断罪されるはずの悪役令嬢ですが、目の前で毒殺されたヒロインの犯人にされました――生き残るために、王子殿下の推理を論破します
本作は「乙女ゲームの断罪イベント直前」から始まる、少し風変わりなミステリサスペンスです。
画面の隅々に散りばめられた違和感に、あなたは気づくことができるでしょうか。
どうぞ最後までお楽しみください。
◇――ロザリンド
社交界の頂点に立つ者だけが招かれる、王城の大舞踏会。夏至の夜、熱気を帯びた広間には涼やかな夏の装いに身を包んだ貴族たちが集っていた。
シャンデリアの光の下、私——ロザリンド・テイラー公爵令嬢は、隣に立つ婚約者のフェリクス第二王子に合わせ、淑女の笑みを貼り付けていた。
あ、そろそろ来る頃だ。
私には前世の記憶がある。ソファでミステリー小説を読み耽るのが日課だった地味な女子大生時代、帰宅直後に鉢合わせた空き巣に殴り殺された苦い記憶が。
目が覚めると、私は既プレイの乙女ゲームの世界に転生していた。平民ヒロインの恋を邪魔した末、ボロ雑巾のように断罪される悪役令嬢として。
……冗談じゃない。一度死んでいるからこそ、私は絶対に死にたくないのだ!
だからこれまで、破滅フラグを折るために必死で善行を積んできた。縦ロールを切り、高慢な態度を改め、使用人にも優しく接する謙虚堅実な令嬢へとキャラチェンジを図った。
だというのに、運命の悪戯か、今日も私は「悪役令嬢」の役割を背負わされている。原作で死ぬかは曖昧だが、この大舞踏会でフェリクス王子とヒロインから悪事を暴露され、断罪される流れは変えられていない。
頼む、何も起きないでくれ……! 婚約破棄なら喜んで受けるから、どうか私に平穏な生活を……!
胸の中で必死に祈る私の視界を、鮮やかなブルネットのショートヘアが掠めた。
メインヒロインのご登場だ。
◆――誰か
夜会に集う華やかな貴族達。
まるで、光に群れる蛾だ。
巨大なホールに佇み、目の前に広がる金色の光と対峙して、浅く息を吐いた。
時間は、なんの癒しにもならなかった。
何日経っても、苦しんだ。
何か月経っても、夢の中で囁かれた。
何年経っても、同じことばかり考えていた。
収束するように固まった意思は、もはや変わることなどありはしない。
これ以上の好機など、何時訪れるかわからない。
だから、やるんだ。ここで。
呼吸を止めていたことにようやく気づく。
焦ってはいけない。
今は、潜伏して、時を伺え。
高ぶる気持ちを抑えこむように。
冷え切った指で、ポケットに入れた“それ”の感触を確かめた。
ふと、くだらないことを思った。
蛾は、突き刺されて死ぬ。
これは、あいつを仕留める虫ピンだ。
◇――ロザリンド
ブルネットの髪をなびかせ歩み出てきたのは、ヒロインのミシェル・ブロア。
可憐な橙色のドレス姿にざわめく会場。……ついに来た! 私、君に手作りパウンドケーキ差し入れたじゃん!? だから許して! いや、待って。ここは逆に……
私は王子の腕をそっと解放し、一歩引き下がった。どうぞどうぞ、お好きなだけ婚約破棄をお申し付けください。命と物理的安全性さえ保たれるなら、田舎の領地でも修道院でも喜んで引っ込みますので!
「素敵なドレスですね、ミシェル」
「ありがとうございます、ロザリンド様。そちらも控えめな貴女にぴったりですわ。
……あ、お衣装が傷んだら仰ってくださいね。裁縫道具は常にお持ち歩きしておりますから」
ポーチの口を大きく広げ、底の深くまで指を滑り込ませるミシェル。相変わらず、考え事や優越感に浸る時にポーチの底を触る怪しい癖がある。ログ確認やセーブ画面に移行する時はこういう風に見えてるのだろうか。
取り出したのはハサミや縫い針。地味だと言いたいのだろうが、これは引き算の美学なのだ。エンパイアドレス可愛いだろ! と、反論する間もなく、彼女はフェリクス殿下にすり寄り、二人は給仕から貰ったグラスを手に甘い雰囲気を醸し出し始めた。
わぁ蚊帳の外。私は、壁の花と化すべく会場の端へ退避――した、その時だった。
「う、うわっ!」
ガシャン、とガラスの砕ける音。背中に冷やりとした感覚が走り、ドレスにワインがじわりと染み込んでいく。振り返ると、そこには白手袋に紅い飛沫をつけ、青ざめて倒れ込む赤毛の青年給仕がいた。――そのさらに奥に、さっきまで王子と話していたミシェル嬢が、口を覆って大げさに驚いていた。目が笑っている。
……なるほど。そう言うことか。
「無礼者め! 打ち首にするか!」
「も、申し訳ありません、申し訳ありません……!」
静寂が破られて、周囲の貴族たちが一斉に哀れな給仕を取り囲み、吊るし上げようと怒声を浴びせる。まずい、断罪回避以前に目の前で人が処刑される!
「いいえ、大事ありません! 私が急に動いてしまったのがいけないのです」
私は首から母の形見であるルビーのネックレスを外し、乾かすためにハンカチで包んで近くのサイドテーブルへ置いた。そして怯える青年の両手を握る。働き者の固い手だ。
「貴方、お怪我はありませんか? 私は平気ですから、どうかお気になさらないで。さあ、一緒に床を掃除しましょう」
「そんな訳には……っ!」と恐縮する青年を説き伏せて、前世以来、久しぶりにほうきを握り、二人で散らばった破片を片付ける。
「ロザリンド様、大変! わたくしもお手伝いします!」としおらしく駆け寄ってきたミシェルは、結局高みの見物で見ていただけだったが。
よし、これで神対応&好感度アップ完了! 平身低頭で感謝の頭を下げ続ける給仕を見送り、ほっと胸を撫でおろした――その直後。
サイドテーブルに置いたはずの、大切なハンカチ包みが消えていることに気がついた。
「…………え?」
◇――ミシェル
つまらない。つまらない。
わたくしと、あの子の違いって何?
