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瞼の裏に映る景色がほしくて

 「ひとまずバイクのエンジンを切ってくれないか。」


 割れたガラスからビル風が入る。エンジンを鳴らすバイクの排気ガスが部屋に侵入してくる。ヴィシャはそれが心底不愉快なのか、足で床をトントンと叩いて腕を組んでいた。ユーシーは黙ってエンジンを切った。


 「それで、あなたは何者なの?初対面だけど、亡霊と関係があるのかしら。」


 亡霊という言葉に反応したのか、鳴らしていた足を止めて組んだ腕を解いた。そしてヴィシャは名乗る。自分は亡霊ではなく、むしろ亡霊と敵対するものであると。何故敵対するのか?その理由を聞くと、復讐とだけ答えた。


 「しかし派手にやったものだ。ははは、それで私をどうするつもりなのかな?私を倒す?それは不可能だ。さぁそろそろ来るぞ。この国の警備サービスは優秀だね、BLSOKの自動通報システムが作動し、警備員が来るぞ。不法侵入に器物破損……君たちは法によって裁かれると良い。」


 そしてヴィシャはソファに座り、優雅な振る舞いをとった。確かにこんな派手なことをしてはすぐに警備員が来るのではないか、俺はユーシーの顔を見ると心底軽蔑した目でヴィシャを見ていた。


 「本当につまらない男ね、警備員が、警察が来るから早く逃げた方がいいって?私たちがこのガラスを割ってどのくらい時間が経ったと思っているの?」


 ユーシーの言葉を聞いてヴィシャは自分の腕時計を見た。確かに時間は結構たっているのに何故騒ぎが起きないのだろう。ユーシーは固定電話を掴みヴィシャに投げ渡した。通報するならしてみろと言わんとばかりに。ヴィシャは黙って110番を押す。だが電話は反応しなかった。ポケットに手を入れてスマホを取り出す。そしてヴィシャは答えが分かったかのように笑顔を浮かべた。


 「圏外……結界術による外部連絡の封鎖か!あぁなるほど……私はてっきり伊集院くんの気配が突然秘匿的になるのは境野くんの仕業かと思っていたが、君の……レディの仕業だったんだね。」


 伊集院はカラオケでの会話が聞かれていないと喜んでいた。だがそれはユーシーの仕業だったのか?一体いつの間に?俺ははっとした。彼女に貰ったお守り……あれか。カラオケは関係がない、俺の近くで会話すること自体がヴィシャに秘匿されていたのだ。恐らくヴィシャは伊集院が勘違いをして俺を襲ったことすら知らない。


 「なんという僥倖か!これはきっと運命的な出会いだったんだね、境野くんは私達を結びつけるキューピットだったわけだ。おぉ麗しのレディ、ともに亡霊を倒そうではないか。大丈夫、私達なら上手くいく。境野くんなんかと組むのはやめて私と組むんだ。」


 ヴィシャは手を広げユーシーに近づく。もう俺に眼中はなく、その瞳はユーシーだけを見つめていた。


 「……それは、こいつを切った方がわたしのためになると言いたいの?」

 「そうとも!同じ術師同士じゃないか、きっと凄く気が」


 鈍い音がした。ヴィシャの手は吹き飛び、今、吹き飛んだことに気がついたかのように、傷口から出血しだす。ヴィシャは苦悶の悲鳴をあげた。


 「勘違いしないでくれないか、わたしはこいつなんてどうでもいいの。」


 顔を埋めて苦しむヴィシャに近づき、もう片方の手に何かを打ち込んだ。次は見えた。あれは仁のもっていたペンのような管だ。あれを高速で叩きつけ、結果肉体が吹き飛んでいるのだ。両手を失ったヴィシャは叫んだ。


 「ただ、組むのをやめる?お前と組んだほうが良いだぁ?お前、それは仁に対しての侮辱だって分かってんのか?仁はわたしにこいつを任せた!それをお前如きが間違っていると言いてぇのかコラァ!!!」


 両手を失い苦悶の表情を浮かべるヴィシャに容赦なく何度も蹴り上げた。そして最後にトドメとばかりに蹴り上げてヴィシャは転がる。


 「うぅ……酷いじゃないか……こんなことをするなんて……猫を被ってたのか……ひどいな理知的な淑女だと思ってたのに。」

 「あのなぁ、あんた同業者だろ?わたしたちみたいな連中にマトモな性格を期待するほうが間違いだろうがよ。」


 そう言って苛立ちを誤魔化すようにタバコを胸元から取り出して、何もない場所から火を点けて煙を吸う。一瞬仁の姿を彷彿させたが、ユーシーはそのまま紫煙を吐き出した。


 「気づいてないようだから、教えてあげる。試してみな、あんたの得意技。」


 得意技……それはアタッチメントのことだろう。ヴィシャは殺しても他の分身に本体の意識を移すことで擬似的な不死を実現している。ユーシーはこの男を逃がすというのか。だが、ヴィシャの顔は青ざめた。


