打ちつけられた楔、壊されていく心
───最近、みんなの様子がおかしい。伝染病騒動、VR機器による異常行動。そのことに対して、みんなは政府に対する批判ばかりだ。いや、批判自体は良い。問題なのはその内容だ。特定人物に対して死ねだの引きずり下ろせだの……聞くに堪えない暴言が当たり前のように浸透している。
今は私を中心にした委員会が、冷静になるよう、過激な発言や行動は控えるように抑えているが……学生の中にはもう何人かデモ活動に参加しているらしく、それが当たり前のようだった。
自室で頭を抱えながら課題、予習復習を済ます。今や真面目に学業に専念している者は少ない。過熱した運動はどうもおかしな方向に行っている。学生が政治運動をすること自体、咎めてはいない。だがそれは言論によらなくてはならない。暴力に訴えても、それは政治活動ではなく……ただの暴動に過ぎないのだ。
時計を見る。夜……少し喉が乾いた。コーヒーは……切らしている。仕方ないのでコンビニへ買いに外出する。
夜だというのに、市民活動は活発であちこち列を組んで行進をしている。彼らが掲げている看板にはやはり、暴力的なイラストや表現が記されていた。私はそんな彼らを避けるように、人気のない道を選んだ。
裏路地、ただでさえ薄暗く、不気味な場所だが夜になるとそれは一層強まる。多少、不愉快な思いは覚悟の上で表通りを選んだほうが良かったなと後悔した。
憂鬱な思いで裏路地を歩いていると女性の悲鳴が聞こえた。私は何事かと思い、声の方へ駆け寄ってみると、一人の女性が暴漢に襲われている。暴漢は女性の長く綺麗な金色の髪を鷲掴みにして引っ張っている。女性の目には涙が浮かんでいた。
「なにをしている!その娘を離せ!!」
私はそう叫びながら、暴漢の頭部を叩きつけた。だが暴漢はものともしない。私を睨み、襲いかかる。即座に私はアタッチメントを展開した。暴漢の周囲に本のページが巻き起こる。突然の出来事にきょろきょろと見回した。瞬間、暴漢は痙攣を起こし倒れる。私のアタッチメントの力だ。能力は私の記憶を追体験させること。それは本となりページとなる。追体験は一度きり。もしものために自分にスタンガンを当てた記憶だったが、役に立てて良かったと安堵する。とはいえ追体験。当然それが致命的なダメージに繋がるわけではない。何故ならば私自身が経験したことだから。倒れた暴漢を組み伏せ関節技を極めた。暴漢は苦痛の表情を浮かべうめき声をあげる。
「あとは私に任せて逃げなさい。」
美しい女性だった。目の色は青く整った顔。外国人だろうか。私の正義感に下心は無かったが、つい見惚れてしまい、思わず格好つけたくなり変な格好をしていなかったか意識してしまう。
「や、やめてください!離してください!!」
女性は私の腕を引っ張る。どういうことか理解できなかった。まるで、暴漢を庇うような振る舞い。その懸命な表情に思わず私は力を緩め、暴漢を解放する。暴漢は「おせぇんだよ!」と女性の頬を平手打ちした。私の心に腹の底に、どす黒い感情が芽生えたのを感じたが、女性が悲痛に謝る姿を見て、そんな感情が消し飛ぶ。
「どうして……そんなことをされて何故、そいつを庇うんだ!」
私は理解できず女性に問い詰めた。女性はその端正な顔を歪めて、目を背け、悲痛な表情を浮かべる。代わりに暴漢が答えた。
「どうも何も、こいつは俺の娘だよ。」
父親を名乗る男はそう言って女性の肩をポンと叩く。女性はビクンと震わせた。呆然とする私の姿に機嫌をよくしたのか男は更に言葉を続ける。
「娼婦に孕ませて産まれた女なんだけどよ、ケケ、誰に似たのか、これがまた美人に育ったんだ。初めては中学の頃だったかなぁ……いい女だぜこいつは……お前みたいな根暗眼鏡には一生手の届かないような。」
