狂輝乱舞、死に至る輝き
「……ハァ……ハァ……。」
高橋は不安定な足場に苦労しながらも逃げ回っていた。幸いなことに釘の怪物は全身に釘を打ち付けられているだけあって、動きはさほど機敏ではなく、使用している能力も本体を中心に発動しているので、逃げること自体はそこまで大変なことではなかった。
問題はこの悪臭漂う広大なゴミ捨て場にある。文字通りゴミの山となっているここは方向感覚も分からない。高いところに登れば街が見えるはずなので、高いところを目指しているが、足場が極めて悪く上手く登れそうにない。最悪、崩れてゴミの山に埋もれてしまうことも考えられた。高橋の能力はあくまで身体能力をサポートするもの。巨大なブーツで蹴飛ばすこと自体は可能ではあるが、武器ではないそれはゴミの山を吹き飛ばすような力もないのだ。無論それでも加速させた力による衝撃は目を見張るものがあるが、不安定な足場がどうしても邪魔をする。
まだ本格的な夏の到来はないが、今日は平均気温を上回る夏日で、それがまた不快感を高め、高橋の体力を奪い続けていた。汗で服が肌にべとつき気持ちが悪い。そんな高橋をまるで獲物を追い詰める狩人のように釘の怪物はひたすら追いかけ回していた。録画状態になっているビデオカメラとともに。
つまるところ黒幕の狙いはそこにあった。電波妨害により通信手段を奪い孤立させたあと、この悪臭漂う、誰もが忌み嫌うゴミの山で無様に逃げまわり、じわじわと追い詰められた挙げ句孤独に殺される。異常ともいえる高橋への憎悪がそうさせた。それでいて姿を現そうとしないのは保険だった。直接苦しめて殺したいのは山々だが、その結果万が一のことがあってしまえば……それは死よりも辛いことだった。だから黒幕は、妥協案としてこういう陰湿な手段をとることにしたのだ。少しでも腹の虫が収まるように。
「あっ!」
足場が突然崩れてバランスがとれなくなり高橋は倒れる。ゴミの悪臭が鼻についた。服を見るとよく分からない油のような、変な液体が付着していて汚れていた。見てみると手には機械の錆びが付着していて鉄臭い。汗で髪も崩れ、酷い有り様だった。だがすぐにここを離れなくてはならない。怪物は歩みを止めない。ただひたすら能力を、光の玉を撒き散らしながら近づいてくる。
高橋は顔を上げた。登ってきたゴミ山の頂上が見える。なだらかなルートを選んだので時間こそはかかったが、あそこまでいけばひとまずの目的地が分かる。限界が近づいている身体に鞭をうって進んだ。先ほどまでいた場所に光の玉が落ちる。間一髪だった。あと少し……!力を振り絞ってかけ登った。少しバランスを崩したが、もう汚れも気にしない。なりふり構わず、這うように頂上へと一気に向かった。そしてたどり着く。目指した場所へ。
「はぁ……はぁ……やった……!」
登りきった喜びに思わず言葉が出たが、それはすぐに失われた。
頂上に積み上がったゴミの隙間から、見えたのだ。光の玉が、まるで、待ち構えていたかのように、大量にいた。そしてまず高橋の周囲に飛び出る。それは粘性を感じさせる光の玉……というよりも濁流、いやスライムのような動きだった。高橋の周囲に突然現れた光はまるでこれから終わる獲物を確実に逃がさないと言わんとばかりに制止した。本命は、高橋の足元で蠢いている光だ。
光の玉は、ただの光ではなかったのだ。それはまるで意思を持つかのように動き、高橋を追い詰めていたのだ。放たれた無数の光の玉、あれらはゴミの山に染み込んでいったのではなく、高橋の目に見えないところで少しずつ、追い詰めるように動いていたのだ。
高橋はその瞬間全てを悟った。街の方向は釘の怪物の方角。つまり、釘の怪物に向かって今度は動かなくてはならない。だが、光の玉はどれだけ発射された?一体どれだけの光が、このゴミの山に、目に見えない場所で自分を狙っているのか。いや、それ以前にこの全包囲取り囲み、そして足元から自分を狙ってくる光の玉にどう対処すれば良い?
