探偵と公安、表と裏の顔
「はぁ……!はぁ……!」
男は路地裏を駆けていた。途中ゴミ箱を蹴飛ばす。邪魔だ。早くしないと追いつかれる。逃げないと、逃げないと。薄暗い路地裏、人気はなく室外機の無機質な音が鳴り響く。男は駆ける。追跡者から逃げ切るために。
「こ、ここまで逃げれば追いかけてこねぇだろ……。」
バーの裏口があったので侵入する。従業員はいない。この辺りは夜間営業の店がほとんどだ。殺す手間が省けて助かった。男は店内の奥へと潜った。追跡者がいなくなるのを信じて。
「ふぅ……ふぅ……。」
呼吸を整える。できるだけ早くに。あいつはこんな呼吸音すら聞き付けてきそうだからだ。口に手をあてて、なるべく聞こえないように、衣装棚の中へと潜む。
突然、激しい音がした。ドアを蹴り破る音だ。あいつだ。この店に逃げたのを察知しやがった。くそったれ。
「ふーっ……ふーっ……。」
先ほどとは別の意味で心臓が高鳴る。頼む、ばれないでくれ。早くあっちに言ってくれ。
そんな祈りは、簡単に破られた。
「かくれんぼ、お疲れさん。」
突然ドカンと火薬の音がした。何が起きたか分からなかったがすぐに理解した。自身の腹部の激痛が、全てを物語る。あの男は、棚ごしに容赦なく銃弾を撃ち込んだのだ。
───アタッチメント。この世界に古くから存在する、人が持つ超常的能力。それは人の文明を発展させる手助けにもなったが、同時に争いの火種でもあった。古くから戦争……そして平和な今では犯罪に……。当然、政府はそんな犯罪を野放しにはしない。警官には対アタッチメント使用の犯罪者に対する対応マニュアルを用意しているほか、彼のように外部から雇った強力な能力者に対して、重犯罪者を超法規的に処罰する権限を与えたのだ。彼の名前は境野仁。今はまだ、大いなる陰謀の渦の中心にいることを知らない。
死体を確認する。肝臓に一発。致命傷なのだが、アタッチメントによっては死なない可能性がある。例えば増殖するタイプの奴。あるいは時間差で蘇生する奴もいたな。仁は術式をとなえる。それはアタッチメントとは異なる彼の家系が持つ力。魂を分解する粛清術式。宗教的に言うなら強制成仏とでも言うべきか。
バーカウンターに腰を掛ける。今回の相手は面倒だった。狡猾に逃げまわり、追い詰めるのに時間がかかった。いつもどおり、公安に連絡して到着を待つ。胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「ふぅ、やはり仕事のあとの一服はたまらないな。おまけにバーってのがいい。凄く探偵っぽい。」
仁は無明探偵事務所に雇われていた。もっとも先代はなくなったので、後を継いだので、今は一人だが……。先代からは遺言で所長になって良いし、看板も変えていいとは言われている。所長になることはいいのだが、看板は変えるつもりはない。だってこの世界、信頼が大事なんだ。名前を変えたら分からなくなってしまう。
「仁、始末してくれたのはありがたいのだが……もう少し丁寧にしてくれないか。」
俺にわざわざ説教するのは公塚光俊。公安のアタッチメント犯罪を担当するお偉いさんで高学歴のエリート様だ。
「ご丁寧に殺すのは大変なんだよ。窮鼠猫を噛むってことわざ知ってるか?」
バーの被害は壊された裏口と、銃痕がついた衣装棚。最低限の犠牲だと思うが、公務員様はお厳しいことだ。
「それじゃあ俺はこの辺で失礼するぞ。」
「待て仁、おかしいと思わないか?俺がお前の担当になってもう何年か経つが……ここのところアタッチメントによる犯罪率が高い。何か知らないか?」
公塚とはもう何年もの付き合いだ。元々、俺の家系自体、由緒正しいものということもあってか、お役所様の信頼も厚く若いうちからこういう仕事をしている。そして公塚の言うとおり、ここ最近忙しいのは事実。
「龍星会が背後で動いているとか?」