どうしてあの子なの?
わたくしが先に好きになったのに。
どうして、あの子が彼の隣にいるの?
白いドレスも、綺麗な髪も、凛々しい声も。
全部、全部全部、大嫌い。
この紅い首飾りだって、わたくしの方が、ずっと似合うのに。
絶対に、わたくしのほうが可愛いのに。愛されているのに。
ねぇ、フェリクス。あなたもそう思うでしょう?
恥ずかしがりながら囁いて。
輝くドレスも、煌めくティアラも、婚約も。
全部、君のものだって。
そうね。その通りよ。
勘違いしないでね、ロザリンド。
今は、あなたに貸してあげているだけだから。
兄王子を殺した後、全部返してもらうから、ね。
その後は、愛も、王子様も、あなたの命も。
全部、わたくしのもの。
ヒロインは、わたくしのものよ。
◆――誰か
悪魔がこの世にいるのかは、わからない。
でも、悪魔の手先のような人間は、いる。
己の欲望を満たすために、容易く外道に落ちる、クズが。
だから、これは、審判だ。
何度も、何度も自分を言い聞かせる。
罪の意識が、腹の底からせり上がってくる。
これを逃せば、確かめる手段は永遠に来ないかもしれない。
私には、その権利がある。
正義は、私にある。
そうやって、自分を誤魔化しながら、彼女のポーチへと手を伸ばした。
◇――ジーノ
助かった……。
突然誰かに突き飛ばされて、何とか受け身を取れたけど。
あの時は、宙を舞って令嬢の背に降り注ぐワインがスローに見えた。
固まって動けなくなったが、あのまま職どころか命を失っていたかもしれない。
……あのお嬢様は、命の恩人だな。
片づけが終わりホールに戻ると、ちょうど俺を助けてくれたお嬢様が着替え終わった所だった。
速足でソワソワと、落ち着きがない様子。
どうしたんだろう。
少しして、ミシェル嬢もお色直しをして戻って来た。
フェリクス王子殿下も、彼女を待っていたようだ。
はは。そんな隠れ方じゃ丸見えだ。お熱いことで。
仕事するふりをして、もっと近づいてやろう。
噂好きは、使用人の性ってね。
◇――ロザリンド
『見えない男』というG・K・チェスタトンの名作がある。大勢が見張る中でいかに犯行を成し遂げたか――要するに、誰もが「背景」として意識から外していた人間が犯人だったという話だ。
パーテーションの向こうで、使用人をこき使いながら着替えるミシェル嬢を横目に思った。
前世でゲームをしていた頃、私は画面端の給仕や侍女なんて見えていなかった。名前もない彼らは単なる背景。だけど、この世界に生きて気づいた。背景なんてどこにもない。貴族社会を支え、すべてを見ているのは彼らなのだ。
そんな殊勝なことを考えつつ、この世界には無いはずのエンパイアドレスに身を包む。一人で着替えられてめっちゃ楽。現代知識最高。更衣室からホールへ戻りしばらくすると、婚約者のフェリクス第二王子に呼び止められた。
「淡い蒼も素敵だね。ロザリンド。さっきの騒動見てた。君の慈悲深さには感服するよ」
「まぁ! やっとお気づきになられましたのね」
「知ってたさ。ところで、ミシェルはまだお着換え中?」
「いえ。もう会場に戻ってきている頃かと」
ミシェル嬢は私よりも後に更衣室に入って来た。咄嗟に隠れてしまったので直接顔を合わせていないけど、そろそろあのドレスに袖を通しているころだろう。
そう思っていた矢先、会場が大きくどよめいた。
ダンスを申し込む紳士や、囃し立てる令嬢。咲き誇る華を一目見ようと集まる使用人や給仕たち。人だかりにもみくちゃにされながら、なおもかき分けて歩み寄ってきたのは、鮮やかな勝負ドレスに身を包んだメインヒロイン、ミシェルだ。
「フェリクス殿下! わたくしと一曲踊ってくださいませ!」
「ああ、勿論さ」
二人が手を取り合う。ん? なんか展開はやくない? というか、おいフェリクス! 婚約者がいるだろ! と肘で小突きそうになったが、これも社交の一環なのである。ちなみに、ダンスが終わった時、私は断罪される手筈だ。
「あら? ロザリンド様ったら、なんて怖い顔。ふふ、どうか心配なさらないで。あなたの婚約者も盗ったりしませんわ。でも、その前に――」
優越感に浸りながら、彼女は腰のポーチへと一気に指を滑り込ませた、その瞬間――
「痛っ……!?」
ミシェルが跳ねるように手を引っ込めた。
「どうした、ミシェル! 血が出ているじゃないか!」
「ご、ごめんなさい……縫い針で突いちゃったみたい」
親指に小さな血の玉がぷくりと浮かぶ。
「すぐ治まるわ」と即席のリボンを巻き、強がって微笑むミシェル。フェリクス殿下も「後で治療を受けなさい」と優しく声をかけ、二人はダンスフロアへと踏み出した。
よもや私もこれまでか。被告が量刑を言い渡されるときはきっとこんな気分。ガンガン!ロザリンド・テイラー公爵令嬢、死刑。うぅ……せめて追放に……
ネガティブな想像とは裏腹に、音楽は軽快。
一歩、二歩。
ステップを踏む麗しい男女。
突然、ミシェル嬢がつまずいた。王子がエスコートして受け止めるも、彼は突き飛ばされる。
……なんだ? なんだか、様子がおかしい。
困惑する王子の前で、ミシェル嬢が額に手を当てた。激しい苦痛の色を浮かべ、ふらふらしながら、なにかをうめいている。
異変はさざなみのように伝搬していく。
踊る足、演奏する手を止めて、皆の視線が一点へと注がれる。ミシェル嬢はぜいぜいと息をきらせ、ぴくぴくと身体を痙攣させた。絶望と怨嗟に目を剥き出し、ミシェルは震える指先でまっすぐにフェリクス王子を指差したまま、ドサリと――針を差し込まれた風船のように、床へ崩れ落ちた。
死んだような沈黙があり、皆が倒れるミシェル嬢を見て、思い出したようにがやがやし始める。
「どうした?」
「ミシェルが倒れたぞ!」
「飲みすぎたのかな」
「だれか、早くみてやれよ」
こんなイベント、見たことがない。知らない。なんなんだ。これは。
驚愕に目を見開くフェリクス殿下、動けない。私は脇目も振らずに駆け寄った。
「ミシェル……! しっかりして! 誰か! 救護員を!」
ミシェルは目をカッと見開いたまま、弱々しく息を吐いていた。口角には泡がぽつぽつと付着している。
――毒だ……!
