廃棄された夢の果て、殺戮人形
高速道路を怪物が走っていた。それは巨大なタイヤの中心に人体の上半身のみが収まっているような異形であった。腕は長く胴体の二倍はある。その腕には拉致された高橋が抱えられていた。必死に抵抗するもその腕力は並外れたもので、まるで巨大な大木に掴まれているようだった。
人々はその異様な光景に二度見する。だがあまりにも異様過ぎるためか、映画か何かの撮影と勘違いし、興味本位に写真をとるなどするも、誰一人として拉致られている高橋を助けようとしなかった。タイヤの怪物が向かう先は第二一時集積場、通称ゴミの山である。
ここには街のゴミが集められていた。かつてこの街は自然災害に見舞われた。その際に発生したゴミ処理場で処理しきれない廃棄物の数々、それらをこの場所へ一時残置という形で集積したのがことの発端である。いずれは処分すると、役所は市民に対して約束をしていた。だが約束は未だ果たされていない。財政難によるものが多く、今更これだけのゴミを処分できる予算がないというのが現実問題。そしてもう一つ、役所が目を背けている問題がある。それが不法投棄である。一時保管場所というだけあって警備はほとんどされておらず、誰もが気楽に侵入できる状態だった。それを良いことに、多くの産廃業者がこの場所へ不法投棄を始めたのだ。もはやゴミの全容は、誰も把握していない。
高橋はそんなゴミの山……いやもはや島ともよべる広大な場所に連れてこられて、投げ捨てられるようにタイヤの怪物に解放された。
高橋は顔をしかめる。まずこの場所に来た最初の印象は、悪臭だった。本来ここは災害で発生した廃棄物を集めた場所のはずなのに、明らかに何かが腐ったような匂い……本能的にいてはならないと察してしまうような不快感。
だがそうもいっていられない。高橋はタイヤの怪物に向き直し構える。ここには自分以外何もいない。ではあの怪物をどう倒すか、向き合う必要があるのだ。逃げるのは不可能なのは、攫われている中で嫌というほど実感した。高橋のアタッチメントではあんなに長距離を高速で移動し続けられない。覚悟を決めた高橋だったが、タイヤの怪物は突然苦しみだし倒れ、灰になっていった。あまりに突拍子もない出来事に高橋は呆然とし、気が抜けた。
「それはね、お前を確実にぶっ殺すためだからだよ。」
突然、拡声器の声が聞こえた。高橋は声の方向へと振り向く。何者かが拡声器を持っている。逆光でよく見えない。目を凝らし注意深く観察する。それを目にした瞬間、高橋は絶句した。
それは、身体中に釘が打ち込まれていた。先程の暴徒とは比べ物にならない数。頭部だけではなく胴体、両腕、両足全てに釘が満遍なく打ち込まれていた。そして針金のようなもので固定されたスマホと、その前に拡声器が取り付けられている。声の主はスマホからだったようで、今は着信が切れている。また、ビデオカメラのようなものも取り付けられており、録画モードの赤いランプが点いていた。撮影をしているのだ。何故?決まっている。後で、確実に殺したことを確認するためだ。
それは明確な、異常ともいえる執念。確実に事を為すという決意を示したものだった。異常なまでに打ち込まれた釘がそれを物語っている。それはかつて人だったものに、何本も何本も釘を打ち込み、高橋を殺すためだけの人形に改造したのだ。
釘の怪物は手をかざした。瞬間火花が飛び散り、光の渦が巻き起こる。それは小規模な火山の噴火のようだった。釘の怪物の手から無数に光の玉が湧き上がり、周囲一体に拡散していく。ゴミの山に落ちた光の玉は、まるで粘性をもつかのように染み込んでいく。ゴミの山には無害な攻撃であるが、それは生物にとって害悪そのものであった。ありとあらゆる生き物の肉体に染み込んでいき、精神を破壊し狂い至らしめる魔薬。高橋はそれを本能的に危険だと察知した。あの不気味な光にだけは触れてはならないと。高橋はアタッチメントを解放して、瞬時に距離をとった。
「ッッ!」
バランスを崩す。そう、ここはゴミの山。足場は酷く不安定で脆い。高橋のアタッチメントはブーツを作り出し、ジェット推進により移動するもの。すなわち、踏み込みこそが第一初動に必要なのだ。その踏み込みが、できない。不安定な足場から中途半端な加速に収まる。ここに連れてくるよう命じた相手は、それも計算の内だったのだ。それは、高橋のアタッチメントを熟知していることの証明。高橋は確信した。敵は学校の生徒の誰かだと。
