運河開通
南北大運河は、北の大河の支流と南の大河の支流を南北に(正確には北北西から南南東に)結んでいる。
運河の始点は北の大河の支流に設けられ「ノースヘッド」と、終点は南の大河の支流に設けられ「ノースヘッド」と、それぞれ名付けられた。運河開通後100年を経た今では、どちらもそれなりに大きな町へと成長・発展している。
そして、運河の中間地点には、オクトハーブの町が建設された。建設の背景としては、運河を一日で通過することは不可能なため停泊施設が必要であること、運河会社の本社など経営の拠点は現地に置くのが何かと都合がよいこと、オクトハーブ男爵家のご先祖が自分で思い描く理想の町を作ってみたいと強く希望したことなどが挙げられている。
同時に、オクトハーブの町が位置する南北大運河の中間地点は広く深く掘り下げられ、町の目の前に巨大な人造湖(オクトハーブ湖)が作られた。ただ、その巨大さは、港としての用途をはるかに超えるものである。ご先祖は、港としての利用以上に(あるいは、それを口実に)、町の景観や、湖の上での船遊びなど、自らの遊び心を満足させてみたかったのだと言われている。
このようにして開通した南北大運河であるが、オクトハーブ男爵家のご先祖の読みは当たった。南北大運河は帝国の北部・中部と南部(トカゲ王国)を結びつける交通や物流の大動脈として利用され、ご先祖が手にした運河の通航料は莫大な額に上った。その利益により、ご先祖は10年足らずで、運河建設により負った債務を完済するができた。
そして、金融業の本社もオクトハーブの町に移すとともに、私財を投じ、道路、公共施設、神殿の建設など町のインフラ整備を行った。同時に、帝国政府に働きかけ(当然、賄賂も含む)、オクトハーブの町の自由市としての地位(帝国のどの諸侯にも属さない)を勝ち取ることにも成功した。以降、ご先祖の家系(ハンフリー家)はオクトハーブの町の指導的地位(市長)を事実上世襲する(選挙であるが、なぜだか常にハンフリー家から立候補した人が勝ってしまう)ことになった。
その後、オクトハーブの町はますます繁栄し、現在から数えて何代か前のハンフリー家の当主が資金力により爵位(男爵)を購入することに成功、オクトハーブ男爵を称することが認められる。これにより、自由市であるが領主が君臨し、しかも市長選挙では常に特定家系の者が勝利するという奇妙な政体ができあがることとなった。なお、爵位を購入した当時の当主は、「マッドバロン」と呼ばれ、非常にエキセントリックな人物であったと伝えられる。
現在の当主はフランク・ヴィンセント・ハンフリー・オクトハーブ前男爵であり、この人物こそ、バーンたちの運んできた荷物の受取人である。前男爵は、息子に男爵位、運河会社社長職、市長職等を譲り(市長職は選挙があるため事実上の譲位)ながら、なおも最高実力者として、会社経営や市政への決定的な影響力を保持していた。




