伝染する狂気、露顕した毒婦
観籠総理にスキャンダルは何一つ無かった。品行方正、ただひたむきに実直。そんな男だった。そのくせ真面目なだけではなく、政治屋としての実力も高く、根回しや心理戦にも長けており、付け入る隙がまるでない。
まぁ……そんなことは関係ない。彼女は観籠の経歴、様々な関係者たち、出席した式典、送った祝電など全てを見ていた。完璧な人間など存在しない。誰もが弱みを握っている。完璧に見えるのは、ただそれを隠すのがうまいだけだ。
一つの情報に目を止める。そして目を細め口角が上がる。
「みぃつけた。」
大衆というのは常に刺激を求めている。そこに真実は求めていない。大事なのは、彼らの心にいかに響くかだ。たくさん脚色をしよう、たくさんの人の目に止まるようにしよう。この最高のエンタメを、最高の形でフィナーレに迎えるために。
その報道は突然だった。観籠総理が人身売買に関与しているという見出しで、全国的に報道される。過去、観籠総理は伊集院弦と親交があり、彼が運営するいくつもの孤児院に対して、観籠総理は自身のポケットマネーを寄付していた。それは当時、美談として報道された。もうずっと昔の話である。
だが弦の運営していた孤児院は実のところ、売春、人身売買により巨額の富を築いていた魔窟であったのだ。当時、関係していた政治家、官僚、芸能人は何故か突然揃いも揃って自首をした不可解な、だが人々の記憶に強く残る事件。
当然のことだが、観籠総理は人身売買に関与していない。ただの善意で寄付をしただけだ。だが……果たしてそれが本当なのか誰も分からない。そもそも寄付しておきながら、孤児院の真実を知らなかったという言い訳は通らない。そういった世論が流れ始めた。
「奴隷商人の観籠」「ロリコン性犯罪者の観籠」「不幸な子供の命で地位を得た観籠」
そんな暴言にも等しい、レッテル貼りが観籠総理には叩きつけられる。その陣頭に立っていたのは、二階堂率いる反政府団体。ここぞとばかりに、今の政府の腐敗を訴え、自身の正当性を主張。世論はそんな彼を、若き愛国者と称えた。
一方、観籠を非難する者ばかりではなく、擁護するものもいる。彼らを大衆は観籠信者と呼び嘲笑っていた。
「なんだよこれ……観籠総理は関係ないだろ!俺はあの事件を知っている!何なんだよこのデマは!!」
テレビではおもしろおかしく、このスキャンダルを報道していた。インタビューを受ける市民たちは怒り、悲しみ、失望……そんな反応で占められていた。
「何でよ……どうして今になってあの事件がぶり返されるのよ……。」
そのスキャンダルは伊集院家にも流れ弾のように飛んでいき、コトネはその対応に顔を真っ青にしていた。物音がする度に身体を震わせ、完全に精神が衰弱している。
「これが亡霊のやりたいこと……?アドベンターと全然関係ないじゃない……何がしたいの……?」
俺たちが困惑している中、サキは一人思案していた。磯上は言っていた。既に終わっていると。だが今の状態はどうだ?多少過激ではあるがただの政治騒動だ。恐らく入念に、観籠のスキャンダルを捏造し、大衆を扇動しているのだろう。
だがそれが何だ。この後のことは予想できる。観籠は失脚し新たな総理が生まれる。あるいは政権交代か?凄くどうでもいい。人類滅亡と天秤にかけたら、こんな国の政治騒動なんて、死ぬほどどうでもいい、ちっぽけなことなのだ。
「ねぇお兄ちゃん。観籠総理ってお兄ちゃん、この間の旅行で親しくなったんでしょ?何かなかったの?何かこう……人類が滅亡する鍵を持っているとか。」
「いや……総理という立場を抜きにしたら……ただの人のいい、すかっとした性格の人とくらいしか……。」
