピアノの音が微かに聞こえる以外、物音一つしない車内で、なずなは一人で誕生日を過ごせば良かったかもしれない、と後悔し始めていた。

そのレストランは商店街通りを抜けた、すぐ左手にあった。

気をつけないと見落としそうなくらい小さな店で、外にある国旗でかろうじてフランス料理店だと知れた。

四台分しかない駐車スペースには既に車が三台止まっており、中に入ると店内は明るく、活気に満ちていた。

「いらっしゃいませ_」

ウェイトレスが明るい声をかけると、正面奥の厨房からもいらっしゃいませ、と声が聞こえた。四十代くらいのひげのシェフが笑っている。オーナーかな、となずなは思った。

店は、入るとすぐ右側に五つほどテーブルがあり、一つを除いて全て埋まっていた。

なずな達はおばさん三人組と、若い女性二人のにぎやかなテーブルの間に座った。周りの明るさに、心からほっとする。

「・・・ここ、前来た事あるの? 」

席に着くなり話しかけたタイミングは、沈黙を破るにはぴったりだったようだ。

彼の顔も少しゆるんだ。

「うん。会社の忘年会で、一度だけ」

「こんなに小さい所で? 」

「うちの部署は十五人ほどだから。それでもぎりぎりだったけどね」

「だろうね」

「失礼しま_す」

会話はそこで、水とメニューを持って来たウェイトレスの声で中断された。

お互いメニューを手に取り、しばし沈黙する。

「へえ、ここ、十周年なんだ」

なずなはメニューの一番上にある〝十周年記念料理〟を見ていた。すごいな、と思った。この店は市街地から離れた田舎の商店街通り沿いにあり、この店を必要とするような人は付近にいないんじゃないか、という感じだし、口コミや雑誌で見聞きする事もなかったから、十年も続けている事が信じられなかったのだ。

十年。ものすごく果てしない時間のように感じられる。二年でも充分なのに。

二人はその十周年記念料理と、白ワインを頼んだ。

ワインが運ばれ、グラスに注がれる。

「おめでとう」

「ありがとう」

「二十七だよね」

「うん。そっちも、もうすぐだよね、誕生日」

「とうとう二十九だよ、嫌になるなあ」

「男の人でも年って気になるの? 」

「僕はね。去年まではそうでもなかったんだけど」

相手がワインを飲むのを見て、なずなもグラスに口をつける。


私の知らない二十九歳。

グラスはよく冷え、少し曇りが残っていた。


しばらくして食事が運ばれ、二人はゆっくりと話をした。今日話さなければならない事を。明日以降、聞きたくならないように。

時には黙って両隣の人々の話を聞いた。若い女の子達の職場に夢は持たない方がいいとか、あの子の結婚式には何を着て行こうか、という話から、おばさん達の子供がピアスをしたがっているとか週に三回は運動しないとやせないのよ、と言った話まで。

それらを騒々しくて、今の気分には心地良いBGMとして聞いていたら、突然高い声によってかき乱された。

「え_っ、そうなんですか? 」

思わずそちらを見る。

先程席を立ったカップルが、レジの前でひげのシェフと話している。声を上げた女性がさらに続ける。

「いつ閉めるんですか? 」

「今月末です」

「えっ、あと五日・・・」

常連客らしい二人が全然知らなかった、とか、次はどうされるんですか、とか訊いているのを気にしながら、なずなは彼をちらと見た。

男の顔もそちらを向いている。

「ねえ」

と声をかけると、彼は聞いた? という顔をした。

うんうん、と頷き、顔を近づける。

「やめちゃうんだねー、ここ」

「知らなかったな。びっくりした」

「でも、十周年記念って書いてあるのに。記念と同時にやめちゃうの? 」

「そうなんだろうなあ」

「すごく残念。ここ気に入ったのに。やっぱり立地条件が悪かったのかな。私だってここにこんな店があるって知ったのついこの間だもん。でも、あと五日後に閉まるんじゃあもう一度は無理だね」

「そんなに気に入った? 」

「うん」

彼は笑ってデザートのシャーベットをすくった。

もう一度レジの方を見ると、先程のカップルが頭を下げて出て行く所だった。ひげのシェフと、二人のウェイトレスもありがとうございました、と大きく頭を下げている。


ショックだったが、閉店前の店は嫌いではない。今までだって閉店と聞くと、わざわざ出かけた事がある。閉店セールの為ではなく、その独特の雰囲気が好きなのだ。

一人一人に深々とおじぎをする店員、活気ある呼び声、ありがとう、と帰る客。店中が痛々しいほどの思いやりに溢れている。それは境遇は違っても、開店当初に確かにあったものと同じに違いないのだ。


でも、思わずにはいられない。

ウェイトレスが笑顔でコーヒーを運び、彼の前に置いている。

思わずにはいられない。


不器用で、誠実で、一生懸命なあの気持ちをずっと持ち続けていれば。

始めの思いやりを忘れずにいれば。

この店は。

私達は。


「この後、どうされるんですか? 」

彼の声で、我に返る。

見ると、彼がウェイトレスに話しかけていた。彼女はもう何十回と聞かれたのか、驚きもせず、

「店はこのまま。バーになるんです」

と、にっこりと答えた。


しばらくして店を出た。

食事は彼がおごってくれた。プレゼント、という事だった。物をくれても困るけれど、要らないとも言い出せなかったから、少しほっとした。

車がゆっくりと発進する。

なずなの住むアパートまで、二人はずっと喋っていた。穏やかに、尽きる事なく。

「あの店、形はともかく、残るのよね」

「うん」

「良かった」

「うん」


それでも、店は閉まり、私達も終わる。


でも、


終わらなければ、始まらない事もあるのだ。


車内にはジャズが、穏やかに流れていた。





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