「聞こえてるか!さっきからずっとあたしたちを狙って!誰なんだ!影からこそこそと……何の恨みがあってこんなことをするんだよ!!」
返事はない。沈黙だった。もはや言葉を交わすことすら出来なくなった釘の怪物は、ただひたすら与えられた命令を忠実にこなし続ける。高橋を殺せと。確実に、息の根を止めよと。
サキの監禁から解放され、慌てるようにやってきたユーシーたちに説明を終えた俺は返してもらったスマホをいつもの癖で確認する。通知が一件あったことに今更気が付いた。
『緊急事態、高橋さんが攫われた。』
それは剣からの、簡素だがこの上なくわかりやすいメッセージだった。更にメッセージには地図情報も添付されていた。場所は病院……。なぜあんなところに。
解放されたばかりだというのに、スマホを真剣な目で見る俺が気になったのか、サキは俺に問いかけてきた。何かあったのかと。
「攫われたって物騒な話ね……近くの病院だし早く行こ、メッセージの確認が遅れたのは私に落ち度があるし……。」
申し訳無さそうにサキは答えた。そして今になって気づいたのだが、やたらとサイレンの音がなっているのが分かる。警察、救急車、消防車……緊急車両が目白押しだ。嫌な予感しかしない。
「ちょっと待って、その病院……えぇ……こんな派手なことする?」
急いで病院に駆けつけようとする俺たちをユーシーが制止した。どうかしたのかと尋ねるとスマホの画面を見せつける。そこには倒壊した病院の画像がいくつもあった。
「攫われたって言ってたわよね。今から病院に行っても多分野次馬だらけでろくに見れないと思うわ。他に剣から情報はないの?」
言われて剣のメッセージを読み返す。更にスクロールしていくとメッセージがあった。
『敵は巨大なタイヤの怪物。第二幹線高速道路に向かった模様。追跡中。』
高速道路……どこか遠い場所へ連れて行くつもりなのだろう。最悪県外もあり得るかもしれない。
「タイヤの怪物が高速道路に行ったのなら、SNSとか見るといいかもしれないわ。そんな目立つもの、無視なんて出来ないでしょう。」
すぐにSNSを開く。しかしスマホの調子が悪いのかエラーが出た。焦る気持ちが心を苛立たせる。
「ユーシー!そっちのスマホで調べられないのか!?」
「駄目ね、何故か圏外に……。」
突然爆発音がした。俺たちは爆発音の方へ向く。鉄塔が傾いていた。更に爆発。傾いていた鉄塔が崩れる。周囲の人々は大騒ぎだ。
「あれ、電波塔ね。電波障害が起きてるのはあのせいかしら。更にいえばこれだけの騒ぎ、一般回線は輻輳してとてもじゃないけど機能しないかも。」
輻輳とは要するに、回線が混雑し一時的に電波の繋がりが悪くなるということだ。これだけ立て続けに起こる騒動だ。普通の人ならスマホなどを使って、何が起きたのか確認したり、共有したりするだろう。しかし……この一連の流れが全て一つの目的のためだというのだろうか。
「そう、高橋さんを攫い、どうにかするためだけにここまでするだなんて、相手は正気とは思えないわ。彼女は普通の人よね?何か隠し事があるんじゃないの?」
ユーシーは怪訝な表情で俺を見た。俺は当然そんなことは知らない。俺だけではない。他の皆もユーシーの質問には答えられなかった。特にサキはクラスメイト全員の素性は把握しており、高橋の背景は、本当にただの一般人、一癖二癖ばかりある、俺たちと交流があるのがむしろ異常と言ってもいいくらい、極々平凡な人間だという。では何故、彼女に対してここまでできるのか。
「あ、あの……スマホなら私のスマホが繋がります。つ、使ってください……。あ、消毒とかいりますか?菌とか移ると嫌ですよね……。」
夢野がユーシーにそっとスマホを差し出した。画面では確かに通信状態が良好となっている。ユーシーは礼を言って夢野のスマホを使い調べ始める。
「予想以上に派手にやってるみたいね。通信局を狙った同時多発テロだの言われてるわ。そっちの情報のが多いけど……見つけたわ。高速道路で一般人にたくさん写真をとられてる。映画の撮影かと思われてるみたい。時系列で追いかけると……第二一時集積場しかないわね。あそこへの道は一本道だから。」