頭の中を金槌で叩かれたような衝撃だった。父親が……娘を……?これは親子の姿ではない。下卑た目で娘の顎を撫で回し、胸を撫で回し、女性はそれを全てを諦めたかのような目で懸命に耐えていた。
「これはれっきとした虐待、犯罪行為だ。通報させてもらう。」
「や、やめてください!」
助けるつもりで、私は救いの手を伸ばしたつもりだったのに、それははっきりと拒絶された。
「そんなことをしたら、私はどうなるんです?父親がいなくなって……お金はどうするんですか?こんな髪と目をしている者を雇ってくれるところなんて娼館しかありません。それに女ひとりでは社会的地位もありません、あなたは知らないんですか?行政手続き、契約関係……親抜きで、女性だけではこの国では何もできません。」
「こ、孤児院とかあるじゃないか!そこで預かってもらえればいい!」
「いやです!知らないんですか!?最近あった孤児院の、伊集院財閥の不祥事を!娼館よりも、今よりも酷い目に遭うのが目に見えています!!」
「なら、声をあげればいい!きっと話をすれば国も何かしらの対策を……。」
「……ずっとずっとしています。私たちのような立場の人たちに救済はないのかと。でも、誰も関心を持ちません。あなただってそうですよね?この国に対して私たちはずっと平等を訴えていたことを。誰も知らない。だって自分には関係のない、無関心だから。マスコミも取り上げない。みんな、興味がないから。あなたは街中で活動している皆の意見に真剣に耳を傾けて、考えたことがありますか?言葉だけで世界が変わるなら、とうに変わっているんです。」
めまいがした。足元が崩れ落ちるようだった。彼女は親に虐待されている。この世の地獄を味わっている。しかし、そこから抜け出すことなどできない。何故ならこの国の仕組み自体が彼女を拒絶しているから。孤児院だってそうだ。腐敗した上流階級。伊集院財閥はあれから健全化に取り組んでいるようだが、氷山の一角でしかない。彼女にとっては、父親の下でいることが、救いなのだ。
「そういうわけだお坊ちゃん。次からは相手、よく見て話をするんだな。」
男は彼女の髪を引っ張り立ち去る。すれ違うその瞬間、耳元で確かに聞こえた。「ありがとう」と。彼女は分かっていて、そこにいる。だがどうしようもないことなのだ。社会の仕組み。腐りきったこの国の仕組み。それは個人の力では、どうしようもないのだ。
市民運動の声が聞こえる。夜中だというのに。耳を傾けると、確かに外国人に対する不当な差別に対しても主張していた。彼女はこれからも地獄を見続けるだろう。終わらない悪夢を……。
「いや……違う……。」
そうではない。変わらないなら変えれば良い。言葉で通じないなら身体に教え込めば良い。彼女のような人は他にもたくさんいる。だからああして市民活動が続けられているのだから。
彼、二階堂進の心の内に潜む黒い炎は大きく燃え上がる。理不尽な世界を変えるために。いかなる手段を使ってでも。彼女が笑顔でいられるその時がくるまで。
ホテルの一室。先程の親子がそこにいた。粗野なホテルだが仕方ない。ここからだと住宅街から近くて、よく見渡せるからだ。
「だ、大丈夫ですか?言われたとおりやりましたが……。」
父親は娘に対して心配そうに声をかける。いや、彼らは親子ではない。赤の他人である。
「気にする必要はないよ。むしろもっと力を入れてほしかったかな?演技で誤魔化したけど、もし彼が鋭かったら、私たちの茶番劇に感づいていたかもしれない。」
そう答える女性は先程の哀れな迫害された女性の姿とはうって変わり、優雅さとその中に若干の艶やかさを感じさせる印象を与える女性の姿があった。立ち振る舞いだけでこうも印象が変わるものかと、男は感心する。
「しかし、あんな男のどこが良いんです?ただの学生、これといって特徴はないですが……。」
