第52話 ハルと暗部
目が覚めたのは太陽が高くなってからだった。
明るくなってやっと今いる場所の全景が見えた。
錆びて使えなくなった鋤や鍬がうち捨てられていることから見て農家のようだった。
ハルたちはその家の入り口にいた。
体を起こし外へ出ると、薬のために感覚が鈍っていても、秋の冷たい風と陽の光の心地よさは感じることは出来た。
空は昨日の雨が嘘のように雲ひとつない秋晴。
何処までも蒼い空が続いていた。
「気持ちいい。」
小屋の周りには色づいた木々しか見えなかった。
「どこ・・・ここ・・・。」
数歩歩いても人の気配は全くない。
ハルは息をすると木に手をかけた。
力を込めると腕が痛んだ。
けれどそれを我慢して登りきった木の頂上で景色に目を奪われた。
それはどこまでも続く秋の山。
赤や黄に色付く大きな森だった。
戻ってきた暗部はハルの姿がないことに気が付き、周りを見回した。
部屋に荷物があることを確認し、冷静に、かつ慎重に目を配る。
けれど部屋の中に気配はない。
そして今度は建物の外へと目を動かした。
外周、そして森の中、木の上・・・。
やっとハルを見つけた暗部はハルの倍の速度で木に登るとハルを静かに見下ろした。
ハルは臆することなく何処までも続く森を見て呟いた。
「綺麗だね。」
何故か今日はこの暗部に恐れなど抱かなかった。
組織にいる時、トオルの家で見た時、感じた気が狂う恐怖心はもうなかった。
それが薬のせいか、組織から離れたせいか、それとも暗部の持つ雰囲気が変わったからかはハルには分からなかった。
その暗部もハルの見ている方向に目を遣った。
二人の前には金の絨毯の中に時折紅の刺繍が施されたような荘厳に色づいた森が広がっていた。
暗部の男もつかの間その景色に目を奪われたようだった。
「こんなの見たことなかった。トウヤはいつも空からこんなの見てるのかな・・・。」
深呼吸をすると心地よい空気が胸に入ってきた。
そしてもう一つ、かすかな香りがハルの感覚を刺激した。
それは愛しくて愛しくて大切な香りだった。
「あ、何かトウヤの匂いがする。優しい匂い。もしかしてここ天国だったりするのかな?」
ハルは空を見上げた。
鷲が空で舞っていた。
「あんな風に空飛べたらいいなあ。でも一人は嫌だから絶対傍に・・・。」
トウヤだけではなく、いつもいてくれたルカとソウマの顔が空の中に見えた気がした。
「痛っ!あ、わっ!」
無理な姿勢で空を見上げたためにハルの矢を受けた腕に痛みが走った。
反射的に手を木から放した為に姿勢を崩し、眼下に地面が見えた。
薬で感覚の鈍った体では枝を掴もうとした手が空を切る。
(死ぬ!)
白い面が目に映った。
そして黒い服に覆われた腕が自分へと伸ばされる。
大きな手がハルを掴むと同時に木の折れる音が何度も側で聞こえそして地面に触れた。
目を開くと暗部の面が前にあった。
「え?」
助けられたようだった。
自分をきつく抱きしめる人間からずっと求めていた匂いがした。
「どうして・・・。」
暗部はその言葉に離れようとした。
けれどハルは離れなかった。面の中の目を覗き込んだ。
「嘘・・・。」
明るい青の瞳がそこにはあった。
「嘘・・・だ・・・。」
面に手をかけると手を押さえられた。
「ねえ、トウヤ・・・。」
顔は見えなかった。
顔を見るよりも先に感じたのは熱い吐息だった。