その憎悪は、果てしなく
高橋は三つの空き席を見つめていた。境野、夢野、伊集院。伊集院弦との戦いの日、境野のことについて知った。異世界からの来訪者。あたしの知っている境野は、境野ではなかった。今になって思えば、同じ高校にあがって、同じクラスになって嬉々として話しかけたのに、何の反応もなかったのは当然だ。だってあいつにとっては、あたしとはあの時、初めて出会ったんだから。
「はぁ……。」
ため息を吐いた。それは自己嫌悪によるものだから。その上で、境野は別にあたし達を騙すつもりなんて毛頭になかったのだろう。それは先日の……いや、今までの態度からわかりきっている。むしろ一番ショックを受けているのは他ならぬ境野本人だろうに。心の整理がつかない。あたしはこれから境野とどういう顔で付き合えばいいのか。夢野や伊集院はうまくやっているんだろうなと思うと、胸の中がもやもやしてくる。
「高橋さん、ちょっといいですか。」
机でぼーっと考えているところに剣がやってきた。珍しい来客だ。顔をあげ不機嫌そうに「あんだよ。」と答える。
「陸原さんのことです。連絡があったのですが、目を覚ましたそうですよ。」
「凜花が!?」
陸原凜花、中学の頃の部活の後輩と偽ってあたしに近づいたストーカー女……なのだが、先日血を吹き出して息を引き取ったとばかり思っていた。
「僕はこれから病院に向かう予定ですが、高橋さんも無関係ではないですし、どうしますか?」
正直言って後味が悪かった。確かに凜花は加害者であり、同情の余地はないわけだが、最後は良いように使い捨てられたのだから。あたしは剣の言葉に頷き、病院へと向かう。
病院に着き剣が受付の人と話をすると奥から黒服の男性がやってきた。男性は凜花の病室まで案内してくれるようだ。病院には似つかわしくない格好……剣が所属する組織の人物なのだろう。
「こちらになります。剣様、くれぐれも……。」
「分かってる。今の彼女は抜け殻だ。境野くんのおかげでね。」
ノックして引き戸を開ける。病室は個室だった。病院から支給されたであろう患者衣を着用した凜花がベッドにいた。凜花の様子はただ虚ろとしていた。何の気力もないような様子で、ただベッドに座っている。そんな様子だった。
「陸原さん、元気ですか?」
剣は凜花に対して問いかけるが何の反応もない。まさに抜け殻といった表現が適切であった。
「高橋さんも何か話しかけてみてくれないですか?」
剣はあたしの方を見る。話しかけろと言われても……。とりあえず挨拶をすると、ピクリと凜花が反応する。
「せ、先輩……?どうしてここに……?」
「陸原さん、意識が戻ったんですか!?」
割り込むように身を乗り出す剣に凜花はビクリと怯えた子犬のような反応を見せる。まるであの時の様子が嘘のようだ。剣はその様子に平静さを取り戻し、後ろに下がり誤魔化すように咳払いをする。
「なぁ凜花……お前が一体どういうつもりであんなことをしたのかしらねぇが……お前は良いように利用されたんだよ。お前の背後にいた奴を話すことはできねぇのか?」
諭すように、できるだけ優しく答える。凜花は高橋の言葉を静かに聞いていた。やがて口を開く。
「あの……すいません……私は……どうして病院にいるんですか?先輩に……何かあったんですか?」
凜花の表情に嘘はなかった。そこには純粋無垢、普通の女学生がいた。あの狂気に満ちた顔が、削ぎ落ちていたのだ。
「一時的な記憶喪失、心因性のものです。これは心的外傷が原因となっている可能性が高いので出来ればこのままでいたほうが彼女の為です。」
後ろから落ち着いた成人男性の声がしたので振り向くと、医者と隣にメガネをかけた男がいた。
「失礼、私は彼女の主治医を担当している敷波と言います。剣様の組織絡みの……まぁ所謂御用医者という奴でしょうか。隣の方は先程出会った……。」
「そこからは私が説明しましょう。私の名はアマーギン・ボゥ・ロスピエールと申します。親しみを込めて皆からはピエールと。弁護士をしています。」
二人は病室に入る。敷波はカルテを剣に渡した。
「彼女の脳波及びMRI、CTスキャンの結果です。どこも異常は見られません。奇跡ですよ。アドベンターの影響下から難を逃れただけではなく、天罰を受けて生還した者は。」
天罰……それは突然血を吐き出して倒れた現象のことである。この国で時々起こる怪奇現象。原因不明謎の奇病。故に医者たちは匙を投げて天罰などとおおそれた名前をつけた。発症したものは致死率100%だった。もっとも剣はアドベンターの仕業だと、あたりをつけているのだが。
「つまり肉体的損傷はないと?脳に異常も?精神鑑定は済ませましたか?」
