人間兵器、浮かび上がる陰謀
救急車に乗せられる体育教師を見送る。救急隊員はまるで宇宙服のような格好で、汚いものを触るような手付きで体育教師を運び、物のように押し込んだ。中には、同じように倒れた人が入っていた。
救急車で運ぶ患者は一人ではないのか、そう聞くと隊員は怒鳴りながら答えた。どうせ死ぬんだし、とにかく数が足りない今、一人一台なんて悠長なことは出来ないと。
俺は何も言えずただ、黙って見送るしか無かった。そのとおりだ。ニュースの言うことが事実ならば、体育教師の身体は放射線被ばくにより、ズタズタになっている。仮に奇跡的に病気が治ったとしても、破壊されたDNAや細胞は、今後の生活に強く影響する重大な後遺症を残すだろう。それこそ、死んだほうが楽な、生き地獄ともいえる、そんな後遺症が。
「俺は特になにも今のところ何もないけど……夢野はどうだ?予知で何か起きてるとかないのか?」
「今のところは大丈夫です……それに私の場合は発症しても、その未来を捻じ曲げますから……ただ境野さんは心配です……く、薬飲むのやめてしばらくは……。」
「それは駄目だ夢野。自分で分かってるだろ。次、お前の能力のリミッターを解除したらどうなるか。今生きていることだって奇跡的なのに。俺は夢野を犠牲にしてまで生きながらえたくない。それに、俺の身体は特別なんだから、もしかすると病気にならないかもしれないし。」
夢野の能力は未来の改変。今は薬で制御してその改変時間が三秒間だけとなっているが、薬をやめればその時間は一ヶ月以上まで延び、その改変範囲は因果律すら捻じ曲げる。だがその強大すぎる力に夢野の身体は耐えられず、死亡する。意味のない行為だ。夢野は夢野の未来だけを守っていてほしい。
俺たちは体育教師の濃厚接触者としてすぐさま消毒を受けた。そして検査を受ける。検査の結果は陰性。問題なしということだ。長い検査を終えてようやく肩の荷が下りた気分で、俺たちは教室に戻る。
戸を開けた瞬間、賑やかだった教室が一瞬にして静まった。全員が……いや殆どの人が俺たちを見て目を逸らす。
「よぉ遅かったな。検査結果はどうだったんだ?まぁ普通に教室に戻ってるあたり何も無かったんだろうけど。」
高橋はいつもの調子で俺の肩に腕を回して話しかけてきた。いつものことなのにクラスでどよめきがあがる。
「あんなことして感染ってもしらないぞ……。」
誰かの呟きが聞こえた。おそらく独り言なのだろう。だが静かな教室に、その声は不気味なほどに響き渡った。
「……おい、今なんつった?誰だ、男の声だったよな?誰が言った!!……前に出ろ。てめぇか?こら。」
当然、その独り言は高橋の耳にも届いていた。上機嫌そうな笑顔だったのが反転し、眉間にしわを寄せてクラスメイトを睨みつけながら叫んだ。そして、呟いたと思われる男子生徒の胸ぐらを掴む。
「や、やややめないか高橋くん!私は彼の隣にいたが、彼はそんなことを言っていないぞ!!」
胸ぐらを捕まれ怯える男子生徒に二階堂が割って入る。高橋は舌打ちをして突き飛ばすように男子生徒を解放した。
「おい、境野。今日はもうふけようぜ、こんな連中と一緒にいるだけで気分悪い。カラオケにでも行って発散しようや。」
「ちょ、ちょっとあんた何勝手なこと言ってんのよ!というか濃厚接触者はカラオケにいけないわよ!自宅待機が基本じゃない!!家で安静にするべきよ、無理をしてレンに何かあったらどうするのよ!!」
帰ろうとする高橋をコトネが引き留める。高橋は不機嫌そうにコトネを睨みつけた。
「失望したぜ、お前とは合わねぇけどよ。それでもこういう時は、同調してくれる奴だと思ってたのに。そっち側の人間だったなんてな。あぁそりゃそうか。お嬢様だもんな?やっぱりソトヅラが大事だってか?」
「は、はぁぁ?何を言ってるのよ!あんたの個人的感情と決まりごとは関係ないじゃない!それで迷惑するのはレンだって理解する頭もないの?」