つまり凡人ということだ。私たちの基準では。観籠に世界を変える力はない。せいぜい有能な政治家。ただそれだけ。そんなただの男を失脚させるだけで、何が変わるというのか。サキは理解できなかった。亡霊の不気味な思惑が何一つ見えない。
観籠は黙ってはいなかった。会見で自身の潔白を主張する。そしてその後の街頭演説。大混雑が予想されるため多数の警備員が動員される。事実、その場は人で密集していた。人、人、人……人だらけだ。
俺たちも街頭演説がされるという場所に来た。豆粒のように小さい観籠総理が見える。
「これだけの人の数……まさか、暗殺をする気なのか?」
「まぁ……するには絶好の機会ね。誰がしたかなんて分からない。凶器は適当に地面に捨てれば、もう誰がやったか分からない。」
もっとも……サキは未だに疑念が残り続ける。暗殺?だから何?亡霊の目的は人類撲滅であって総理を殺すことではない。まぁ結果的に総理も亡くなるが……そんなのはただのテロリスト。あまりにも意味が分からない行動。
サキは警戒しながらも、観籠の様子を伺う。亡霊は何をする気なのか。
「ここから先は入るな!立入禁止だ!コラ!!」
半ば暴徒と化した大衆を機動隊が観籠の前に立ち、押しのける。前言撤回。暗殺なんて無理だ。機動隊の警護だけではない。よく見ると周囲をSPが取り囲んでいる。上空を見ると高いところから見渡すように監視しているものもいる。あれは……カメラだ。事件の瞬間を抑えるために無数のカメラが大衆を見張っている。
観籠の演説が始まる。酷いブーイングの嵐だった。みんな聞く耳を持たない。これは演説なんかではない。公開処刑。だがそれでも、観籠は懸命に訴える。自身の潔白を。自身の無実を。
「み、観籠総理!!」
そんな中、突然誰かが叫びだす。あれは……いつか観籠を刺した男だった。
「観籠総理、嘘ですよね!俺、観籠総理にあの時からずっと信じてて、救われたんです!なのにこんなこと、どうしてこんなニュースが流れるんですか!」
男は柵を乗り越え観籠に詰め寄る。
火薬の音がした。数回、パン、パン、と。慌てて総理を見る。だが総理はきょろきょろと辺りを見回していた。先程の音に気づいたが、何があったか理解していないようだ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁああ!人が撃たれたぞ!!観籠のSPが、市民を撃った!!」
悲鳴があがる。皆が騒ぎ出すが人の多さに皆、動けない。周囲は大混乱に陥り、悲鳴と叫び声がした。恐怖が場を支配する。
集団に押しのけられ、人々が更に観籠に詰め寄ってくる。火薬の音が更に続く。
「みんな逃げろ!!観籠が狂った!!殺されるぞ!!!!」
街頭演説の場は、大混乱となる。人が人を押し倒し、思うように動けない。そんな様子を観籠は唖然とした様子で見ていた。
SPの一人が銃を撃ったSPを取り押さえる。
「貴様ァ!何をしているかッ!!発砲許可は出ていないッッ!!」
「だ、だって……あ、あのままだと俺たちが襲われてた!やらなきゃやられてた!!」
SPの様子は完全におかしかった。酷く怯え錯乱している。同僚のこんな様子を見たのは初めてだった。
しかし悠長にはしていられない。暴徒が押し寄せてくる。SPたちは総理の周囲を取り囲んだ。
「総理!ひとまず今は逃げましょう!車までお護りします!!」
「ま、待ってくれ!は、話せば分かるはずだ!!離してくれ!!」
観籠の訴えも虚しく、SPたちにより無理やり、総理専用車に載せられ、混乱の広場から逃げるように立ち去っていく。
俺たちは、そんな様子を遠目で見ていた。何が起きている……?
