婚約解消した公爵様
とある皇国シリーズ・公爵視点のお話です。「婚約解消された皇女様」も読んでいただけると幸いです。
「マティアス・ラン・アルベール公爵、皇女殺害容疑で連行する。これは国王陛下による命令であるため貴殿に拒否権などない」
玄関口で言われたこの言葉にさして驚かないのは、先日のアルメルのどす黒い瞳を思い出したからだろうか。私は彼女を守る方法を間違えてしまったのだろうか。自分の未熟さや愚かさが突き刺さる。いっそ公然の秘密になっている第一皇女の元婚約者の様に、彼女を守る形で死にたかった。
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『お初にお目にかかります、第三皇女のアルメル・ジュディエットと申します。これから末永くよろしくお願いします、アルベール公爵』
王家の血筋を証明する金色の目に、一般的な茶髪は少々に合っていないな。
それが、彼女の容姿を見て一番最初に思った事だった。7も年下の彼女の礼儀作法は、私と同い年のような出来栄えだったという事は今でも覚えてる。当時の私は、一生懸命練習してて偉いなんて呑気に考えていた。
『初めまして、皇女殿下。私は、マティアス・ラン・アルベールです。どうぞランとお呼びください。よろしくお願いいたします』
『私のことはアルメルと呼んでもらって構いません。それと、二人でいるときは敬語はおやめください』
『分かった。アルメルもそうしてくれ』
『いえ、私は好んで敬語を使用してるので…』
困ったように眉を下げる彼女のことを、私は可愛いと感じた。
『そうか。アルメルについて、もっと知りたいな。週に一回、茶会に誘ってもらえないか?』
『よろしいのですか?もちろんです!』
皇族からの誘いがなければ、いくら公爵といえど会いに行けない。それは私にとってもどかしいことだったが、私たちの小さな交流は彼女が15歳のデビュタントを迎えるまでずっと続いた。
デビュタント当日、控え室に呼ばれた私は部屋の中に入った瞬間に彼女の姿に見惚れた。
『ラン、どうです?綺麗ですか?』
ふわりと純白のドレスで一回転するアルメルは、純粋無垢な少女だった。私は衝動的に抱きしめた。『世界一可愛いよ』という言葉は恥ずかしくて言えず、彼女の首筋にキスをした。今まではデビュタント前だから我慢していたが、これからは気持ちを抑えなくて良いという興奮に私は包まれていた。
今思えばただの変態だが仕方ない。可愛いかったのだから。
『ラ、ラン様??』
彼女を見ると、顔や耳が真っ赤になっていた。私のいたずら心に火が灯り、そっとほっぺたにキスし、綺麗な彼女の長い髪を一房すくい口づけした。
『様付けになってる。動揺しすぎだ』
照れ隠しに言ってしまったこの言葉も、今では後悔しかない。愛してるとか、好きですとかもっと率直な気持ちを伝えれば良かった。
デビュタントは問題なく終了し、私たちの婚約発表もうまく終わった。
『アルベール公爵は皇女に骨抜きですね~』
『雰囲気から甘ったるくて、気持ち悪くなってきましたわ…』
『感情欠落人間といわれた君がね…はは、人生何が起きるかわかんないね』
私は友人のカール公爵令嬢リゼット、シモン侯爵令嬢ヴィルジーニ、ブロー子爵のジョゼフたちに茶化されつつも幸せな時間を送った。
第一皇女の婚約者の殺害事件から少々殺伐としていた社交界が、新婚夫婦のような二人の様子で2年ぶりに華やかになった。
結婚まですぐにたどり着けると思っていた。何があっても、アルメルのためならなんだって出来ると思っていた。
『アルベール公爵、僕を助けてください』
春うららかな日だった。外の様子とは対照なブロー子爵のジョゼフが、私の玄関口で最高の敬意を表す家臣の礼をしていた。
『どうしたんだ?バラン公爵の意思によって養子になった次期公爵のおまえに出来ないことなど無いだろう?』
『だから困っているんだっ!!!』
プライドもなく地面にうなだれる彼を見て『応接間で話し合おう』と促した。お茶を飲んで落ち着いた彼は『玄関口で騒いでごめん』と謝った後、事の経緯を話し始めた。
――――――
君が知っての通り、僕の伯父であるバラン公爵には三人の弟がいる。次男は野心家、三男が病弱で浪費家、四男である僕の父が精神的に軟弱だったのも関係して、兄弟仲はかなりドライだったようだ。
次男の伯爵は、両親が事故によって亡くなったことで自動的に公爵なった伯父のバランに不満を抱いていたらしい。伯爵位も十分高位だが、兄の下にいるのが耐えられないと日記に書いてあったらしい。
