洗脳、変わりゆく人々
「今日の星睡蓮ニュースです。運営は今後のアップデートのパッチノートを公開し、新実装となる装備が予定されることから市場は~」
テレビをつけるともう当たり前のようにゲームの、星睡蓮のニュースがやっていた。一つのゲームに対してメディアがここまでとりあげるのは初めてだ。それも取り上げているのが攻略情報など完全にプレイヤー向け。それはメディアの在り方として極めて異質のように見えた。
先日、アクティブユーザーがついに1000万人を突破したらしい。最早星睡蓮の世界は一つの国だった。先行プレイヤーは後続のプレイヤーに尊敬され、トッププレイヤーたちは羨望の眼差しで見られていた。またファッション関係でも有名なプレイヤーは雑誌で特集を組まれるレベルに達しており、最早ゲームの域を超えていた。
こんな世紀の大イベントに参加できない自分がとても悲しく感じたが仕方ない。VR酔いは本当に辛いのだ。高橋の言うとおり、俺たちは俺たちで従来の娯楽を楽しむしかないのだ。
「星睡蓮……星睡蓮……あぁ早く帰りたい……。」
「つらいなぁ……なんで仕事に行かないといかないんだろ……。」
「お金、お金、お金……レアドロップがあそこで効率考えると一時間……あぁ煩わしい……。」
道行く人は星睡蓮についてぶつぶつと呟いていた。当たり前だが生きるためには仕事をしなくてはならない。俺たち学生はともかく彼ら社会人にとっては働き収入を得なくては星睡蓮もできなくなるのだ。
突然、目の前で車が止まった。そして中から黒服の男たちが現れる。
「境野連さんですか?あぁ失礼しました。伊集院様の使いで参りました。どうぞ乗ってください。」
訳のわからないまま車に乗せられた。向かう先は……学校とは全然方角が違う。
「あの、これから学校なんだけど。」
「コトネ様がどうしても自宅に来て欲しいそうです。コトネ様からはそう言えば連様は必ず来てくれると仰っていましたが……大丈夫でしたか?」
ここまでするということは急を要する用事なのだろうか。俺はそれなら仕方ないなと納得して、大人しく到着を待った。
コトネは伊集院家のお嬢様だ。色々と騒動はあったが無事立て直し、今も大豪邸に住んでいる……らしいと聞いていたのだが、まさかこれほどのものとは思わなかった。
庭はまるで整備された公園のようで、噴水まである。ベンチにテーブルまで置いてあって休日はお茶でも飲んでそうな雰囲気だ。そして奥に見えるのは大豪邸。全貌が見えないくらい巨大なもの。見た感じ三階建てのように見えるが、コトネ一人住むにはそれはあまりにも大きすぎる。
「本日は連様がご来訪されるということで人払いをしています。いつもは食客の方がいらしたりするのですが、ご安心ください。」
黒服はそう説明して、屋敷へと案内する。食客って確か家に招いて住まわせてる人だっけか……?俺にはスケールの違う別世界の話だ。
屋敷の中に入ると、想像どおりの世界が広がっていた。広々としたエントランスに吹き抜けの構造……。高そうな絨毯に絵画、美術品がインテリアとして飾られている。
「興味があれば、連様であれば自由に触っても構わないとのことです。」
俺の視線に気づいたのか黒服は説明した。値段を聞くと数千万円らしい。触れるわけないだろ。
そのまま二階に進み部屋へと案内された。
「こちらがコトネ様の私室となります。私の案内はここまでとなりますので失礼致します。これはおせっかいかもしれませんが、とても親しい間柄だと聞いています。しかしながらやはりマナーは大事。入室前にノックをして声をかけ入室の許可を得ることを……その……一応勧めます。使用人の私がここまで言うべきではないですが……それでは。」
黒服は去っていった。何か含みのある言い方だったが確かにマナーは大事だ。俺はノックをして声をかける。中から少し物音がしてしばらく経ったあとコトネの返事がした。入っても良いようだ。俺はドアノブに手をかける。
コトネの私室は豪華爛漫とした屋敷のイメージとはうってかわり、生活感を感じさせるものだった。考えてみればそれは当たり前のことで、あんな豪華な装飾で施された室内で日常生活を送るなんて落ち着かない。だが決して安物の家具とは思えない、しっかりとした造りのものばかりだ。コトネはそんな部屋の奥、いかにも高級家具に見える木製のがっちりとした机に座っていた。
「突然、呼び出して悪かったわね。で、でもどうしても早くしたかったのよ。」
机の上には見慣れないもの……だが既知のものがあった。ネットカフェで身につけたVR機器だった。それが2つ置いてある。
「それ……買ったのか?まぁコトネにとっては安い買い物かもだけど、あれだけ酷い目にあったのによく買う気になったな。」
「仕事の関係でね、今流行りのものだから手は出さなくちゃいけないと思ってたの。ふふ……でもこれが意外と楽しくて……昨日なんてずっとしてたわ。」
それはおかしい。コトネも夢野ほどではなかったが、あのあと明らかに気分を悪くしていた。演技には見えなかった。では克服したのか?VR酔いを?あの短時間で?
