ずっと網膜に焼き付けて
燃える大地、焼けただれた地面。海面は蒸発し大気は既に生命の住む環境ではない。満たされた水蒸気、メタンガスにより温暖化は指数関数的に上昇し、今やこの星は原始惑星のように、生命一つない死の星となっていた。
それを成し遂げた敵が眼前にいる、そうカナンは認識した。カナンの使徒は、この星に住む人類以外の全生命体全て。それが一瞬でこの者に、皆殺しにされた。
磯上の周囲に粒子状の光が集まる。磯上の手が振るわれるとそれらは霧散し、地面に根付き始める。巨大な植物が次々と生えてくる。この死の大地で。
「俺のアタッチメントは、ワカメを生やす能力。生やす場所に限りはない。即ちそれがどういう意味を為すか、アドベンターのお前なら分かるだろう。」
使徒を全て失ったこの大地に、別の生命体が次々と侵食してきている。それはエデンと同じ手口だった。環境を支配し、制圧していく。カナンは最早、かつての力のほとんどを失い、大幅に弱体化している……筈だった。
光線が走る。大地を穿つ。根を張った植物は全て薙ぎ払われる。使徒を失ったとしても、その力は未だ未知数。それが超弩級大型アドベンター、カナンの力である。
───だが、そんなものはどうでも良かった。分かりきっていた。磯上の目的は一瞬の時間。僅かな間、この何もない大地で生命を生み出すことだった。生命が存在するのであれば、カナンの使徒が全滅した今、遥かそらの果て、それは降臨する。
アバロン。かつて雷伝が召喚に成功し、レンと仁の手で一時退却を余儀なくされたカナンに並ぶアドベンター。だがアバロンは一時退却をしただけで、今なお、虎視眈々と侵略を狙っていた。放たれるのは大量のメルニヌス。寄生先は……磯上が生み出した植物たち。
植物は変質する。かつてエデンの使徒に寄生した時と比べ脆弱なものだが十分だった。
今のカナンに、環境制圧能力は持たない。灰化現象。無数の使徒による支配により起こっていたそれは、今や無力化した。アバロンは降臨する。大量の騎士を引き連れて、カナンとの戦いを、今こそ最大の好機と見て。
これこそが磯上が、亡霊が数万年かけて巡り合わせたカナンとエデンを殺す方法。人智の及ばぬ存在には、人智の及ばぬ存在をぶつければいい。そう思っていた。
「───ならばアバロンを斃せば終わると、そう思っているんだろうカナン。」
楽園の騎士たちが動きを止める。カナンの攻撃ではない。アバロンの指示でもない。突然の制御不能状態。そしてアバロンは、声にならない叫び声をあげる。それは悲鳴のような断末魔のようだった。カナンは何もしていない、ただ対峙しただけだ。何が起きているのか、磯上を除き誰もが理解をしていなかった。
───伊集院家が全世界で展開していた孤児院。亡霊により作られたもの。その正体は大規模な人身売買施設だった。というのが表に出ている情報である。だが現実は違う。孤児院は亡霊に必要なものだった。エデンの使徒を、非人道的的に研究するために。アドベンターを如何にすれば制御できるのか。人身売買など、その研究の果てに余ったものを利用していたにすぎない。
磯上の肉体はかつて星を渡る超文明の機械そのものである。それらが作り出した解析装置が一つの結論に至った。アドベンターは全て、使徒と通じていると。雷伝がアバロンの召喚を為した時、それは確信に至った。
メルニヌスにより楽園の騎士となった磯上の作り出した植物たち。だがそれは一時的なものだ。既に仕組みを磯上は理解していた。無数の楽園の騎士を介してアバロンに逆介入する。即ち、アバロンの支配。アバロンとの同化。
アバロンは断末魔をあげながら肉体を歪に変形していく。無数の樹は枯れて、赤い実は腐り落ちる。アバロンは崩壊し、別のものへと変貌を遂げていく。
その異常な異変に気が付いたカナンは光線をアバロンだった存在に打ち込む。無数の光の槍を突き刺す。だがまるで、それすらエネルギーにするように光を吸収し新たな存在へとなれ果てた。
