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レネは刃物は嫌いであった。
力が無かった昔ならば、屍となった兵士や賊から剣や槍といった刃物を奪って武器にしていたが、それらは数回使うと黒く色が変わってすぐに折れてしまう事に気づいた。
磨いても磨いても人の紅い血がベタリと張り付いた白い刀身は、黒く醜くなっていった。
いざという時、何の役にもたたないでは無いか。
それからレネは剣はあまり使わず、己の拳と知恵だけで戦う事を覚えた。
今持っている細身の剣は昔、胸に大きな剣を刺したまま、血反吐を吐いてレネの目の前で息絶えた兵士が下げていたものだ。
息絶える瞬間の人間のものとは思えない地獄の底から響くようなうめき声。
あまりにも聞きすぎて、もう耳について離れないと思っていたのに。
どうして忘れてしまったのだろうか。
「これが平和ボケか…」
真っ暗な部屋の中、ひとつも明かりを点けないでぼやいた。
なにも見えない闇の中でも、今のレネの研ぎ澄まされた感覚では、捕えられないモノはなにも無い。
これほどの鋭利な感覚があったならば、あんな失態を犯さずに済んだのに。
「…クソッ」
堅い木の机に、思い切り果物ナイフを突き立てると、グサリと木目に飲み込まれる。人間ならばこんな感覚では無い。
白い肌に飲み込まれていく銀色の刃物、どろりと、或いは吹き出すように流れ出る紅。
ぐきりと折れる骨の音、空気をたれ流す口、ぐちゃりと柔らかな野菜や果物のように弾けつぶれる内蔵。
そして獣のような叫び声とうめき声。
それが現実だったはずなのに。
今は、ぬるい。全てがぬるすぎする。
昔の自分がじわりじわりと死んでいく。
「チッ…」
果物ナイフを更に突き刺そうとしたが、パキリとあっさり折れてしまった。
折れた刀身のついた柄を投げつけると、扉に刺さった音がした。
※
「あいつ等は使えないか」
ゆらりと揺れる灯りの向こうで、白い湯気のたつカップを持ったセイファートがにこりと笑った。
その白いカップを、ライヒアルトの前に置く。
「とんでもないです。予想以上ですよ」
「…妹君が人質に取られたと聞いたが」
「結果的にマリアンネは無傷でしたよ」
「だが」
「もし人質に取られなかったとしても、彼女が傷つけば何の意味も無い。だから私は何も気にしてなどいません」
カップを顔に近づけると、独特の匂いが鼻を掠めた。
確か身体を暖める効果のある葉だ。
それを口に含んで、ゆっくりと嚥下する。
喉元を通り過ぎ、徐々に熱が広がるの感じながら、ライヒアルトはフゥと静かに息を吐いた。
「今なら、彼らの感覚も研ぎ澄まされているのではないですか」
「だろうな。あいつ等は負けず嫌いだ」
くすり、とセイファートの低い笑い声が響く。
「すぐにケリをつけますよ。あまり長居させていただくわけにはまいりませんから」
「なに、ゆっくりしていくと良い。実に何も無い街だが…存外悪くは無いだろう」
「そうですね…マリアンネも屋敷にいるよりかは随分と楽しそうですし」
灯りの消された部屋の半分側の隅で、もぞりと黒い影が動く。
その小さな身体を目を細めてライヒアルトは見つめた。
「今度はこんな事では無く、純粋に旅行者として来ますよ。…マリーとともに」
「ああ、何時でも歓迎しよう」
セイファートがカップを少し傾けながにらにこりと笑う。
実に清々しい御仁だとライヒアルトは思った。
その心強い笑顔は、何処か人を安心させ奮い立たせてくれる。
セイファートの友人であり、ライヒアルトの知人である男の事を少し思い出したが、それとはまた違う力強さだ。
「昼間の凶手については何かわかっているのか?」
「おおよその事は。しかし手を出してきたのは今日が初めてです。少し…残念です」
ライヒアルトの心を締め付けるのは、あんなにもか弱く幼いマリアンネが一番の危険に晒されるという事だ。
それだというのに、彼女を護ってくれる者は誰ひとりいないのだ。
しかし危険な目に合わせているのは本当は自分だと言う事実が、ライヒアルトを一番苛んで止まないのだった。
「あの子が私の妹でなければ、もっと穏やかに暮らさせてやれたはずなのです」
ライヒアルトが良いながら苦笑すると、セイファートは少しだけ目を見開いて口許だけで軽く笑んだ。
「そうかな。私には君たちはとてもよい兄妹に見える。それに…マリアンネちゃんは君の妹だからこそ、あのように素直で愛らしい、“マリアンネ”という子供なのだ。君がその存在を否定してどうする」
「…そうですね。セイファート殿の仰る通りです。しかし…」
窓の外をみれば、幾億の星が煌々と瞬いてる。
ライヒアルトの真黒い瞳が、その星灯りを吸い込むように瞳の中で小さく輝いた。
「あの子の幸せを考えると、どうしても私だけが邪魔なんですよ」
―――…だからこそ、護らなくてはならない。
セイファートは何も言わずに、再びカップに茶を注いだ。
※
陽が昇ろうか昇らまいかと思案している間に、レネは寝所を抜け出した。
いくら扱いづらいとは言え、やはり己の拳よりも剣の方が少ない隙で殺傷できる。
もちろん苦手とは言え、元々戦闘能力に秀でたレネが扱う剣は常人よりも数段凶悪だ。
だがそれでは凶手を仕留める事ができないのだと悟った。
誰かを守りながらの戦いにはひどく疎いのだ。
レネが一度拳を振りあげれば、何もかもを壊してしまう。
…それでは駄目だ。
「ふっ…!」
何度も何度も突き出し、振り下ろす剣は、手には馴染まなかった。
レネの意志とは無関係に、空気を吸い込み何処かへ行こうと抵抗する。
言うことを聞かせようにも、力付くで圧したところで抵抗は増すばかりだった。
「…」
もう何度振っただろか。
気がつけば手に妙な痛みと痺れが残った。
転んだ訳でもないのに、手のひらには血が滲んでいる。
「…」
同じように何度振ったところで意味は無い。
汗と血で柄が滑るのを防ぐ為に手に布を巻いて、レネは再び剣を構えた。
「ふっ!」
先ほどとはわずか角度を変えて剣を振ってみた。
すると抵抗が少しだけ和らいだ気がした。
「…ふっ!」
更に微妙な角度で繰り出すと、剣は思った以上に鮮やかに空を斬る。
「なるほど」
呟いてレネは再び一心に剣を振り始めた。
「珍しいな」
耳に届いた低音の声を無視してレネは剣を振り続けた。
背後に迫る人の気配も気にせず風を斬る剣の音を響かせる。
「お前が剣を扱うことも、鍛錬に励むことも」
「その鍛錬の邪魔をするならどっか行ってくんないかなァ?」
「邪魔をするつもりは無い。が、まだ角度が甘い。力み過ぎて大雑把だ」
「先生気取りかよ!」
レネは振り向いて、背後に立っていたヴィルフリートに向かって剣を振り下ろした。
ヴィルフリートは半身分さらりと避けた。
「少なくともお前より剣の腕は立つ」
「へぇ、そうなんだ。やってみる?」
レネが再び剣を構え直すと、ヴィルフリートは何も言わずにしばらくレネを見たが、黙って腰から自らの剣を引き抜いた。
「来い」
短く言ってヴィルフリートも静かに剣を構えた。




