閑話:とある老夫人の憂鬱
アダマンティ王国のとある侯爵領にある修道院では、院長である『伝説』とまでいわれた老夫人が深い溜息をついていた。
【・・・なぜこんな事になってしまったのか?】
老夫人の悩みの種は、この国の国王と宰相から
『ある問題児令嬢を預かって欲しい。ついでに礼儀作法・マナーを叩き込んで欲しい』
という依頼があったからだ。
国王と宰相は、老婦人の生徒だった。
ほとほと手を焼いた生徒(主に国王)だったが、この国の貴族でもある老婦人には断ることは出来ないと思い、この二人からの依頼を受けた。
まさかここまで酷いとは思いもよらなかったのである。
宰相からの書状には
『とある男爵家の令嬢を夫人の修道院で預かって頂きたいのです。
貴族令嬢としての最低限のマナーも礼儀作法もなっていない問題のある令嬢であり、高位貴族の子息達やジェリク王子に対しての態度、またジェリク王子の婚約者であるサフィール侯爵家のリリウム嬢に嫌がらせを受けたと冤罪をかけるなどの問題行動が目立ち、学園を退学処分となった令嬢です。
王都近郊の修道院からは受け入れられないとの返事をもらい、夫人にしか頼れない状況なのです。
お願いです。この令嬢を夫人の修道院で受け入れて頂けないでしょうか?
そして叶うことなら、この令嬢に貴族令嬢としての礼儀作法とマナーを叩き込んで頂けないでしょうか?』とあった。
当時王太子だった国王は礼儀作法とマナーの授業がイヤで、家庭教師から逃げていた問題児だった。
逃亡する王太子を捕獲して、側近となる貴族子息達と共にどこに出しても恥ずかしくないよう礼儀作法とマナーを教えたのは、息子が成人し嫁取りするまで中継ぎで女侯爵だったカトレア・エピドート夫人である。
息子の他に、現王妃や現フローライト辺境伯夫人などの貴族令嬢に礼儀作法やマナーを教えていた。
女侯爵として領地運営をする傍ら、令嬢たちを教えていたのは国の未来を見据えてのこと。
令嬢たちの子供が将来、この国の中枢を担うことになるのは明白。
その子供たちが他国になめられないようにと、令嬢たちには厳しく教えた。
夫人が合格を出すことが出来る令嬢は中々いなかったが、合格をもらった令嬢は国内では王妃になったり、辺境伯や侯爵などの高位貴族へと嫁いでいった。
王都から遠く離れたエピドート侯爵領にも、問題児令嬢の噂は流れてきていた。
当時の王太子の家庭教師を受ける交換条件として、息子が侯爵位を継いだら王都から離れ領地に修道院をつくりそこで余生を送ることを先代国王と約束を交わしていた。
【それなのに・・・手を焼かせたとはいえ、かわいい教え子からのお願いだからと依頼を受けたのが間違いだったのかしら・・・】
問題児令嬢が夫人の修道院に送られてきてから二ヶ月が経過しているが、この令嬢は一向に礼儀作法もマナーも身についていなかった。
それどころか、ここには自分ではなく自分を陥れたリリウム嬢が入るべきだとか、自分はこの世界に愛されるヒロインなのだと訳の分からない事を喚きちらす始末。
最初のうちは、修道院にいるシスター達もこの令嬢のことを気にかけていたが、最近では近寄りもしなくなった。
修道院内の空気がピリピリとしている。
早々に合格を出して、この修道院から出してしまうことをシスターたちが望んでいることも分かる。
だが、様々な貴族令嬢や王族を教えてきた夫人の矜持がそれを良しとはしなかった。
とりあえず、基礎中の基礎を叩き込んでおかなければ・・・
老夫人は今日も、問題児令嬢に礼儀とマナーを教えなければと憂鬱そうに深い溜息をついて令嬢のいる指導室へと向かった。