「これこそが俺たちノアの終着点!ベンセリウム!受け取れカナン!これこそが俺たちの、無限とも言える永遠の旅の果てだ!!いかなる姿となろうとも、決して諦めることのなかった、俺たちの答えだッッ!!」
機械の怪物。ベンセリウムと呼ばれたそれには無数の人々の怨嗟が集い構成される。それは最早、人とは呼べぬ代物。結晶化した人類の精神とアバロンは完全に融合し、まったく別の存在と化した。アドベンターでも人間でもない。敢えてそれを示すのであるならば、カナンを、神を打ち倒すもの。神に立ちはだかるもの。
ベンセリウムは動く。その一撃は単純な質量攻撃のように見える。だが現実は異なる。その一撃一撃が人類の呪いの塊そのものだった。その強すぎる憎悪は、世界の理すら捻じ曲げて、カナンの防壁すら容易く貫く。
磯上は想い続けていた。かつて有栖川から聞いた話。アドベンターのいない世界の話。おとぎ話のようだった。彼女から少しではあるが色々な話を聞いた。彼女の世界の神話、英雄譚を。確信した。彼女の世界もまた、多くのアドベンターがいた。だが……それは神話や英雄譚という形で、斃し尽くしたのだ。決して運が良かったという話ではない。彼女の世界の人類は、自身の手で人類の未来を掴み取ったのだ。
もう手遅れだった。この世界に人類は残っていない。あるのは歪に結晶化した存在。ただただ復讐を祈る怪物がいるだけ。それでもなりたかった。境野や有栖川のいた世界で、確かに存在した英雄に。アドベンターを討滅して、人類の未来をこの手でつかみ取りたかった。
「この手に……例えいかなる手段を取ろうと手に入れるッ!それが俺たちの答えだ……カナンッ!決着をつけるぞッッ!!」
ベンセリウムの一撃がまたカナンに入る。カナンの光が弱まっていた。カナンは認めざるを得なかった。目の前の怪物は、かつての害虫とは格があまりにも違いすぎる。それは自身と同格……否、もしやするとこの宇宙に散らばる支配者たちにも届きうると。ベンセリウムの一撃は、そう思わせるほどに、あまりにも強い呪いが込められていた。
この星に最早カナンの味方はいない。何億年とかけて作り出したカナンの環境は一瞬にして消された。全生命体が死亡した。それでもカナンは懸命に探す。ベンセリウムを打倒すべき、妙案を。
───見つけた。
"あの女"は、最後まで良き仕事をしてくれた。
「汝は選ばれた。神託を授けよう。受け取るが良い。新たなる使徒として。」
境野連を見据え、カナンは直接脳に交信する。あの時と同じように。有栖川にした時と同じように。
突然、俺の頭の中に何かが入り込む。精神が侵食されていく。いや、俺の見える景色が変わっているのだ。世界の事象、あらゆるものが手に取るように分かる。この星の歴史が世界が、全て俺の頭の中に入り込む。かつて人類が、ノアが託した想いを。
目の前にいるのはそんな彼らの末路。今なら見える。呪いの塊、彼らは彷徨い続けていた。憎悪を幾万年の時を超えて晴らすために。
"だから奴らを倒さなくてはならない。よく分からないがそんな連中に酷く生理的嫌悪感を抱いた。"
何故だかわからないが力が満ち溢れる。今なら何でもできる気がした。大地に触れる。大地を再構築。まずはこの蒸し暑い世界を何とかしよう。
手が触れた先から大地は歪み軋み揺れる。一瞬にして世界が一変する。数百メートルの地平が、大草原に変化した。環境は一変し、別の空間が突如発生したことを思わせるほどだった。
突然何が起きたのか、磯上は困惑した。そして彼を、境野連を見て全てを察し、そして絶望した。
「だからあの時、殺したかった。お前がこんなことになって……ほしくなかった。」
そこには星の使徒と化した境野連が立っていた。その目の奥には、かつてあった灯火はない。かつての有栖川のように、濁りきった深い深い深淵の底のような冷たい目をしていた。