冷静沈着で策士な長男より短絡的な次男は、自分の息子が15歳のデビュタントを終えた当日、公爵を自らの手で殺害しようとした。だけれども、計画を全て知っていた公爵の返り討ちに遭い、あっさり亡くなった。
彼の息子アルセーヌ・イズはなぜか、自分の父親より政治のためになる公爵を守ったとして伯爵位ではなく王からクレアン公爵の爵位を与えられた。その後、第一皇女との婚約が正式に決まった。
次男の死と甥の昇格によって伯爵位を与えられた三男は、病弱で家から出られないことを良いことに、自らの領地を統治せず、娯楽に明け暮れる日々を送っていた。貧困を生んでいる弟のことを伯父は良く思っておらず、微量の毒を食事に混入させて殺害した。そして、当時バラン公爵の侍女をしていた三男の娘であるリュクレア嬢が、自動的にフライン女伯爵になった。
四男である僕の父親は、残っていた子爵位についた後、精神が不安定になっていった。だから僕が遊学を終えると同時に爵位を渡し、逃げるように隠居生活を始めたんだ。
――――――
『今の話のどこにおまえを助ける要素があった?』
葉巻を取り出し、私は顔面蒼白のジョゼフを見た。
『おかしいと思わないのかい?何よりも血筋を目の敵にしているバラン公爵が、甥である僕になんの取引もなく爵位を譲るなんて…』
『まぁ公爵も歳だし、他の血筋の子どもを引き取って育て上げるより、おまえを養子にした方が楽だと思ったんじゃないか?それか、ジョゼフに付属しているなにかに強い興味を抱いたか、だな』
『後者の方としか考えられない。出来ることなら僕はあの人と一生関わりたくないんだ。僕の父に、三男殺しの罪を背負わせようとしていた時期もあったからね』
ジョゼフの気持ちは分からなくもない。
国の宰相として非常に優秀な手腕を誇る一方、あの人の付近にいる人たちは不幸に陥る呪いでもかけられているのかと思うほどに、病や事故で命を落としている。兄弟である三男を毒殺したことによって、原因はバラン公爵本人なのではないかと推測されているが、権力に屈して誰もそれを指摘しない。
『で、ジョゼフは何に怯えているんだ?訳も分からないものに怯えるのを一番嫌っているのは自分自身だろう?』
父親が非常に臆病者で軟弱であったため、ジョゼフは騎士道を上り詰め、非常に強靱な精神と肉体を得た。その彼が、父親と同じ轍を踏むとは思えない。
『…この間久しぶりに、従妹のリュクレア嬢に会ったんだ。あんなに天真爛漫で恋愛について語っていた彼女が、バラン公爵の侍女を経てすっかり一変してしまってたんだ。……なんというか、洗脳に近い何かを感じたよ。次期公爵になることで、僕はシモン公爵ヴィルジーニ嬢との婚約が出来たわけだけど、本当に彼女と結婚できるんだろうか?リュクレア嬢との婚約に変更しろ、って命令が出そうな気がして仕方がないんだ』
『それは妄想だろ。あの公爵がシモン家の血筋の逃すとは思えない。それに、日頃から訂正を嫌うあの人が自分から変更しろなんて言わないだろう』
そう伝えても怯えた表情をする友人を横目に、バラン公爵に嫁いで亡くなった実姉について考えた。
私と姉は17歳離れていることもあり姉ではなく、伯母という存在に近かった。産後の肥立ちが悪く、私を産んで亡くなった母に代わり物心つくまで世話をしてくれた。私が一人で何でも出来る様になってきたごろに彼女は嫁に行き、それ以来は社交の場でしか話したことがなかった。物静かで儚げな雰囲気の人だった。
初めて社交の場で話しかけた時は『そう』『良いですわね』と、まるで他人かのような対応をされていたので嫌われたのかと思った。しかし、他の人には微笑むだけだったので、口を開いてくれるのは特別なんだと少し優越感に浸った記憶がある。そんな彼女が、公爵夫人の役目をきちんと果たしていたのかは甚だ疑問だが過去の話だ。
彼女は子どもを産めずに亡くなった。…いや、正確に言うと産もうとして亡くなった。私が8歳の時の話だ。それからバラン公爵は人が変わったように寡黙になった。口を開けば嫌みを出すようになったのは、いつからだろうか。
『…聞いているのかい、マティアス??僕は決意したよ。何があっても婚約者のヴィルジーニだけは守るって。取り乱してすまなかった。大丈夫だ。頑張っていくよ』
『あぁ、すまない。聞いていなかったが、おまえの決意だけは聞き届けたよ。私も友人として応援する』
それからしばらく経った夜会で、私は件のリュクレア嬢に初めて出会った。
『初めまして、アルベール公爵。フライン家当主リュクレアと申します。第三皇女様とのご結婚おめでとうございます。つきまして、わたくしにその座を譲っていただきたいのですがいかがでしょうか?』
