堕ちた小鳥、始まりの夏
朝、蝉の鳴き声で目を覚ますと夏の訪れを感じさせる。相変わらず軽井沢もサキも暑い暑いと言っているが、二人とも暑さに弱いのだろうか。温度計を見ると30℃……確かに暑いといえば暑いが許容範囲内だ。
「こんな暑いのに学校なんてよく行けるっすねぇ~溶けないように気をつけるっすよ~。」
軽井沢に送られて俺たちは外に出た。日差しが強く、炎天下の中。陽炎も少し見える上にじめじめと嫌な感じだ。
「ほんっとうに暑い……こんなの死人が出てもおかしくないよ……水泳の授業が待ち遠しい……。」
もう汗をかき始めているようでサキは襟元をバタつかせ手を団扇のように扇いでいた。最近はずっとこんな調子だ。これじゃあ夏休みが始まった頃にはどうなることか。
ボトリ、そんな時、何かが落ちた物音がした。それは俺たちの正面に落ちてきたようだ。近づいて何が落ちたのか確認する。鳥の死体だった。
「珍しいな、飛行中の鳥が急死するなんて。」
「こんだけ暑いと鳥さんも参るんだよ、そんなことより早く行こうよお兄ちゃん、エアコンの効いた教室が待ってるんだからー。」
鳥も熱中症にかかるということだろうか。その時、俺は特に気にもせず鳥の死体を無視して足早と学校へ向かった。
教室に入ると普段と違う話題で盛り上がっていた。昨日の放送事故のことだ。それに関連してどうも何か変な病気が流行っているという。小動物の死体が多く発見されているそうだ。
「それでマスクしてる人が多いのか。」
「ニュースじゃあ、原因不明の病気だって言うから対策もよく分かってない感じでさ。とりあえず手洗いうがいはちゃんとしましょうねって言ってるみたいだな。」
そういう高橋はマスクをつけていない。夏の暑い時期というのもあるし、テレビの中の出来事で、どこか現実味を感じないのが事実としてあるのだろう。俺も今、初めてその話を聞くが、だからといって震え上がるわけでもなく、他人事で……ドラマや映画の話のように聞いていた。
「……ふ、ふふ……賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ。という言葉を知らないのかしら。他人事だとお、おもって……。」
マスクをしたコトネがふらつきながらやってきた。倒れそうなところを支える。明らかに熱中症を起こしている。マスクをひっぺがすと汗でぐちょぐちょになっていた。
「お前これいつからつけてたんだ……?」
「決まってるじゃない、昨夜からずっとよ……か、返しなさいよ……私の素顔がみたいのは分か……るけど……。」
コトネを保健室に連れていき替えのマスクをつけて横にさせた。この季節だ、下手にマスクをつけるとコトネみたいになりかねない。とはいえ未知の病気に対する恐怖もある。俺の身体は有栖川に作られたものらしいので、病気に対する抵抗がどのくらいか分からないが……。何とも奇妙なことになったものだ。
その後は教室に担任の橋下先生がやってきて、テレビで聞いたような話をするだけだった。みんなあくびをしたりと話半分で真面目には聞いていない。一般社会で明らかな異常事態が起きていても、身近なところで何も起きなければこんなものなのだろう。
水泳の授業は男女合同で行われる。体育は普通男女別なのだが、プールという限定した施設を使うため仕方のない処置である。心なしか同級生たちは普段よりやる気を見せている。当然、いつものように班分けされるのだが……。
「磯上……。」
当然のことながらそこに磯上はいなかった。怪我による長期休暇というのが表向きな理由である。だが本当の理由を俺たちは知っている。
水泳の授業が始まり、皆は夏の暑さを忘れ和気藹々と楽しんでいる。そんな様子を俺は遠目で眺めていた。
「よーし境野。とりあえずまずは顔に水をつけるところから始めよう。大丈夫怖くないぞー。」
馬鹿にしてんのかこの体育教師は。つまるところ、いざ授業が始まったのは良いが、俺の身体はまったく水に浮かなかった。もちろん思い切りバタつかせれば進みはするが、そんなことをしたらプールの授業は無茶苦茶だ。俺の身体はとにかく遊泳には向いていなかったのだ。だからこうして、皆とは隔離されて特別授業を受けている。
「さ、境野さんもカナヅチだったんですねぇ。意外でした。で、でもおかげで一人恥ずかしくなくて嬉しいです……。」
隣にはカナヅチ仲間の夢野がいた。前々から知っていたが運動全般がとにかく駄目なようだ。有栖川との戦いのあと、特に後遺症がないか不安だったが、こうして体育の授業を受けられるくらいには元気だったようで安心した。それはそれとして、一人恥ずかしい思いをしなくて済んだというが、単に恥ずかしい思いを共有できるだけで、恥ずかしさは変わらないと思うぞ……。
結局、俺たち二人はまるで幼稚園児が受けるような水泳の授業を受けていた。当然俺の場合はそもそも身体がまったく浮かないのだから上達もしないわけで……。体育の成績は赤点間違いなしだと諦めた……。
体育教師の話だと夢野はともかく俺の場合は筋肉がつき過ぎてるから浮かないのは仕方ないと、精一杯のフォロー?はもらえたのが救いだった。
「これ夏休みが終わるまで続けないといけないのか……色々ときついなぁ……。」
一人更衣室で着替えながら呟く。別枠で授業をしているせいか着替えのタイミングまでずらされるみたいだ。まぁ……先にあがるよりかは後ろめたさがないけど……。
「おー境野、着替え終わったなら施錠するから早くしろー。」
体育教師の声が聞こえた。授業が終わりクラスメイトと談笑しながら教室へと帰る時間を俺は、こんなむさいおっさんと一緒に帰らなくてはならないと思うと憂鬱なことこの上ない。思わずため息をつく。
「お?境野、お前失礼なこと今考えているだろ?我慢しろ我慢!若いんだからこういうのも経験の内だ。大体お前部活入ってないんだろ?水泳は苦手かもしれんがその体つきなら活躍できるだろうに。」
「いやぁ、俺はもっぱら帰宅部が性に合ってるんですよね……。」
体育教師は別に性格が悪いというわけではないのだが……やはり何というか……立場の違いから距離感を感じてしまうのだ。そんなこと構わずに話しかけてくるので、結局体育教師と話がそれなりに盛り上がって教室へ戻るのがギリギリになってしまった。
水泳の授業後の教室授業は何というか普段と違うような気分を感じさせる。やはり俺も暑さで多少参っていたのもあるのだろう。水泳の疲れと少し濡れた身体にエアコンで丁度いい温度となった教室が眠気を誘う。瞼が重い。悪いとは思うのだが限界だった。既に寝ているクラスメイトもいる。それが免罪符になるわけではないが、俺も彼らに追随して眠気に身を委ね、微睡みの中に沈んでいった。





