運ぶ永遠線、満ちる戴盆望天
俺たちは無言で校門の前に立っていた。あれから謝る女生徒をなだめて立ち去ったのだ。
「……まぁよかったじゃねぇか!恋人がいるなんてさ!いやぁてっきりお前には友達もいないと思ってたぜ。これからは恋人を探せば記憶の足掛かりになるんじゃねぇのか!?そうだ、高校で聞き込みしてみたらどうだ?あたしだって境野が高一の頃、どんなだったか詳しくはしらねぇし、きっと恋人について分かるやつがいるかも。あとはサキとかユーシーあたりに調べてもらうのもありなんじゃねぇのかな?ほら、恋人だって前提で言うなら町中でデートとかしてるのが見つかるかもしれねぇし、さっきみたいに誰かの写真に残ってるかもしれないじゃんか。あーこれからやることはたくさんあるじゃねぇか、よかったな!」
恋人の存在、それは確かに重大な発見である。彼女を探すことで何か大きな手がかりになるだろう。だが……俺は別の方向で物事を見ていた。
「いや高橋、恋人だってのは多分違うぞ。」
俺の言葉に高橋は目を丸くして呆然とした。
「まず一つ、先程の女生徒の話だと恋人だと主張していたのは、その恋人だけで俺は答えていないということ。そして次に……サキの話だと俺は中学生の頃は人格の調整のために黒幕が登校させていたという点だ。」
つまり恋人というのは俺の母親同様、恋人役として用意された人形の可能性が高い。いや……女生徒に対する記憶の改ざんや写真の隠蔽から考えると俺たちが探しだしている黒幕本人という可能性もありうる。だが俺の推理に高橋は納得しかねていた。
「で、でもさ……例え本人が境野が言ってなかったとしても、その女生徒からは恋人に見えたんだろ?ということはそういう振る舞いをしていたということで……。」
「それを言ったら高橋だってそうじゃないか。ずっと教室や、あのグラウンドで俺と一緒にいたんだろ?そのとき、恋人がいるような素振りを一度も見せてなかったから驚いているんだ。そんなの見る人によって違うさ。」
高橋は口をまごつかせながら、「いやそれは……。」となにか言いたげながらも言語化できなくて歯がゆいような態度を示す。俺はとどめとばかりに続けた。
「そもそも恋人に見えたって言うなら、さっきの陸上部の後輩たちだってそうじゃないか。俺たちのこと恋人だと勘違いしてたじゃないか。」
「ッッ!!き、聞こえてたのか!?」
実のところ聞こえていた。まぁよくあるいじりみたいなものなのだろうから、敢えて触れなかったが。高橋が最初に陸上部の後輩たちに囲まれていたとき、俺の方を見て彼氏さんですかと問い詰められていたのを知っている。高橋は照れ臭そうに否定していたので、このことを話すのは何というか、また辱しめるような形になりそうで避けたかったが、高橋は納得しそうになかったので仕方ない。
「だから……。」
「分かった!分かったよ!!境野の言うとおりだから、これ以上、その話はなし!」
納得してくれたのか、これ以上いじられたくないのか、判断に困るところだが分かってもらえて何よりだ。
「まぁとはいえ皆の意見も聞かないとな。」
サキたちに連絡をとる。近くのファミレスで待ってるらしい。俺たちは中学校を後にしてファミレスへと向かった。昔のことを知っていたからだろうか、来るときは何とも感じなかったが、日が暮れて、茜色に染まる校舎を見ると妙にノスタルジックな気持ちになった。
「ふぅん、恋人ねぇ……確かにお兄ちゃんの推理の方が自然かな。私の調査でも恋人がいた事実なんてないし。何より恋人とした方が色々と誤魔化しが効きやすいしね。何かを見られても『恋人だから』って理由で周囲を説得できる。」
ファミレスについて、今までの話を説明した。サキだけでなく、他の二人も同じ意見のようだった。
