哀鳴啾啾、鳴り響かせるもの
戸が突然開く。全員の注目が向く。あの暴徒がここまで来たのかと、警戒し構えた。だが、そこにいたのはナースだった。全員の反応にビクリと身体を震わせた。
「あ、あの……先生大変です!訳の分からない集団がやってきて病院を……。」
「見れば分かる、彼らの要求は何か知らんが、ここは一番安全だ。いずれ警察が来て対処するだろう。」
敷波は剣に目線を向ける。安全というのは、剣の存在があるからだろう。事実、剣は異様な集団に驚きこそしたものの、冷静さは失われておらず、爆撃を喰らっているかのように揺れる病院で、平然と立っていた。
「でも大変、大変なんです、早くしないと、早くしない。」
ナースは敷波の言葉を無視して病室内に入る。その足取りは悪い。最初はこの揺れによるものだと思っていた。
「早く殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺なないとない殺す殺ないとと殺ない殺と殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺。」
ナースは高橋を掴み、どこから取り出したか分からないハサミを振り上げ、思い切り振り下ろす。その時、全員が見た。ナースの背中に釘が何本も無造作に刺さっていたのを。咄嗟に剣は刀を振り、ナースの腕を切り落とす。
「ひぃ!な、なんなんだこれは!ど、どうなってる!」
ピエールの情けない声が聞こえた。ナースは腕を切り落とされ大量に出血している。だが、そんなことを気にも止めずもう片方の手を高橋の首に回した。このまま絞め殺すつもりだ。剣は容赦なくもう片方の腕を切り落とし、そして首を刎ねた。ナースは動かなくなり、そして倒れる。
「こんなに大量の聖遺物を惜しみなく使うなんて……目的は高橋さんか……?何のために……?」
剣はナースの背中に刺さった無数の聖釘を引っこ抜いた。するとナースは灰となり消えていく。
「剣様、聞いていませんよ。今のはどうみてもそこの女生徒を狙っていた。こんな危険人物を病院に連れてこられては困る。」
「いや、僕も初耳です。今までこんなことはなかったんですが……。」
敷波と剣が言い争いをしている中、一番困惑しているのは高橋だった。明確な殺意を向けられた。こんなことは人生で初めてだったからだ。なぜ?そんな思いが頭を占めていた。
衝撃音が更に強くなる。そして大きな爆発音。硝煙の匂いがした。何度も何度も爆発音が鳴り響く。爆破能力を持つアタッチメント。それはまるでバズーカのようだった。爆撃を受ける度に建物は揺れ、蛍光灯はチカチカと点滅する。そして一際大きな音を立てた時、病院は崩れた。瓦礫の山が視界を覆う。
それは地獄絵図だった。暴徒たちは瓦礫の中から一人ずつ引っ張り出し顔を確認する。そして確認が済むと手に握りしめた大量の釘を突き刺していた。釘を突き刺された者は瓦礫から抜け出して、暴徒たちと同じように瓦礫を漁り、下敷きになったものの顔を確認して、また釘を突き刺す。
剣は病院が崩落する瞬間、まず上から落ちてくる瓦礫を全て切断し、被害を最小限に食い止めた。次に地面が崩落する前に敢えて崩れ落ちるように少しずつ切り取り、落下の衝撃を和らげた。その結果、高橋たちはほぼ無傷と言っていいほど、安全に崩落から難を逃れたのだが……故にこの異常な光景が嫌でも目に入ったのだ。
頭部に大量の釘が刺さった暴徒の一人が高橋を見つける。そして指をさして叫んだ。
「い、い!いいいいいた!!殺すんだ!殺す!殺せ!!殺さないと!!殺す殺す!」
暴徒全員が高橋に視線を向けて一斉に向かい出した。異様な光景、それはまるで投げ込まれた餌に群がる蟲のようだった。
「屈んでください。」
剣はそう言うと、巨大な日本刀を構えていた。それは日本刀というにはあまりにも長く、そして歪つな形状をしていた。長さは剣の身長の三倍以上あり、長すぎて大きさの感覚がまるで分からない。そんな異常に長い刀身に反し、刀の柄は至って普通で、それが逆に異常さを引き立てていた。
そして刀は振るわれる。その巨大さをまるで意識させない一瞬の動きだった。周囲に群がる暴徒たちを無慈悲に両断する一閃。
「おぉなんと……剣さんの組織のことは聞いていましたが、これほどとは……。言論を武器にする弁護士としてはあまり賛同しかねますが……。」
ピエールはそんな剣の様子に素直に感嘆の言葉をかけていた。だが……。
「いえ、この程度ではやつらは倒せないようです。」
