摩天楼、静寂たる闇
その街はかつて若者で賑わっていた。最新のファッションが集い、流行の発信元として常に最先端をいっていた。だがその姿は今や面影すらない、まるで田舎町の商店通りだった。シャッターが閉まっているのも多い。人はいないのに無駄に高い地価で、維持できないのだ。
全ての原因はVRにあった。VRが若者の需要を根こそぎ奪っていき、最早こんな街に立ち寄ることなどなくなったのだ。
だがそんな閑散とした街であろうと、関係なしに営業している喫茶店が裏通りにあった。客は全然いない。どうやって維持しているのか不思議だが、その理由をレンは知っている。喫茶店はあくまで表の顔、裏の顔は武器商人……そこにはVR文化なんて関係ないのだ。
懐かしい気持ちで俺は喫茶店の前に立っている。看板には「OPEN」営業しているのは間違いない。俺は喫茶店の扉に手をかけた。ドアに取り付けられた鈴の音が鳴る。ウェイトレスは暇そうにスマホを弄っていたが鈴の音に気が付き、慌てた様子でポケットに突っ込んで駆け寄ってきた。
「い、いらっしゃいませ~。お一人様ですか?」
彼女の名前はルナ。バルカンの娘である。こうして顔をあわせると懐かしい気持ちになる。
「あ、あの久しぶりです……俺のこと覚えていますか?」
「……?いえ、どこかでお会いしましたか?」
ルナは首を傾げてピンとこない様子だった。仕方のない話だ。あの時、俺は確かに仁と一緒にいたが、蚊帳の外だったから。だがバルカンなら……一緒に仕事をした彼ならば覚えているはずだ。
「それじゃあバルカンはいますか?まだここにいるって聞いたんですけど……。」
「……ついてきて。」
営業スマイルからうって変わり、険しい表情でルナは店の奥に来るよう手招いた。確か仁はここでルナに襲われたんだよな。まさかそんなことはないだろうと思いつつも、俺は緊張で生唾を飲み込む。
「パパ、お客さんよ。」
「あぁ?断れ断れ、営業中止中なんだよ今はぁ……。」
奥の部屋に招かれるとそこは酷い有様だった。まずヤニ臭さが鼻につく。地面には酒瓶や缶が転がっていた。そして奥に座っていたのは酔っ払いながら昼間から酒を飲むバルカンの姿だった。
「バルカン……どうしたんだ、そんな昼間から……。」
「あぁん?なんだお前?ガキがタメ口きいてんじゃねぇよ、バルカンさんだろバルカンさん!!おいルナぁ!誰だこいつは!!」
「酷い有様でしょう。ちょっと最近、パパの友人が亡くなったみたいで、それからずっとあんな調子なんだよ。」
ルナは嘆くように額に手を当てる。バルカンはそんな様子が酷く不愉快なのかグラスを叩きつけた。
「へっ、お前にはわからねぇだろうよ。俺はなぁ……仁のことは本当の息子だと思ってたんだ。ガキのころからずっとかわいがってたのによぉ……なのに勝手に一人で突っ走って……いずれはルナの貰い手にだってなっても良かったと思ってたんだ。あいつが義理の息子だなんて本人は嫌がるけどよぉ……。」
「でも、もう仁は亡くなったんじゃない。いつまで引っ張ってんの。もう一年経とうとしてるのに。」
「女には分かんねぇだろぉな!はっ!あんだけ仁のこと好いていながら、死んだらもう鞍替えかよ。女の心の移り変わりってのはホント恐ろしいよ!!」
「あ?今、なんつったクソ爺。」
一触即発の空気が張り詰める。俺は慌てて二人の間に割り込んだ。
「ば、バルカン!忘れたのか、俺だよ。境野連!ほら仁と三人で龍賀野に行って傭兵部隊と戦って、温泉街を楽しんだ……。」
「境野……連……?……あぁ!お前か!仁の連れてた坊主!!懐かしいなぁ!生きていやがったのか畜生!よし、とりあえず酒だ、ほら飲め飲め。」
「いや未成年なんで無理です……。」
「んだよ、堅苦しいな!しかしそうか……仁のことは知ってるんだろ?くそっ……どうしてあいつが……。」
バルカンは突然泣き出した。情緒不安定だ。だがそれだけバルカンにとって仁は大切な存在だったのだろう。俺の知らないところで深い絆がそこにはあったのだ。だがそれはそれとして、俺は本来ここに来た目的を果たさなくてはならない。スマホを取り出しAI仁を見せつける。バルカンとルナは一瞬、感動の再会に歓喜するがすぐにAIだとわかり落胆する。そんな姿をAI仁はからかっていた。
ラスタ社について、俺はザリガニから教わったことをバルカンに伝えた。現状を打破するためにバルカンの力が必要なのだと。
「事情は分かったよ……でも駄目だな、やる気がわかねぇ。おいルナ!お前行って来い。」
「はぁ……こうなると思った。」
ため息をついてルナは部屋から出ようとする。扉の前で立ち止まった。
「何してんだ?早くついてこい、こんなヤニと酒臭い部屋なんていたくないだろ。」
「え、でもバルカンは……。」