苦悶に喘ぐミシェルを見たのなら、誰もがそう思うだろう。群衆が、事態を知覚した瞬間、大広間に裂けるような悲鳴が響き渡った。
◇
その後、救護員が担架をもって来た頃。
私の腕に抱かれて、ミシェル・ブロアは息を引き取った。
◇
「出口をふさげ! 誰も外に出すな! 番兵に憲兵隊を呼びに行かせろ!」
恐れおののく空気を切り裂くように檄を飛ばしたのはフェリクス殿下。深い眠りから覚めたように、時が動き出す。
「何も口にするな! 毒が入っているかもしれん!」
いや、違う。経口ではない。わたしはミシェルの見開いた目を閉じてやり、だらりと垂れ下がる手を拾い上げた。砂糖菓子をつまみ上げるように、彼女の指先に巻かれた真っ赤なリボンの結び目を解く。はらりと血のにじんだ蝶が崩れて、紫色に爛れた傷口が露になった。親指の腹から第一関節に掛けて出来た穴状の小さな傷が3~4個。匂いを嗅いでみる。血液特有の鉄の香に交じり、微かにヤニ臭い。
「ロザリンド、危険だ。むやみに触れるんじゃない」
「……殿下。毒はこの指の傷から入ったようです。飲食物ではありません」
途方もなく嫌な予感がする。経験上、このまま何もせず見ていたら、運命という名探偵が私を犯人だと指名しかねない。加えて、この世界の捜査はまだまだ発展途上。ミシェルの死を悼むのは後だ。何よりもまず、私の無実を証明しないと。
「救護員さん、少し待ってください。ミシェルの遺体を検分します」
立ち尽くす救護員に有無を言わさない声色で命じる。
この傷は、確かあの時。ミシェルがフェリクス殿下と踊る直前に出来た傷だ。
私はミシェルのポーチに手を伸ばす。大きな飾りリボンついたそれを、慎重に、細心の注意を払いながらペロリと開ける。皮製で留め具は無く、簡単に開けられた。そっと、中のものを床に落とす。裁ちばさみ、針山。巻かれた糸。ルージュやチークといった乙女の必需品が次々と飛び出してくる。女子力高めなパンドラの箱をさらに揺すると、異様な物質がまろび出た。
「なんだ……それは……?」
片膝をついて私の様子を見守っていたフェリクス殿下が呟く。私は怪訝に眉を寄せながら首を横に振った。どこにでもあるワインコルク。全体を満遍なく縫い針が突き出ている。少なくとも二十本。所在なく地面に転がる凶器は、極悪な毛虫のようだった。
「誰か、スプーンをここへ」
日本に戻してやると言われても、これを直接触るのはごめんだ。誰かが持って来た銀のスプーンで掬い上げてみる。裏面までびっしりと針が植え込まれている。針の先には、タールのようにべたついた、茶色い何かが塗布されていた。鼻を近づけてみる。強い煙草の匂い。ニコチン……か? ダメだ。ミステリーの知識だけでは特定できない。
「毒の種類までは分かりませんが、ミシェルはこれで死に至ったと考えるべきでしょう」
私は空のグラスに凶器を保管しながら言った。
鼓動が早鐘を打つ。なんてことだ。この殺害方法は、覚えている。知っている。確か、クイーンの……。いや、タイトルなんてどうでもいい。思い出せ。どうやって真相に至った? 探偵は何を調べた? 考えろ、考えろ! 思い出せ、私!
唇を硬く結んで思考を巡らす。数多ある名探偵たちの知恵を借りて、事件に挑むようなものだ。砂浜に落とした針を探すような営みに勤しむ最中、今まで沈痛な面持ちを浮かべて静観していたフェリクス殿下の口から、最も恐れていた言葉が飛び出した。
「ロザリンド……。君がやったのか?」
床が抜けるような感覚に襲われた。
ついに始まったのだ。
悪役令嬢への断罪が。
◇
「ち、違います! 私じゃありません!」
動揺した私を正面から見据えて、フェリクス殿下が確信したように立ち上がり、大仰に言い放った。
「諸君、不思議に思わなかったか? なぜ彼女だけが、これほど手際よく遺体を調べられたのか。なぜ憲兵が来る前に、検分などと言い出したのか。答えは簡単だ。彼女自身が犯人だからだ。犯人だからこそ、誰よりも事件を知っていた。自ら捜査することで、疑いの目を自分から逸らそうとした――そう考えれば、すべて辻褄が合う!」
「確かにそうだ……」
「まさか、ロザリンド様が……?」
周りから囁き声が聞こえてくる。耳を通して頭の中に直接流し込まれたように、よく聞こえた。落ち着け。一見筋は通って聞こえるが、たいした主張じゃない。
「待ってください。私が犯人ならば黙っていた方が合理的だったはずです。声も上げず身を潜めていれば、疑われることもなかった。なのに、私は一番に駆け寄って衆目を集めた。犯罪者の心理としては不自然です。フェリクス殿下。あなたの考えは私が犯人であるという結論を元に逆算した物語でしかありません」
「いいや。違うとも。論拠ならあるさ。ミシェル・ブロアは言っていた。日々、君から嫌がらせを受けていると。よもや君がそんな馬鹿げたことをするとは到底思えなかったが、今確信した。彼女の訴えは事実だったのだ。ロザリンド、君はミシェルが目障りで仕様がなかった。動機だ。君には動機があるのだよ」
なんじゃそりゃあ!? 知らん! そんな動機も事実も知らん!
