ただ今ある幸せが欲しかった
世界は暗黒に包まれていた。渺茫たる彼岸の不生不滅剣の炎が世界を燃やし尽くした。無数の粒子と、満天の星空に月明かりが見える。境野連は、そんなそらを寝転がりながら見ていた。
だがそれは束の間のことだ。その炎は破壊と創生。破壊されつくされた世界に新たな生命が芽生え始める。この星のアドベンターを破壊しつくして、生命だけが残る。
そらに広がる星々は軌跡を描く。逆行しているのだ。生命が生まれていくその時まで加速し続けるこの星は、いつしか光の速度を超えて、過去へと向かい出す。
「世界の終わりと始まりを……まさかこんな形で見れるなんてな……。」
隣に転がる磯上はそう呟いた。既に肉体は朽ちかけていて、上半身だけの姿となっている。世界は生まれ変わる。いや、正しき歴史へと歩み始める。間違いをただし、無かったものにして、人類の歴史が始まろうとしている。
「そうだな、いずれ全てはもとに戻る。皆がいた世界に、この炎はよく分からないが、そういうものなのだろう。」
この内にいるアドベンターを最初から最後まで理解はしていなかった。だが何故だか知らないが、これから起きようとしていることは分かる。恐らく俺の魂に溶け込んだ、原初の人類の記憶、きっと恐らく、同じことを過去に一度経験したのだろう。
「だが、俺はその世界にはいられない。」
「大丈夫、お前も新しい世界で受け入れられるさ。だって同じ人間なんだから。」
俺の言葉に磯上は悲しげな顔を見せた。
「違う、違うんだよ境野。俺の身体を見ろ。数多の人類の集合体。磯上たかしなんて人間は、本来存在しないんだ。人々の想いの代行者、意思なき灯り。この世に残る亡霊。」
創生の炎がやり直すのは正しき生命の形。その点で言えば、磯上の存在は歪そのものだった。結晶化した人類が集まり造られた生命体。自然な形ではない。故に磯上は新しき世界に行く資格がないのだ。
「馬鹿なッ!こんなことがあるか!!だってお前は……お前は今まで……ッ!!」
その世界を夢見て生き続けてきた。だというのにその世界には磯上自身がいないなどと、そんな馬鹿げた夢があるというのか。
「境野、俺は今でもお前のことを友人だと思っているよ。お前はどうなんだ?」
「ふざけた話を言うなよ……俺だってお前のことを……友人だと今は思っている。」
磯上は吹き出した。都合のいい男だと。正直なやつだと。そこは嘘でも、ずっと友人だと思っていると言うのではないか。まぁいい、それがきっと彼の魅力なのだろう。それだからこそ境野連なのだと、納得した。
「なぁ最初の試験のときを覚えているか?あのとき本当に俺、どうしようかと思ったんだぜ?ハズレアばかりでさ……。」
「よく言うよ、お前が本気出してたら終わってたじゃないか。最後の東郷の動き止めたのも偶然じゃないんだろ。」
「当たり前さ、偶然であんな場所にいるわけない。ヴィシャの時とかお前さ、本気で怒ってたよな。でもダメだよ、手を出したら負けだろ。剣を焚きつけるの正直良心が傷んだんだぜ、剣もさ大事な友人だから。」
「あぁ!剣が何でヴィシャを追いかけたのか不思議だったけどそういうことだったのか。でもそれがきっかけだったのか、登山の時や課題の時、やたら仲良さげだった。」
「話してみると意外と楽しい奴だよあいつは。対抗戦の時も活躍してたんだろ?あのときは宝塚が迷惑をかけたな。彼女さ、普段は優しい子だったんだ。新しい世界では俺のことなんて忘れてるだろうけど、世話好きでさ……。」
俺たちは昔のことを、数ヶ月前のことだと言うのに、まるで何十年も前のことのように話していた。時間の流れを忘れるようだった。いつまでも、いつまでも続くと思っていた。
「有栖川がさ……俺たちの仲間に手を出したんだ。」
俺は黙り込む。磯上と話すには、避けられない話題だと分かっていたが、それはもう磯上と話すには……あまりにも……。