うめき声が聞こえる。剣は両断した。確かにしたのだ。だが、暴徒たちは両断された胴体のまま、手を動かして、まるで地獄の底から這い上がるかのように少しずつ高橋へとにじり寄ってきている。
「医者の観点からすると……明らかにおかしいぞこれ。普通の人間なら胴体がちぎれた時点で痛みでろくに動けないはずだが。」
医者の観点でなくても分かるだろう。誰もが敷波の言葉に対して内心思っていたが、そんな軽口を叩く暇はなかった。鐘の音がする。ゴーン、ゴーンと……。一体何の音だろうと注意すると、一人の異形が拙い足取りで、こちらに向かってきているのが分かった。それは人型でこそあれ、人とはかけ離れた姿をしていた。頭部には巨大な鐘がついており、先程から歩く度に鐘を鳴らす。目や口はない。頭部そのものが鐘なのだ。そして肩から両手にかけて大量の聖釘が刺さっていた。おびただしい数だった。刺さっている釘を右手で引き抜いては近くの暴徒に突き刺し、引き抜いた箇所から釘が生えてくる。脚は二本、ただしそれは人のものとは大きくかけ離れ、象を彷彿させる太く、そして灰色で人とかけ離れた鱗をもっていた。それは人型でありながら人とかけ離れた異形、嫌悪感で心が満たされる。
「その女を置いていけ。お前たちに用はない。」
口が無いはずの異形の声がした。脳内に直接響き渡る。それは剣だけではなく全員が同じ認識だったようで、見回すと自分だけに聞こえたわけではないと認識した。
「断ります。僕はあなたのような怪物を殺すための存在ですし。」
剣は真っ向からその異形に立ち向かう。
「意思疎通が出来るのであれば私の出番ですよ、剣さん。鐘の者よ、あなたの要望は何ですか?私は弁護士をしています。仲介し双方満足結果を出しましょう。」
武器を構える剣を制止してピエールが割って入った。彼の信条はあくまで話し合いによる解決なのだ。それは立派な主義主張であるが。
「要望はその女の命、それだけだ。」
異形の目的はただ一つ、譲らないものであれば弁護士としての弁論は何の意味もなさないのだ。法とは人のために為すもの。だが此度の相手は人ではない異形、彼の正義感など何の意味もなさないのだ。ピエールは必死に妥協点を探ろうとするが、全ては無意味。確実な殺意。必ず殺すという意思そのもの。
「ピエールさん、どうせ話すなら目的を聞いてもらえないですか?僕はどうも高橋さんが狙われる理由に見当がつかない。」
「目的は殺すことだ。それ以外ない。」
剣の一言に異形は考える暇もなく答えた。意思疎通はできるが会話は成立しない。そう判断し剣は柄に手を当てて、上体を下げて異形に向かい前かがみに一瞬で間合いを詰めた。刀を抜く。それに合わせ刀身を鞘に走らせ、一閃。目にも止まらぬ神業。
「ッ!!」
悪感、すぐに刀を手放す。一瞬の所作であったにも関わらず、異形には刀が通らなかった。意識しての硬化ではない。もとよりあの異形には通常の斬撃では切断は困難なほどに強固たる肉体だったのだ。
「その判断は正解だ。若き狩人よ。」
気づくと異形は地面に蠢く暴徒を掴んでいた。そしてそれを、無造作に投げつける。暴徒は投げつけられたことを意に介さず、アタッチメントを展開し剣を襲った。現れたのはいくつもの光の槍。それは高密度のエネルギーで、暴徒の周囲に漂い、丸腰の剣を突き刺そうと器用に動き狙いをつける。
鈍い音がした。刃物と刃物がぶつかり合い、破壊される音。剣の手には変形し曲がった刀が、暴徒は無惨に細切れにされていた。
「一人でどこまでやれる?余計な意地を張るのは無意味。」
更に異形は暴徒を掴んだ。気づくと、暴徒たちは異形の周りに集まっていたのだ。それは救いを求めすがりつく殉教者のようだった。本質はあまりにもおぞましい代物だが。剣は舌打ちをする。その本心は胸の底に秘めて。
鈍い金属音を立てて、数多の異形を斬り伏せるが、剣の持つ刀は既に醜く歪んでいた。一方、暴徒は未だ無数に異形の周りへと集まりつつある。戦力差は一目瞭然、いずれ勝負がつく。誰もがそんな剣の戦いを見届けていた。
異形が奇妙なうめき声をあげると背中から腕が何本も生えてきた、そしてその腕で暴徒を掴み無慈悲に剣に投げつける。無数に飛び交う暴徒たち。それを剣は刀一本で振り払う。
剣が暴徒を始末するとまた新たな暴徒が飛んでくる。それはあまりにも無慈悲なものだった。剣一人に対して絨毯爆撃とも呼べる無数の暴徒と能力。終わりのない戦い。いや終りがあるとすればそれは───。
バキン!!