 「馬鹿な……私がどこにもいない……いやこれは……術の遮断……?」


  ビル風が無くなっていたことに気が付いた。あれだけ強かった風がどこにいったのか。目を凝らすと気がつく。部屋が薄暗いことに。いやバイクの排気ガスが部屋の周囲を薄い膜のようになって満たしていたのだ。ヴィシャもそれに気がついて自分の分身を生み出していく。


 「煙を媒体にした結界術ということか。若々しい見た目の割には古典的な術を使うのだな。だが、それでどうする?君に私を殺す術はあるまい。一方私はこのように無限に増えていく。体力勝負で私の勝ちは明白だ。そのとき君の泣き叫ぶ声がどんなものか楽しみだよ。」


 無邪気な笑みを浮かべてヴィシャは増えていく。一人が二人、二人が四人、四人が八人……際限なく倍々ゲームのようだ。だがユーシーは顔色一つ変えない。


 「ほら、わたしは場所を整えてあげた。あとはあなたがやる番。大丈夫、あなたならこんな奴には負けないから。」


 そして、近くの椅子に座り込む。そのとおりだ。ユーシーはお膳立てを全てしてくれた。逃げ回るこの男の居場所を特定し、捕まえて、思う存分戦える舞台を。


 「境野くんが?先程から君は彼を買いかぶりだな、私の術一つで簡単に潰れた彼が」


 今度は全力で殴りつける。ヴィシャの一つが弾け飛び爆散した。


 「……君は隠し事ばかりだね境野くん。秘密の多い男は嫌われるぞ?」


 そして無数のヴィシャが襲いかかってきた。あるものは槍を、あるものは銃を、あるものは手から稲妻を、あるものは呪いを、あらゆる方向からあらゆる悪意が飛んでくる。俺は突き刺してくる槍を掴んだ。そしてそれを持ったヴィシャごと振り回す。何度か振り回すとヴィシャだった肉塊が槍の先にぶら下がっていた。俺を取り囲む無数のヴィシャがマシンガンを手に持って構える。マシンガンは俺だけではなく、当然向かいのヴィシャたちにも直撃するが、彼らにとって自分が死ぬことなど、何も思っていないのだ。だから遠慮なく俺は、地面に横たわるヴィシャを持ち上げてそれを投げつける。高速で投げられたヴィシャは鈍い音をたてて、ヴィシャに衝突し肉塊は砕け散る。俺はヴィシャを同じ人間として見なかった。無数に発生するこの分身を倒すには、正気では不可能だと、本能が察したのだ。こんなものに俺は負けるはずがない。この男はここで倒さなくてはならない。その心が俺の身体を突き動かしていた。


 「ま、待ってくれ境野くん。君の衝動は分かった。だからこの手を」

 「こんなことをして君の親御さんはどう思う?思い出すん」

 「伊集院くんの日記が気に入らなか」

 「痛いよ、降参だか」

 「たすけ」


 その言葉はまるで全てが他人事のようだった。道化のようだった。どれだけ痛めつけてもこの男には何一つ響かないのだろう。虚ろのような男だった。殴っても殴ってもただ気持ち悪く、不愉快な気分になるだけだった。そしてヴィシャは最後の一人となる。


 「はぁはぁ……すごいな境野くん……分身が……追いつかない。このままでは私は死んでしまう……でも何でだい?私と君は……似た者同士じゃないか。」


 男の言葉には後悔も遺恨もなかった。まるで子供が疑問を口にするような、純粋な言葉だった。いつもそうである。この男は決して嘘偽りがない。いつも自分に正直で、ただひたすらに純粋なのだ。純粋に邪悪なのだ。


 「似た者同士?お前と?ふざけているのか?」

 「いいや!似た者同士さ境野くん!君は私とシンパシーを感じたはずだ、殴り殺される私から感じたよ、私の心の虚ろを!それは君も同じだ!!君の正体を……私は知っているよ。」


 ヴィシャは初めて感情らしきものを見せた。それは魂の叫びだった。まるで生き別れの兄弟と再会したような、強いシンパシー、共感を抱いてほしいと強く乞う、その男には似つかわしくない言葉だった。だからだろう、俺はその言葉に耳を貸してしまったのだ。


