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私は、みごと大学に合格して、その大学に出すための書類を学校に居残って作成していた。
私のクラスにひょこっと顔を出した先生が、私しかいないことを確認すると声をかけてきた。
「ミコトーちょっと今いい?」
「はい。なんですか??」
廊下から先生が私を手招きしている。私は、書類を後回しにして立ち上がると、先生の元までやってきた。
「ちょっと、着いてきて」
あの夜中の電話からは、一ヶ月が経とうとしていた。
先生の後ろをついて歩き、やってきたのは学校の屋上だった。立ち入り禁止の看板をどかすと、私が入った事を確認して、先生が扉をしめる。
「入っちゃって大丈夫ですか?」
3年間この学校に通っていたけれど、それでもまだ来たことがない場所があるんだなと思う。
先生がフェンスを背に屋上の床に座ったので、私も同じように先生の隣に三角座りした。
「ミコトのおかげで、俺も卒業までなんとか居られる事になったよ」
「よかったですね!」
むしろ、なぜその事を次の日に伝えてくれなかったんだろうか。
「それで…あのね。俺もミコトと同じ日に教師を辞めることにした」
「そうなんですね」
先生が先生じゃなくなるのは悲しいけれど、卒業式の日に先生が居てくれるなら、もうなんだっていい。そもそも、私には他に望むものなんかないのだ。
「それもこれもミコトがあの日、元気付けてくれたから」
「そんなことないです……もっと先生の力になりたかったです」
自分が子供で生徒で、先生を助けたくても出来る事がなさすぎて歯がゆい日々だった。それでも、好きな人のためになったと言うのなら、よかったと思う。先生の話したい事は終わってしまったのか、二人の間に沈黙が走る。
二月の冷たい風が下から吹き上げていて寒いけれど、まだもう少しこのままでいたかった。
「俺さ。父親を早くになくして、片親だったから、母親を喜ばせるために頑張らなきゃって思っていた頃もあったんだ…」
この時、初めて先生のお父さんがいない事を知った。
「うん…」
先生が家族の幸せのために考えた、世間一般の普通をお母さんに届けたかったのだろう。
それが、男に産まれたからには、女の人と結婚をしなくちゃっていう迷走だったんだと思う。
「俺ね…父が死んだ30才までは生きていなくちゃって思っててさ。ずっと、いろんな事を我慢してきたんだよね」
先生のお母さんは旦那さんを30才という若さで亡くしてしまって、子供を一人で育ててきたのか。確かに、その子供の先生まで早くに亡くなってしまったら絶望かもしれないな。
「30才になったら、自分の好きなように生きてみたくて、ミコトが言ってくれたゲイでも胸を張って生きろって言葉がなんか刺さった」
そんな当たり前な事がいまさら人の心を動かす事なんてあるか??まー私が生きていた時代は多様性などない時代だから、そう思ったのかもしれない。
「どこに?」
「胸に?こう、グササッて?」
「そう」
先生のくせにあまりの語彙力のなさに、思わず笑ってしまった。
私の笑った顔を見た先生が、申し訳無さそうに口を開いた。
「あのー…それでね、最後にミコトにどうしても…手伝ってほしい事がありましてぇ……」
先生が私の顔面の前で手を合わせた。
「いま、うちのクラスで卒業制作を作ってるんだけど、そのシナリオがいまいち微妙で、ミコト物語の手直し頼めない??」
「なんで、私が??」
そもそも、他のクラスの卒業制作に私が手を出してしまってもいいのだろうか?
「今年の読書感想文で賞取ったんでしょ?」
「なんでそんなこと知ってるんですか?」
「へっへっへー自分のことのように嬉しかったからねー」
国語の教師でもないのに、私が賞を取ったことが嬉しかったらしい。
「はいはい。手伝えばいいんですね」
私は、立ち上がってスカートのホコリをぽんぽんとはらった。
先生が私に「最後」の願いだと言ってきた。一緒にいられる日数も残り少ない。貴方のために私に出来る事があるのなら、なんでもやろう。それが私の幸せなのだから。