釘の怪物はそんな様子をただ無言でビデオカメラに納めていた。高橋の目から少しずつ希望が失っていき、絶望していく様を楽しむかのように。
「くっそ……!ふっざけんな……!」
やけになった高橋はアタッチメントを展開する。こうなれば不安定な足場だろうと関係ない。無理やり加速して、ここから逃げ出す。方角が分かったのだ。後は全力でそこへ向かえばいい……!思いきり踏みしめてブーストさせた。光の玉は弾き飛ばされる。高橋は意図していなかったが、偶然道が開かれた。多少リスキーかもしれないがこれで逃げきれる……!そう確信し、アタッチメントを最大出力にした。
それこそが、黒幕の仕組んでいた罠だったことに気がつかず。
突然、足元が崩れ出す。高橋のアタッチメントにより衝撃がかかったため、ゴミの山の支えがきかなくなったのだ。───しまった。そう思ったときには既に遅かった。地道に登り続けたゴミの山、それは予想以上の高さとなっていた。骨の二、三本は普通に折れるであろう高さに。加えて周囲のゴミ山も連鎖的に崩れ始めた。それらはまるで計算されていたかのように、高橋がこれから落下するであろう場所に、ゴミが転がり落ちている。
黒幕は、この場所に連れてきて、釘の怪物を配置した場所から高橋がどう逃げるか計算した上で、あからさまに目立つゴミ山を作り、そこへ行くように誘導させたのだ。能力で殺すのは一瞬だ。だが、この場合そうはいかない。ゴミの山に囲まれ、怪我をして身動きが取れない状態で、悪臭漂うゴミに囲まれ、虫にたかられて、空腹、脱水症状を引き起こし苦しみながら死ぬ。黒幕が一番理想としていた殺し方だった。
自由落下していく高橋の頭の中で走馬灯が駆け巡った。これは無理だ。どうしようもないと。心残りしかない人生だった。最後に、あの屋敷で、辛そうな表情を浮かべていた境野が浮かんだ。ケンカ別れをしたっきりだった。ああ、せめて別人であろうとも、境野には一言……謝っておきたかった。あの時はつい感情的になってしまい、酷い言葉を浴びせてしまった。記憶が喪失していたというのなら、あの場で一番辛かったのは、他ならぬあいつ自身だったろうに。嫌われても仕方がない。
だというのに、何故そんな目で、自分を見つめるのか。手を伸ばしたその先には境野の手が握りしめられていた。後ろには光の玉が蠢いている。
「ばか!どうして来たんだ!早く逃げろ!!」
光の玉は獲物をついに捕らえたといわんばかりに境野に次々と張り付き、そして肉体へと入り込んでいった。その度に苦悶の表情を浮かべる。どんな攻撃か見当もつかないが、それが有害であることは本能的に察知していた。だが境野は動かない。崩れ落ちた高橋を支えるために、動くことができないのだ。
「左手も……伸ばして……!」
高橋は境野の懸命な言葉に、今さら助けてもらうなど虫が良すぎるという罪悪感を抱えつつも逆らうことなどできなかった。素直に左手を伸ばす。境野は両手を持ち、光の玉を全てその身に受けながら、慎重に引っ張り上げた。高橋が再び地面に立った時には、既にあれほどいた光の玉は全ていなくなっていた。
「うぅ……気持ち悪い……。」
境野は気分が悪そうに頭を抱えていた。
「だ、大丈夫なの……か?」
「あ、あぁ……何だろう、乗り物酔いした気分……少し休めば治ると思うけど、まずはあいつを……。」
そう言って境野は大型ゴミを持ち上げて釘の怪物を見つめた。釘の怪物は突然の来訪者に困惑しているのか、ぼーっと立っていた。
「剣から聞いてるよ。お前は……もう手遅れなんだって……だったらせめて、楽に終わらせる。」
その大型ゴミは何かの柱のようだった。先端は尖っていて銛のようであった。境野はそれを思いきりぶん投げる。動かなくなった怪物はそれをまともに喰らい、上半身が吹き飛んだ。即死だろう。