一触即発の空気だった。そういえば二人が本気で戦ったのは、初めてコトネが能力を披露した時以来一度もなかった。あの時は一方的にコトネが蹂躙できたが、ヴィシャとの出会いにより能力が強化された高橋と、今はどちらが上なのか……二人は今にも飛びかかろうとするそんな雰囲気を感じ取れた。
「うぉぉぉぉぉ!!境野無事か!!無事だな!!!流石、俺の認めた筋肉だ!!!病気になんぞ負けないと信じていたぞ!!!!!」
突然、陽炎が大声をあげて教室に入ってきた。相変わらず遅刻をしてきたようで空気の読めない男だったが、今はその空気の読めなさが、ありがたかった。
だが流石にいつもとは違う空気の教室に気がついたようで、俺の肩を叩いたあと、きょろきょろと辺りを見回して何が起きたのか確認をしていた。
「なるほど。皆、境野たちが濃厚接触者だから怖いのだな。まぁそれは分かるぞ。お前たちは筋肉が足りないからな。俺くらいになると高められた筋肉本能が血液を沸騰させ、あらゆる病原菌を浄化させることが可能だからな。」
陽炎は腕を組み、うんうんと一人納得をして頷く。マジで言ってんのか、冗談なのか判断に悩むのがこの男の恐ろしいところだ。
「まぁそれはそれとして、境野。体育教師に見舞いに行くぞ!職員室で行き先の病院を盗み聞きしたのだ!奴にはプロテインを奢ってもらった恩がある!境野!!お前もまさか行かないとはいわせんぞ!!プールの授業での大恩、知らぬとは言わせんぞ!!!」
「え、授業」
「安心しろ!お前は即帰宅らしいぞ!濃厚接触者だからな!夢野ぉ!!お前もだ!!!ついでに来い!!!!」
叫ぶ陽炎に夢野は思わず身体をびくつかせ悲鳴をあげて俺にしがみついた。久しぶりだなこのやり取り。
「待ちなさいよ陽炎!そういうことなら私も付いていくから案内しなさい!あんたみたいな脳筋と一緒にいたらレンに悪影響だわ!!」
コトネの言葉に陽炎は別に構わないと頷く。俺たちは陽炎に引っ張られるように教室を後にした。
「い、いやいや待てよ!おい伊集院、なにどさくさに授業サボってんだてめぇ!あたしも行くに決まってんだろ!!」
嵐のような出来事に目を丸くしていた高橋だったが、すぐに状況を理解し、遅れてカバンを乱暴に持って走り追いかける。その姿を唖然とした表情で、残されたものたちは見ていた。
体育教師が搬送された病院に着いた。陽炎に無理やり連れてこられたような感じだが、冷静になって考えると、緊急事態宣言中の原因となる伝染病に罹った患者との面会など拒否されるのではないか。そんな俺の考えとは裏腹に、あっさりと受付の人は、病室へと案内してくれた。
「どうぞ、こちらにいらっしゃいます。何かあったらそこの電話で連絡してください。」
俺たちは絶句した。連れてこられたのは病室……の筈なのだがガラスに隔たれていて、話すことなんて出来ない。いや、それ以前に、ガラスの向こうでは、大量の病人が横たわっていた。ベッドなんて上等なものではない。ダンボールの上に寝かされ、申し訳程度に毛布がかけられているだけだった。ガラスの先の音は聞こえないはずなのに、病人たちのうめき声が聞こえたような気がした。
「これは……どういうことだ受付!ここは病院ではないのか!!これではまるで……まるで……!!」
陽炎は叫ぶ。だがそこから先は口にしなかった。口にすると、まるでそれが真実のことのように思えてしまうから。
そう、そこはまるで……死体安置所のようだった。
体育教師とは結局、入院してから一度も話せず、亡くなった。感染者の葬儀はすぐに行わなければならないらしく、あっという間に日取りが決まった。
「おかえりぃ~どしたんすか境野っち、何か元気ないっすね~。」
家に帰るとすっかり落ち込んだ俺の様子が態度にも出ていたのか、軽井沢が迎え入れる。
「軽井沢……実はまた学校で感染者が出てな。俺と夢野は濃厚接触者ということで自宅待機を命じられたんだ。明日の葬式には出られるみたいだけど。」
「え!?そうなんすか!?やーばいっすね!ちょっと病原菌ばらまくのやめるっすよ~。ていうか何で夢野っち?それなら他の二人もセットじゃないんすか?」