「それでもさ、磯上が裏切って悪かったって言ってたって伝えてくれないか。」
「嫌だ。それはできない。」
俺は磯上の申し出を断る。磯上は困ったような顔をして俺を見つめる。
「謝るのは、お前がするんだ磯上!だって、だってそうでないとおかしいじゃないか!お前の悲願だったんだ!だというのにお前だけが一人ぼっちでこの宇宙の果てで散るなんて、道理がなってない!!謝るんだよ!!新世界でお前は!!それがお前に課せられた贖罪だろ!!!」
「境野……。」
磯上は呆気にとられたように俺を見つめていた。本当は分かっている。どうしようもないことに。それでも我儘を言いたかった。救いようのないこいつを、どうにかして救いたかった。
「咎人は罰を受けなくてはならない。罪と罰。俺はさ境野、やはりそちら側にはいけないんだ。俺は復讐のために、喜んで悪に堕ちる。その先には何もない。ただただ沈んでいく。奈落の底に、深海へと。救いのない物語。それが俺の人生で、俺の物語の終点なのさ。」
復讐の果てに手に入れた光景は、素晴らしいものだった。空には無数の星々が輝き軌跡を描く。それはまるで見たことのない、極上の芸術品のようだった。そして隣には、最高の友人が自分の最後を看取ってくれる。復讐者の末路にしては、あまりにも上出来すぎる。
「それが楽園を目指した彼らへのせめてもの償いだ。俺の旅の果ては、これで良いのさ。」
光が満ち溢れていく。それは逆行の終着点。世界が作り換えられていく。新たな世界へと。磯上との距離が段々と離れていく気がした。
「駄目だ磯上!!お前は行かなくちゃいけないんだ!!お前が否定しようと俺はお前を肯定する!!お前は紛れもない人間なんだよ磯上!!!!」
手を伸ばす。磯上をつかもうと、ともに新たな世界に向かうために。だがその手は何も掴めなかった。磯上は俺の姿を見て満足気に微笑みながら呟く。
「さようなら、俺の友人。お前と巡り会えたことが、数万年の人生の中で、一番の幸運だった。」
消えていく。光が視界を満たす。白い白い世界。磯上との繋がりが絶たれていく。完全なる別れを実感する。それでも俺はただ叫び続けた。無駄と分かっても、ただただ友人の名を叫び続けた。
───光が満ちていく。自身の身体が滅んでいくのが分かる。幾万年の時間をかけた我らの悲願は果たされた。怨嗟の思いだけで形作られていた結晶は一つ、また一つと結合を失い無に帰る。
境野の姿が遠くに見える。本当におめでたい奴だ。こんな事態になってなお、俺のことを助けようと本気で思っている。本当に、本当に甘い男。
その先の世界では人類がきっと正しく生きてきた世界が広がるのだろう。誰のものでもない。人類が人類のために築き上げた物語。いつか聞いたおとぎ話。夢物語。理想郷。そんな話を聞いたとき、素晴らしい世界だなと思った。でもそれだけだった。
大事なのはそんなことじゃなかった。俺が実現したかったのは、正しい歴史を築き上げることもだが……何よりその傍に大切な友人がいることだったのだ。そういう意味では境野、お前は俺の夢が叶っていないと言っていたが、既にあの時、あの一瞬の間だけ叶っていたんだぜ。
だからこれでいい。醜い醜い復讐者の末路にしては、あまりにも上出来なハッピーエンド。お前が悲しむことなんて、何一つない。悠久の時を超えた旅の終着点にしては上等すぎる。
───あぁくそっ。でも、もしも、もしも……境野が起こした奇跡が、カナンを倒したようにもう一度、奇跡が起きて、あの世界に行けたら……。
「なんてな……そんなこと叶わないって分かってるのに。あぁそれでも少しだけで良いから、お前と一緒にその世界で生きたかった。」
誰のものでもない、誰かに造られたものでもない。俺の、俺だけが作り出す物語。そんな世界で、この星で一緒にお前と歩きたかった。
磯上の肉体は朽ちていく。光の中に溶け込み落ちていく。それはまるで新たな世界からこぼれ落ちていった、一滴の星の雫のように。