「きっとそいつは自称恋人のストーカーで間違いないわね。私の予想だと、ストーカーを拗らせて近づく女を始末しようとしてるんじゃないかしら?」
しばらく沈黙が続く。コトネの主張するストーカーかどうかはともかく、その恋人が怪しいというのは間違いなかった。だが情報はそれ以上ない。記憶を思い出す手がかりは、また白紙に戻った。
「あ、あの……ちょっと良いですか……境野さんの昔のことを知ってる人なら……もう一人いると思います……。」
夢野が恐る恐る手をあげて意見を述べた。全員が夢野に視線を集中させる。
「や、やっぱり良いです、私みたいなゴミムシの意見なんて……混乱させるだけなので……。」
いやそこは話してくれと夢野を説得し、何とか口を開いてくれた。
「じ、仁さんです……AIになっても……なにか知っているんじゃないですか……?大事なことは知らなくても、きっかけになるような日常的な話とか……。」
AI仁、俺のスマホにインストールされた仁さんのバックアップだ。確かに情報漏洩対策のため重要な情報は残していないと言っていたが……他愛のないやりとりなら記録されているかもしれない。俺は早速仁アプリを起動して質問した。
「へい仁、俺に恋人がいたって本当?」
「某アプリみたいに聞くな。結論から言うとお前のプライベートは知らん。だが……俺自身の感想で言うなら恋人がいるように見えなかったな。いたんなら悪いことした。知り合ってからは、ほとんど俺と付き合ってたもんな。」
俺は長い間、仁さんと活動を共にしていたらしい。そんな関係で恋人の存在を隠すのは無理があるだろう。やはり恋人は少なくとも仁さんと付き合うようになってからはいないと見るのが自然だ。
「仁さんとはいつから知り合ったの?」
「記録にない。」
「そもそも俺と仁さんが出会ったきっかけって?」
「記録にない。」
「あの公園で再開する前に、仁さんと最後にやりとりしたのはいつ?」
「記録にない。」
「なんで仁さんは俺に手助けしてくれるの?」
「記録にない。」
駄目だ。やはり大事なことは皆、記録されていないようだ。あくまで仁アプリは人格と基本的知識が記録されたもの……それは最初に説明にあったじゃないか。俺はダメ元で最後の質問をした。
「仁さんは俺が異世界の存在だって知ってたの?」
「電車には乗ったか。」
……ん?突然、今までとは違う意味のわからない回答が出てきた。
「いや、俺が異世界の存在だって知ってたの?」
「電車には乗ったか。」
俺たちは黙りこむ。どう対応すれば良いのか。奇妙な回答に言葉が思い付かない。
「電車って……あの電車よね?普通、何回か乗ったことはあるものじゃないの?」
沈黙を破るようにサキは呟いた。だがそれは違うのだ。確かにこの街には電車がある。それは間違いない。間違いないのだが、俺の家は電車の駅から離れている。そして学校や遊びに出る街は徒歩で行ける圏内にあるのだ。実際高橋や軽井沢とは徒歩で行ったし、無明探偵事務所だって徒歩で行ける。つまり電車なんて使う立地にないのだ。
だが、電車には確かに一度だけ乗ったことがある。俺はおそるおそる呟いた。
「あるよ仁さん。電車で、茜色に染まる車内で、二人きりで話をした。」
「警告、術式再起動プログラムを作動させます。周囲に注意してください。」
突然、仁さんの声は無機質な機械音声へと変わる。
「警告、作動時一時的に意識が消失します。問題はありませんか。」
なぜだかは分からない。だが、このプログラムを作動させることが、今は一番の正解だと思った。夢野を見る。
「さ、三秒後の境野さんは気を失って倒れています……。これ以上は……。」
仕方のないことだ。これ以上は悩んでも仕方ない。俺は意を決して決断した。
「問題ない。起動してくれ。」
瞬間、意識はブラックアウトした。