星睡蓮、仮想世界の誘い
伝染病騒動は恐ろしいほどに早く収束した。元凶の能力者である天満月の死、そして彼が命を賭して特別処理場に溜まっていた遺体の放射能を全て取り除いたことで、まるで何事もなかったかのように、日常は戻っていった。
今やテレビのニュースでは伝染病の話などまったくない。だが亡くなった人は戻らない……水泳の授業は体育教師が亡くなったので自習となった。クラスメイトたちはプールの時間、はしゃぎながらプール遊びに励む。自習ということになっているが、やることは自由。ならば皆、やることは一つなのだ。
「デッキチェアとパラソルとトロピカルジュースが欲しいなぁ……。」
そんな様子を俺と夢野はプールサイドから眺めていた。自由行動というわけで当然、みんなプール全体を使うわけで……カナヅチの俺たちに居場所はないのだ。
「いいんです……どうせ私たちはゴミみたいな存在ですから……ビート板使って泳げた気分になってた私が悪いんです……。」
というわけで、さっきから夢野の愚痴を延々と聞かされている。体育座りで身体を丸めているから余計、どんよりとした感じがする。
「そんなことよりお尻痛くならない?ビート板を敷くと大分楽だと思うんだけど。」
「だ、ダメです!この子は私のあ、相棒なんです……相棒を尻に敷くなんて私にはできません……!」
長らくビート板を使って泳いでたのか愛着も湧いたようで、夢野は頑なにビート板を座布団代わりにすることを拒否する。俺は特に愛着ないのだが使おうとすると、夢野の視線がとても痛いので仕方なしに付き合っているのだ。
「どこ行ったのかと思ったら、お前ら何してるんだよ、泳げないにしても遊びくらいできるだろ?」
ずっとプール内を探していたのか高橋が俺たちを見つけて隣りに座ってきた。濡れた身体がとても涼しそうで羨ましい。
「いや……俺は大丈夫なんだが夢野はビート板がないと溺れるんだ。んで皆、好き放題暴れてるだろ?さっきはずみでビート板をなくしちゃって、溺れかけたんだ。」
ちなみにプールに足はつく。だが夢野は信じられないほどに運動音痴で溺れるのだ。近くに俺がいたので沈む夢野を抱きかかえて事なきを得たが、一人にするのは危険だろう。浮き輪でもあれば大丈夫なのだろうが、ここは学校、ビート板くらいしかないのだ。
俺の説明に流石に高橋も軽く引いていた。夢野はビート板を抱きしめて恥ずかしそうに俯いていた。
「あー……まぁプールが無理ってわけじゃないんだよな?浮き輪を掴んでたら良いわけだし……折角水着買ったのに行けないなんてないもんなぁ。」
そういえばプールに行くために水着を買っていた。伝染病騒動でしばらくは無理だと思っていたが、意外にも日常が戻ってくるのは早かった。海開きも再会したと聞くしな。
「プール……ってそういえば私行ったことないんですけど、学校と何が違うんです?」
ちなみに俺もこの世界では行ったことがない。高橋はプールについて簡単に説明をしてくれた。別に俺の知っているプールと変わりはないみたいだ。
その日の水泳授業はいつ行こうかとプール談義をすることで終わった。途中コトネが乱入し、プールについて卑猥な解説をして夢野を脅かしていたが、それはプールはプールでもナイトプールのことだ。俺たちは未成年だから門前払いだぞっと補足した。プールの時間なのにプールサイドでひたすら雑談というのは奇妙に見えたかもしれないが、教師が授業の終わり五分前を告げに来たときは、意外にもプールサイドで雑談をしているクラスメイトが多かったのが意外だった。
「Vドル?」
突然、名前も覚えていないクラスメイトに声をかけられて、聞き慣れない単語を並べられる。
「知らない?バーチャルアイドル。今、俺の推しなんだけどさ……チャンネル登録数が少ないみたいでかわいそうなんだよ。な!頼むから境野も登録してくれないか!」
話によるとアイドルなのだが、アニメ調のイラストに声を当てていて、イラストが実際の人間のように動いたりするらしい。クラスメイトの話だとアニメキャラと話している気分がしてとても楽しいらしい。
動画サイトのチャンネルを見る。右下に絵があって動いてる。何かゲームをしているようだ。
「何が楽しいんだこれ?」
「うーん一言では言い表せないな。何というか守ってあげたくなるというか……それでいてトークや反応が面白くて。」
俺の目にはただゲームをプレイしているようにしか見えない。状況説明とか朗読とかしているが、何でゲーム内の字幕にあるのにわざわざ読み上げてるんだ?というかゲームプレイ動画ってなんだ?ゲームは遊ぶものであって人のプレイを見て何が楽しいのだ。
「はい登録したよ。あ、何かお礼言われた。」
「お、おま……!本名で登録してるのか!!くぅ~みゃあちゃんに名前で呼ばれてお礼まで言われるなんて!!しかもスパチャしないで!!くそぉぉぉその手があったか!!!」
