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かけがえのないもの、始まりの物語

 高橋は頬に手をつきながら上の空だった。空いた席を見つめる。思えば昔はこんな風に学校に始業前にくることなんてそんななかった。面倒で仕方なくて、いつもぎりぎりに登校していたから、遅刻だって日常茶飯事だ。

 いつからか、こうして早く来るようになったのは、他でもないあいつと早く会いたかったから。毎日会っているというのに、この想いが色褪せることは一日とてなかった。今はただ、一分一秒でも長く、一緒にいたいと願うようになった。変えられてしまったんだ。


 始業のチャイムが鳴る。席は空いたままだった。担任がやってきて出席の確認をとる。


 朝のホームルームが終わり、皆が授業の準備を始めた。今日はいつもより賑やかだった。休学していた軽井沢が復学して、彼女の友達が彼女を取り囲んでいる。あたしは黙ってテキストを整理する。

 伊集院や夢野とは自然に合流し、授業のある教室へと向かった。皆がいなくなって静かになった教室を後目に、あたしたちは別の教室へ向かう。今日は午前中で授業が終わる。気分が楽だ。



 ───繁華街から少し離れた場所。無明探偵事務所はそこにあった。朝、チャイナドレスを着た目立つ女性が事務所に入る。


 「仁?鍵が開いてたからお邪魔するわよ。少し不用心……。」


 今、この探偵事務所の主は境野仁。全世界各地を頻繁に飛び回っていた彼だが、少し大きな仕事が残っているとか何とかそんな理由で、しばらくこの街に留まることにしたらしい。

 それは分かる。むしろ歓迎したい。だって仁の居場所がはっきりとしているのだから……。だがこれは聞いていなかった。


 「おーい誰か来たぞ?居候してんだから接客くらいしてくれよ……ちっ本家の奴ら今更俺に何のようだよ……。」


 仁はパソコンの前に座り何か呟いている。メールでも見ているのだろう。それは良いとして、その周囲に抱きつくようにしがみつき、二人の少女が親しげに仁と談笑しているのはどういうことなのか。


 「おい元マフィア、接客しなよ。穀潰しのお前にはぴったりの仕事じゃないか。あと仁から離れろよ。」

 「ザリガニちゃんこそ、たまには外出したほうが良いんじゃないかな?一度も仁と外出したことないもんねぇ?私は何度もあるけど。」


 にらみ合う二人を見てため息をつきながら仁は立ち上がる。


 「あーすいません、ちょっと散らかっ……。」


 玄関口に目を向けるとユーシーが立っていた。震えた手でスマホを持っている。


 「じ、仁?その娘たちに手を出したら仁でも私は通報するから……。」

 「出しませんよ!?おい真顔でスマホ握りしめるのマジでやめろ!!普通に怖いから!!」


 通報直前のところを食い止め、ユーシーに事情を説明する。今回の事件について。龍星会の解散に伴い、恨みを結構買ってるムォンシーについては保護しているということを。そしてザリガニはそのことを聞きつけて何故かやって来たということ。


 「そ、そうね……そういうことなら仕方ないわ……じ、仁がそんな趣味がないのは分かってるから……。」

 「えー、そうなの?コスプレ中華おばさんに比べたら魅力あると思うけどなぁ、ねぇ仁?」

 「珍しく意見があうね。確かに年増なんて枯れゆく一方だよ仁。大体、この女ストーカーじゃないか。何で呼んでもないのに、ここに来たんだい。」


 二人は容赦のない言葉をユーシーに浴びせる。こんな時だけ仲良く共闘しやがって。


 「仁、ちょっとこのメスガキ達を教育してもいいよね?大人に対する礼儀を知らなさすぎる。」

 「子供の言うことなんだから、抑えてくれない……?」


 事務所壊されたくないし、そもそもユーシーじゃあこの二人には多分勝てないぞ……。落ち着くようコーヒーを淹れてユーシーに出す。ついでに俺も一杯……。先程届いたメール……。境野家から来た楽園級アドベンターの消失についての問い合わせだ。レンから話は聞いている。アバロン、シャングリ=ラ=アガルタ、エデン、カナン……。これだけ大きな出来事があったのだ。混乱は避けられない。どうもこれから忙しくなりそうだし、この街には長居することになりそうだ。


 「レン……お前は今、どうしている?」


 窓から外を見る。ここから先は俺だけの物語。あいつには日の下で、真っ当な人生を送って欲しい。あいつはただの一般人だ。たまたま巻き込まれただけの被害者。裏仕事は俺のような奴で十分なのさ。そんなことを思いながらコーヒーを啜る。



 ───南国。強い日差しの下、人々は懸命に働いていた。この国は今、大きな成長を遂げようとしている。紛争が解決し、諸外国の投資……飛躍的な高度経済成長。しかしそんな歪な成長の裏には歪というものがある。

