3、地下室
────ゴクンッ
食べ物が喉を通る度、皿の上のハンバーグが段々少なくなっていく。隣で美味しそうにハンバーグを頬張る音羽を見ても、心臓の音はうるさかった。
「昨夜、何者かに誘拐されたとして捜査を────」
父さんはテレビを消した。僕は思わず箸を止める。何食わぬ表情で消えたテレビに目を向ける父さん。なにを考えているのだろう。父さんは誘拐事件のニュースになるといつもテレビを消すか、チャンネルを変える。今日は消している。
(何も消すことないのにな…)
そんなことを思いながら僕は箸をすすめた。
「ご馳走様」
いつの間にか父さんは夕食を終えていた。それと同時に、足音よりも断然早く僕の心臓は早く動いているのが分かった。一言も発さず、父さんはリビングをあとにした。父さんが出ていっても、僕にはまだ迫り来る恐怖が残っている。
(早く、行かないと…)
「ごちそうさまぁ!今日も美味しかったよ!お兄ちゃん!」
ニコニコ嬉しそうに微笑み、僕を見つめる音羽に、今の僕は作り笑顔を向けることしかできなかった。
「また作ってやるからな。明日は何がいい?」
恐怖から気持ちを逸らそうと僕は音羽に聞いた。
「んー、音羽お兄ちゃんの作るものは全部好きだよ!」
すると音羽は椅子に膝立ちをし、僕の耳に寄ってくる。
「明日のおやつはホットケーキがいいな」
耳にかかる息がくすぐったい。
(おやつ……)
音羽のおやつおねだりということは、明日は早帰り。忘れていた。
「分かった。じゃあ材料買いに明日行──」
「やったぁ!!」
音羽のオーバーリアクションに、僕は驚きと嬉しさが混じって変な表情になっているだろう。
テンションの上がった音羽は食器をシンクへ持って行き、鼻歌を歌いながらそそくさと自分の部屋へと向かおうとドアの前まで行き、立ち止まった。
クルッと音羽が振り返る。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「音羽にお母さんはいないの?」
僕は音羽の言葉に震えた。聞かれるのは初めてではないが、さっきまで暖かかった心も段々冷たくなる感覚があった。
「いないよ」
いつもの返答。音羽を見ると真顔だった。
「そっか、わかったよ」
そう言い、音羽はリビングをあとにした。
ポツンッと一人リビングに取り残されてしまった僕は、残ったハンバーグを食べ終え、皿洗いを始める。冷たい水が僕の暖かくなった心を余計冷たくさせた。
「ニャア〜」
ふと、下を向くとうちで飼ってる猫のおこめがいた。濡れた手を拭き、おこめを撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らしながら僕に擦り寄ってくる。
「おこめー、僕父さんのとこ行ってくるから、音羽の部屋へ行っておいで」
そう言いドアを開け、おこめを音羽の部屋へ向かわせた。
静まった1階。僕はそのまま父さんの部屋へ向かうため、玄関のドアを開けた。扉はなんとなく重く感じ、また心臓が早くなってきていることが分かった。
庭にポツンッと立つ建物。足取りは重く、外の寒さに体が震える。建物のドアノブを捻り、扉を開ける。がさつに置かれた荷物で溢れかえる。僕は床に手を伸ばし、取っ手を探す。地下への入口だ。嫌な音をたてながら扉を開け、中を覗く。真っ暗闇で今にもお化けが出そうだ。
足音が響く地下。少し歩いたところでドアを見つけた。ドアの目の前で深呼吸をし、ドアを叩く。
────コンコン
「入れ」
ドアノブに手をつけ、ゆっくりと捻じる。そしてゆっくり扉を開けた。
目の前には父さんの姿があった。
「遅かったじゃないか」
「遅くなってすみません、おこめを音羽に部屋に向かわせてました」
無表情で僕を見つめる父さんの視線が痛い。
「──まぁいい。今日も始めようか」
「……はい、父さん」
奥に見えるドアへ向かおうと足を1歩踏み出したところで、父さんが話し出した。
「その前に、さっきの続きの話をしよう。一旦座れ」
止められるのは初めてではない。父さんの2人きりになる、この部屋に来るときは親子として話をする。
「最近学校はどうなんだ?」
「普通だよ。前話した感じと変わらずで、でも勉強がちょっと……」
「赤点取らなければいいと言っているだろう。ただやりたいことは懸命に取り組め」
僕は少し黙って、父に悩みを打ちあける。
「やりたいことが見つからないんだ…もう進路の話も出てきてきてるのに、僕は分からない。勉強ができる訳でも、運動ができる訳でもないし、だから進路を考えるの時間が無駄な時間なんだよ」
父さんはどう思っただろう。こんなできこそないな僕を。顔が見れない。夕食のときとは違う恐怖。話して良かったのか、後悔の文字が浮かぶ。
「悩めばいい、いつか見つかるさ」
父さんの言葉に涙が出そうになるのを下を向きながらグッと堪えた。先生は決めろ一択で焦って仕方なかった僕には神の言葉のようだった。ただ…あれを抜いては────
「そろそろ親子話も終わりにするか。さぁ行くぞ奏叶」
「…はい」
僕は椅子から立ち上がる。親子の時間はとても短かかった。父さんの背中へついて行き、奥のドアに向かう。
────キィ
開けたと同時に血生臭さが鼻にかかる。もうこの匂いも慣れなければ……いや慣れるのはおかしい。
父さんが電気を付ける。そこにはさっきテレビに写っていた、女の人だった。縛られ、目隠しをされ、椅子に座っている。痛々しい過ぎて、僕には相変わらず刺激が強い。
「さぁ始めよう」
父さんの表情が変わる。その表情に、僕はまた震えた。
「女には事前に話してある、いつも通りでお願いな」
そう言い父さんは僕の耳元で呟き、部屋から出ていく。
女の人と2人きりになった僕は、女の人の目の前に椅子を置き、座る。
深呼吸をし、女の人を見る。ヒクヒクと泣く姿に目を落とすことしかできなかった。
「助けて……お願い…何でもするからお願い……」
女の人は泣きながら僕に言う。心が痛い、胸が痛い。僕だって助けてあげたい。しかし、この部屋には監視カメラがある。隣の部屋から父さんが見ている。
だけど僕だって使命があるんだ。心を鬼にしなければならない。そう鬼なる、さぁ鬼になれ僕。僕は目の色を変え、女を見つめた────