「いや、これ自動反応してないか?アーカイブ動画だし。名前の部分は合成音声かな。」
「……!!つまり卑猥な名前にしたらみゃあちゃんが卑猥な言葉を言ってくれる……?境野お前天才か……?」
なに言ってるんだこいつは……?よくわからないが適当に相槌をうつと、他の男子生徒のところに移動して登録を促していた。ファンって大変だな……。
「よお、境野何話してたんだ?珍しい組み合わせだったけど、それ動画……?なんだこれ……アニメの女の子が解説してる……こういう子が好みなのか?」
入れ替わるように高橋がやってきて俺のスマホを覗き見た。俺はさっき受けた説明をそのまま高橋に説明した。
「ふーん、で、こういう子が好みなのか?」
「え、いや別に……このVドル?のこと全然知らないから好みも何もないなぁ。外見のことならまぁ……かわいらしいデザインだなぁってくらいしか思わん。」
本音を言うと別にどうでもいい、無関心なのだが、折角感想を聞いてきているのに無下にするのも失礼かと思いお世辞混じりに答えた。高橋は「そうかぁ」と何とも言えない返事をして考え込む様子を見せる。何か問題があったのだろうか、会話が途切れてしまい気まずい気分だ。
「はぁ……何なのよあいつ……Vアイドルなんてのは男の娯楽でしょう……わたしに布教しても無意味だって分からないの……。」
俺と同じようにクラスメイトに布教されていたコトネが愚痴りながらやってきた。
「コトネはVアイドルってどんなのか知ってたか?」
「一応ね、仕事上の付き合いもあるし。ほら、伝染病騒動があったでしょう?あれでインドア系の娯楽需要が高まって……その一つがVアイドル。大まかな業界で言うと、バーチャル・リアリティ。VR業界が今のトレンドなの。」
バーチャル・リアリティ。略してVR。ゴーグル型の機器を装着することで疑似体験をしたり、ゴーグルに取り付けられたセンサーを使って、アバターと呼ばれる自分の分身に自身の所作を連動させることができるのだ。Vアイドルはその技術の一つ。人間の動きをトレースして動いているのだから、その反応は本物の人間そのもので、新たな娯楽として受け入れられたのだ。
「何か凄そうだな、庶民の俺には関係のない話だけど……遊園地の3D映画みたいなものかな。」
「そうね、それに近いかも。技術自体は昔からあったんだけど、最近、技術のブレイクスルーが起きて価格崩壊が起きたの。庶民……お金のない人にも手が届くようになって流行りだした感じね。さっき言ったゴーグル型の機器なんて一つ一万円らしいわ。ネカフェとかでも気楽に体験できるみたい。」
「一万円!?」
予想以上に安かった。最新のゲーム機やスマホよりも安いじゃないか。自分の手に届くものだと分かると突然興味が湧いてきた。
「そのVRってのはどういうのができるんだろ。」
「一番多いのは機械の遠隔操作かしら。医療現場でも使われてて腕利きの医師がリモートでロボットアームをVR操作して手術なんてのもあるし、工事現場でも何かそういう職人がいるみたいね。」
ちょっと期待とは違う使い方にがっくりと肩を落とす。そんな反応を予想していたのかコトネはニヤリと笑う。
「ふふ……正体を表したわねこの変態!そ、そ、そうよ!あんたの想像通り……!爆発的普及になったのはあんたみたいなド変態の需要が原因なのは否定しないわ……!いつだってエロは業界のカンフル剤ですもの!!このケダモノ……!!でも残念ね……VR機器はネットワーク接続が必須でその際に認証番号を要求されるの!未成年はそこでシャットアウトよ!!お、大人しく私で満足するしかないというわけよ……!!」
つまり映像コンテンツも見れるというわけか。おお、何か良さそうだ。自宅で映画みたいな感じで見れるということかな。いやそれだけじゃない。映像コンテンツに接続できるということはゲームとかもあることが容易に想像できる。
「ネカフェでも体験できるって言ってたけど、何かオススメのゲームとかあるの?」
「ふぇっ!?……そうね。星睡蓮っていうネットゲームが今、大流行してるみたい。VR機器所有者は皆、やってるって聞くわ。ちなみにエロ要素は……いや……女性キャラにスケベな格好させて舐めるように見回すつもり……?ふふ、なるほどね。それで私とネカフェに行きたいということね。」
「二人きりだと怖いから皆で行きたいです。」
ずっと目の前で考え事をしていた高橋に声をかける。夢野は……気持ちよさそうに寝ていた。水泳の後だからと言いたいが、そんな運動してないだろうに……。あまりにも気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのが憚れるが、ゆさゆさと揺らして起こし、放課後ネカフェに行くことになった。





