救えないなら
この作品には、価値観の衝突や家族とのすれ違いが描かれています。
誰が正しく、誰が間違っているのか。
答えは人によって変わるかもしれません。
もし読んで何かを感じていただけたなら、とても嬉しいです。
俺には家族がいた。
父。
母。
弟。
妹。
貧しかった。
けれど、笑うことはできた。
夕飯はいつも質素だった。
肉なんて滅多に出ない。
それでも母は笑っていた。
「今日は豪華よ。」
そう言って出てきたのは、もやし炒めだった。
父は笑う。
弟も笑う。
妹も笑う。
俺も笑うしかなかった。
そんな家族だった。
高校へ進学した頃には、家計はさらに苦しくなっていた。
父は朝から夜まで働き続けた。
母も内職を始めた。
俺も学校が終わればアルバイトへ向かう。
家に帰れば勉強。
眠るのは毎日深夜だった。
それでも夢があった。
大学へ進むこと。
そして、昔から憧れていた仕事に就くこと。
家族にも言わなかった。
期待させたくなかったからだ。
だから一人で努力した。
模試で悪い点を取れば泣いた。
バイト帰りに参考書を開き、眠気で机に突っ伏す日もあった。
何度も諦めそうになった。
でも、そのたびに思った。
「あと少し。」
「あと少し頑張れば。」
そうして数年が過ぎた。
合格通知が届く。
震える手で封筒を開ける。
受かった。
努力は報われた。
あとは入学金を払うだけだった。
その日の帰り道。
母から電話が来る。
「早く帰ってきて。」
嫌な予感がした。
家へ着く。
父が起きていた。
母は泣いていた。
机の上には通帳。
残高はゼロだった。
「……何だよ、これ。」
母は震えながら答える。
「お父さんの手術費に使ったの。」
頭が真っ白になった。
「命は一つしかない。」
「大学なんてまた行ける。」
「でも、お父さんは今しか助けられない。」
その言葉は正しかった。
正しい。
だからこそ。
許せなかった。
俺がどれだけ我慢したのか。
どれだけ夢を諦めてきたのか。
どれだけ寝る時間を削ってきたのか。
母は知らない。
知ろうともしなかった。
バンッ。
机を叩く音が響く。
「誰が願った。」
部屋が静まり返る。
「こんなくだらない世界に呼びやがって。」
母が泣きながら首を振る。
「違うの……。」
「俺は一度たりとも願ったことはない。」
「お前らのエゴで生まれたんだ。」
涙が止まらない。
「救わないなら。」
「救えないなら。」
「生むんじゃねぇ!!」
その日。
俺は家を出た。
振り返らなかった。
それから何年も経った。
結婚した。
子どもも生まれた。
今の家族は幸せだ。
笑い声が絶えない。
ある日。
まだ幼い息子が俺の手を握って言った。
「お父さん。」
その一言で。
あの日が蘇る。
母の泣き顔。
父の俯いた姿。
俺の叫び。
「救わないなら。
救えないなら。
生むんじゃねぇ。」
息子の頭を撫でる。
俺は少しだけ目を閉じた。
母を許したわけじゃない。
今でも会いたいとは思わない。
それでも。
親になった今なら。
あの日、母がどれほど苦しかったのかだけは分かる。
理解した。
だからといって。
許せるわけではなかった。
その傷だけは。
一生、消えることはない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は「正しさ」について考えながら書きました。
命を優先することも正しい。
夢を守ろうとすることも正しい。
だからこそ、どちらか一方を悪者にはしたくありませんでした。
主人公は最後まで母親を許しません。
けれど親になったことで、あの日の母親の苦しさだけは理解できるようになります。
理解することと、許すことは違う。
そんな思いを込めて書いた作品です。
少しでも心に残る作品になっていれば幸いです。