俺は居ても立ってもいられなく、総理の乗った車を追いかける。聞かなくてはならない、今なにが起きているのか。そして伝えないと、亡霊が良からぬことを考えていると。
曲がり角を曲がろうとしたその瞬間、死角になっていた場所に人がいた。無我夢中で走っていたからか、反応が遅れぶつかってしまう。無理な体勢で急停止したため、俺はそのまま転がってしまう。車が行ってしまう……しかし……今はぶつかった相手に謝罪をしなくてはならない。
「すいません!急いでいたもので、大丈夫で……ピエレット?」
尻もちをついて痛そうに苦悶の表情をしている女性には見覚えがあった。目を引くサラサラとした長い金髪。そしてそんな姿さえ絵画の一つに見えてしまうほどの美貌。僅かな付き合いだが見間違えるはずもない。
「いたた……変わったところで再会したね。とりあえず……肩を貸してくれないか。」
手を取り肩を貸して、ピエレットを起こす。華奢な身体だった。ピエレットは俺にぶつかり、足を痛めたのかよろめく。
「まさかまた再会できるとは運命……かな?もう半分諦めていたんだけど。」
「それよりピエレット、足が痛むなら病院に連れて行こうか?幸い、近くに整体病院はあるし。」
「……いや、それには及ばないよ。あぁでも痛むのは事実だ。病院に行くほどではないが、私の家までエスコートしてくれないかな。」
観籠総理が気になるが仕方ない。怪我をさせてしまったのは事実だ。ピエレットは俺に寄り添う。息を荒くしていて俺を見ている。気丈を装っているが、内心は結構な怪我なのかもしれないと思うと罪悪感もある。
スマホが突然鳴った。着信のようで仁からだ。仁が電話をしてくるのは珍しいことだ。俺は慌てて電話をとった。
「レン、今は電話大丈夫か?いや駄目でも聞け。情報共有したくてな。今の政府に対する運動、お前が懸念している亡霊の動き……俺たちも調査をしている。今の観籠総理のスキャンダル、そして先程の銃撃事件を扇動している者がいる。目立つ風貌だからすぐ分かるぞ。外国人女性で、ロングストレートの金髪、蒼眼で身長は170程度のスラリとした体型。容姿端麗……かなりの美人でおい、メスガキやめろ、今話しちゅ」
電話が切れた。外国人女性、長い金髪、蒼眼、身長170cmのモデル体型、美人……。俺はピエレットを見つめていた。こんな人間が、偶然にも他にいるだろうか。俺の眼差しにピエレットは頬を染め「あまり見つめないでくれよ。」と照れたように答える。
「なぁピエレット……さっきの見たよな、銃撃事件……どう思う?」
「演説のとき?遠巻きで見ていたよ。すごい騒ぎだったね。それがどうかしたのかな。」
ピエレットは表情を変えず、自然にそう答えた。それは演技なのか、それとも素なのかは分からない。俺は足を止めた。疑念は心の中で膨れ上がっていき、何が正しいのかわからなくなる。それでもピエレットを信じたい気持ちが、仁の伝えた情報と一致したのはたまたまであると、別の可能性を考えていた。
サイレンが鳴る。気がつくと、俺たちはパトカーに取り囲まれていた。何があったのか。パトカーから慌てた様子で警察が飛び出してくる。その中には公塚もいた。
「境野レン!今すぐ、そいつから離れろ!!そいつには内乱罪の容疑がかかっている!!」
俺の腕を握りしめる力が強くなった。彼女は普段の気丈な態度とは打って変わり怯えた目で俺を見つめ、か細い声で話す。
「境野くん……彼らはなんだい?私を一体どうするつもりなんだろうか……。」
俺はその腕を振りほどいた。公塚はずっと俺を見ている。片手にはスマホ。聞こえたのだ、スマホから仁の声が。「あいつだ間違いない。急げ!」と。
反射的だった。それでも俺は、ピエレットと仁……どちらを信じるかというと明白だった。ピエレットのその目は助けを求める子猫のような目をしていた。
俺の腕から離れた瞬間、無数の警官がピエレットを組み伏せる。華奢な身体だった。あれだけの数に抵抗できるはずもなく、苦しみながら俺に助けを求めていた。