 「知っている……俺の何をだ?」

 「隠すのかい?そこの女に気を使ってるかい?あぁ……私が悪かったな。まずは喫茶店で軽く話すのではなく、最初からこの部屋で……二人きりで話をするべきだった……あれを見てご覧、君のためにワインを用意してたんだ。隣りにあるのは君が気に入りそうなレコードさ。もう解散した古いバンドの曲で、お世辞にも上手いと言えない演奏なんだけど、とても素敵な詩を書くんだ、きっと君も気にいるはずさ。」

 「だからお前は俺の何を知っているんだ!俺は……記憶がなくなっているんだ!!」


 俺の言葉にヴィシャは目を丸くした。信じられないといった表情だった。そして俺の表情を見てそれが真実だと悟ったのか。突然笑い出した。ガタリと音がした。


 「はは、ははははは、ハハハハハハハハハハハ!!!!なんだ、なんなんだ!!!そうなのか、"きみは"そうだったんだ!!ああ、君にシンパシーを感じるのは当然だ!!そうなんだな!!!」


 狂ったようにヴィシャは笑い出す。まるで全てが喜劇だったかのように。自嘲気味に笑い出した。


 「おい、それ以上はやめろ!!!」


 ユーシーが立ち上がり駆け寄る。だがヴィシャはそれを無視し、続けた。


 「君は私だ!!私は君だ!!ああ、君も私になるんだ!!亡霊ども見ているか!!!ふざけるなよ!!!私はこんな……こんな喜劇のために生まれたんじゃない!!!!そこの女もだ!!!!私たちを何だと思っている!!!私たちはガッ!ゴボッ……!あぐっ……。」


 ヴィシャが突然血を吐き出し、倒れこんだ。俺はユーシーの方を見つめる。ユーシーは首を横に振った。わたしではないと。ヴィシャは苦しみうめき出す。そして「境野くん、境野くん」と俺の名前を呼び続ける。俺は……。危険と知りつつもヴィシャに近づいた。


 「あの女は敵だ、君を利用している。」


 そしてヴィシャは絶命する。俺の後ろに立つユーシーを敵だと言い残して。


 「まさか……そいつの言う事を真に受けるの?」


 背中越しにユーシーが話しかけてくる。ヴィシャは最後に人間らしい一面を見せた。それは俺にだけ見せた嘆きにも感じるようなものだった。だがヴィシャのやったことを思い出す。彼のしたことは決して許されるはずがない。例え彼の俺に対する親愛が歪んだ形で真実であったとしても。彼が生まれながらにして持った感情が世間一般で邪悪と呼ぶものだったのだ。ヴィシャは狂人であった。それは世間が許す限度を超えており、この世界に産まれてはならないものだったのだ。例えどんな事情があったとしても、彼がしてきたことの免罪符にはなり得ない。


 「俺の友人二人がこいつに襲われた、そんな奴の言葉を信じるわけがない。」


 高橋の姿を思い出す、伊集院の日記を思い出す。今でも腸が煮えくり返る思いだ。決して許すはずがない。憎き敵がいなくなったことは喜ばしいことだ。だというのに、何故こんなにも後味の悪い気持ちになるのか。分からなかった。それこそがヴィシャの恐ろしさなのだと、俺はそう思うことにした。


 ヴィシャを倒したあとユーシーは事後処理のためにハオユを呼び出した。彼はチャイニーズマフィア、死体処理などお手の物なのだ。そして部下を引き連れ俺たちに目を輝かせて頭を下げる。これだけ派手に暴れるなんて流石だと。高速道路のことも言っているのだろう。あれは無関係なのだが。そして俺は先に帰るよう言われる。あとはマフィアたちがやってくれるそうだ。


 ヴィシャが俺のためにと用意してくれたワインとレコードを眺める。それに気づいたのか、ハオユは欲しい物があるなら今のうちに貰うと良いと勧めてきた。ワインは未成年なので飲めない。だからレコードをとった。別にヴィシャに何か思い入れがあるわけではない。だが彼の最期の願い、一つくらいは汲んであげても良いと思ったのだ。

 その夜、俺はレコードの曲をネットで検索した。すると同じ曲がアップロードされていた。俺はその曲を聴いてみた。ヴィシャの話では演奏は下手だが良い詩を書くらしい。音楽のことはよく分からないが、それは故郷を思う詩だった。ヴィシャはこの詩を聴いて何を思ったのか、それは今は分からない。ただセンチメンタルな詩が、静かに俺の部屋を満たしていた。



 ───そして俺は完全に忘れていた。伊集院が言ったこと。ヴィシャの仲間が一人、学校に潜んでいるということ。ヴィシャがいなくなり、その仲間はどういう行動に移るのか。そもそもヴィシャの目的とは、ヴィシャとは何者だったのか。肝心なことが何一つ分かっていなかった。故に思い知る、この事件が始まりに過ぎず、ヴィシャはその始まりを告げるギャラルホルンに過ぎなかったのだ。

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