人生が変わるとき
ちょっと期待しながら教室の扉を開けてみる。
今日にはもうみんな飽きているかも? ・・・・・・そう思いながら。
「おはよう!」
扉を開けると同時に元気よくあいさつをする、何のとりえもない平凡な顔をした、気が弱そうな少年―――麻彫 涼介は元気な顔からすぐに残念そうな顔になる。
教室の他の生徒たちからの返事は皆無。
教室の喧騒が数秒の間静寂に変わり、やがてクラスメートから忍び笑いと共に心無い言葉が涼介に降り注ぐ。
「来やがった」
「ちっ! まだ生きてたのか」
「早く死んでくれないかな~」
冷たい視線と不敵な微笑みが涼介に向けられる。
それでも、涼介は何も聴いていない、何も見ていないかのように堂々と―――いや、実際はそう見せているだけではあるが―――床を踏む。
いつものことだ。期待するのが悪かったんだ。そうだ、何も変わるわけが無い。こんなやつらが変わるわけが無いのだ。
クラスメートのことを侮辱してみるも、空想の嫌がらせは実際に現実に影響を与えるわけもなく、ただ不快な感情が涼介の胸に痛みとして滞るだけ。
所詮は精神、考え方によっては仮想の痛みだ。気にすることはない。現実に痛みを与えられるよりは数百倍ましだ。
・・・・・・それでも・・・・・・苦しい。痛い。悲しい。寂しい。辛い。悔しい。
いろいろな感情がこみ上げて来て嗚咽をもらしそうになる。
泣いてはだめだ。負けたくないんだろう? じゃあ弱さを見せては相手の思うつぼだぞ。
涼介は必死に自分に言い聞かせ、嗚咽を身体の奥深く、思考が届かない場所へ押し込める。
教室のドアから窓際の自分の机までのたった数メートルの距離が途方もなく長く感じた。
机にはいつものように「死ね」という字が冷たく鋭く記されている。
消すつもりはない。どうせ消したってまた書かれて、その度に自分の努力が無駄だったことを思い知らされて後悔するだけなのだから。
ふいに窓の外を見つめる。
涼介が学校に来る理由はただ1つだけ。それは、向かい側の校舎、高校1年である涼介の1つ歳上の2年の教室、廊下側の窓から見える1人の女性のためだった。
涼介はその女性に恋をしていたのだ。
茶色がかった長い髪に、横顔ではあるが、睫毛が長く大きな瞳をした美しい女性。その女性について何も涼介は知らない。ただ1つ知っているのは、その女性にはいつも仲良く話をしている男性がいるということ。
今日もその女性は、その女性を象徴しているような快晴の空の下、屋根に日差しをブロックされた空間で微笑みながら男性と話をしていた。
涼介に対するいじめが始まったのは入学してから1ヶ月経った5月の中頃だった。
最初はクラスメート全員からのしかと。次に教科書を破られたり、といったいかにも中学生がやりそうなこと。その次に今のような言葉による暴力になった。
理由は涼介にはよくわからない。
予想ではあるが、おそらく受験勉強で溜まったストレスの解消のためだろう。基本的にいじめというものは現代を生きる上で必然的に生まれたものなのだ。
それでも涼介は不幸ではなかった。中学の頃の友達がメールをしてくれるし、姉と妹も涼介と案外けんかも少なく、仲良くしていた。
それだけなのだが、他の人たちからしたら普通のことなのだが、それでも今の涼介にとってはそれを普通と呼ぶことは出来なかった。
チャイムが鳴り、先生が入ってくる。それと同時に涼介に向けられていた冷たい眼差しと尖った言葉は止み、その眼は真剣な眼に変わる。
何しろもう少しで期末テストだ。留年とやらを恐れているのだろう。・・・・・・もちろん涼介も例外ではないが。
そして、授業が始まる。この間はいじめは一時的に止み、平和が訪れる。休み時間になるとまた地獄が始まるのだが・・・・・・。
終わりのチャイムが学校に降り注ぐ。その響きと同時に複数の生徒たちが両手を上で組み、身体を後ろに少し仰け反らし始める。
快晴だった空にはいつのまにか薄黒い雲がかかっていて、この街に夕立を告げようとしていた。
まもなく雨が降り始め、正門では傘を持ち合わせていなかった生徒が家に電話をし、車で迎えに来てもらっていて、たいへん混雑している。
涼介の両親は共に出張中で姉は大学受験のために予備校に通っているし、妹は現在この学校でバスケットボールの練習中。
涼介は仕方なく家までの距離、およそ2キロメートルを走って帰ることを決意。
途中、何度か中学の時の同級生に会い、「学校どう?」という質問に苦笑いを浮かべて別れを告げ、現在残り家まで数百メートルというところのこの街で一番広い、噴水公園の前を通過している。
――――――――――――――――――!!
白いオブジェのついた―――現在は停止しているが―――噴水の前に1人の歳は10歳前半だと思われる、青いワンピースを身にまとった、黒い髪を地面ぎりぎりまで垂らしている少女が立っていて、こちらを見て不敵に微笑んでいる。一目見た印象は、気味が悪い。幽霊みたいだ。というのが正しいだろう。
それでも、風邪をひかないか心配になった涼介は声をかけてしまう。
――――――結果的にその行動が涼介の人生を変え、ある人との出逢いとなったわけだが・・・・・・。
「寒くない? 大丈夫? どうしたのこんなところで?」
その少女は涼介のやさしく暖かい声を聴くと、さっきよりももっと幽霊染みた微笑みを浮かべ、涼介の瞳を栗色の瞳でジーと見つめる。
咄嗟に眼を逸らそうとするが、少女のその瞳は獲物を狩るが如く、涼介の瞳だけではなく、身体、思考までもを吸い込んでいるようだった。
―――――――――いや、現実に涼介の全てを吸い込んでいたのかもしれない・・・・・・。
そこで涼介の視界を闇が覆う。そう、意識を失ったのだ。
涼介が意識を取り戻したのはそれから数時間後。
涼介の眼前に広がっているのは、涼介が嫌いな場所、教室の風景だった。
その教室はいつもとなんら変わらない。
教室の黄土色の床に眼を充血させ、両手で首元を絞めるようにして事切れているクラスメート全員の姿があること意外は・・・・・・・・・・・・
一章ごとで話を完結させていきたいので、これからよろしくお願いします!