剣の持つ刀が折れた音だった。刀身は宙を舞いカランコロンとガレキに落ちる。終わりだ───。誰もがそう思ったその時、まったく別のことを考えていた者が二人。剣に向かい襲う暴徒、その瞬間それは起きた。また鈍い金属音が響き渡る。
剣はまた刀を構えていた。どこから取り出したのか、先程まで振るい折れた刀とは別のものを握っていた。そしてまた鳴り響き続ける金属音。そして気がつく。少しずつ、剣が異形ににじり寄ってきていることに。
「や、め、ろ。」
そう、剣はただひたすら向かい来る暴徒を冷静に全て処理し続けた。攻めているように見えた異形は、その異常な様子に脅威を感じたのだ。だからこそ腕を増やしてまで、投げつける暴徒の数を増やし確実に始末したいと考えたのだ。だが、そんな淡い期待は裏切られる。いくら数を増やしても、剣の振るう刀の剣速はまるで嵐のように加速していき、全てを斬り裂いていた。終わりのない戦い。否、それは思い違いだ。終わりはある。暴徒が尽きて……いやそんなことになる前に、少しずつ距離を詰めてくるこの嵐に、捕まったら終わりだと、本能で覚えた。
異形の足が少し後ずさる。本能的な恐怖による後退、ありえない出来事に逃避したいという危機感。その心の隙を剣は見逃さなかった。次は居合抜きなどという小技では済まさない。
「はぁッッ!!!」
刀を両手に握りしめ、振り上げ、一気に叩き割る。面打ち。剣術の基礎にして必殺の技。だが刀身は届かない。僅かに異形の身体を傷つけるだけに留まり、刀は折れる。
異形はその姿を見て安堵した、やはりこの程度だと。不安はただの杞憂であったと。だがその安堵は一瞬にして瓦解した。目の前の男は、折れたはずの刀を握りしめ、更に異形に向けて叩きつける。刀は折れる。だが二度目の衝撃、それは異形内部に確かに届く。何が起きたのか、ふらつく身体で何とか正面を見る。
男は折れたはずの刀をまた握りしめていた。
「斬ッッ!!!!」
何が起きたのか、異形は理解する間もなく、両断された。血しぶきが巻き上がる。それは異形のものではなく、人のものだった。
剣は理解していた。この異形は人の成れはてであると。悪意ある何者かにより、肉体を目的達成のために弄くりまわされ、脳に直接命令を当てられた肉人形。この女性に罪はない。だが、こうなってしまっては殺すことが唯一の救いなのだ。それは周りでうめき声をあげている、聖釘を大量に刺された者たちも。あそこまで念入りに刺されては、もう境野による治療も無意味だろう。完全に人格を破壊され、ただ高橋を殺す。その目的だけに特化した生命体。
しかし疑問なのは何故、こうも高橋を狙うのかということだ。振り向き、高橋に視線を向ける。しかしそこには高橋はいなかった。
「敷波さん、ピエールさん!何をしているんですか!!」
棒立ちで唖然としていた二人に剣は詰め寄る。敷島は力なく答えた。
「わ、わけが分からないタイヤの怪物があっという間に連れて行ったんだ!なんなんだ先程の鐘の怪物といい、あんた達、何と戦っているんだ!」
敵は周到だった。剣がいることを百も承知だったのだ。鐘の怪物を送った狙いは高橋の殺害ではなく、剣の気を引くこと。そしてその間に拉致して、確実に殺す。それが狙いだったのだろう。敷波に非はない。あるとすればそれは、鐘の怪物をすぐに倒せなかった、自分の弱さにある。タイヤの怪物と言っていた。地面をよく見るとタイヤ跡が見える。───これなら追える。剣はスマホで境野にメッセージを送った。緊急事態、高橋さんが攫われたと。
「いや、しかし幸いでした。敷波さん。本件について弁護士を依頼するのであれば是非私を。立派な病院を建て直してもお釣りの出るくらいの賠償金を獲得してみせましょう。」
ピエールの空気の読めない発言が瓦礫の山となった病院に虚しく響く。敷波は呆れながらピエールを見た。やはり金のことしか考えていないんじゃないかと。