高橋の方へ向き直る。ひどい姿だった。髪はボロボロで、服には錆びだろうか、茶色い汚れや、よくわからない謎のシミ……おそらく不法投棄された機械に付着していた酸化した機械油だろう。クリーニングで落ちるかも分からない。そして何よりここは悪臭がひどい。そんな姿が恥ずかしいのか、高橋は目を逸らしていた。
「ごめん、高橋。色々あって剣の連絡確認が遅れたんだ。もっと早く来ていれば……。」
「違うだろ!」
俺の謝罪を言い終える前に、高橋は否定した。一体何がいけなかったのか俺は見当がつかない。
「あたしは、お前にあれだけ酷いことを言って、それだけじゃない、暴力だって振るったのに……なんであたしを助けるんだよ!」
それはまるで激流のような感情の吐露だった。整理しきれない自分の感情が、理性と入り混じって抑えきれなくなっていた。
俺は改めてそう聞かれると返答に答えあぐねた。確かにどうして助けたのかと言われると理由が思いつかない。高橋が攫われたと聞いて、助けなくてはならないと思ったから助けた。ただそれだけだ。だから俺はそのまま思ったことを口にした。
「答えになってねーよ……。」
「そうか?この上なくシンプルだと思うが。」
その言葉は、答えの方向性がまるで全然違うのに、かつて見た姿を思い出させた。こいつは別人だというのに、どうしてもあいつを思い出させてしまう。顔も声も同じなんだから仕方ない、でも……中身は違うんだ、違うと聞いたから……。
「どうして……お前が今、そんなことを言うんだよ……。」
だから今、こんな精神的に参ってる状態で、そんなことを、あいつと同じことを、あいつと同じ顔と声で言ってほしくなかった。忘れたくなかった、あの時の思い出を。上書きしたくなかった。
「……本当にごめんな。」
境野はまた申し訳無さそうに謝る。
「だから、謝るのはもう良いって……。」
「いや、そっちじゃない。高橋のことを、どうしても思い出せないことだ。」
「思い出すも何も、お前は別人なんだろ?あたしの知ってる境野じゃあ……。」
俺はサキから聞いた話を、これまでの話を高橋に説明した。そもそも高橋が中学生の頃に一緒だった境野連という人間は、悪意ある何者かに作られた存在で、人格が調整中だったということ。それに人格として入ったのが俺ということだ。つまり同一存在であるには変わりないということなのだが、どうも難しい。
「……じゃあ何か?あたしは中学の頃、人形相手にずっと話してたのか?」
「……そうなるのか?」
気まずい沈黙が生まれた。記憶のない話なのでどうフォローすれば良いのかも分からない。誤魔化すように天気の話でもする。
「天気は良いよ!あー!くそ!あたしは認めねぇからな!お前が……境野が人形なんて!あたしと話していた時のお前はなぁ!確かに無愛想でつまらないしイラついたけどなぁ!確かに一人の人間として立派に生きていたんだよ!お前自身がそれを認めなくても、あたしは絶対それを否定しないからな!だから……絶対記憶を取り戻しやがれ!!」
言いたいことを言い終えたのか高橋は顔を背ける。一人の人間として確かに存在していた……。きっと中学生のころ、俺は高橋に出会えて救われたのだろう。きっと変わったのだろう。そうして仁さんと出会って……たくさんの人と出会って、人間として成熟していった筈なんだ。俺の過去を知る人は、俺を認めてくれていた。それが何よりも嬉しかった。
「……ありがとうな、高橋。」
顔を背けてこちらを見ようとしない高橋に、俺は礼を言った。悪臭漂う、ゴミの山から帰るのは大変で、匂いを落とすのに四苦八苦しそうではあったが、何故かその足取りは清々しい気持ちだった。