なにが‘つきまして’なのかさっぱり分からないが、兎に角、ジョゼフが言っていた『天真爛漫』な少女とはかけ離れていることだけは理解した。
『皇女が席を外した途端に私に近づいてくるとは、いささか問題があると思いませんか?フライン伯爵令嬢』
『そうでしょうか?皇女様を誑かしている不届き者に比べて、全く問題ないですわ』
アルメルが戻ってくる間、私はこの難がある伯爵令嬢と会話をした。
まとめると彼女はアルメルに対して恋愛感情を抱いており、私を許すことが出来ないらしい。アルメルが大好きだと公言する彼女にどう接すれば良いのか分からなかった私は、曖昧な笑みを浮かべたまま彼女の話を聞いていた。
――
わたくしと皇女殿下の出会いは、わたくしが10歳の頃ですわ。第一皇子の婚約者候補パーティーで、鬱々としていたわたくしは会場から抜け出し、庭園を眺めていました。そこで、美しい金色の髪をなびかせた美しい少女がバラを見つめているのを見つけました。最初は天使だと思いました。ですが、バラの棘を触った彼女の指にぷっくりとした赤い血が付いているのを見て、皇族の方だと分かりましたわ。
『あ、大丈夫ですか?今召使いを…』
わたくしは思わず彼女に駆け寄って膝をつきました。あのときの光景は一生忘れることが出来ませんわ。
『いいえ、けっこうです。これぐらいなんてことないから』
6歳の少女の強い意志に圧倒されたわたくしは、彼女の瞳に虜になりましたわ。すぐにでも求婚したかったのですが、彼女はお母様である側妃によって連れ去られました。
『お姉さん、アルメルって呼んでいいよ。またね』
――
幼い頃のアルメルを見ている羨ましさと嫉妬が入り混じった感情になった。が、そのような卑しい感情を読み取られないように能面でその後を過ごした。アルメルには不審な目で見られたが仕方ない。
例の夜会後も、リュクレア嬢は必死に私にアルメルについて語っていた。端から見たらリュクレア嬢に付き纏われる状態になっていたのが、人生最大の失敗で取り返しのつかないことになった。
『最近姪のリュクレアと仲良くしているようだが、何か要因でもあるのかね?アルベール公爵』
『お久しぶりです、バラン公爵…。いえ要因は一切なく、リュクレア伯爵令嬢からアルメルについて伺っていたのです』
今思えば、この時の曖昧な表現が良くなかったのだろうか。
この日からバラン公爵およびその周囲によって、私の悪評が広められた。全く身に覚えのないもののみだったが、市井の人々や貴族の興味を引くのには十分すぎた。もちろん反論は行った。友人らの協力もあって、一過性の興味で収まった。しかし、国王からそのような噂がある貴族の元に大切なアルメルを嫁に送ることは難しいと言われた。
結果的に、私がアルメルに婚約破棄を願い出て、可哀想な皇女として他国の皇子の嫁になることが議会で決定した。ほぼ国王陛下の一方的な決議だったが。
バラン公爵がリュクレア嬢と結婚すれば、さらにアルメルを悲劇のヒロインにできると提言してきたが、私はこれを強く拒否した。
愛している人に芝居を打たなければならない苦痛、結婚できない現実。全てを投げ捨ててアルメルとどこかに逃げようか。そんなことも考えたが、アルメルが不幸になるのは避けたいので諦めた。
私の一方的な婚約破棄では皇女が納得しないかもしれないからと、皇女の前ではリュクレア嬢に恋したかのような演技をして、婚約解消を伝えろと指図された。
バラン公爵の監視の下、私とリュクレア嬢は皇女に会った。芝居をしなければならない苦痛で胸が張り裂けそうだった。
彼女が俯いた時は、膝をついて、心の底から違うんだと叫びたかった。でも、彼女は‘皇女’になった。
あの、仮面を崩さない王妃のように。
両親の許可は取ってある、なんて嘘八百だ。正式に言うと、王妃と陛下である貴女の両親から、圧力によって許可が出ただ。彼女の濁った目を見て、私は足がすくんだ。なにか間違えたのではないか。守る方法が違うのではないか、と。
バラン公爵によって皇女が去った後、リュクレア伯爵令嬢が『婚約解消されたなら、わたくしにもチャンスがあるっていう事ですわね』とよく分からないことを呟いて、伯父であるバラン公爵の執務室に行った。それを見届け、私は自宅に戻った。
翌日、アルメルが自殺した。
どうして?なんで、彼女が死ななければいけなかったのか。他国の皇子に嫁ぐのではなかったのか?毒なんてどこで入手したんだ?なんで、あの綺麗な少女が自ら命を絶たなければならなかったのか。死ぬのがわたしじゃなくて、彼女が?