今までの話をすると軽井沢は吹き出した。
「か、カナヅチ……!ぷぷぷ、いい年してカナヅチって……!!それで二人で特別講習ってどんだけ笑かすんすか、あー残念っすねぇ、そんな面白いイベント、絶対あーしが学校行ってたら一週間くらいはネタにしていじってたのに。」
「う、うるさいな……そんなことだから軽井沢も気をつけてくれよ。病気になるかもしれないんだから。」
「はーい、あ、それよりもテレビ見ないっすか?最近暇だからテレビ見る時間多いんすけど、オススメの番組あるんすよ。」
軽井沢はそう言って無造作に俺をソファに座らせてテレビのリモコンを弄り、番組の解説を長々と始めた。体育教師が亡くなったのは残念な話だがいつまでも気に病んでは仕方ない。そんなに深い間柄ではないが明日の葬式では、きちんと胸を張って送り出すことにしよう。何も考えてないような笑みを浮かべて話しかける軽井沢に適当な相槌をつきながら、俺は気持ちを切り替えることにした。
翌日、体育教師の葬儀に参加した。参加者は俺と夢野、高橋にコトネと陽炎だ。学生は喪服ではなく学生服で良いので楽だ。葬儀はとても簡素なものだった。参列者はほとんどいない。まるで家族葬のようで気まずかったが、そうでもないらしい。
長いお経が終わり棺桶に入れられた体育教師に最後のお別れをする時間となった。陽炎は身を乗り出して棺桶へと向かう。
「な……なんだこれは!坊主!!どうなっている!!これは……これは人形ではないか!!」
俺たちも棺桶の中を見るとそこには確かに人形があった。明らかに人形だと分かる手の抜いたもの。
「遺体には放射能が残っていますし、病気が感染る可能性があるので……。」
「じゃあ遺体はどこにある!俺はまだ別れも告げていないのだぞ!?」
「既に特別処理場に運ばれています。ほらニュースで聞いてませんか?特別に作られた処理場。分類的に核廃棄物に近いのでそちらに。一般人は立入禁止ですよ。あそこは放射線だらけで生き物が近寄って良い場所ではない。」
住職の説明は淡々としていた。酷い話ではあるが、あまりにも正論すぎて、俺たちは何も言えなかった。遺族の人たちの話によると、参列者が少ないのはそういう理由だからだという。人形相手に葬儀なんて馬鹿らしいと。それでも、せめて葬儀だけでもしてあげたかった。遺族の気持ちはそんな、切実なものだった。
その後、遺族の人たちに食事に誘われた。そもそもそんな面識のない俺たちだったが、数少ない参列者だということで、歓迎してくれたのだ。陽炎はそれなりに面識があったらしく、俺たちの分まで体育教師が学校でどういう人間だったか熱弁し、それを遺族たちは涙を浮かべながら、真剣に聞いていたのだった。
食事も終え、立ち去る時には、俺たちが見えなくなるまで、頭を深々と下げていたのが印象的だった。
「ねぇ見て……今の……。」
視線が気になる。俺たちを見ながらコソコソと話している人たちがいた。それも一組だけではない、多くの人たちが俺たちを見つめヒソヒソと話をしている。
「あの家の……。」「よく顔を……。」「どこの人なの……。」「役所は……消毒……。」「ここは通学路なのに……。」「……目があったら俺たちも感染るぞ。」
それは根も葉もない噂、根拠のない推測に基づいた差別だった。あの葬儀に参列者が少なかったのは遺体がなかったからではない。感染者を出した家族に皆、近寄りたくなかったのだ。伝染病に感染したくないからという理由で。
石が飛んできた。
「早く帰れ!お前たち、あの感染一家の葬儀に参加したんだろう!この道まで汚すつもりか!」
「な、なんなのこの人たち……感染るって……葬儀に参加しただけで、家族や葬儀に参加した人なんて関係ないじゃない!」
コトネの言葉は真っ当な意見だった。だが恐怖は人の判断を狂わせる。そんな正論なんてものよりも、人々は今起きている、自分にとって都合の良い妄想を正義と見るのだ。
