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本探しをするライヒアルトと、その護衛の為にヴィルフリートが蔵書室に残った。
レネはマリアンネの護衛という名目で、蔵書室の外、聖壇の側で待機となった。
10にも満たない少女と二人きりになった経験など当然無いレネは、何をするでもなく、長椅子に寝そべっていた。
マリアンネは最初、おそるおそるレネの動向を見ていたが、何もしないとわかると、今度は教会堂内を物珍しそうにうろうろと見始めた。
暇になったレネは、欠伸をひとつし、穴の開いた天井から降ってくるわずかな光に目を眇める。
そしてゆっくりと目を閉じた。
「れ、ね」
小さな震えるような声が聞こえてレネはうっすらと瞼を開いた。
「“君”ぐらいつけろよ」
「れね君」
大きな瞳を目一杯開いて、バカ正直にマリアンネはレネを呼んだ。
別にこんな小さな女の子にどう呼ばれても何も思わないが、ただ言ってみただけだった。
ただ少女はどこか嬉しそうに“れね君”と繰り返した。
「ハイハイ、なんですかー、マリアンネお嬢サマ」
頭を掻きながら上体を起こしてレネはため息をついた。
マリアンネはレネの側まで寄って来て、何かを差し出した。
「いっしょにきてくれて、ありがとうございます」
何処で摘んだのか、手には白い花があった。
照れたような笑みで、小さな腕から差し出されたソレは、どうやらレネに向けているようだった。
「仕事だよ、仕事。わかる?」
「おしごと。ありがとうございます」
「あのなぁ…」
どうやらレネが受け取るまで理解はしなさそうである。
しかしこんなモノを愛でて喜ぶ趣味も優しい心も、レネには無かった。
「いらねえよンなもん。おまえらを守る事で、オレはお金もらえんの。お金。そんなんよりよっぽど良いモノ」
途端にマリアンネは不安そうに顔を歪めて、大きな瞳を震わせた。
「ご…ごめんなさい…」
何を謝っているのかわからなかったが、そんなに厳しく言ったつもりは無かった。
細くて折れてしまいそうな身体を震わせて今にも泣き出しそうな少女。
子供は本当に面倒くさい。
ここで泣かれたら、まるでレネが何かしたようではないか。
「優しいお兄サマにでもやればいいだろ。そっちのが喜ばれるぜ?」
面倒くさそうにそう言うと、マリアンネはパッと顔をあげて、みるみる
明るい笑顔になった。
「うん…!もっとつんでくる!」
マリアンネは言いながら、背を向けて駆けて行った。
その背を横目で見送りながら、レネは再び長いすに身体を沈めた。
「…」
何もない、時間。
音も無く、景色も動かず、空気も動かない。
「…」
何だろうか、この不気味な感覚は。
何も無い、何も起こらない、ただ凪いだ空気と時間だけが過ぎていく。
気持ち悪い。
なぜ、こんなに気持ち悪いのか。
そう、昔ならばこんな時必ず、
必ず悪い事が起こったのだ。
「おい」
再び上体を起こして、マリアンネの姿を探した。
「え?」
入り口のほうで屈んだ小さな顔が振り向く。
その背後に黒い陰がゆらりと揺らいだ。
「おい!」
レネが一瞬の動作でその黒い陰に飛びかかり、殴りかかろうとした瞬間。
「動くな!」
わずかに早く、全身黒尽くめの人間がマリアンネを抱えあげて小さな刃物を細い首に近づけた。
黒い靴が、少女が摘んだであろう白い花を踏んだ。
「…」
少女はおびえたように口と目を開いて震えている。
こんな少女さえいなければ、一瞬で倒せていた。
だけど、今レネがしなくてはならなかったのは、その少女を守る事だったのだ。
踏みにじられた矜持と、自らの愚かさに、怒りが全身を多い尽くす。
自分と目があったマリアンネが、息を飲むような小さな悲鳴をあげた。
「…ただの街人ではないな」
「殺す」
「こいつがどうなってもいいのか」
怯えたように身体を震わせるマリアンネの姿は、既にレネの眼には映っていなかった。
脳内を埋め尽くすのは、ただ目の前の男に対する殺意だけ。
男の一挙手一動が逐一刻み込まれる。
その僅かな挙動が隙に繋がる瞬間、意識が行動に変わる。
「…ライヒアルトは何処だ」
「…」
レネは何も応えない。
静一なまま、緊張感で満たされた空気は僅かな鼓動すら煩く感じさせる。
じわり、じわり、と男の刃がマリアンネに近づく。
今はもう、レネの目には男の命を確実に奪う場所しか映っていなかった。
「私の妹に触れるな!」
響きわたった声が耳に届くか届かないか。
その刹那よりも僅かな時間のうちに、レネは動いた。
男の全身が僅かににピクリと震えたのを見て。
「!」
男の頭をはじき倒し、マリアンネを離して後ろに倒れそうになった男の腹を踵で蹴り倒した。
口から何かを吐き出しながら倒れる男の顔を、つま先で蹴り上げ、ふらり、とした男の襟首を掴みとり、膝で数回再び蹴りあげる。
男は奇妙な呻き声と共に口から何かを吐き出し続けたが、ついには声さえ出さなくなった。
それでもレネは男を離さず、気絶した男を起こそうと、右腕をふりあげ頬を叩こうとした。
「止せ」
その右腕が誰かに握られ止められる。
握り潰すような力でレネの腕を掴んでいたのは、射殺しそうな目つきのヴィルフリートであった。
「まだ止めをさしてない」
「必要ない」
しばらく、レネとヴィルフリートの殺意を交錯させたにらみ合いが続いたが、時間が経つごとにレネの意気は沈んでいき、最終的に手の力を抜いて視線を反らせた。
「私はこの男を連行します」
ヴィルフリートは動かなくなった男の腕を取って、半分背負う形で男を連れて出て行った。
後には子供のつんざくような鳴き声が教会内に響きわたり、反響させていた。
マリアンネがライヒアルトにしがみついて、喚くように泣いていた。
「…マリーを助けてくれて感謝する」
ライヒアルトの声は静かなのに、マリアンネの鳴き声よりも耳に響きわたる。
レネは自分の胸あたりをきつく掴んだ。
「あんたが魔術を使ったんだろ…」
「…君が意識を反らせてくれたからだ。それに私は一瞬しか動きを縛る事ができない」
あの緊迫したにらみ合いの中で、凶手が僅かとはいえ簡単に隙を見せるはずが無い。
やはりライヒアルトが異能の力を使っていたのだ。
「余計な事を…」
「なに、マリアンネを早く助けたかっただけだ」
その言葉にレネの抑えていた怒りが再び沸き上がり、ぐっと拳を握った。
それはマリアンネを守れなかった挙げ句に、守る対象であったライヒアルトに救われたという事だ。
嫌々であろうが、守るべきものを守れず、守るべきものに守られる。そんな情けなくかつ、屈辱的な事は無い。
なによりもレネの矜持を傷つけるものだった。
それにライヒアルトに借りを使ってしまった事が悔しかった。
「オレはアンタを絶対に許さない…」
「期待していよう」
ライヒアルトはマリアンネを抱いたまま、教会の外へと出た。
これ以上の失態は自らをも殺しかねない。
レネは少し離れて、二人について歩いて行った。