疑問が頭の中で反芻していた。その考えを打ち切るかのようにノック音が響く。コトネは「入って」と声をかけると執事風の男が飲み物を持ってきた。俺とコトネの目の前にティーカップが置かれポットから紅茶が注がれる。コトネは礼を言うと執事風の男に下がるように指示をして、紅茶に口をつける。今までまったく意識していなかったが、その一連の所作は俺たちとは別世界の綺羅びやかな世界の人物に思えた。俺も臆せず飲み物を一気に飲み干す。すごく美味しい。
「不思議そうな顔をしているわね。まぁ仕方がないわ。私もそうだったんだもの。実はね、これを使ったのよ。」
そう言うとコトネは机の上に小さな箱を置いた。箱には「求心薬」と書かれてある。名前からしてなにかの薬であることは間違いない。
「ドラッグストアに行けばどこにでも置いてあるの。これは要は酔い止めね。これさえ飲めばVR酔いにはならないわけ。」
なるほど、確かに手っ取り早い解決方法だ。薬漬けになってまでやりたくはないが、どうしてもVRを体験したければこれが一番はやく確実である。
しかし……ということはコトネはこの薬を飲んで丸一日プレイし続けたことになる。そんなことで日常生活に支障が来ないのだろうか。
「レンの考えていることは分かるわ。そう、私はこの薬を飲んで最初はVR世界……星睡蓮を楽しんでいたんだけどね……確かに楽しいことには違いないの。でも、何か物足りない……当たり前よね。だって星睡蓮の世界がどれだけ素晴らしくても、隣にレンがいないんだもの。」
そう言いながらコトネは椅子から立ち上がり、VR機器を両手に持って俺に近寄ってきた。
「VRが素晴らしいのはわかったけど、俺はVR酔いするし、薬も飲みたくない。それに今日は学校があるだろう。」
「安心していいわ、今レンが飲んだ紅茶には求心薬と……あとちょっと身体の自由を奪う薬をブレンドしてたの。そろそろ効いてこない?」
言われてみると何か身体の動きがぎこちない。そんな姿を見て満足したのかコトネは一気に詰め寄り、俺に無理やりVR機器を被せてきた。
「うお!ば、ばかやめろって!学校サボってまでやることじゃないだろ!」
「大丈夫、きっとレンもハマるから!それに学校サボってまでやることじゃない?全然そんなことないわ、今は星睡蓮のために休む生徒が続出してるのよ。それにもうじき夏休み!ずっとずっと一緒にプレイできるんだから……ふ、ふふ……さぁ始めましょう二人だけのファンタジーを!!」
そして俺は無理やり星睡蓮の世界にログインさせられた。既に俺のキャラクターはつくられているようでチュートリアルも吹き飛ばし、最初の港町に立っている。そして隣にはネットカフェで出会ったコトネのアバターがいた。コトネの手が俺に触れる。リンク状態になっているため、実際に触れているのだろう。感覚が伝わった。
「うん……うん!やっぱりこれよこれよ!ソロプレイなんてありえない!いきましょうレン!先輩として案内するわ!!」
少し操作してみると確かにネットカフェのような気持ち悪さはなかった。薬が効いているのだ。気持ち悪くならない。ただそれだけで星睡蓮の世界はまるで別世界のようだった。
「いや、だから学校サボってまでやることじゃないだろバカ!」
それはそれだ。俺は無理やりVR機器を外してコトネの頭を殴りつけた。
「い、痛い!何するのよ!私はただレンと一緒に遊びたいだけなのに!」
「別に星睡蓮じゃなくてもいいし、遊びは遊び。学校を疎かにしてどうすんだよ。大体薬飲んでまでやるなんて、おかしいぞお前。しっかりしろよ。」