「そうだ帰れ!あんたも感染一家の仲間なのか!」「写真をとったぞ!みんなあいつらに近づいたら駄目だ!」「俺知ってるぞ、あの学生服、あの教師と同じ学校だ!やばいぞ濃厚接触者だ!」「なんでそんなのが出歩いてるの!お米を早く持ってきて!お米を撒くと消毒されるの!」
「ふざけるな!お前たち」
「境野、行こう。相手にする必要はない。」
俺が近所の住人たちに食ってかかろうとした瞬間、陽炎に止められた。頭を冷やし、今は黙って立ち去れということだ。
「お疲れっす~葬式どうだったっすか?」
帰宅すると軽井沢が出迎えてくれた。もう見慣れた光景。だがそれが俺のやるせない気持ちを少し落ち着かせてくれた。
「あ、お兄ちゃんお疲れ。学校で噂になってたよ?境野連と夢野ハナはもう先が短いって。酷いよねー二人とも殺しても死なない能力者なのに。」
「ん……?サキか。なんか久しぶりだな、今まで何してたんだ?」
「一連の騒動の調査だよー本当に疲れたー公務員はつらいわー。」
サキはそう言ってアイスを食べながらソファでぐったりとしていた。彼女は所謂エージェント、妹を騙り俺の家に潜入していたのだが、公務員だったのは地味に初耳だ。まぁアドベンター……治安維持のための組織に所属していると考えると妥当なのかもしれない。
俺もアイスを取り出してスマホを弄り始める。SNSは無法地帯だ。デマや感染者、濃厚接触者の晒し。過激な書き込みの中には、濃厚接触者は殺処分するべきだなんてのもあった。俺はため息をつく。人間はここまで醜くなれるのかと……。まぁ匿名故に強気になってるだけだと信じたい。
「ちょっとーお兄ちゃん、妹がせっかく仕事終わってぐったりしてるのに、労いの一つもないのー?あー肩凝ったなぁー。話したいなー。」
「仕事終わったって何かわかったことあるのか?」
「うーんどうだろ?あーでも肩もんでくれたら、独り言が多くなるかも。」
寝転がるサキを座らせて肩を掴む。力加減が分からないがこんな感じで良いのだろうか。
「いた、いたたたっ!ちょ、ちょっとお兄ちゃん痛いって!!もうちょっと優しく!!あー……そうそうそんな感じ……ふぅ……。」
「おばさん臭いぞサキ……。」
「うへへ、おばさんですからねぇ……特別処理場……亡霊のフロント企業だったよ。」
亡霊……?この騒動に亡霊が絡んでいるのは軽井沢の話から推測の域には達していたが、まさか本当にそうなのか。
「処理場ねぇ……凄いよぉ……処理なんてとんでもない……放射能は日に日に力を増していてねぇ……中心部はとんでもない熱量を起こしてるの……亡霊はねぇ……人間を核燃料にしてるんだよぉ……。」
「は?」
「い゛っっったい゛!!!お、お兄ちゃん!?突然力入れるのやめてくれない!?今の本気で折れると思ったよ!!?」
「あ、悪い。つい驚いて……核燃料ってしかし……。」
「おかしいことじゃないよ、人間の生命エネルギーを核エネルギーに変換する……それが全国から毎日集まってくるの。ニュース見たでしょ?毎日何万という遺体……核燃料の素があそこに集まってるの。」
磯上は言っていた。人類を殲滅すると。核燃料……連想するのは核兵器……磯上は亡霊は核兵器を使って人類を皆殺しにしようとしているのか?
「止めなきゃ……でもどうやって。」
「これは独り言だけどねぇ……どれだけ酷い放射線の中でも行きていられる生き物がいるみたいだよ……肉体の欠片をちょっと採取して研究所に送ったんだけど……それはこの世界の外側から来た存在……そんな都合の良いヒーローが……いるのかなぁ……?」
こいつ、いつのまに俺の身体を研究所に送ってやがったのか。だが、今はそれが幸いだった。つまりサキが言うには、放射線が蔓延した、この世の地獄に入れるのは俺だけだと。この騒動の原因を突き止めて解決しろというのだ。
俺の脳裏には体育教師が浮かんだ。短い付き合いだったが、立派な大人だった。尊敬もしていた。遺族たちの悲しむ姿が今も瞼の裏に焼き付いている。
「行ってくる。」
俺は地図を確認して走り出した。このふざけた騒動を止めるため。もう二度とこんな悲劇を繰り返さないために。特別処理場へ。