なにか様子がおかしい。聡明なフェリクス殿下が、どうしてこんな。なぜこれほどまで確信めいて私を糾弾する? 何かを知っている? 真の根拠はあるけど、表には出せない。そんな調子だ。
――まさか、フェリクス殿下が犯人だというのか……?
「……では、どうしてミシェルは倒れる間際に殿下を指さしたのですか? あれは死にゆく者が遺した告発だったのではないですか」
「指をさした? 人聞きの悪い。あれは手を伸ばしていたのさ。苦悶から逃れるために、僕へ助けを求めたにすぎない」
悲しみに暮れたように美貌を歪ませ、胸元を押さえる。
「……僕はなにもできなかった。一生の不覚だ。なればこそ、僕自身が憎き犯人を見つけ出さなければいけない。彼女への贖罪のために」
周囲から感嘆の吐息が漏れる。まずい。流れを持っていかれる。確かに、ミシェルが苦しみだした時のフェリクス殿下の驚きようは、とても演技には見えなかった。なら、これほどまでに判断を急ぐ理由はなんだ……?
決定的証拠を突き付けるように、殿下が私を指さした。
「凶器から推察するに、これは入念に計画された殺人だ。今日の君は、どこか上の空で、何かから逃れようと必死なように見えた。理由は言うまでもない。君はミシェルを暗殺する計画を水面下で進めていて、実行に移していたのだ。違うか!? ロザリンド・テイラー!」
最悪だ。断罪イベントで気もそぞろだっただけなのに、裏目に出た。何か言い返さなければいけない。このままでは本当に私が犯人にされてしまう。渦巻く記憶とまとまらない思考。舌がもつれて、言葉を紡げない。
そんな私の醜態が、周囲には追い詰められた犯人に見えたのだろう。囁き声、視線が次第に物々しいものに代わり、疑惑の外套を頭から押さえつけてくる。
「沈黙は肯定と受け取る。誰かある。この女を憲兵に引き渡せ」
「ち、ちが……!」
速すぎる判決に頭が真っ白になった。
その時だった。
「ちょ、ちょちょちょ!」
突然、人だかりから押し出されるように、赤毛の青年がけつまずきながら殿下の前に跪いた。
「お待ちください! 恐れながら、それは事実と異なるかと思われます!」
あ、あれは、あの時の給仕……!?
「あの時、ミシェル嬢は、王子殿下に向かって“裏切者、地獄に落ちろ”と呟いたんです!」
◇
私は見逃さなかった。突如として現れた赤毛の給仕、ジーノの告発に、あのフェリクス殿下の目がほんの一刹那、泳いだのだ。
「給仕、今はそなたの世迷言に付き合っている場合ではない。下がれ」
「世迷言ではありません! おれ……私は、確かにこの耳と目で確かめました……! 裏切者、と確かにうめいておりました!」
ビリビリと空気を揺るがすほどの声量。その必死さが、焦った私を冷静にさせてくれた。
「裏切者……? どういうことですか。殿下。ミシェルとはどのような関係だったのですか?」
フェリクス殿下は忌々し気に目を細めてふっと息を吐くと、今度は申し訳なさげに顔を曇らせた。
「……そうだな。君には謝らねばならない。彼女とは、恋愛関係だった。君という婚約者がいながら、君の心を裏切っていたのだ。すまない」
知ってるわ。フェリクスルート既プレイなめんな。
だが待てしばし。ミシェルとフェリクス殿下に深いつながり、か……私の断罪と婚約破棄の件? やはり殿下が犯人……いや、違う。殺す動機がない。ミシェルの反応もおかしい。痴情のもつれだったなら、ミシェルは「どうして」と疑問を抱くか、訳も分からぬまま死ぬはずだ。
プライドの高いフェリクス殿下が己の醜聞をあっさり明かしたのも違和感がある。小さな罪を差し出して、大きな罪を隠す“トカゲのしっぽ”なのか?
「謝罪は結構です。殿下、ミシェルが裏切者とあなたを罵って死んだ、という話はお認めになりますか」
「ああ。認める。しかし、ミシェル殺しについては別だ。僕は彼女を愛していた。故に、僕には彼女を殺す理由などない。しかるに、君はどうだ? 見たところ、僕とミシェルの関係は先刻承知だったようじゃないか。なればこそだ。君は嫉妬に狂い、ミシェルを殺そうと毒針を仕込んだとは考えられないだろうか。おそらく、当のミシェルは僕が何かをしたのだと誤解したのだろう。……悲しいことだ」
な……!? こいつ……! 啞然と口を開くも、フェリクス殿下は畳みかけてくる。
「ロザリンド。これは僕にも責任がある。自首してくれ。共に罪を償おう」
「……先ほど、ミシェルが助けを求めたと嘘をついたことについてはどのように釈明なさるおつもりですか」
「ミシェルとの関係を君に知られたくない。その後ろめたさから口をついて出た言葉だった。重ねて、そのことも謝罪しよう」
フェリクス殿下はスッと頭を下げた。
瞬く間に往生際の悪い悪役令嬢と、誠実に説得する王子という構図が形成されてしまった。
なんて男だ。政治的立ち回りが上手すぎる。
感心する以上に、今までの善行の数々が全否定されたような気がして頭に血が上った。
「謝罪は結構と申し上げたはずです。しかし、殿下。それはただの憶測では? 私が嫉妬に狂ったなどと……証拠がないではありませんか。証拠が」
二時間サスペンス!? これじゃあ追い詰められた犯人じゃん! 慌てて言葉を繋げる。
「憶測なら何とでも言えます。例えばこんな場合はどうでしょう。どういう理由か、殿下は私がやったと確信しておられるようです。それは何故か。考えられる可能性は二つ。
1.殿下自身が犯人であり、私に濡れ衣を着せようとしているから。
2.消去法的に私以外ありえないと考えているから。
この二つの可能性には、一つの共通した前提があります」
「前提、だと?」
怪訝に眉を寄せる殿下。
「はい。ミシェルと殿下が、本件とは全く別の、よからぬ企ての共犯関係だった、という前提です」
「……ほう」
流れるように口が回ったが、ちょっと待って……。
真相が2だった場合、私にはミシェルを殺す理由があった、とフェリクス殿下は考えているはずだ。……消去法的にその結論になる”よからぬ企て”……?