「それはない。お前も知っているとおり、龍星会はお前が定期的に痛めつけているので弱体化の一途を辿っている。最近就任した頭目などもう子供だ。誰も跡目を継ぎたがらないのだろうよ。」
それは残念。龍星会がいなくなると、お小遣い稼ぎができなくなるのだ。良い貯金箱だったのだが、まぁ仕方ない。当初の目的は街の健全化だったからな。
事務所に戻る。公安の仕事はあくまで裏の仕事。表向きは探偵業である以上、こちらもこなさなくてはならない。浮気調査だの迷い犬の捜索だの……馬鹿らしいが世間体は維持しないといけないのがこの仕事の決まりだ。役所も活動内容が不明瞭な人間を使いたくないのだ。
「お、新着メールが100近くある……。景気がいいじゃねぇか。」
パソコンを立ち上げると大量の通知があった。期待しながらメールソフトを立ち上げる。大半がユーシーからのメールだった。滅茶苦茶たくさんあるが要約すると「今どこにいるの?」そんな趣旨のメール群だ。
俺はため息をつく。ユーシー……昔、仕事の関係で助けた中国人だ。それ以来、俺を慕い独学で俺の真似事を始め、俺の相棒になると息巻いていた。折角助かった命、人生を無駄にするなと何度も言ってるのに、聞く耳を持たないので、幻滅、嫌われるように嫌がらせも何度もした。チャイナドレスの着用も強要したが、流石にそれはもう守ってないだろうな。それでもしつこくつきまとうので適当な街に置いて黙って逃げた。一応連絡先の名刺は残しておいたが。それ以来、こんな感じで大量にメールが来るのだ。一時間間隔くらいで来る。
「えーっと迷惑メールの設定はっと……お、見えやすくなった。これは良い機能だ。」
いい加減、仕事に支障が出るので、ユーシーからの迷惑メールに設定した。たまに見るから勘弁してくれ。
気を取り直してメールを見る。殺害予告だのメールマガジンだのがほとんどを占めている中、依頼メールを探し出す。『迷子のわんちゃんを探しています。』これは良い。”わんちゃん”ってのが気に入った。ガキからの依頼は金にならんが、簡単なものが多い。こちとら金目当てでなくあくまで社会的地位のためにやってるんだし、ガキの面倒事を解決したってのは周りのアホどもには聞こえが良いらしい。早速連絡をとって約束をとりつけた。
まず本音を言うと、俺はガキが嫌いだ。何も出来ない無能なくせに自分が世界の中心だと思っていて、それでいていざどうしようもない事態になったら周りに助けを求め、誰も手を差し伸ばさなかったら大人は酷いと勝手に責任転嫁する連中ばかりだからだ。偏見が過ぎるって?ガキの本質なんてそんなもんだ。だから俺たち大人が、道をちゃんと作って導かなくてはならないんだろうがよ。
コーヒーを飲みながら約束の時間を待つ。どうせガキは時間を守らない。漫画でも読みながら時間を潰していると呼び鈴が鳴った。時計を見る。約束の時間、五分前。まさか……時間どおりにきたってのか!?
ドアを開けると、そこには女の子がいた。俺の顔を見て酷く怯えている。まぁ人相が悪いのは自覚している。だからガキは嫌いなんだ、人を見かけで判断しやがって。
「ようこそ、探偵事務所へ。あぁ怖がらないでくれ。ほらこれやるから。」
用意してた犬のキャラクターをモチーフにしたチョコを渡す。ガキはそれを受け取った。まったく手間取らせる。だからガキは嫌いなんだ。
「ありがとう、おじさん。それでわんちゃんを……見つけてくれるの?」
ガキは礼儀正しく頭を下げて、潤んだ目で、上目遣いで俺の目をはっきりと見てそう答えた。やれやれ、これだからガキは嫌いだ。そんな顔で頼み事をされて、断れる奴は人間じゃないぜ。だから俺ははっきりと答えた。
「当たり前だ。おじさんはな、世界一有能な探偵なんだからな。」
これが奇妙な事件への導入だ。ガキの手伝い。ああ、実に探偵らしくて良いよな。
これからは俺が破滅へと向かう物語。だが後悔はしていない。だってそうだろう?人生っていうのはどう長く生きるかではなくて、どう生きてきたかなのだから。