第二一時集積場……ゴミ捨て場だ。最悪な未来が予想できた。あそこは悪い噂しか聞かない。産業廃棄物が無許可で捨てられているだけでなく、暴力団やマフィアが死体を隠すのに使っているという話も聞いたことがある。
「急ごう。ユーシー、悪いんだけどバイクに載せてくれないか。」
「駄目ね、交通情報見ると渋滞になってる。あなた一人で行ったほうが早いんじゃない?」
一人で行くというのは、走れということなのだろうか。確かにそれが出来れば一番早いかもしれない。だがここは市街地、もし全力で走れば周囲に被害を与えてしまう。それはできない。いや……最後の手段だ。
「ほら、空を飛べばいいじゃない。たまにやってたでしょ?」
当たり前のようにユーシーは話した。空を飛べと。
「ユーシー……期待に応えられなくて悪いんだが俺は空を飛ぶことができないんだ……。」
「え、そうなの?仁は普通に飛んでいたけど。仁ができるならあなたもできるものだとばかり。」
仁さんは空を飛べたらしい。聞けば聞くほど多芸な人だったんだなと実感する。もしかすると、欠落した記憶の中には仁さんと一緒に空を飛んだこともあるのかもしれない。空を飛ぶ……。
ふと思い出した。空を飛ぶことができるアタッチメントの使い手と出会っていたことを、そしてそれ以前にも空の上に飛ばされたことを。あのときはどれも無事だった。人並外れた身体能力により落下時の衝撃でダメージを負うことはなかったが……それは逆に考えると、あれだけの高度までとは言わずとも、数十メートルなら跳躍できるのではないだろうか。街並みを見る。ビルが並ぶビジネス街、高橋がいると思われるゴミ捨て場は海沿いにある。そこまで跳躍を繰り返して進み、海の上は、何も気にせず走り抜けば最短でいける……。
「ユーシー……いけるかもしれない。空を飛ぶのは無理だけど、似たようなことならば。ただ……。」
跳躍を繰り返すということは当然、足場となるビルのいくつかを破壊することになる。二次災害は免れない。俺は躊躇した。するとそんな俺の心中を察したのかスマホが震える。
「ようレン、話は聞いてるぞ。第二一時集積場にいくんだろ?任せろ、ルートは作る。廃ビルや人通りが少なくてかつ短時間で行けるルートを案内してやるよ。」
それはスマホにインストールされたAIの仁さんだった。いつも狙いすましたかのように勝手に起動してくれるが、今回も助かる。サキは驚いた様子でそれは何と尋ねるが、今は説明の時間が惜しい。
「悪いみんな!それじゃあ先に行ってくる!!」
俺は思いきり地面を踏みしめて跳躍した。物凄い音をたてて、宙へとロケットのように飛び上がる。
「良い高度だ。まずはあのビルの天井を狙え。」
「え!方角調整はどうすればいいんだ!?」
いきなり見当違いの方角を指示され困惑する。
「悪い、いつもの癖が出た。そうか、レンはまだ空中で方向転換できないんだな。ならあそこだ。」
おそらくユーシーの言っていた仁は空を飛べるということから、自分で飛ぶ場合の癖が出たのだろう。俺は修正されたルートに従い、着地する。
「次、北東に見えるあのビルにジャンプ、そのままビルの合間の壁を蹴って加速しつつ進め、合図したら進むのをやめて上へ跳躍しろ。」
それはさながら、アメリカンヒーローのような動きだった。建物を壊さないよう、それでいて加速は止めないでビルの合間を駆け巡る。パルクールのようだった。ビルを蹴り跳躍、加速、壁と壁の間をひたすら足場にし続け、突き進む。仁さんの今だ跳べ!という合図を受けて更に上へと飛ぶ。すると海が見えた。海岸線、増え続ける人口のために行政が開発した埋め立て地だ。海には橋がかけられていて道路や線路も通っている。
「青色のホテルが見えるか?そこに着地しろ。あとは分かるな。そこを足場にして一気に第二一時集積場へ突っ込め。健闘を祈ってるぞ。」
仁さんはそう言うと役目を終えたかのように終了した。そのとおりだ。まだ遠いが、高所ということもあってもう目視できる。あとは一直線に突き進むだけだ。俺は高橋がどうか無事でいてくれることを切に願った。