訳が分からない
…違う、本当は分かっていた。でも、身に刻まれている王家への忠誠から、本能的に拒否していた。見て見ぬ振りをしていた。
身体を触ると時々少し痛そうにしていたこと。仲が良い家族であるはずの王家が近づくと、僅かに身体をこわばらせること。
俺が婚約破棄などせずに、二人で逃亡していれば、彼女を幸せにできて、王家から守れたのだろうか。今となっては全てどうにも出来ない妄想だが…。
「マティアス・ラン・アルベール、貴様を皇女殺害の罪で刑に処す」
ありもしない罪を大量に読み上げられ、処刑台に立たされた。市井の人々から物を投げられた。もう、何も感じない。ただ、やっとこの世界から追い出される事だけが、私の頭に渦巻いていた。
お父様、お母様、姉様。申し訳ございません。家を守ることも、愛する人を守ることも出来ず、王家に対抗する事も出来ず、私はこの世から追放されます。
アルメル、貴女は天国で幸せに暮らしているのだろうか。私はきっと貴女の側にいることは出来ないし、許されることもないだろう。貴女が幸せなことを祈ってる。本当にすまなかった。一生幸せにすると決めていたのに、何もしなかった、できなかった私の責任だ。貴女に会えたのだけが……
『……ラン…様…?』
あぁ、神様。これは幻覚でしょうか?
『ア、アルメル…。本当に申し訳なかった。貴女を救えなかった。愛していたのはただ一人だけで、貴女を救うために…詭弁か。謝っても受け入れられないかもしれないが、すまなかった。私の独りよがりな考えで、幸せにできなかった』
数ヶ月ぶりに喉を動かした。うまく話せただろうか。色々伝えたいのに言葉が出ない。
『どうしてあなたがここにいるんですか?あの女の人は…?なんで?どうして……』
苦虫をかみつぶしたような顔で涙を流す彼女に、どう接すれば良いか分からない。こんな表情の彼女は、初めて見た。私は無意識に彼女を抱きしめた。拒絶されてもいい。もう、何でも良いから彼女に泣いてほしくない。
『貴女に泣かれるとどうして良いのか分からないんだ。すまない』
『わたしは、お荷物だったんじゃないんですか。わたしは、いらないこだって。なんで。どうして幸せになってないんですか。わたしのこと嫌いだったのでしょ?』
『俺は!!一度もそんなことを思った事はない!表現不足で、情けない男で申し訳なかった。今更だって嫌うならそれでも構わない。贖罪し続ける。だから、自分のことをそれ以上卑下しないでほしい。私は貴女を、愛しているんだ。ずっと…たった一人なんだ』
私の腕から離れて、彼女はゆっくり言葉を紡いだ。
『……あなたをすぐに信じることはできないです。でもわたしは、ランがいないと幸せになれない、不幸な人間みたいです。…この場所は、時間がたくさんあります。また、初めからやり直しませんか?』
あの日見たカーテンシー。でも、その時よりは大人になった貴女が、まっすぐ私を見つめて
『お初にお目にかかります、元第三皇女のアルメル・ジュディエットと申します。これから末永くよろしくお願いします、アルベール元公爵』
綺麗な金色の髪と瞳を輝かせ、いたずらっぽく笑った。
『初めまして、元皇女殿下。私は、マティアス・ラン・アルベールです。どうぞランとお呼びください。よろしくお願いいたします。……あなたは、綺麗な金髪だったのですね』
『えぇ。茶色になるように色素で濁してました。王位継承で厄介な事になるからと、王妃殿下から口酸っぱく注意されていましたので』
染める必要がなくなって幸せですわ、と笑う彼女を見て、私はもう二度と彼女のそばから離れるまいと誓った。