知るべき過去は、歪なもので
しばらくして、コトネは落ち着きを取り戻した。
兄に言われたこと。それが彼女の心を突き動かしていた。兄は例え別れが来ても、お互い大事に想い続ければまた再会できると言っていた。それが因果であると。先の再会が因果だというのなら、私はこの再会を悲観してはならない。それが兄に対する、せめてもの手向けとなると信じて。
ヴィルカチとは何か。弦は言っていた。アドベンターであり、人に寄生するものだと。剣の話では聖釘はアドベンターの欠片であり、そのものについては触れていなかった。だからアドベンターなる存在には、出会うことはないと思っていた。現実は違う。俺たちの、こんな近くに潜んでいたのだ。問題は、なぜそのような存在を弦が知っていたのかと、ヴィルカチは何のために伊集院弦を乗っ取ったかである。
そう、寄生して乗っ取る存在……。それは俺自身にも言えるものだ。ヴィルカチと違う点は記憶がないこと。そしてヴィルカチは似た肉体を作り出して、本体は別に監禁していたことから、本体の存在が不可欠であると見るが、俺は誰も監禁していない。似て異なる存在ではあるが、どちらにしても日常の侵略者であることには変わりない。そう、異界の侵略者、それが俺の正体だ。
弦は言っていた。コトネの傍にいてやれと。だが、俺にそんな資格なんてあるのだろうか。思い悩む俺にコトネは声をかけた。
「さっきも言ったけど、あなたの昔のことなんてどうでもいいわ。それよりもレンはどうなの、レンは私を裏切らないよね……答えなさいよ……。」
どうでもいい。コトネはそう答えた。コトネにとって境野連とは今の俺を指し、過去の俺は他人なのだ。それならば答えは簡単だ。俺は俺として答えた。
「裏切らないさ。決して。」
今度は絶対に。俺は魂に誓った。俺という人間だからこそ付き合った。そんな人間もいるのだ。それが何より今の俺にとっては救いだった。だが、だからといって境野連という人間の人生を奪ったという罪が消えるわけではない。
高橋や、家族のように以前の俺を知っている者もいる。俺は改めてこの身体の持ち主について調べることを決意した。そして可能であるならば……返してあげたい。それはコトネに対する裏切りになるとは考えなかった。だった、俺じゃなくても高橋や夢野とうまくやっていたんだ。きっと本当の俺でもうまくやっていけるさ。そう思った。
別荘を後にする。ユーシーはあれからも探し続けたのだが、やはりただの隠れ家で、亡霊の手がかりなどは一つもなかったようだ。失望を隠しきれない様子だったが、すぐに気を取り直し、今回のことについて整理をするという。そう、亡霊とアドベンターの関係について。
俺はというと家には帰れない。家族とは顔をまともに合わせられない。合わせられるはずがないのだ。だから無明探偵事務所に泊まることにした。家族には友達の家に泊まると伝えて。
「ほら、受け取りなさい。」
寝る前にユーシーが寝袋を渡してきた。ユーシーは仁さんが使っていたであろうベッドに横になる。
「本当にここに住んでたのか……。」
どうもユーシーが仁さんのベッドを使うのに釈然としない気持ちを抱えながら、俺は寝袋に包まり眠る。床は固く、お世辞にも快眠できる環境ではないというのに、何故か妙な懐かしさを感じて、その日はぐっすりと眠れた。
翌日、俺たちは役所に向かっていた。役所では戸籍確認ができる。そこからこの身体のルーツを確認しようと考えたのだ。
「なんでお前たちまでついてきているんだ……?」
役所にはユーシー、夢野、コトネが揃っていた。
「好奇心よ、仁の関係もあるしね。」
そう即答するユーシーだったが、流石に役所内をチャイナドレスでうろつかれるのは目立って仕方ない。来庁者がチラチラとこちらを見ている。
「私も同じよ、昨日本当の俺とは別人だとか言われて、それをはっきりさせるって言うなら学校をサボる価値はあるわよ。」
コトネと夢野は同じ考えだったようだ。確かにあれだけのことがあったのだから、気になるのは分かるが、学校を休んでまで来なくても良いのにとは思う。
こうして学生三人とチャイナドレスの女性一人が役所の待合にいるという奇妙な光景が生まれたのだ。しばらくすると番号が呼ばれる。俺は受付へと向かった。本人確認はユーシーが用意した偽造パスポートで事足りた。ユーシー曰く、役所の個人確認なんてザルだから適当な偽造で十分らしい。何事もなく手続きは進む。そして紙切れを渡された。戸籍謄本だ。
