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壊された心、倒さなくてはならない悪

 「この国の飲食のレベルは素晴らしい。私の国がどんなものか知ってるかね?あれは生ゴミと泥水だよ。それにひきかえこの味は……まるで天使がこの地上に落とした一滴のようだね。」


 ヴィシャは俺を近くの喫茶店に誘ってきた。俺はヴィシャに敵意がないことを感じ、とりあえず誘いを受けることにしたのだ。そして今、ヴィシャはコーヒーを優雅に飲んでいた。その姿はまるでモデル雑誌の切り抜きのようで……初対面の印象とはうって変わっている。


 「彼女……あぁ伊集院くんには随分苦労しているんだろう?」


 まるで何年来の友人のように伊集院のことを笑顔で話していた。彼女がどんな人間か、普段どのようなことなのか、冗談も交えて笑顔で語る。俺はこの男と世間話をするつもりは微塵もないのに、なぜだかその話に耳を貸して、いつしか意気投合するように話していた。


 「そうなんですよ、伊集院なんかやたらと被害妄想というか……変態行為をしてきて、ほんとなんていうか変わったやつで。」

 「あっはっはっ……そうだろう。でもそれが彼女の魅力ではあると思うよ。彼女に君のような友人が出来て嬉しいよ。」


 ヴィシャという男はそれほど悪い奴ではなかったのかもしれない。そんな錯覚にすら陥っていた。


 「まぁ彼女は少し心が壊れているからね、あらぬ妄想をして度々周囲に迷惑をかける傾向にある。病院に行くよう勧めたのだがまったく話を聞いてくれない。まぁそんな風にしたのは私なんだけどね。」


 ───あまりにもさらりと世間話のようにヴィシャは伊集院の心を壊したことを告白した。俺の表情が凍ったのに気づいたのかフォローを入れるように言葉を続ける。


 「いやだって仕方ないじゃないか、昔の彼女はね、もっと実直というか……高嶺の花というか……そんな人だったんだよ。それがどんどんおかしくなっていき、あらぬ事を真実のように思い込み、周囲の人からは蔑むような目で見られていく様子が……とても面白いんだから。おや?よく分かっていないような顔をしているね。良いものを見せてあげるよ。」


 そう言うとスーツケースに手を入れて何かを取り出す。それはノートのようなものだった。しかしヴィシャの外見には似つかわしくない、少女趣味でかわいらしいデザインが施されている。


 「これは彼女の日記帳だったものだよ、ほら呼んでご覧、あぁ最初の方もしっかり読むんだよ。変化というのは大事なスパイスだからね。」


 俺はヴィシャの言葉に従いページをめくった。最初の方は学校の話が多い。今日何をしたかとか、親兄弟の話とか、友人の話とか……何気ない日常で感じる僅かな幸せがそのノートには詰められていた。だがある日を境に様子が変わる。ヴィシャと出会った日であった。そのことも日記に記されている。


 『一通の手紙が届いた。中身は兄さんのあらぬ事実が連なったものだった。私はそれを破り捨てる。』

 『配達便が届いた。私宛によるものだった。そこには兄さんのことを侮辱する内容の記録映像や、子供のおもちゃだった。兄さんにそれを見せると兄さんは怒りだした。』

 『ビデオレターが届いた。最悪だった、吐き気がする。醜い、気持ち悪い。血が流れているだけでぞっとした。』

 『無線機と手紙が届いた。手紙には今までのことを公表するという文言だった、あいつのことはどうでもいい。だが妹であるわたしがこれを公にされるとどうなるだろうか……知らなかったで済まされるはずがない。指示に従い無線を操作すると男の声が聞こえて今日からその男の命令を従うように言われる。』


 俺は日記から目を外しヴィシャを見つめた。


 「おい、これはお前……。」


 ヴィシャは身を乗り出し、日記を覗き見する。


 「おや、やはりまだ途中じゃないか。駄目だよ最後まで読まないと。君は映画とかプロローグで満足して映画レビューとかするタイプの人なのかな。」


 俺はヴィシャの言葉に従い日記を読んだ。正直まともに読み上げたくなかった。この日記は彼女が壊れていく過程を描いていた。まず最初に人間関係にヒビが入り、そして次に自分の周りへの目線が壊れていき、最後には自分への評価まで壊れていっている。居場所が段々と無くなっていく彼女は家族にも頼れず、友人を裏切るように仕向けられ、周囲の評価を落とすような行為をさせられ、そして自らの存在意義、尊厳まで否定されている。日記はページを残し、途中で終わっていた。最期の内容は『今日もなにもなかった。』で終わっている。日付は数ヶ月前だった。