 東郷は手でその日差しを避けるようにかざしながら、案内をさせたガキにチップを渡して少し休憩をとるために腰を下ろす。


 「まったく、この国に来てから激動ばかりだ。スリは出るわ因縁つけられてケンカはするわ……。ふん、文化レベルが低い後進国の人間らしいがな。」


 水筒に入れていた飲料を飲む。路上で買うと確実に腹を壊すというので、大きめの水筒だ。

 この国には表と裏がある。華やかな経済成長、その裏ではスラム化して路地裏に逃げるように住まう貧困層たち。極端な話ではあるが、ここは世界の縮図だ。


 「見ているがいい、境野。次に貴様と出会うときは、成長したネオ東郷を見せてやろう!ハハ、フハハハハ!!!」


 異国の地で一人東郷は高らかに笑う。



 山の中、深い深い森を抜けて、ようやく辿り着く。丘を登り、開けた場所に出た。眼下に広がるのは、ただ緑の生い茂る木々。かつてそこにいた人々はもうそこにはいない。当然だ、あれから数万年も経過している。それでも、目を閉じるとかつての人々の賑わいがあったような気がした。


 「埋葬するものなんて何もないけどさ、形式的にでも墓はあるほうが良いだろ。ノア……いや磯上。」


 境野連は一人、カナンに与えられた慧眼で見えた景色に向かっていた。それはノアが降りた最初の地。忌むべき地でありながらも、始まりの地。希望に満ち溢れ、未来を見た場所。

 結局、境野連はもとの世界に戻ることが出来なかった。もとの世界に戻るには、あまりにもこの世界に染まりきっていた。決定的なのはカナンの干渉である。カナンは死亡したが、その力の残照は今も境野連の中に疼いていた。それは呪いか、あるいは祝福か。


 「学校でお前を覚えているのは一人もいなかったよ。でも俺は絶対に忘れない。希望を求め世界を旅した偉大な先駆者たちを、そして大切な友人を。」


 墓に花を供える。


 「俺たちも忘れないさ境野、いつまでもな。ありがとう。」


 声がした。確かに聞こえた磯上の声。周囲を見渡す。誰もいない。ただ草木が風に揺れる音がするだけ。まさかと思い、もう一度丘からの眺めを見直す。


 そこにはたくさんの人々がいた。無間とも言える旅の果てで辿り着いた楽園で未来を見た人々がいた。山を埋め尽くすような人々が、祝福を掲げていた。皆が笑いながら、報われた願いに歓喜していた。

 垣間見た幻覚。いつかあった筈の原風景。丘からの眺めは変わらない。ただの雑木林。今はもう、そこに人が生きた証は何一つ残っていない。だが、確かにそこにはいたのだ。彼らが、希望に満ち溢れたそらの旅人たちが。


 「……幻か。」


 墓場を後にする。幻覚、幻聴。分かりきっていることなのに、ノアが、磯上がいつまでもいつまでも、そこにいて俺が立ち去るのを見守っている気がした。


 元の世界にはもう帰れない。俺はこの異世界で新しい人生を送らなくてはならない。まったく別の世界、縁もゆかりもない。

 スマホの着信、高橋からだ。墓参りをするので学校は休むと伝えていたのだが、今日の授業は午前で終わり。すぐそこに皆で来ているらしい。

 これから先、どんな未来が俺に待ち受けているのかは分からない。何をすれば良いのか答えなんて無いのだろう。今をただ懸命に、後悔だけはしないように。だから、きっと大丈夫。今の俺には、この世界で巡り会えた仲間たちがいるから。

 山を降りて、駅に戻る。みんな待っていた。


 「おーい!」


 俺は手を振りながら彼女たちに駆け寄った。振り返らず、真っ直ぐ。

 透き通るような青い空、これから刻んでいこう。いつか消える淡い、ただそれでも確実にそこにある、流れ星のようなかけがえのない、あっという間に過ぎ去っていく大切な青春の1ページを。

 長らくご愛読ありがとうございました。本作はこれにて完結となります。評価、感想、レビューなどを頂けると作者の私は大変うれしいですし、次回作のモチベーションに繋がります。


 最終的に主人公である境野連は元の世界に帰ることができませんでした。

 ですが、それが彼にとってバッドエンドなのかどうかは、これからの彼の生き方にかかっているでしょう。

 唯一つ言えることは、訳の分からないまま見知らぬ世界に投げ出され、何をすれば良いのかも分からず、ただただ必死だった彼はもういないということです。


 本作ではお察しの方もいるかもしれませんが、旧約聖書等の神話、伝承がベースとしてあります。後半はそれが露骨だったので神話や伝承に詳しい方は察していたかもしれません。

 それを踏まえてアドベンターとは結局なんだったのか?境野連や有栖川が元々いた世界とはどんな世界なのか?境野連の内に潜む名もなきアドベンターの名前は何なのか?自ずと答えが出ます。

 ですが、それを作者自ら明かすのはあまりにも無粋であるため、読者様のご想像にお任せしたいと思います。


 長くなりましたが改めてご愛読ありがとうございました。

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