永久の安寧、星の道標
朝のテレビニュースは相変わらずVRばかりだ。最早、一つの文化として定着しつつある、その異常な盛り上がり。多くのIT企業が遅れて参入を表明しているが、そこは先駆者の強みか、ラスタ社の提供するVR機器が圧倒的シェアを握っていて、星睡蓮のユーザーはついにアクティブユーザー数が300万人を超えたらしい。
最早、星睡蓮の世界は一つの地方都市を遥かに超えていて、小国並の人口となっていたのだ。
「詩先輩、相当参ってるみたい。表面上は平気を装っていても、限界だったんだね。心因性の目眩。うつ病一歩手前って感じ。」
サキはそう言ってテレビを切って布を被せた。謎の行動に思わず俺は首を傾げる。
「トラウマの原因になったものを、そんな普通に置いておけないよ。こういうのは小さな心遣いが大切なんだよ。」
そんなもんかと俺は味噌汁を飲みながらスマホを弄り始めた。WEBニュースでもVRばかり……広告もVRだらけだ。新作ゲームも続々と発表されている。
階段から音がした。軽井沢が部屋から降りてきたのだ。サキは軽井沢に駆け寄り心配そうに声をかける。
「もう心配しすぎっすよ、ちょっと疲れてただけっす。ていうかなんすかこれ、テレビに何かかけて。ちょっと意識しすぎっすよ~。」
テレビにかけられた布をつまみ、ヒラヒラと振る。元気そうで何よりだった。俺はカバンを手に取り、登校準備を始める。
「サキ、お前着替えなくていいのか?そろそろ出ないと時間やばいぞ。」
時間は後少しでいつもの登校時間。だがサキは身支度を済んでいないようで、少し走らないといけないかもしれない。
「え……あ……そ、そうっすね……学校……あはは……。」
サキは俺の腕を掴み無理やり奥の部屋に引っ張り込む。突然の行動に俺はなすがままに連れて行かれた。
「お兄ちゃん、あのさぁ……。普通にドン引きなんだけど。何で普通に学校に行こうとしてんの?あんなことあったのに。」
部屋の角に追い込み、サキは指を差して俺に非難の目を向けた。
「詩先輩はお兄ちゃんを頼って来たんだよ?あのね、普通年頃の女の子が同じ年頃の男の子の家に泊まり込むなんてありえないんだからね?それくらい追い詰められて、どうしようもなくて、それでも頼りたくて来たのがお兄ちゃんのそばなんだよ?なのに、学校に行くってどういうつもりなの?無神経にもほどがある、一日くらい休めばいいじゃない。詩先輩の表情見た?必死に笑顔を作って、心配かけないようにしてるのが分からないの?」
サキの言葉は真剣そのものだった。冗談なんて何一つ許さないトーンで、少し怒りも含んでいた。意外だった。最初、サキは軽井沢の居候に反対だったのに、こんな親身に心配していたなんて。
言われてみるとそのとおりだ。そもそもサキがいる時点で感覚が麻痺していたが、同級生が同棲しているなど異常な環境であるに違いない。軽井沢の能天気さも感じさせる振る舞いは、演技なのか現実逃避をしていたのか……どちらにせよ、そんな態度に俺も甘えていたのかもしれない。
「ごめん、確かにそのとおりだ。俺が全面的に悪い。俺だって命を狙われることの怖さは知っているはずなのに。サキ、お前は本当に良い奴なんだな。」
頭を深々と下げた。下げる相手は違っていたとしても。謝罪をしなくては気がすまなかった。
「べ、別に良い奴とかじゃないから!当たり前のことじゃん、お兄ちゃんが鈍感すぎるんだよ!……あと、その謝罪は絶対、詩先輩にしないでよ。逆に責任感じちゃうから。」
分かった。そう答え俺たちは今日、学校をサボることにした。一応風邪というかたちで。軽井沢からはサボりだと弄られたが、心なしか元気になったようで、今ならサキの言っていたことが少しは分かる気がした。
生きている死体のようだった。ただ毎日を無為に過ごす。毎日、職場と家の往復。仕事はそつなくこなす。上司には適当に媚びへつらう。子供の頃の夢はなんだったか、もう思い出せない。
人生の意味を知りたかった。65年間生きてきて、色々あったとは思う。だがその結果はどうだ。何も残らなかった。金ならある。だが、自分が何者なのか、結局分からない。学校を会社を、与えられた居場所を失い、自分だけの存在となった今、空虚だった。
退屈だった。毎日、必要になるのか分からない数式や出来事を覚えさせられる暗記ゲーム。友達に合わせて適当に流行りの出来事をチェックし、友達が笑えば自分も笑う。ただ時間が過ぎていく。今というその瞬間に意味が欲しかった。
結婚して十数年。子どもたちも落ち着いてきて、家事に余裕ができた。今の生活に不満がないわけではない。でも昔ほどの情熱はもうない。夫とは事務的に話をするだけ。これが社会の普通。そんな毎日だった。
彼らは家に帰るなり、VR機器に接続する。目指す先は星睡蓮。笑みが溢れる。自然と気分が高らかになる。
「おかえり!みんな待ってたよ、さぁ行こう!!」
本当の居場所はここにある。その世界では全てが本物だった。本当の自分がそこにあった。心を通わせた真の仲間たちがいた。
みんなおいでよ、星睡蓮。
そこにはいつか夢見た世界が広がっている。いつか憧れていた世界が広がっている。いつか目指した遠い理想郷がそこにある。
そこには確かに真実があるよ。素敵な世界、憧憬の世界。遥か彼方に届かぬ世界が目の前にあるよ。
痛みもなく、苦しみもなく、辛いこともない。楽しい楽しい世界。いつもお祭り騒ぎ。毎日が冒険。毎日が目新しいことばかり。
だからおいでよ、星睡蓮。
きっと気にいるはずだから。星睡蓮では皆が平等で、皆が一緒で、皆が同じ。皆一つになれる星睡蓮。星睡蓮、星睡蓮。
某国際空港。マスコミが大挙していた。今、時の人が。この社会的現象の中心。一瞬にして世界的トップ富豪へと躍り出た人物。この国に建造していた支社ビルが完成したため、わざわざ遠い外国からやってきたのだ。
カメラのシャッター音と共にフラッシュの嵐が巻き起こる。今、飛行機が到着して、ファーストクラスから降りてきたのだ。
「ハロー諸君!手厚い歓迎に感謝しているよ!!さぁ始めようじゃないか、これから始まる革命の、世界変革の時を!!」
カメラのフラッシュを浴びながらオーバーリアクションをとり、その期待に応える。その男の名はアルバイン・シュタイナー。ラスタ社、代表取締役にして、昨今のVRブームの火付け役、業界最大手のキー人物。人は彼をウィザード、魔術師と呼ぶ。