もも、もしかして、私の暗殺……!?
ひぃぃ! やだぁ! 死にたくない!
「す、すなわち、フェリクス殿下はミシェルと共謀して、“誰か”を暗殺しようとしていた、という前提です。
1が真相だった場合、ミシェル殺しは口封じのため。
2が真相だった場合、私にその企てが看破されて、先手を打たれたと考えたため。
いかがでしょう。違いますか?」
「まったく根も葉もない憶測だな。片腹痛い」
「ええ、あなたの主張もね」
交差する視線にバチリと火花が舞う。フェリクス殿下の頭上で♡がゴリゴリ減衰している幻が見えた。好感度がっ!
「あ、あの~、俺、もういいっすか」
ジーノさんがおずおずと訊ねる。でかした。彼のおかげで議論の流れを取り戻せた。
「はい。貴重な証言をありがとうございました。また、何かあれば助けてくださいね」
「へ、へい!」
恐れ多いのか、腰を落としながら輪の中心から離れるジーノさんを見送る。本当にありがとう。これが済んだらお礼をしなければ。
それにしても、一進一退の舌戦だ。
いつの間にか、貴族達は固唾を飲んで私達を見守っていた。
◇
停滞した空気が流れる。
今まで見ていた聴衆が目撃証言などを提供してくれたが、どれも役に立ちそうにない。そんな折、後方から控えめに手が上がった。
「あ、あの~。発言してもよろしいでしょうか……」
澄んだ声だったので、剣呑な雰囲気を浄化するように響き渡った。
「かまわない。こちらに来て、申してみるがいい」
フェリクス殿下が促すと、聴衆たちは道を開けて、その人を中心へと招いた。
エプロンドレスに身を包んだそばかすのある若い女性。あれは、ミシェルの侍女……?
「君は何者か?」
「はいぃ。わたしは、ミシェル様にお仕えしている、エンリと申します」
「ミシェルの……、そうか。それで、用向きはなんだ」
エンリは広げられたポーチの中身をじっと見つめると「やっぱり」と呟いた。
「紅い宝石の首飾りが無くなっています」
「紅い宝石の首飾り?」
エンリが首肯した。
「はい。ミシェル様がお色直しをする際に、拾ったと自慢していらしたので。それが、無くなっています。……何か手がかりになりますでしょうか?」
フェリクス殿下は顎に手を当てて目をつむった。
「侍女。他に何かあるか」
「い、いえ。それだけです」
「いや、十分だ。下がっていいぞ」
「はぃ。失礼します」
エンリがペコリと頭を下げて、そそくさと後ろに下がる。
「そういうことか」
その声は、ゾッとするような金属的な冷たさだった。フェリクス殿下が薄く目を開ける。
「時に、ロザリンド。君がいつもしていたルビーのネックレスはどうしたんだ? 母君の形見で、大切にしていると言っていたじゃないか」
鼓動が跳ね上がった。
「……不注意で、落としてしまいました。盗まれたのかもしれません」
心得たと言わんばかりにフェリクス殿下が加虐的な笑みを浮かべる。
「なるほど。ようし。ならばここは趣向を変えて、ミシェルが持っていたというその首飾りはいったいどこに行ったのか、推理してみようじゃないか」
「そんなことして、なんになるというのですか」
「ウサギは思わぬところから飛び出すものさ。侍女の話によれば、ミシェルが更衣室に入った時には、首飾りはポーチの中にまだあった。その後、着替えて再び会場に戻り、僕と踊った。首飾りはこの僅かな時間で誰かに持ち去られたと考えられるわけだ。異論はあるかい?」
「ありません」
「怪しい瞬間で言えば、ミシェルが会場に戻った直後だろう。多くの人が詰めかけていたからね。犯人はスリの手口のように掠めとった。そういうこともあるかもしれない」
「……いえ。それは考えにくいと思います。もしそうであるならば、窃盗犯はポーチに首飾りがあると確信していなければなりません。でないと、的確に首飾りだけを盗めた理由がない」
凶器を入れるだけならまだしも、悠長に選り好みをして抜き取る余裕なんてなかっただろう。
「僕もそう思う。なら、やはり盗み出した場所は更衣室か。おや? 更衣室には侍女と、確か、ロザリンド。君がいたんじゃないか?」
まずい。
「君はミシェルよりも先に更衣室に入っていた。ならば、ミシェルが紅い宝石の首飾りを拾ったという自慢を聞いていたはずだ。君は思った。“私の首飾りのことじゃないか”と」
「……」
フェリクス殿下が手を大きく広げて高らかに宣う。勝鬨を上げる指導者のように。
「ああ。僕は君を責めるつもりは毛頭ない。勘違いしないでくれ。たとえ、君がミシェルのポーチを勝手に開けて、盗みを働いていたとしても、ね。それは、ただ自分のものを取り返したに過ぎないのだから。
では、改めて聞こう。君が首飾りを取り戻した瞬間。あのワインコルクを入れていないとどうして言い切れる? 見咎められず、確実にポーチの中へ入れられる空前絶後の機会だ」
「……っ!」
「首飾りはミシェルの遺体を検分する時に抜き取った、などとつまらない言い訳はしないでくれよ。僕はずっと君のことを見ていたからね。加えて、侍女たちもずっとミシェルに張り付いていたはずだ。盗み出す機会はなかった。
侍女。更衣室には、ミシェルの他に誰か入って来たか?」
「えと、パーテーションに区切られていて見えませんでしたが、誰かが扉を開けた音は聞こえました。着替え終えた時には誰もいませんでしたので、出て行った時の音だと思います」
なんのトリックでもない。私が退室した時の音だ。
まるで名探偵が犯人を指名するように、フェリクス殿下が告げる。
「諸君、もうわかったろう。つまりだ。ミシェルを死に至らしめたあの恐るべき毒針を、安全に、且つ確実に仕込めたのは、ロザリンド。君しかいないのだよ」
私は、反射的に手を伸ばした。
ハンカチ用の小さくて狭いポケット。
そこに納められた、母上の首飾りの感触を確かめた。