「レンだって分かるって!やればその価値はあるって!今日ね、イベントがあるの!レアアイテム入手確率アップなのよ、初心者のレンも参加できるし心配なら私もリードするから。これを逃したらまたトップランカーと差がつくのよ?ううん、そんなのはどうでもいい、レンがこれ以上他の皆と差がつくのが嫌なのよ、もうふるい落としは始まってるの!!」
何の話だよ……。俺は酷く呆れていたが、口には出せなかった。それだけコトネの顔が必死で真剣そのもので、本気で俺を案じているというのは分かったからだ。だが、だからこそおかしいのだ。たかがゲームで、なぜこんな人生を賭けたような話になるのか、理解ができなかった。
結局、俺は必死にコトネを説得し、正気に戻るよう訴えた。星睡蓮自体は悪いものではない。だが薬を飲んでまでやるなんて絶対身体もおかしくなると。もう少し冷静になって将来を見据えてくれと。学校はもう遅刻確定だ。そんなことを小一時間かけて話し続け、ようやくコトネは納得してくれたのか、かなり遅れてしまったが、登校することになったのだ。
教室では予想以上に異常な光景が広がっていた。クラスの半数近くが欠席している。理由は体調不良だとか何とか色々。だが本当の理由は明らかだった。皆、コトネと同じように、星睡蓮がやりたくて学校を休んだのだ。コトネはずっと教室でそわそわとしていた。
終業のチャイムがなる。学校が終わり、放課後、自由になる時間だ。残った僅かな生徒たちはそれを合図のようにガタガタと机と椅子を鳴らして教室の外へと駆け出していた。コトネも同じように荷物を急いでまとめ、俺の席に駆け寄り手をつかむ。
「さ、さぁ我慢したわよ!あなたの焦らしプレイに付き合ってあげたんだから、早く来なさいよ!一緒にするって約束したでしょう!!」
ぐいぐいと俺の手を引っ張る。何事かと高橋と夢野もやってきた。当然ながら俺は一緒に星睡蓮をするなんて約束はしていない。むしろ引き止めるようにしたのだが、コトネの解釈は違ったようだ。
「あんだけ言っといて自分がVR中毒になっちまったのかよ。世話ねぇなぁ。」
高橋は呆れた様子でコトネを煽るがコトネにはまったく耳に届いていないようだった。瞳孔は開き息が荒い。もう何も見えていないといった感じだ。通常の状態ではない。星睡蓮とはこうも人を狂わせるものなのだろうか。
異様な光景はそれだけに留まらなかった。下校中、デモ行進をしている人たちがいた。デモ自体は別におかしなことではない。だが、問題はその内容だ。
「VRに自由を!VRに権利を!VRを文化として認めろ!!」
それはVRキャラの人権を認めること、そしてVRで遊ぶ時間を国は保証するように求めるものだった。少数派の意見とは理解を得られ難いものだ。だから頭ごなしに否定するのは俺は好きではない。ただ……このデモの内容はまるで理解できなかったし、冗談にしか見えなかった。
「い、行かなきゃ……。」
ふらふらと誘われるようにコトネはそのデモ行進に向かっていこうとする。俺をコトネの腕を掴んで引き止めた。
「離して!私もあれに参加しないと!そうVRに自由を!VRに人権を!!」
髪を乱しながら半狂乱と叫ぶコトネの姿は最早、明白だった。何かしら異常なことが起きている。そして原因はVR機器であることに間違いない。何があったかまではわからない。だが、こんな異常事態を、身近な人が巻き込まれて、黙っていられるわけにはいかなかった。
「ということでサキ、何か知らないか?」
「突然過ぎるよお兄ちゃん……確かにおかしな話ではあるけど。」
VRのことについてサキに相談した。何かきっかけになるものでもいい、藁にもすがる思いだったのだ。
「少なくともアドベンター絡みじゃないよ。今回の話は確かに私も異常だと思う。過熱しすぎた流行というか……ただ、それだけなの。マスコミが特集してるのはマスコミの意思だし、みんながハマってるのもみんなの意思。それぞれ個人の意思が集まってここまで肥大化してるだけで、アドベンターが何かをしているなんて話はないよ。」
