事例 2
――ああ、そう言えばこんなことがありました。
あれは確か、今から数年前の事でした。
そのころはなぜか客足が遠のいておりまして、誰もお店に来ない日が続いていたのです。
それだけの時間があると、商品の整理もお店の掃除もその他の雑事も、大抵の事は全て終わらせてしまい、することがなくなってしまったのです。
それでもお店を開けないわけにはいきませんし、開けているうちはこのカウンターに座っていないと示しがつきません。
いくら趣味から始まったものとはいえ、これでもお客様を相手にする商売ですからね。
……なんですか、その目は?
ほとんどのお客様はここに一度しか来ないのですから、初対面の方に不真面目な態度を見せるわけにはいかないじゃないですか。
あなただって、ちゃらんぽらんな人から自信を買いたいとは思わないでしょう?
……え? そもそも自信を買うという選択肢自体知らなかった?
それは常識の差ですね。私にとっては普通の事ですから。
……それでまあ、その日も私はこんな風にこのカウンターに座っていたわけですよ。
外はいつも通りに良い陽気でしたが、誰も来なければ見ていても飽きてしまいますからね。
……はい、今日も良い陽気ですよ。私の感覚では。
空はきれいな紫色ですし、雲は鮮やかな茶色ですからね。
すべてを薙ぎ払うかのような砂嵐も吹いてますし、巨大なカラスも『ぎゃるる……』と鳴いています。
これ以上に良い陽気はないでしょう?
現に昨日までは青い空に白い雲、風も穏やかでスズメが『ちゅんちゅん』鳴いていましたから、お客様は運がいいですね。
……できれば昨日来たかった? ずいぶんと変わったご趣味をお持ちですね……。
ともあれ、その日の私は窓の外を見ているのにも飽きてしまいまして、さて何をしようかと考えていたのです。
まあ、かといって店番という仕事を放棄するわけにはいきませんので、それを行いながらできる事というと、ほとんどないわけですよ。
仕方がないのでそのままでもできる唯一の事――今まで見てきた自信の輝きを思い浮かべて閲に入る、という作業を行っていたのですが……なんですか、その目は? なにもおかしい事はないでしょう?
……とにかく、そう言った経緯で私は至高なる思考に没頭していたわけですが、その合間にふと前を見ると、店の隅にお客様が一人いらっしゃったのです。
いやあ、あの時は驚きましたよ。
なんて言っても、私がお客様に気が付かなかったことは数えられるほどしかありませんでしたから。
その方の影が薄かったことを理由として挙げるわけにはいきませんから、純粋に私のミスですね。
考えることに夢中になってお客様をないがしろにしてしまうなんて、あってはならないことです。
猛省しなくてはなりませんね。
……言いたいことを素直に言わないと、後々厄介なことになると思うのですが、大丈夫ですか?
まあ、お客様が大丈夫だとおっしゃるのなら、私めに否はございませんが。
ともあれ、その時も私は大層驚き、そして深く反省いたしました。
ですが、いつまでもそうしていてはお客様を待たせてしまい、本末転倒です。
ゆえに、マイナス思考はすぐさま切り上げ、お客様へ声をかけることにしたわけです。
……その方は女性のお客様でした。
ちょうどお客様がお住まいになっている世界の、『学生服』という物を纏っていて、何やら落ち込んだ様子でこのお店の隅――ちょうどあのあたりで佇んでいたのをよく覚えています。
その方は、私が声をおかけしてから少しの間無反応でしたが、すぐに私に気が付かれたことに気が付いたのか、若干うれしそうな表情を浮かべて私の元へと静かに歩み寄ってきました。
それからはまあ、いつも通りの――お客様にも行ったこのお店についての説明を行ったわけです。
……いえ、その方はお客様と違ってすんなり受け入れてくれましたよ?
何でも、『大抵の事は不思議だと思えなくなった』とかで。
なにか奇妙な体験でもなさったんじゃないですかね?
……まあ、なんだかんだでスムーズに説明が終わり、さてお客様はどのような自信が欲しいのか、という話に入ったわけです。
そして彼女がぽつぽつと語りだした内容を要約すると、『新しい場所に行かなければならないけど、行ったことのない場所だから不安である』という物でした。
新しい場所に向かう勇気が持てない。だからいつまでも同じところに留まってしまう。
そういう思いは、まあどなたも大なり小なり持っている物ですよね。
そういう方に足りないのは、かなり根源的であり、かつ本能的な自信である『自身の存在に対する自信』です。
……上手い事言ってやったとかは考えてませんから、そのような顔はなさらないでくださいませ。
こほん……。
まあ、彼女の悩みは一般的な物ではあったので、対処法もお分けする自信もきちんと存在しました。
……ですが私は、彼女に対して私ができることはないのではないか、と考えてしまったのですよ。
なので、率直に尋ねてみることにいたしました。
『自信がない、というのならばお分けすることに否は有りませんが、お客様は本当に自信を持っていらっしゃらないのですか?』
……と。
これは私の個人的な考えですが、自信という物は、世界に対して『自分はこうである』と定義づけする力です。
これがなければ人の心は宙に浮かび、不安定な物となってしまいます。
最悪の場合、消滅してしまうでしょうね。
ですが、彼女はその時、その場所にしっかと存在しておりましたし、挙動もはっきりとしておりました。
そんな彼女ならば、自覚がないだけで、きちんと自信は備わっているはずなのです。
……はい? 自信があるのにこの店に来られるわけがない?
それがそうとも限らないのですよ。
このお店の入店条件は、何らかの形で『自信が欲しいと強く思っている事』であり、どれだけの自信を潜在的に持っているかは関係ないのです。
そもそも、何らかの自信を持っていなければ、ここに来ても取引が行えませんからね。
ここに来るために必要なのは、『現状を打破したいと思う心』、ただそれだけなのです。
……ええ、今回は良い事言ったと思ってます。だから多少得意気な顔をすることをお許しください。
とまあ、今お客様に言ったようなことを彼女にも言ったわけです。
私の話を最初は意外そうな顔で聞いていた彼女の方も、次第に私の言いたいことを理解してくれたのか、段々と様子が変わってきました。
具体的には、うつむきがちだった顔が上がり、私としっかり目をあわせていられるようになった、程度の事でしたけどね。
その程度の事でも、彼女の内面にはかなりの変化があったのでしょう。
私の話を聞き終わり、しばしの無言の後、彼女は静かに椅子を――確か、今お客様が座っている椅子でしたかね――立ち上がり、か細い、しかしはっきりした口調で『ありがとうございました』と告げると、音もなく出入り口に向かい、去っていきました。
……まあ、久しぶりのお客様と何の取引も行えなかったのは、少々残念でしたけどね。
その点も、反省すべきところです。
……ですが、不思議と後悔はないのですよ。
最後にこのお店から出ていく際に、彼女が強い自信の輝きを見せてくれたから、でしょうかね……。
まあ、彼女のその後に関しては心配はいらないでしょう。
死してなおあれだけの存在感を放てる彼女でしたから、おそらくあちらでも楽しくやっている事でしょうし。
……おや、どうされました? 顔が真っ青ですよ?




