狂い出した歯車、止まらぬ心の振り子
B組のメインベースはちょっとした騒ぎになっていた。遠目でもわかるほどの明らかなサブベースの陥落、戻ってこないエースたち、止んだ流星群。全てがB組にとってマイナスな結果しか考えられないからだ。だから俺たちは、いともたやすくメインベースを制圧することができた。と言ってもコトネの能力によるものが大きいが……。普段から大口を叩いているだけあって、格下相手の制圧能力は群を抜いている。そしてアナウンスが響き渡る。
「B組のメインベースが陥落しました。現時点をもってB組は全員失格となります。」
終了の合図だ。そして遅れて1班と2班の見知った人たちが続々とやってきた。俺たちは会議室のようなところで集まり次の行動について話し合う。
「残すところはA組ですが、B組のサブベース、メインベースともにC組が撃破しており、私達のメインベースは鬼龍さんが守っている時点で、勝利は確定です。ここの守りに専念するべきかと。」
この対抗戦はポイント制だ。未だに姿を見せないA組だが、これからA組が勝つには俺たちのメインベースを落とすしかない。そしてそれは鬼龍が守りにいる以上、不可能だという理屈である。幸いにもB組のメインベースを無傷で制圧したので、宿泊機能も損なわれず、そのまま利用できるのも多い。このままここで一泊して、時間が来るのを待てばいいだけなのだ。もう夜も遅いというのもあってか、円宮司の意見には全員が賛同した。
俺はその夜、中々寝付けなかった。原因は今日戦った少女……剣は悪意ある何者の仕業と言っていたが、同時に亡霊でもあったのだ。仁さんは学校に亡霊がいるから気をつけろと言っていた。彼女のことを言っていたのなら、もう学校は安全だと思っていいのだろうか。どうも気になることが多くて、思わず俺は外に出る。空には満天の星空と月明かり。思えばこの世界の夜空は俺のいた世界と違い、星空がはっきりと見えて、宝石箱のようだ。星空が見えないのは地上が明るいとか、空気中の埃が多いとか、色々と言われているが、もしそうならこの世界の空気は俺のいた世界よりも澄んでいて綺麗なのだろうか。
「よっ、お疲れさん境野。」
声がした。振り向くとそこには磯上がいた。
「磯上!?大丈夫だったのか、怪我とかはないのか?」
囮を買って出た磯上は見た感じ怪我は無さそうだ。俺はそれに安堵する。
「流星群の相手、大変だったろ?どんなやつだったの?」
磯上は流星群の相手について事細かに聞いてくる。まぁ自分が囮になってまでして倒した相手なのだ。どんな戦いだったのか気になるのだろう。俺の説明に相槌をつきながら、真剣に聞いていた。
「あ、あとこれは……信じてもらえないかもしれないけど、彼女は何故か白い砂になって消えたんだ。多分、この対抗戦が終わったら騒ぎになるだろうな。彼女だけじゃない、B組には彼女に殺された人もいるし。」
「白い砂、具体的にはどんなの?」
磯上は彼女の最後に特に興味があるようだった。分からなくもない。何せ突然、魔法のように消えてしまったのだ。むしろこんな馬鹿げたことを信じるのか、そちらが心配である。しかし白い砂については俺もわからない。すぐに風に飛ばされてしまったのだから。それを教えると、磯上はがっかりしたように項垂れた。実は隠し事が一つだけある。聖釘と剣のことだ。剣は巻き込みたくないと言っていた。だというのに勝手に他の人に話すのはよくないことだと思ったのだ。
「わり、長話しちゃったな。境野も早く寝たほうがいいぞ。」
磯上がメインベースに戻ったあともしばらく俺は夜空を眺めていた。この世界の夜空は本当にキラキラと輝いている。しかし不思議な世界だ。月があんなにも巨大だなんて。きっと天体の配置も少し違うのだろう。俺は吸い込まれるように、その月をずっと眺めていた。あぁ、なんて綺麗で、神秘的で、蠱惑的な……。
「なにをしているんですか……?」
俺ははっとして振り向いた。そこには夢野が立っている。皆、夜に出歩くのが趣味なのか?
「少し寝付きが悪くて夜空を見ていたんだ。」
「眠れないんですか……?あんなに今日は運動したのに……?」
確かに言われてみるとそうだ。身体は疲労困憊の筈なのに、妙に目が冴えて、眠るに眠れない。きっと未だに興奮しているんだろう。つい先程まで、あんな死闘をしたのだから。夢野はケースのようなものをポケットから取り出して、それを振り手元に何かを持つと俺に渡してくれた。
「す、睡眠導入剤です……それはそれほど強くないですから、朝はいつもどおり目を覚まします。今はちゃんと寝て身体を休める方が大事だと思います……。」
別に夢野を信用していないわけではないんだが、睡眠導入剤を渡されて分かったと言って飲む人がいるのだろうか。いやしかし、眠らないで明日に響いて皆の足を引っ張るのはよくない。俺は素直に夢野に礼を言って睡眠導入剤を飲み込み、再び床についた。今度は今までのことが嘘みたいにすっきりと眠れた。
翌日、夢野の言うとおり普通に目が覚めた。睡眠導入剤と聞くと朝起きるのが辛いと思ったのだが、なんてことはない。
「おはよう、朝食は残念ながら保存食よ。磯上のやつ結局、戻ってこなかったから。」
コトネは保存食と水を飲みながら悪態をついていた。
「磯上なら昨夜見かけたぞ?まだ寝てるのかな。」
ふぅんと興味なさげにコトネは乾パンをかじる。俺もダンボールから乾パンと水を取り出して食事をとることにした。ボソボソとして味気ない。磯上のワカメ、本当にありがたいものだったんだなと今更ながら思った。
「おはよう境野!!A組なら攻めてくる様子はないぞ!!5時からずっと周囲を走っていたが、気配すらない!!」
陽炎が汗を流しながら、俺たちの間に入ってきた。
「なんだこれは……タンパク質はどこにある!!お前たちそんな食事で筋肉を虐待しているのか!!!!」
「うっさいわねぇ……だったらそこらの野生動物でも捕まえて来なさいよ?」
「既にしている!仕方ない!俺の食事を少し分けてやろう!!」
そう言って陽炎は虫の入ったカバンをテーブルに置いた。
「……ねぇこれ食べろって言うの?あんた頭の中まで筋肉でできるのかしら……。」
「昆虫食はグラム辺りの栄養価が極めて高く、その癖ヘルシーなのだぞ!プロテインの代用品として十分すぎるものだ!」
力説する陽炎をコトネは呆れながら無視して食事を続けた。目の前で大量の虫が蠢いている中、平気で食事を続ける胆力は流石、伊集院家の当主といったところなのか……?