ピエレットの両手には手錠がかけられる。公塚はその様子を見て現在時刻を述べて「確保!」と叫んだ。
「どうしてだい境野くん……君ならこんな連中を倒せるはずだ……私はこのままでは彼らに辱めを受けるだろう。なぜ、黙ってみているんだい?」
俺はスマホをピエレットに見せる。仁から画像が送られていた。そこにはピエレットが、先程撃たれた観籠総理に心酔していた男と彼を撃った観籠総理のSP、それぞれ二人きりで何かを話している写真だった。
「ピエレット、この二人と知り合いなんだよな。もう一度聞くぞ。この二人は事件の中心だ。そんな二人が起こした事件に、何も思わないのか?」
ピエレットは写真を見て黙り込む。沈黙する。
「ピエレット……何か言ってくれ。お前が本当に何もない、勘違いなら俺は。」
「ククク……アハハハハハハハハ!!あぁぁぁぁぁ!!駄目だ駄目だ!!無理だよ境野くん!!!そんな決定的証拠を出しちゃあ、駄目じゃあないか!!!酷いよ、酷いよ境野くん!!!私は君のことを騙していたと思っていたのに、まさか私を騙すなんて!!!!ハーッハッハッハッハッ!!!!」
突然、ピエレットは笑い出す。今までの態度とはまったく想像出来ないほど、狂ったように。腰を曲げて心底苦しそうに笑っている。
「アハハ……そうだよ!そのとおりだ!すべて私がやったんだよ境野くん!!どうかな?楽しんでくれたかな?私はね、君のためにやったんだよ、ここまで。だってそうしないと君は私に振り向いてくれない。楽しかっただろう?嬉しかっただろう?今、君は私を見てくれている!!」
「な、なにを……。」
「君のせいなんだよ!君が私を選ばないからだッ!!せっかく、悲劇のヒロインとして君という名の物語に入り込もうとしたのに、台無しだよ!!なぁ一つ教えてくれないか?君の力ではないだろう?私の恋路を邪魔したのは誰だい?答えなよ!!!!」
怒りの形相だった。憎しみに満ち溢れていた。そこには優雅で気丈に振る舞っていた淑女の姿はない。ピエレットの豹変に俺は何も言えず、ただその勢いに押されていた。
「余計なことを喋るな!!話は署で聞かせてもらうぞ!!」
公塚は無理やり俺たちの間に入り、ピエレットを連行させる。ピエレットはパトカーに連れていきながらも叫んでいた。ずっとずっと、俺のせいだと。俺のためにしたことだと。
俺は彼女の人生を狂わせてしまったのか?俺に出会わなければ彼女は真っ当な人生を送っていたのか?俺は……。
「レン……境野レン!!」
気がつくと公塚に両肩を掴まれていた。俺はハッとして正気に戻る。
「奴のことなら気にするな。耳を貸すな。」
「け、けど公塚さん……俺は彼女のことを……。」
「……耳を貸せ。取り調べで分かることだがな。」
公塚に耳打ちされる。それはピエレットの真実。俺は唖然とした。言葉を失った。そんな馬鹿なことがあるのかと。
「か、仮にそうだとしてもやはりピエレットは俺を……。」
「まぁ確かにその線は否定できんな。だがそうだとして、お前は奴を肯定するのか?」
それは……おそらくできない。中途半端な態度はピエレットを傷つけるだけだ。面と向かい、否定することになるだろう。
「で、あれば奴はただの犯罪者だ。もっとも俺はそれすら狂言だと思っているがな。奴はこれまでの騒動に全て一役噛んでいる。暴動事件、立てこもり事件、占拠事件、全て奴が絡んでいる。各組織、運動のリーダーとしてではない。リーダーが生まれるように奴が扇動しているんだ。これは推察だがな。奴はお前も、その反政府組織のリーダーとして持ち上げようとしたんだろう。ちょうど今、学校を占拠している彼のように。」
───二階堂のことだ。ピエレットは、俺を二階堂のようにしようとしていた?公塚はそう言ってパトカーに乗り込んだ。ピエレットを乗せて。取り残された俺は、衝撃の事実に頭が空っぽで、しばらくの間、遠くに行っていくパトカーを見つめていた。