「そこのアル中は使い物にならねぇよ。いいから来い、わたしが不満なら帰れ。」
ルナの態度につい圧倒され俺は言われるがままに地下室へと案内された。見覚えがある。ここは武器庫だ。
「さて、それじゃあ作戦会議といくか。ビルに侵入するわけだから銃火器はもっていけねぇだろ。ならどのみちパパより私のほうが適任だよ。」
「なるほど……それじゃあ早速……。」
俺はスマホを机の上に置いた。しばらくするとスマホが鳴り響く。
「彼女は……バルカンの娘のルナかい。バルカンの協力は得られなかったんだね。まぁ仕方ない。彼女は彼女なりに役立つからね。」
「なんだこいつ?」
スマホから聞こえるザリガニに怪訝そうな態度をルナは示すが、すぐに状況を理解したようで、素直に話を聞いている。
決行は人気のない夜。偽造した社員証で裏口からビル内に侵入する。メンバーは俺たち二人だけ。潜入なので可能な限り少ないほうが良い。その日は夜遅くまで作戦会議に没頭した。
深夜の摩天楼。歓楽街から離れたそこは綺羅びやかな世界とはうって変わり、街灯の灯りが照らすのみ。不気味にそびえ立つ天にも届きうる巨大建造物群がそこにある。真昼と深夜で人口が大きく変わる歪な形態。ビジネス街の中心にラスタ社はあった。
俺たちはスーツを着ていかにも社員風の格好をして、ザリガニが偽造した社員証を持ってラスタ社の裏口にまわる。多くのビジネスビルは定時を過ぎると正面玄関口が施錠される。したがって残業をした職員たちは裏口から退勤するのだ。警備員の詰め所にもなっており、二十四時間体制で警備員が詰めている。
そんな場所から入れるのかという疑問はあるが、そこはザリガニの作った社員証が活躍するのだ。ラスタ社は従業員数万人規模の大企業、また社内を出入りする下請けや派遣社員を加えると更に増える。したがって、警備員がこの会社に出入りする人物を全て把握するなど不可能なのだ。故に社員証は絶対なもの。社員証さえあれば警備員は素通りさせてくれる。
「本当にあっさり行けたな……。」
「警備員なんてのは所詮、下っ端。一々社員の顔なんて全部覚えてないってこと。静脈認証や顔認証の対策もザリガニはしてたみたいだけど杞憂のようね。」
階段に向かう。エレベーターは使用しない。もしもの時に逃げ場がなくなるからだ。俺たちの目的はVR機器の機密資料の確保。その保管場所を見つけなくてはならない。ビルの案内図を見つけた。目当ての部署を探す。
「あった。経営戦略部。流石に高層だな。」
経営戦略部。企業の経営方針等を決定する部署だ。VR機器を開発する技術部もある。なのになぜ経営戦略部なのか。ザリガニの話では技術的にかなり機密性の高いブラックボックスが積み込まれているという。であれば技術部の人間ですら知らない外部調達品を使用している可能性が極めて高い。
ザリガニですら解析できないのだから間違いないと俺も確信した。故に戦略部門から手を付けることにしたのだ。つまり……ラスタ社はVR機器で何をしようとしているか、その取っ掛かりを探るのだ。
「止まって。静かに。」
ルナの動きが止まった。アイサインを送る。近くに警備員がいるサインだ。警備員はライトをもって巡回している。ザリガニの話だとかなり高度なアタッチメントの使い手もいるらしい。
しばらく隠れていると警備員の足音が遠ざかっていく。その隙に俺たちは経営戦略部へと侵入した。
奥には金庫があった。ルナは聴診器のようなものを金庫に当てる。しばらくすると金庫が開いた。鮮やかな動きだ。
「手分けして何か良い情報がないか探しましょう。」
経営戦略部の金庫にあったのは主に決算資料だった。また外部に公表できない内部用の会議資料……。真っ当な会社が持つ機密資料だった。だがその中で少し書体が異なる資料が見つかる。VR業界の将来展望についてと題されたその資料には、今後のラスタ社の動きが記されていた。
「営業部が調達してきた次世代型VRコアユニットの性能及びコストパフォーマンスは凄まじく、今後とも営業部との連携を深めていきたいと思う……営業部?」
俺の様子が気になったのかルナは資料を漁るのを中断し俺の持つ資料を覗き見した。
「営業部が調達……経営戦略部は営業の言葉に乗せられて動いているのね。となると営業部に目当ての資料があるのかも。」
「会社の重要機密情報を経営戦略部が知らないなんてあるのか?」
「大きな会社の場合、部署ごとに対抗心があったりしてね、意外かもしれないけど他の部署では秘密にしていることなんて不思議でもないんだよ。所謂派閥ってやつに近い。いい年したおっさんが情けないよほんと。」
営業部は下層にある。折角登ったのに疲れてしまう……。
営業部は経営戦略部と違い警備は厳重ではなかった。開放的な部署で仕切りなどがあるわけでもない。営業という仕事の都合上だろう。例のごとく金庫を漁る。
