第71話 二人の過去
「貴方でもそんなに顔を崩すことあるのね。それともあの子は特別?」
「さあな。」
アヤはカイクを追って声をかけた。
今を逃すといつ話せるかは分からない。
アヤはそれを良く知っていた。
一方、カイクは顔一つ変えずアヤを静かに見ていた。
アヤは何度も深呼吸をしてから、この十数年尋ねたかった言葉を口に出した。
「ねえ、貴方の何処までが本当で、何処からが嘘?」
何の知識もなく関係を持って出来た子供だった。
子供がいると伝えたとき相手の男は少し戸惑った顔をした。
けれど、すぐに微笑んでありがとうと笑ってくれた。
鼻で笑うようなことはよくあったが初めて見せてくれた本当の笑顔だった。
それを見て自分は何を捨てても一生この人と子供と幸せに生きていこうと思った。
地方の傭兵だという男と会ったのは別荘だった。
王都では賓度羅が横行し、それを駆逐するために大規模な作戦が行われると別荘に隔離させられてすぐのことだった。
自分は本気でその男を愛していた。
別荘を抜け出しては近くの壊れた馬車の中で逢瀬を重ね、ずっと一緒にいようと誓い合った。
けれどそれがまやかしだったと気付いたのは父が賓度羅を壊滅させ、王都に戻ったときだった。
ただの貴族の私兵だった神の御剣が国の精鋭部隊として生まれ変わろうとしていた。
父のもとには毎日資金源となっていた有力貴族から押収した品が集まった。
目がくらむほどまぶしい金や銀の装飾や宝石が庭に雑然と置かれていた。
けれども何よりも自分の目を奪ったものは飾りのない一振の刀だった。
それは彼が身につけていて、自分が冗談でも触れると叱られた物に違いなかった。
そして若い御剣の男がずっとその剣の前に立っていた。
『その剣・・・。』
アヤは庭に出て男に声をかけた。
男はアヤに驚いたような顔をして頭を下げた。
優しい瞳をした白い制服が良く似合うすらっとした男だった。
それが今の夫だった。
『榮のカイクの剣です。』
『榮・・・のカイク?』
カイクというのは恋人の名前だった。
『ええ、組織の最重要危険人物です。』
カイクは最後に会ったときしばらく戻ってこないと言った。
仕事が入ったと。
戻ったら家を出て一緒に暮らそうと。
そう約束した。
『組織?榮・・・?カイク?』
何が本当で何が嘘なのか全く分からなかった。
確かに自分はあの男を愛していた。けれど約束はもう果たされない。
もしかしたら約束などはじめから存在しなかったのかもしれない。
騙されたと気付いても二人の間にできた子供は腹の中で成長していた。
この子を愛せないかもしれない、育てられないかもしれないと迷いでいっぱいだった。
人に知られることが怖くて、引きこもって暮らしていた。
両親が知ったのは堕ろせなくなってから。
結局王都を離れて別荘で子供を産んだ。
そして生まれて間もない子を分かっていながら雪の日馬車の中において去った。