「そのポケットの中を見せてみたまえ。あるんだろう? お母上の首飾りが」
◆――誰かの追憶
母は病気だった。
死にゆくような重い病気じゃない。
治るはずの病気だった。
救護院でも、順調に回復に向かっていたのだ。
あの女が来るまでは。
女の名前は、ミシェル・ブロア。
「皆さまの一刻も早い回復を願っております」
聖女のような微笑みを浮かべてやってきたその人は、病人や怪我人の話を親身に聞いていた。
母が言っていた。彼女は平民の星。夢。あるいは、願い。だそうだ。
母は彼女が配った焼き菓子を、涙を流しながら食べて、感謝の言葉を並べた。
「あなたも是非どうぞ」
そう言ってくれた焼き菓子。
齧ってみると、甘みの中に微かな苦みがあった。
その苦みが好きじゃなかった。
貰い物だったので、捨てることもできず、缶の中に放り込んでいた。
あの女は暇を見つけては救護院に足を運んだ。
会うたびに、焼き菓子をくれた。
母も来るたびに、あの女の手を取りながら、「ありがとうございます」と頭を下げた。
貰った焼き菓子は、缶の中に少しずつ埋まっていく。
それが増えるほど、母の命は減っていった。
流木のようにやせ細った母の最期が脳に焼き付いて離れない。
あの女も神妙な顔を作りながら、母の死を悼んだ。
「あなたに差し上げたお菓子、お母さまが食べていたの?」
質問の意図が分からなかった。
だから、曖昧に頷いた。
もう一人になりたかったからだ。
「そう。優しいのね」
哀れみと、慈しみ。それと、すこしの嘲り。
ぞわりと肌が粟立った。
あの女はそれ以降、来なくなった。
絶対におかしい。
あのお菓子。あれに何かあるのか。
砕いて、練り物に混ぜてネズミにあげた。
ネズミが死んだ。
もう一つ。今度は水に溶かしてネズミにあげた。
ネズミが死んだ。
砕いて、溶かして、ろ過して、成分を分けて、ネズミにあげた。
その中の一つで、ネズミが死んだ。
やっと理解した。
母は、毒の実験台にされていたのだ。
◇――ロザリンド
ズキズキと頭が痛む。
女子大生だったあの頃に受けた傷の場所。
あの空き巣につけられた鈍器の感触が蘇る。
吐き気を催すような罪悪感があった。
疑惑。
ミシェルが首飾りを盗んだんじゃないか。
そんなはずはないと、信じたかった。
でも、できなかった。
ポーチを開けた時、眩暈がした。
ショックだった。
動揺してしまった。
なんて問い質せばいいか、分からなくなってしまった。
気が付いたときには遅かった。
私は、ミシェルのポーチから母の形見を盗んでしまっていた。
「さぁ、身の証を立てようか。ロザリンド。ポケットの中身をみせなさい」
勝ちを確信したフェリクス殿下が追い立ててくる。
確かに、私はミシェルのポーチを開けた。
それは認める。
だけど、誓って、殺しはしていないのだ。
涙を流して訴えても、信じて貰えないだろう。
侮蔑の目を向けられて、殿下の煽動に押し流されるのは目に見えている。
その先は、死だ。
だから――
「……ええ。その通りです」
論理で殴る。生き残るために。
私はポケットから取り出したネックレスを首に掛けた。
「ミシェルのポーチには、母の形見が入っていました。彼女は私がこれを外すところを見ているはずですので、知っていて盗んだ可能性が高かった。問い詰めることもできましたが、意趣返しのつもりで取り返したのです」
「潔いじゃないか。ならばこういうことも言えるな。もしポーチを開けた時点ですでに毒針が入っていたなら、君は毒針に触れて死亡していたはず。しかし君は生きている。だから、その時点では凶器はなかった。更衣室の外で毒針を入れることは困難であったという話はすでにしたな。つまり、君自身が更衣室で凶器を入れたということは明らかだ」
「正確ではない論拠がありますね。更衣室の外において困難だったことは、首飾りを盗むことであって、毒針を入れることではありません」
「些細な違いだ。君が凶器を入れられた唯一の人物であるということに変わりはない」
フェリクス殿下の言うとおり、私がミシェルのポーチを開けたときには、凶器は無かった。彼の推理は正しい。致命的な見落としがあることを除いて。
見渡す限り、私が犯人だと思っている人ばかりだ。運命が私を犯人に仕立て上げようと躍起になっている。ふと、ジーノさんを見つけた。私が手を差し伸べた彼は、祈るような目で私を見ていた。
まだ、一人じゃない。
「果たして、本当にそうでしょうか。フェリクス殿下。あなたは、どうやら決定的なことを見落としておられるようです。これまで話し合い、登場した手がかりの中に、私が凶器を入れられたはずがないという明らかな事実があったことを、あなたはまったく気づいておられない」
シャーロック・ホームズばりに大見得を切って、フェリクス殿下に噛みつく。
「減らず口を。そのようなものはない」
「フフッ。殿下はレディの装いにもっと関心を持つべきですね。私のドレスはシンプルなエンパイアドレスです。大胆に腕を出した、洗練されたデザイン。ポケットもハンカチ程度しか入らないですし、手提げポーチも持っておりません」
「それが何だというのだ」
「非常に重要なことです。殿下が探しておられたウサギですよ。私が更衣室でミシェルのポーチに凶器を入れたのだとしたら。私は、この凶器を――全体に満遍なく針が突き出たワインコルクを、どのようにして持ち運んだというのですか?」
触れるだけで死に至らしめる毒針の毛虫。この格好ではそれを持ち運ぶことはできなかった。私が仕掛けた渾身の反論にフェリクス殿下がハンっと鼻で笑う。
「何を言い出すかと思えば。簡単だ。素手で持てないなら、誰かに頼めばいい。協力者がいたのだ。その者に持たせて、君が更衣室に入る直前に渡した。君はハンカチでそれを受け取り、ミシェルが入ってくるタイミングを待っていただけだ」
掛かった! 起死回生の突破口!