「おう、境野おはようさん。昨日のあれ結局、誰がやったんだ?」
昨日のあれというのは恐らくサブベースのことだろう。まず大半は俺のせいだ。それは間違いない。まさか一発であんな廃墟になるなんて思わなかった。だが……その時点では死者はいなかった筈だ。だって……瓦礫と一体化し武器にされた人たちは……まだ意識があったのだから……。俺はあのときのことを思い出して伏し目がちになる。あまり思い出したくない記憶である。
「境野くんですよ。彼がサブベースを吹き飛ばしました。ただそこにいたB組の生徒たちは流星群の使い手とは別の能力者に殺されました。」
剣が割って入るように嘘の説明をした。サブベースでの出来事を正確に話すということは……あの冒涜じみた者の話をしなくてはならないからだ。
「殺された!?おい、大丈夫なのかよそれ。」
当然、そういう反応になる。流星群の女生徒は消滅したが、犠牲となった生徒たちの死体は残っているのだ。だから隠し通すことは出来ない。ならば別の能力者がいたということにしなくてはならないのだ。そして流星群の使い手と一緒に、逃走したということにしなくてはならないのだ。もっとも高橋には後でちゃんと説明をするつもりだ。亡霊がいなくなったことは話さなくてはならないし、コトネはともかく夢野は隠し事ができそうにない。
剣の説明は後に他の班員にも伝わり、対抗戦で死者が出たという事実に少なからずとも全員ショックを受けていた。
「……いや、ちょっと待って。死者が出たということが衝撃的で霞んでたけど、あのサブベースを境野がしたんですか!?」
俺の能力のこと、円宮司と軽井沢と陽炎は知らなかったのを忘れてた。正確には無限谷もか……?ただ話をすると、意外と簡単に納得してくれた。
「何でって、そんなの決まってるじゃないですか。高橋が一人で全部やれるわけないから、他に能力隠している奴がいるって察しが付きますよ。大方、あなたが東郷様も倒したのでしょう?」
忘れていた。そういえば彼女は何か東郷に様付けするほど心酔してた。恨まれても仕方ないのだ。
「あぁ誤解しないで?私は誰が倒したか知りたかっただけです。貴方の能力を見れば納得ですよ。サブベースを廃墟にするほどの能力、東郷様が勝てないのは仕方ないですから。それに高橋のせいじゃないことがはっきりした方が大きいですね!!」
高橋云々のところはやけに、活き活きとした口調だった。後で高橋に聞いたのだが、円宮司は昔から自分にやたら絡んでくるらしい。今回もまさか東郷が高橋にやられるわけがないとずっと頭を悩ませていたとか何とか。
───A組は結局、攻めてこなかった。無駄な戦いはしないというスタンスなのだろう。やがてアナウンスが鳴り、順位が発表される。当然順位はC組、A組、B組(失格)の順という昨夜の時点でわかりきった結果だった。
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────────────なぜ。
軽井沢は愛想笑いでこの心の荒波を誤魔化していた。
────────────なんで?
彼女がワイルドハントに入った目的、それは単純明快。憎き亡霊を倒すこと。その為ならどんなことだってやるつもりだった。
────────────どうしてあいつが。
ワイルドハント屈指の戦闘員であるサドウは亡霊に殺された。返り討ちにあった。シンカはしばらく動こうとしない。恐らく亡霊に恐れをなしたのだろう。
『彼がサブベースを吹き飛ばしました。』
流星群の使い手が亡霊であることは明白だった。私の能力は、亡霊の音も聞き分けられる。つまり亡霊が恐れをなして逃げ出した。サブベースを吹き飛ばすほどのアタッチメントを目の当たりにして。そしてそれはたった一人の学生の手によるものだった。
境野連、あの男がワイルドハントではないのは明白である。それが、ただの学生が一人で、私たちのやれなかったことを成し遂げた。そんなことが許されて良いのだろうか。
───いや、許されていいのか、その疑念をかけられるのは境野ではない。鬼龍という前例もある。それよりも、問題はワイルドハントではないか。ただの学生に先んじられて、一体、何の意味があるのか。何の価値があるのか。亡霊一人倒せないワイルドハントに、意味なんてあるのか?
みんなが呼んでいる。いつものように愛想笑いをふりまく。だが脳裏から離れない。昨夜の出来事を。抜け落ちた欠片は、決して元に戻らないのだ。