 「それは彼女の部屋から回収したんだ。日記をつけているのは知っていたからね。本当に惜しくて仕方ないんだけど、それは君にあげるよ。友好の証、私からのささやかなプレゼントだと思ってくれ。」

 「友好の証……?」

 「あぁ、話が飛躍してしまったね。すまない。私はね、君と協力関係を結びたいんだ。私の目を盗んで伊集院と密談をするのは見事だ、しかもそれだけではなくどういう手段か私の分身も消し去った。おっとまた飛躍してしまったね。厳密には私の分身を誰が倒したのかはわからないのだが、伊集院の報告と君の手腕から察するに、犯人は君と私は考えているよ。」


 ヴィシャは嬉々として話をしている。心底嬉しそうに、純粋な目で。その目には曇りひとつなく輝いていた。その笑顔には偽りが欠片もなく、本心から俺に対して友愛を感じており、親愛の笑顔を向けている。そしてその言葉には俺の力が欲しいと心底願っているような口調だった。俺は言葉を失っていた。その反応をヴィシャは別のものと理解したのか更に話を続けた。そのプレゼントが足りないならお金だろうか、それとも女が良いのかと。マトモに聞いていると心が腐っていきそうな、ヴィシャの言葉には何一つ悪気がなく、まるで世界は全て自分中心で回っていると思いこんでいるのではないかと思うくらいだった。


 「お前はこんなもので、俺が喜んで仲間になると思ってたのか……?」

 「ははは、確かにそんなものだな。いやしかし笑いの種にはなると思ったのだがね。」


 違う、"そんなもの"ではない。この日記は伊集院の嘆きであり、魂の叫びそのものだった。"そんなもの"で済ませてはならない。おれが"こんなもの"と言ったのは、そんな日記を俺への友好の証だと渡すその行為自体だ。


 「ではやはり……お金……いやいや君も年頃だ、女の方がいいか。では伊集院はどうだ?ああなる前はそれなりに男子に人気があったらしいぞ?……あぁ!安心してくれ、彼女はまだ汚れていないよ。だって、そんなことしたら彼女は完全に壊れてしまう。動かないおもちゃで遊ぶ趣味は私には」


 殴り飛ばされたヴィシャが吹き飛ぶ。喫茶店内に悲鳴が響き渡った。馬鹿なことをしたと思う。だが、奴の言葉はもう聞きたくなかった。聞けば聞くほど腹の底で黒い炎がうずまくのを感じ、自分の心までこの男と同じように穢れてしまうようだったから。動かないヴィシャのもとまで歩く。ヴィシャは蹲り動かない。


 「怒られた……のかな?」


 そう呟くヴィシャは動こうとしない。まるで糸の切れた人形のようだった。


 「立てよヴィシャ、お前はここで倒さないといけない。」


 だが動かない。サイレンの音が聞こえた。警察だ。


 「あそこです!男性が突然殴られて!!」


 店員が俺を指さして警官を連れてきた。俺は警官に羽交い絞めにされる。


 「暴力は駄目だよ、平和的に話そうじゃないか。」


 羽交い締めにされている俺を見てヴィシャは立ち上がりニカッと笑った。


 「何が暴力は駄目だ、伊集院にあれだけのことをしておいて、どの口が言うか。」

 「伊集院くんには何もしてないが?ただ私は、お願い事をして彼女は自分の意思でやっただけじゃないか、失礼だな。それではまるで私が君と同じ犯罪者みたいではないか。」


 そして埃で汚れたスーツを払い、スーツケースを手に取った。


 「それではさようなら、境野くん。ところで君はこれから留置場に行くと思うけど……どうやって君の友人を守るつもりなんだい?」


 ヴィシャはいつもと同じ、屈託のない笑顔を浮かべて立ち去ろうとする。俺は血の気が引いた。これが奴の仕組んだことだとしたら……。


 「ヴィシャ!貴様ぁぁぁぁぁ!!」


 俺は警察を振りほどきヴィシャへと向かう。だが突然力を失い倒れこんだ。そして多数の警官が俺を組み伏せる。俺は為す術もなく、ヴィシャが立ち去っていくのを見るしか無かった。

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