「ありがとうございます……え?」
謄本を見ると、俺の出生が空欄になっている。だというのに境野家の実子として登録されているのだ。俺は脱字だと思い、指摘する。
「ここ抜けてますよ。」
「いえ、これで間違いないです。」
「いやこれ全部事項謄本ですよね。出生がないのは……。」
「間違いないです。」
「……いやほらここ。」
「間違いないです。」
それは奇妙なやり取りだった。受付の女性は途中から壊れたラジオのように間違いないという一点張りだった。それがあまりにも奇妙で、俺は仕方なく皆のもとへ戻る。どうだった?と尋ねてくるので俺は説明をして、謄本を見せた。
「出生が空欄……?中国だといつ産まれたか分からない子供なんて、よくあることなんだけど、あなた日本人よね?日本の役所がこんな適当なことしてるとは思えないわ……あっしかもこれ誤字があるわよ。」
ユーシーは俺の家族構成のところに指をさす。そこにはこう記されていた。
『父 境野早紀 母 境野美奈』
そこには俺の父の名があった。境野……そうき?と読むのだろうか。
「あなたの父親の名前、妹さんと同じ名前よ。ほらこれ、さかいのさきって読むんでしょう?普通、娘さんに自分と同じ名前をつけないと思うけど。」
それは確かにそのとおりだ。俺は再度受付に戻って、誤字を指摘した。流石にこれは看過できない。
「いえ、これで間違いありませんよ。」
またこれだ。俺は呆れながらも別の切り口で話をした。
「なら妹の、境野サキの戸籍謄本を見せてもらえないですか。」
「妹さんの場合は本人確認が必要となりますので、妹さんを連れてきてください。」
「ちょっと良いかしら。」
ユーシーが横から入ってくる。俺の要領を得ないやり方に業を煮やしたようだ。
「妹の戸籍謄本が確認できないのは分かってるわ。なら彼の住民票の写しを発行して頂戴。それなら彼の本人確認で可能でしょう?」
受付の人は分かりましたと答えて、番号票を俺に渡す。
「家族構成を確認するだけなら、戸籍謄本の確認は必要ないわ。覚えておくといいわ
よ?」
流石は探偵の助手なだけある。こういうことには慣れているのだろうか。今更ながら同席してくれて助かったと心から思った。
しばらく待つと住民票が渡された。俺は確認をする。
「あの、これ父と母と俺しか記されていないんだけど……妹がいないです。」
「でしたら、妹さんは別居されているか、住民異動届を出していない可能性があります。届け出を出すことをオススメしますよ。」
受付の方は親切にそう教えてくれた。確かにサキはしばらく遠くに別居していたらしく、久しぶりに家に戻ってきた……というのをこの世界に来てすぐ、サキと初めて出会った時に聞いている。俺は納得した様子で住民票を持ち、皆のところへ戻って説明をした。
「おかしいわよ、それ。この役所はどうなってんの?」
ユーシーは納得がいかない様子だった。俺は今、受付の人に受けた説明を少し得意げにユーシーに伝えると呆れた様子で答える。
「あのね……あなたの妹さんは学校に通っているんでしょう?転校して。転校手続きには住民異動届の提出は必ず必要なのよ。常識的に考えれば分かるでしょ、近くならともかく遠くの学校にいた生徒が住所を変えないで別の学校に転校なんて、この国の制度上不可能よ。」
言われてみると、それは確かにそのとおりだ。至極まっとうな意見である。つまり、まとめると……。
「俺はこの国に、境野家に突然湧いてきて、妹は妹を名乗る不審者で、父は行方不明ってことか……?」
ユーシーは頷く。それが一番自然な考えだと。だがそれはあまりにも異常だ。自分の過去を知るはずだったのに、ますます分からなくなって、それどころか家には妹を名乗る不審者が我が物顔で居座っている。こんなことがあっていいのだろうか。
「まぁやることは決まったわね。」
混乱する俺とは対照的にユーシーの肚は決まったようだった。俺は何が?と聞くとユーシーは胸を張って答えた。
「あなたの妹に直接問い詰めるのよ。この住民票と謄本を見せてね。」
それはあまりにもシンプルで、危険も孕む選択肢ではあった。だがもう止められない。境野家に潜む不審者が事実だというのなら、例え血がつながっていなくとも、かつて母と呼んだあの女性を助けなくてはならないからだ。