つまるところ今回の騒動は集団ヒステリーに近いものだとサキは語る。無論それが良いこととは言い難いが、だからといって止めるのは至難の技だ。海上に浮かぶ小さなボートが巨大な荒波を止めるようなものだと。社会現象というのは数多の人々の集合体だ。個々を潰すのは簡単だが、全体から見れば僅かなもので意味をなさない。故に自然収束するのを待つしかないというわけだ。
「やれやれ、見ていられないな。仮にも仁の魂を受け取っているんだろ。こんな簡単な事件も解決できないでどうするんだ。」
自室で一人悩む俺に突然、話しかけられた。誰もいない。声の主はスマホからだ。
「ザリガニ……?まだ連絡をとってくれるのか。」
それはかつての仁の仲間だったITスペシャリスト、ザリガニだった。
「ちょっと今回の事件には思うところがあってね。独自に調査をしていたんだ。ただ例によって僕一人では解決できそうもない。単刀直入に言うとVRにおどらされてる人たちは皆、洗脳されている。洗脳装置は勿論VR機器。だが最後のピースが揃わない。そこでレンの出番というわけさ。」
───洗脳。最低でも1000万人以上が洗脳されているということになる。もし事実なら恐ろしい事実である。洗脳された人はもとに戻れるのか、そんな不安とともに、そんな多くの人達を洗脳して何をするつもりなのか、それも気になった。
「目的はわからない。だが良からぬことには違いないさ。」
「それで、俺に何をしろっていうんだ。」
「ラスタ支社ビル。知っているよね、最近竣工された新しいビル。レンにはあそこに潜入し、VR機器の設計書や企画書、仕様書のコピーを手に入れてほしい。」
ラスタ……VRブームの火付け役となった企業であり、現在流通しているVR機器の圧倒的シェアを有している。ザリガニはVR機器を分析し洗脳装置の類が見つからないのは確認している。だが被害者のMRI検査、脳波記録を確認すると明らかに洗脳された痕跡があったのだ。あのVR機器には何か自分の知らない隠蔽されたブラックボックスがある。そう結論づけたのだ。
「社員証の偽造は僕がやる。だが気をつけるんだ。今は社長のシュタイナーがいるせいで警備が最高レベルと聞く。噂じゃ世界トップクラスのアタッチメントの使い手を警備員として臨時的に雇っていると聞くよ。それに時間もない。あまりもたついていると、僕たちの目的がバレて重要書類は隠蔽される可能性がある。つまりレン、君のやることは迅速に侵入し、侵入がバレないように立ち回り、機密書類の居場所を確認して、機密情報を入手するんだ。」
いや無理だろ。ザリガニは学生の俺に何を求めているんだ。俺の沈黙にザリガニは不思議そうに問いかけた。
「どうしたんだい。ここは元気よく返事をするところだろ。お膳立ては僕がしてあげるんだから間違いないというのに。」
「ザリガニ……その……俺にそこまで出来ないよ。仁じゃないんだから。」
「君は仁じゃないからね。理解しているよ。でも忘れていないか、君には仁がいないが、仁が残してくれたものがあるだろう。忘れたのかな。このスマホに入っているはずだ。」
仁が残してくれたもの……スマホに入っている……。
「AI仁……それがどういう……あっ。」
AI仁は言っていた。困ったときは俺のコネクションを使えと。そして俺は、仁の協力者を知っている。まだ見ぬ、でも記憶にはある、仁が頼りにしていた仲間が。
「彼はまだあの喫茶店にいるよ。久しぶりの再会、堪能するのもまた良いんじゃないかな。」
その名はバルカン。かつて俺と仁と一緒に、あの亡霊たちと戦った心強い仲間だ。