「……彼の様子を見てどう思った?」
「どうって……平然を装ってしましたが貴方に魅了されていましたね。」
「……そうだよね。うん、となると精神性の問題かな。やはり惜しい……だがまぁいいさ、彼のような凡人だからこそ良いというのもある。世の中というのはね、いつも若者が世界を変えるんだ。それも彼のような純粋で、平凡な人間がね。いつだってそうさ。」
いまいち釈然としない答えに男は首を傾げるが、これ以上は追求しなかった。女性は無邪気な目で外で行進している人々を眺めている。その目はまるで、おもちゃのショーウインドウに手を当てて、目を輝かせている子供のようだった。
トライビクターは人々の理性を破壊し、その本性を露わにする。数日の間ではあったが、世界中で猛威を振るったそれは、きっかけとして働くには十分だった。
ここ立て続けに起きた世界的大事件により人々の心は疲弊し、不信感に満たされていた。何故このようなことになるのか?誰が悪いのか?そんな気分の中、トライビクターを摂取した多くの人々が取る行動は一つだった。不満の爆発。デモ、暴動……暴力の形となって出てくる。都市では略奪の限りが起きていた。警察もトライビクターによる被害者が多く機能しない。
境野連たちが洛神を撃破したあとも、それは収まらない。むしろ激化した。きっかけに過ぎなかったのだ。最早雪崩のように動き出した流れは止められない。多くの行政機関は暴徒の手により乗っ取られた。もはやこれは暴動の域を超えて、革命に至るものだった。
政府護送車により俺たちは帰宅することができたが、街の様子は酷いものだった。炎上、略奪……テレビのニュースを見るとどれも、この一連の騒動ばかりだ。驚いたことにマスコミはこの暴動に肯定的であった。SNSも同じだ。かつてない出来事に皆、お祭り騒ぎなのか、笑いながら略奪を破壊をしていた。そんな暴徒とも言える彼らの主張の中には、観籠総理は責任を持って自殺しろ、殺せ。などという発言が多く見られた。そんな様子を当たり前のようにマスコミは全国放送で流し、薄ら笑いを浮かべながら、破壊活動を実況している。
テレビには俺たちの学校も映っている。どうやら学生が学校を乗っ取り、政治活動拠点として利用しているようだ。マスコミはそんな彼らを未来を憂いた愛国烈士などと言って持ち上げる。その活動は暴力も辞さないようで、学校には人質のように囚われた年配の政治家たちが映っていた。
そしてマスコミはその学生たちのリーダー、中心人物をカメラに映し、インタビューをとっている。その姿は見覚えのある男だった。
「二階堂……!?なんであいつ、こんなことしてるんだ!!?」
二階堂はこの国の現況について、そして自分たちの活動について熱弁していた。その手段には暴力も肯定的で、命すら投げ捨てる覚悟だという。マスコミたちは絶賛していた。今どき、こんな若者はいないと。英雄だと称えていた。
「うーわぁ……きっつ……あいつあんな奴だったんすか……?ちょっと幻滅っすね……。」
物騒な発言を繰り返し、主義主張を通すためならば暴力も肯定することを熱弁している二階堂に軽井沢はドン引きしている。正直な話、俺も同じ意見だった。俺の知っている二階堂とは印象がまるで異なる。トライビクターの影響はもうないはずだ。であるならば、あれは彼が正気であのような主張をしているのだ。
サキの話では一連の騒動は例によってアドベンターの影はないという。VR機器のときと同じだ。だが、違う点があるとすればそれは、原因となるものがまるで見当もつかないということだ。勿論、トライビクターというきっかけはあった。だが、今はそれぞれの人たちが自分の意思で、破壊活動をしている。
時間が解決する……ようには見えない。むしろ悪化していくのではないかと俺は不安で一杯だった。