ピエールが医者と剣の話に割って入った。精神鑑定はとうに済ませており、重度の精神衰弱状態と診断された。ただし一時的なものであり、衝動的行動に出ないことから拘束及び薬物投与は見送られているというのが見解である。
「私は医者ではないんですがね?薬がいらないのに、それって病気って言えるんですか?いやよくいるんですよね、責任逃れの為に精神疾患を自称する輩。不愉快にさせると申し訳ないのですが、彼女に対する忖度などはないと見てよろしいですか?」
「しつこい、そんな話なら私もよく聞く。だがな、私をケチな精神科医と一緒にするな。そんなことは、神に誓ってないと断言しよう。」
凛とした対応にピエールは納得したかのように頷く。そして高橋の方へと向いた。
「説明不足でしたね。私は剣さんの組織から指示を受けた弁護士協会から派遣命令を受けたのです。いわば下請けですかね。この度は高橋さんの弁護人となって本件についてケアするよう依頼されているのですが……ご覧の通り、陸原氏は精神衰弱による責任能力の欠如から係争は難しそうです。それでも高橋さんが希望するのであれば、係争の準備をしますが、いかがしますか?」
事件のアフターケア……ということだろう。確かに振り返って冷静に見ればこれは立派な刑事事件でこの後、凜花は裁判を経て裁きが下されるだろう。ピエールの説明だと事件には大まかに言うと刑事と民事の二種類があるらしく、凜花の件はその二者両方に適応される可能性が高いとか何とか。ただし被害者であるあたしが被害届を出さないのならば罪には問われないし、民事で争う気もないならここでお役御免だという。
凜花に視線を向ける。怯えた様子で、あたし達を見ていた。
「いいよ、面倒くさい。」
そんな凜花を見て、あたしはこれ以上、責め立てる気が沸かなかった。
「加害者を赦すということですか。何もすぐに答える必要はありませんよ?一時の感情で決めるものではありません。大事な話なので、一晩考えてみては───。」
「しつけぇな、必要ないって言ってんだろ。今度、凜花があたしに同じことしようとしたら、今度は容赦なくぶっ飛ばす。それで良いだろ?」
恐らくピエールは経験から話をしているのだろう。今まで一時の感情で係争を投げた被害者たちを見てきたのだろう。だが今回の件は明らかに違う。違うのだ。凜花は何者かに操られていた。いわば被害者だ。そんな彼女をどうして責めることができるだろうか。
「ふむ……お優しいのですね。ですが、ご注意を。つきまとい行為……所謂ストーカーの再犯率は極めて高く、重大な犯罪に発展したケースが多いのですよ。」
ピエールはカバンから誓約書を取り出した。本件について係争を放棄し、また以後協会に対して一切の苦情等を行わないことを誓約する書類だ。ボールペンとともに渡される。
「すいません、私も協会からの派遣なので……申し訳ないとは思うのですが。」
あたしは黙って誓約書にサインをした。それを丁寧にピエールはカバンに収める。
「ありがとうございます。いえ高橋さんの寛大な心、素晴らしいと思います。ですが、忘れないでください。罪とは誰もが抱えているものです。それは決して悪ではないのです。人は、罪を抱えながらも、善くあろうと歩み続ける、素晴らしい生き物なのですから。それでも道を外すことはあるでしょう、その時は是非ご相談ください。」
それはピエールの弁護士事務所の名刺だった。裏にはピエールのサインがある。このサインを見せれば相談料無料で受けられるという触れ込みらしい。
「ふん、弁護士なんて金の亡者という印象しかないがな。」
「とんでもありません、確かにそういう方もいますが、私は法曹の世界に身を捧げた者として、誠実第一ですよ。」
敷波の嫌味に対して、ピエールは胸を張って答えた。協会から派遣されたというが、きっとその中でも気を使って責任感の強い人物を派遣してくれたのだろう。
凜花の容態には懸念すべき点があるが、命があればこそだ。あの時のことは悪い夢だったのだと、そう思えば良いのだ。話がまとまり、張り付いた空気が緩やかになった時、まるで狙いすましたかのように、突然ドゴン!と衝撃音が鳴り響いた。地面が、病院が揺れる。あまりに強い揺れで思わず、地面に屈み込む。
剣はそんな様子を目にもくれず窓から外の様子を眺めた。
「なんだ……あれは……?」
それは異様な光景だった。集団が病院の前に大挙し、病院に対して無差別に攻撃をしている。あるものは刃物を具現化して襲い、あるものは鈍器を振り回して建物を破壊している。それらは老若男女問わない集団だった。ただし共通しているのが一つある。それは頭部に、おびただしい数の聖釘が打ち込まれていた。それはまるで針山のようで、おおよそ人の動きと逸脱した行動をとる彼らの姿と相まって、人ならざるもの……という表現が適切である。