「私はハンカチごと形見のネックレスを盗まれていたのですよ。殿下。そうですよね、エンリさん。ミシェルがそれを持っていたとき、ハンカチはワインで濡れていましたよね」
「は、はい。その通りです。ワインで濡れていたから、乾かしていると」
満足いく回答が貰えて、思わず笑みがこぼれる。私は左手を腰に当てて堂々と宣言した。
「協力者がいたというなら、その人物は私に凶器を渡さなければならない。しかし、私はハンカチごと首飾りを盗まれていた。凶器を隠して受け取るための手段すら、私にはなかったのです。
どうやら、私にこの凶器を持ち運び、且つポーチに仕込む手段はないようですね」
「……」
「いかがでしょう。それでも、私が犯人だと言い張りますか」
「更衣室にはハンカチ以外の布や入れ物くらいあるだろう。それを使ったのだ」
「はぁ……。そもそも、私が更衣室に入った理由も、元をたどればミシェルが作ったものです。その後ミシェルが更衣室に来るなんて、私には知りようがありません。ミシェルが来なかった場合、私は凶器を更衣室に残すしか道がなくなったわけです。殿下自身がおっしゃったことですが、これは計画された犯行ですよ。あり得ません」
フェリクス殿下が押し黙った。不信と疑惑の色を浮かべて、眉を寄せている。
そして、長い沈黙の後、渋面を隠すことなく言った。
「……わかった。君には不可能だった。疑ってしまったことをどうか許して欲しい。ああ、なんてことだ。ならば犯人はあの雑踏に紛れて凶器を仕込んだということか……」
「でも、あなた。ミシェルと密会してたよね(そのようですね。ですので、これ以上は憲兵隊の捜査に任せましょう)」
よっしゃー!! 破滅フラグ粉砕完了じゃい!
心の底からホッとする。もう頭がショートして倒れそうだ。
……て、あれ? 私、なんて言った?
「……ミシェルと密会? 僕が? 何を根拠にそんなことを」
や、やばー! 間違えた!!
「あ、いえ。なんでもありません。言い間違いでした」
「ちょっと待ってくれよ」
……ん?
「俺も見たぞ! フェリクス殿下が着替え終わったミシェル嬢と隠れてイチャついていたの!」
な……! ちょ、誰だ! 余計なこと言うやつは!
ギョッとして振り向くと、ジーノさんの白手袋がフェリクス殿下を糾弾するように指さしていた。背景の一つでしかなかった男の爆弾発言が、弛緩した議論を再び引き締めたのだ。
「どういうことだ?」
「え、ポーチに触れられたのはロザリンド様が最後って言い切っていたのに?」
「そう言えば、二人ともテラスから出て来てましたわ。時間差で」
場の空気が、驚天動地のごとくひっくり返った
「なっ……! ちが……。……誰だ今の発言をした無礼者は。前へ出ろ」
それは致命的な動揺だった。私でなくても、肯定であると受け取るだろう。
返す刀で、フェリクス殿下がジーノさんを引きずり出そうとする。
まずい、このままでは……そうはさせない。
「フェリクス殿下。ミシェルとの不倫関係はもう明らかにされたはずです。私に隠す必要はなかったというのに、嘘をつかれたのですか?」
これはチートなので、フェアじゃないのだけど。
ミシェルが勝負ドレスに着替えた時、原作ではフェリクス殿下が彼女を褒めたたえるくだりがあったはずなのに、それがなかったのだ。それが意味するところは……
何で知ってるか聞かれても答えられないのに! ええい、もういったれ!
