第5話 組織ナンバーワン
「おばちゃん。」
居住区の中で一際大きな焦げ茶色の木の扉を叩いた。
通常の構成員は隊で一部屋与えられるのに対し、ここの住人は一人で三人部屋よりも広い場所に住んでいた。
扉の下からは蝋燭の明かりが漏れ、住人がいるのが見て取れた。
ハルはせわしなくもう一度扉を叩いた。
「ハルかい?お入り。」
「失礼します!」
ハルが嬉しそうに扉を開けると中には碧眼の女性が座っていた。
金糸かと思えるような長い美しい金色の巻髪を指先でもて弄びながら入り口に立つ少女に笑顔を向けた。
「おばちゃん!お帰りなさい!」
「ただいまハル。」
昔は訓練から戻ってくると必ず抱きしめて頬にキスをしてくれた育ての親はハルが『戒』の一員となってからは一定の距離を保つようになっていた。
一人前になって甘やかしてばかりいられないんだろう、とハルは考えつつも大好きな女性を目にすると擦り寄りたい気持ちをこらえるのに必死だった。
「ハル、潜入任務だったんだって?任務はうまく出来たの?」
今年三十四になる長身痩躯の女性は立ち上がるとハルの手を取ってベットに座らせた。
「うん。成功。」
「そう・・・。ん?なんか香水臭いねえ。」
「あ。ルカも言ってた。」
「そうか、ターゲット、男だってカイク言ってた。匂いが移ったんだね。大丈夫かい?」
「うんん。全然平気だよ。だってその任務をこなすことが私の存在価値だもん。」
「そうか・・・。命令だから仕方ないか。」
「うん。大丈夫だよ。」
そう言って何回微笑んできただろう。
目の前にいる自分の尊敬する女性には仕事の愚痴は言いたくなかった。
いい子、できる子と思われていたかった。
現在活動している構成員の中でナンバーワンと評されるバネッサというこの女性は『戒』のメンターカイクとかつては同じ隊のメンバーであり、その強さと美しさゆえ組織の中で非常に人気がある。
ハルはこの女性に赤子の頃から育てられた。
母と父というものを知らない彼女にとってバネッサとカイクだけが頼れる大人だった。
「はあ、おばちゃんの顔みたら安心しちゃった。お風呂ゆっくり入って加齢臭落としてこよう!ルカに何言われるか分からないし。」
「疲れもゆっくり流しておいで。明日も任務なんだろ?さっきカイクが資料に目を通してたからね。」
「うん。そうする。じゃあ、おやすみなさい。」
ハルが静かに扉を閉め部屋を出るとバネッサは机の上にある写真立てを見つめた。
そこには金髪の女性と青い目の赤子と茶色の目の子供が写っていた、バネッサは愛しそう青い目の赤子に触れると静かに写真立てを置いた。
熱いお湯が頭上から降り注いだ。顔を向け体中に湯を浴びる。
(なんか・・・気持ち悪い・・・。)
男が首筋に這わした舌の感覚を思い出せば体中を悪寒が走った。相手の匂いがつくほど男に触れられた体が嫌で仕方なかった。
ハルは泡立てたスポンジで首筋を力を込めて擦った。
肌が傷つき痛みが走った。
それが自分をもっと惨めにさせた。
(洗ったって私自身の汚さが消えるわけじゃない。私すごく汚い・・・。もう嫌。)
壁を思いっきり叩いた。
自分自身に妙な感覚を覚えもう一度壁を叩く。
(ダメ・・・薬切れたみたい。)
そう気が付いた瞬間、気持ち悪さと不安感で一杯になりその場にしゃがみこみ、体中からこみ上げる吐き気に耐える。
「う・・・。」
得も知れぬ感覚に涙がこみ上げた。
声を上げて叫びたい気持ちをぐっとこらえ、口を押さえる。
けれど止められず流れてゆく涙はシャワーと混じり誰に気づかれることもなく排水溝へと吸い込まれていった。
「長風呂。俺だってはやくシャワーあびてえんだよ。」
シャワーから出るとルカがタオルを首に巻いて待っていった。
「ってか。体拭けよべちゃべちゃのまま服着やがって。カーペットもべちゃべちゃだし。」
ルカは少し屈み自分よりも十数センチ背の低いハルの雫の垂れる髪を力いっぱい拭いた。
「どうしました?ハル?」
「薬切れた。気持ち悪い・・・。」
「ああ・・・。薬ですか。」
ソウマは手馴れた様子でピンクのハート型の小物入れから濃い紫と黄色の二色のカプセルを出した。
それを見てルカはため息混じりにタオルをのけ部屋の隅の椅子に腰掛けた。
一方ハルはすがる様に蒼白な顔で薬を受け取ると水もなしに飲み込みその場に座り込んだ。
「少し横になってなさい。」
「うん・・・。」
もぞもぞと自分のベットまで這うように進み、ハルはごろんと転がった。ソウマは布団をかけると優しく撫でた。
「何か暖かいもの飲みますか。」
「ううん。いらない。寝れば大丈夫。」
「そうですか。ゆっくり寝てください。」
ソウマの言葉にハルは小さく頷いて瞼を閉じた。
ソウマはハルの元から離れると唇を噛んでいるルカの頭にも手をポンとおいた。
「今回の任務、私出番なかったんでちょっと鍛錬場に行ってきます。ついていて下さい。」
ルカは何を言うこともなくハルのベットの脇に腰をかけると先ほどのツナマヨネーズのポテトチップに手をつっこんだ。
ハルは最後の力を振り絞りルカに声をかけた。
「ルカ、その匂い気持ち悪い。ツナ嫌い。」