「ないな、普通の資料ばかりだ。」
「警備も緩いしハズレだなこれ、となると……はぁ面倒そう。」
この階層に来た時からずっと気になっていたものにルナは視線を向ける。そう、開放的な階層の中で何か似つかわしくない厳重な扉があった。中は見れない。だがまるでそれは銀行の金庫のようだった。そして明らかに後付けで設置したような、そんな個室だ。
「いけそう?」
「少し黙ってろ。聞こえねぇだろ。」
聴診器だけではない、何かよくわからない機械を個室の鍵に取り付け叩いたりしてルナは反応を見ている。鍵のタイプはダイヤル式ではない。暗証番号に静脈認証……おそらく間違えると警備員が大挙してくるだろう。
「ふぅ……。」
ルナはため息をついた。次の瞬間扉が開く。解錠に成功したのだ。部屋の中は棚と机……まるで書斎のようだった。この中から目当てのものを探すと思うと流石に途方にくれる。しかしそこは予想の範疇。机の中にノートパソコンを見つけた。今の時代、電子データで残していないというのはありえない。ザリガニはそれを見越してUSBメモリに自作のハッキングプログラムを組み込んで、俺たちに渡していたのだ。
ノートパソコンを立ち上げる。当然暗証番号を要求される。ザリガニからもらったUSBを差し込む。すると勝手に動き出し、何かを始めた。聞いた通りだ。あとは処理が終わるのを待てば良いらしい。該当のデータがあれば教えてくれるそうだ。
「なにボケっとしてんだ?早く出るぞ。」
「え、でもまだ解析が……。パソコンを盗むわけにはいかないし……。」
「バカか?今更そんなこと言ってられねぇだろ。こんな厳重な部屋にいつまでいるリスク考えろ、ほら早く行くぞ。」
ルナはそう言うと俺の手を無理やり引っ張り部屋から出して、施錠した。
「さてパソコンの解析が済むまで……隠れろ。」
警備員の足音だ。俺たちは物陰に隠れた。
「あれ……おかしいな。この部屋、鍵を開けられた形跡がある。」
警備員はあの部屋の解錠に気が付いた。俺たちの知らない何かがあったのだろう。警備員の緊張が一気に高まった。無線機に手を出す。まずい、応援を呼ばれて調べられたらアウトだ。
「あー待て待て、応援はいらないよ。」
「え、しかしマニュアルでは不審者の痕跡が見つかったら」
突然銃声がした。警備員が発砲したのだ。ただし、その発砲先はもう片方の警備員だった。脳天を撃ち抜かれた警備員は即死した。
「バカだよなぁ、この部屋にある機密は最高機密なんだよ。応援なんて呼んだらそれだけ人の目に晒される。だから俺みたいなのが雇われてんのに。ネズミを確実に始末できる……な。そこにいるんだろ?出てこい、警備システムは切っている。」
あの警備員は確実に俺たちの存在を把握していた。俺たちに向けて話しかけている。ルナは俺にアイサインとジェスチャーを送った。意味は「先にいけ」だ。ザリガニの話では最高機密故に漏洩の恐れがある場合、消される可能性が高いという。そして今、俺たちは最高機密に近づいている。このノートパソコンにそれがあれば一番だが、もしこのパソコンにあるのが機密ではなく、機密に至るまでの手がかりだとしたら……今ここでパソコンを持ち出しているのがバレるのは最悪だ。
故にルナはここで、それぞれ単独行動することを決意した。時間を稼ぐからその間に機密情報を入手しろということだ。
「オフィスレディ……には見えねぇな。産業スパイか?素直に降参してくれたら悪いようにはしないぜ?」
一人出てきたルナを警備員は観察した。銃を携行していない。肉付きからして筋力では自分が上、問題なのはアタッチメントと見た。ただし格好からして荒事には慣れていないように見える。動きにくそうなオフィススーツ。装備からも特殊工作員の類ではないことは明白だ。
ルナは言っていた。もし侵入がバレたとしても、自分に対する配慮は不要だと。連は動けなかった。下手に動くとあの警備員に存在がバレるのもあるが、本当にルナ一人に任せて良いものかと不安だったからだ。
「警報システムは切ってるのは本当みたいだな。あんな派手に発砲しといて警報音一つ鳴りやしない。」
「嘘をつく理由なんてないからな。それでどうするんだ?」
答えは決まってる。ルナは床を蹴った。衝撃音が鳴り響く。警報システムが切られている。つまりそれは……好き勝手暴れても問題がないということだ。
一瞬の動きに警備員の反応は鈍る。それを逃さない。全身を使い、筋肉を収縮させ解き放つ。───発剄、震脚からの掌底。警備員の顎は打ち抜かれ、宙を舞う。ルナはその瞬間俺に合図を送った。俺は駆け出す。あれならば問題ない。そう確信した俺はルナが作った時間を無駄にしまいと、安全な場所へと走り出した。