「勘違いしないでくださいね。責めるつもりではありません。たとえ、貴方が私に隠れてミシェルと密会をしていたとしても。それは、もう白状して謝罪していただいたことですので。
では、改めて。貴方がミシェルと二人きりになった瞬間。凶器を入れていないとどうして言い切れるのですか? 誰にも見られず、確実にポーチに入れられる空前絶後の機会だったはずですが」
「……っ! 意趣返しのつもりか……ロザリンド!」
「さぁ、どうぞご釈明を」
「ぐっ……そもそも信用ならない証言だろう! 僕がミシェルと密会していたなどと!」
「本当に? ミシェルが勝負ドレスに着替えて来たというのに、あなたは全く意に介していなかったではありませんか。事前に密会していて、すでに褒めたたえていたからではないですか」
「馬鹿を言うな! 僕はやってない! 言いがかりは止してくれ!」
私を責め立てた時の余裕と冷酷さはもはやどこにもなく、フェリクス殿下の目に焦りの色がありありと浮かぶ。誰も見たことがない異様な光景だった。
「第二王子殿下が……婚約者に罪を着せようとしていた?」
「しかも、ミシェル嬢と密会していたというのが本当なら……」
「では、先ほどの証言も……」
「まさか、最初からロザリンド様を犯人にするつもりだったのでは?」
バッと声のする方を向いて殿下は吠えた。
「違う! 違う、違う! 僕は――!」
しかし、口をパクパクするだけで、次の言葉が出てこない。怒りと屈辱に顔を歪ませて、私を睨みつけた。
「これが狙いか! 忌々しい魔女め! 皆の者、この女を捕らえろ! こいつが犯人だ! 僕は嵌められたのだ! 神に誓って、僕はやっていない!」
誰も動かなかった。
先ほどまでなら、殿下の一声で衛兵が駆けつけていたはずだ。
声は空虚に消えていく。
「どうして誰も動かない……? 僕を誰だと思っている! やがて次期国王となる者だぞ!」
「次期国王は兄王子殿下でしょう。どうやら、取り調べが必要なのは私ではなく殿下のようですね。誰か、殿下をお連れして差し上げてください」
「なっ……」
誰もが互いの顔を見合わせ、誰が最初に動くべきなのかを窺っている。
やがて、ひとりの近衛兵が静かに歩み出た。
「殿下。どうか、こちらへ」
「……僕に命令するのか?」
「命令ではありません。お願いです」
「ふざけるな! 僕は第二王子だぞ!」
近衛兵は答えなかった。
ただ、道を空けた。
「待て。僕は何もしていない! ロザリンドに嵌められたんだ! そうだ、兄上にも伝えろ! 父上に――」
誰も振り返らない。
「おい! 聞いているのか!」
それでも、誰も動かない。
殿下はようやく、自分が連れて行かれるのだと理解したらしい。
「……僕は、王子だぞ」
その声だけが、ひどく小さかった。
喧噪の最中、ふと見ると、ジーノさんは俯いていた。
先ほどまで私を祈るように見つめていたその目は……あれは、安堵しているようにも見えた。
◇――ロザリンドの解説
その後のことは驚きの連続だった。
なんと、フェリクス殿下の身元をくまなく捜査すると、ミシェル殺害に用いられた毒が発見されたのだ。そして、当のミシェルも同じものを持っていた。
フェリクス殿下がなぜこのようなものを持っていたのかは定かではなかったが、二人が共謀していたことに疑いようがなく、仲間割れの末の犯行だったという方向で裁定は進んでいる。私が土壇場で繰り出した推理でいう所の
1.殿下自身が犯人であり、私に濡れ衣を着せようとしているから。
であったということが公式見解だ。
殿下は現在も
2.消去法的に私以外ありえないと考えているから。
という線を叫んでいるが、もはや誰も取り合おうとしない。ありがたいことに、私には動機も手段もないとみなされているからだ。
私と第二王子との婚姻契約も持続不可と判断され、我がテイラー公爵家から直々に破棄を申し出る運びとなった。ミシェルと何を企んでいたかについては、彼が最後に口走っていた”次期国王になる”という言葉から察することが出来るが、これ以上は関わるべきではない。
ただ、なぜ彼があれほど私を犯人だと糾弾したのかは、おおよそ予想がついた。
当然ながら、彼も私が嫉妬に狂ったなどとは考えていない。
彼が真に恐れていたのは、ミシェルとの密会が明るみに出て、自身が被疑者として取り調べを受けることだったのだろう。そこから芋づる式に暗殺計画まで発覚する可能性を考え、何としても疑いの矛先を私に向けたかったのだと思う。
ミシェルが毒にのたうち回る光景を眺めながら、彼の脳裏では、計画が露呈した可能性を疑い、迅速に事態を収める算段を立てていた――そう推測できる。
弁明の最中、私はその「よからぬ企て」を、私に対する暗殺計画だと早合点してしまった。
だが、実のところ、最初から私に暗殺の濡れ衣を着せる腹だったのかもしれない。
そんな状況で、ミシェルが暗殺に使うはずだった毒によって死んだのなら、私だって私を疑う。
つまり彼は、焦りと疑心暗鬼に苛まれながらも、彼なりに合理的な判断をして私を糾弾していたのだろう。
……いろいろと妄想を膨らませてみたが、どのみち今後の調査で真相が明らかになれば、彼の廃嫡は免れないだろう。
事件が終息へと向かっている今、
“実は私が犯人だった”
と明かしてしまえば、ミステリー的に一定の驚きを提供できると思うが、残念ながらその期待には沿えない。私は犯人ではない。ついでに言えば、フェリクス殿下も犯人ではない。少なくともミシェル殺しにおいては。
知恵を巡らし、言葉を紡いだこの事件は、実のところ拍子抜けするほど簡単に解けてしまった。
あの凶器、針を満遍なく植え付けたワインコルクは素手で持てない、ということは何度も確認した。そう、素手では扱えないのだ。
ならば手袋を付ければいいじゃないか。
そんな単純明快な解法があることに誰も言及しなかったのは、今が夏であり、貴族達は誰も手袋をつけていなかったからだろう。あの会場で手袋を付ければ目立つ。そんな考えが貴族達の間で共有知として浮かんでいたのだ。
しかし、よく思い返して欲しい。
会場の中で、違和感なく手袋を付けていた者はいなかったか。
その者は全体に奉仕する立場でありながら、ミシェル嬢の動向を誰よりも知る者であった。
会場の何処にいても、怪しまれずに潜り込めて、人込みに紛れ込める者であった。
この世界において『見えない男』として生きる者であった。
そんな者が白手袋の下に厚手の皮手袋を重ねてつけていても、誰も気に留めないだろう。手を握った私ですら、妙に硬いなとしか思わず、違和感を見過ごした。
そして、私がハンカチを持っていないから凶器を持てないと弁明した時は、心底肝が冷えたにちがいない。手袋を脱ぐこともできず、己の透明性を信じて祈るしかなかったのだから。
……なぜ、彼がミシェルを殺したのかはわからない。彼とミシェルの間には、いわゆるミッシングリンクがあったのかな。さしずめ、毒の実験の被害者だったとかなら、彼が凶器を調達出来た説明もつくけど。今となっては確かめることは出来ないし、するつもりもない。だからこそ、あえて言おう。
給仕のジーノ。彼こそが、ミシェル殺しを唯一成し得た人物である。
そのことを告発することもできた。
が、葛藤もほとんどなく、黙っていることに決めた。
彼には礼をすると言ったし。
そもそも、私は名探偵ではない。
私は、ただ平穏に生きたいだけの悪役令嬢なのだから。
◇――誰か
母さん。
仇は取ったよ。
(了)
あとがき
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佐倉美羽




