終末の騎士、果たせぬ約束
桁違いの圧力を感じた。空気が凍りつくように冷たく、すがりつきたくなるほど重たく感じた。今まで見た亡霊たちとは別格の存在感。それはかつて、仁が龍賀野で出会った者たちと同じ気配を発している。
記憶を通じて連と仁は理解した。彼らこそがあの場で、召喚に立ち会った者たちなのだと。
「久しぶり?これはどういうことですかな!磯上様が彼と同級生なのは知っていましたが、まさか雷伝さんもお知り合いだとは!抜け駆けとは大人げない!」
「いやピエール、息巻いてるところ悪いんだが俺も実は彼とはちょっとした顔見知りで……覚えてるかな少年、コンビニで少しだけ話をしたろう。」
「おぉ何ということか!ではなんです?私とムォンシーさんだけ仲間外れということですか!あぁ嘆かわしい……私はともかくムォンシーさんはまだ子供。仲間外れをされたなど知ったら悲しみに……。」
「え、いや私もこいつとは顔見知りだけど?」
「……確かにムォンシーさんはマフィアの頭目!色々と顔が広いのは仕方ないでしょう!ですが、まさか他の皆さんが私たちに内緒で親密な関係を結んでいたなど……!大方少し顔を知っている程度でしょう!!」
「まぁ確かに一緒に温泉街をまわったくらいしか付き合いはないかなぁ。」
「付き合いの長い友達か何かですかあなた方は!?」
───理解できない。何なんだこいつらは。何がしたいんだ。何をしに来たんだ。どうしてそんな……そんなまるでピクニックにでも来たような態度で話ができる?沈黙が入る。ピエールと呼ばれた男は頭を抱えて芝居がかった態度で頭を抱えた。
「あんまりだ。君たちはいつもそうだ!私だけじゃないか!彼と初対面なのは!自分のことばかり考えて!覚悟の準備をしておけ!弁護士を敵にまわすとどうなるか教えてやろう!なぁ連くん、君からも言ってやってくれよ?あと温泉まんじゅうはないの?お土産欲しいんだけど。」
衝撃波が走る。有栖川が薙ぎ払ったのだ。苦悶の表情を浮かべながらも、その力に衰えを感じさせない。
「今更、何しに来たの?お前たちなんか潰そうと思えばいつでも潰せた。不意打ちでいい気分だったろうに、お生憎様。その程度で私は倒せないわ。」
事実、貫かれた有栖川の身体は既に再生していた。息も整ってきている。あと少しもすれば全快し、全力をもって亡霊たちを迎え討つことができるだろう。
「そうだな。そのとおりだ。ずっと考えてたんだ。お前を殺す方法。結局、俺たちの力じゃ殺しきるのは無理だって分かった。」
言葉とは裏腹に磯上はまったく問題のないような口調だった。
「だからこれを使ったんだ。再生……もうしてるんだろ?取り込んでしまったな?」
その手には黒い立方体があった。見覚えがあるものだ。
有栖川が突然うめき声をあげて膝をつく。胸に手を当て、瞳孔は開き、歯を食いしばり震えていた。
「上手く俺たちを利用したと思っていたんだろう?だかな、俺たちも最低限のことは済ませていたんだ。こいつはあの時、呼び出した異世界来訪者の死体の一部。大部分は圧縮して、お前を貫いた時に体内に入れてやった。天満月の攻撃で細胞ごと再生しているんだろ?異物が混入していることにも気が付かず。」
有栖川はついに苦痛に耐えきれなくなったのか叫びだした。その目は憎悪に満ち溢れ、磯上を睨みつける。
だがそんな怒りも磯上には届かない。有栖川の肉体は変質していった。体内の異物を取り込んでしまったせいで、まったく別の存在に成り果てようとしているのだ。
「仮にお前を真なる人、真人と呼ぼう。確かにお前はこの世界で最も純粋な人間だった。故に強固で倒すことが困難だった。だからこうして……混ぜものをしてやれば、俺たちにも勝機が見えるというわけだ。」
肉体が肥大化していく。まるで肉の腫瘍のように歪に醜く膨れ上がり、かつての有栖川の面影はもうなかった。かろうじて残った顔が、俺と目が合う。
「境野くん……たす……けて……。」
その言葉を最後に僅かに見えた有栖川の面影も肉の腫瘍に飲み込まれ消えていった。それは、あのときと同じ、か弱い無力な少女と……同じものだった。
巨大な肉の塊、最早理性を感じさせないそれは、亡霊たちに襲いかかる。巨大な手のようなものが膨れ上がり、叩きつけようと振り上げる。そして叩きつけようとしたところで、亡霊たちの手前で止まる。
「まぁじでキモすぎるんだけど、磯上これどう処理すんの?」
止められた手がねじ切られる。落ちた手は溶けていき消えていった。
「うわ、なにこれ、ちょっと、何か変なガスとか出てるんじゃないの?」
「ムォンシー、それで良いんだよ。今やあの肉塊は星の使徒でもなんでもない。異世界来訪者と同化した世界の異物。消えてるのは、この星の防衛本能に拒否されているからなんだ。」
磯上が手を振るうと、肉塊に大量のワカメが生えてきた。ただのワカメではない。肉塊を栄養とし育つ食肉植物。更に地面に根を張り肉塊を拘束する。
「もう俺たちは何もしなくてもいい。後はこうして黙っていれば勝手に自滅するってわけさ。」
有栖川は言葉にならない悲鳴をあげて崩れていく。巨大な肉塊は、まるで燃え盛るロウソクのように少しずつ形を変えながら小さくなっていく。小さな肉塊はすがるように俺の傍に寄ってくる。俺はそれを拾い上げた。
仁の七星剣が何かを断ち切った瞬間、有栖川は何かが変わっていた。まるで憑き物が落ちたような。人類殲滅なんてもう頭にないような、ただ純粋な少女だった。それを磯上は……まるでゴミを扱うかのように蹴散らしたのだ。
「どうして……どうしてこんなことをする。有栖川にはもう悪意はなかった……。」
「どうして?そいつは人類を俺たちを皆殺しにしようとしたんだぞ?殺意の動機には十分すぎるじゃないか。」
磯上の言い分はあたかも正当性のあるように見える。だがそれは単に自分の行動を正当化しようとしているに過ぎない。
「嘘だッ!お前と有栖川は前々から面識があるような会話をしていたじゃないか!ただの同級生ではない、亡霊としての顔として。しかも用意周到に殺意を秘めて、虎視眈々と狙っていた。お前のいや、亡霊の目的は何なんだ!?もうこの際だから教えてやる。お前たちが追いかけているジョーカーは」
「お前だろ?境野。知ってたよ。弦が全てを教えてくれた。あの時、あの館で、どうして弦が一人でお前を待ち構えていたのか、不思議に思わなかったのか?全部、伝わっていたんだよ。でもな境野、もうどうでもいいんだ、お前のことは。殺すつもりなんてもうない。俺たちが警戒していたのは仁とそれに匹敵する能力を持つ狡猾な人物であって、ただ他の人間より強いだけのお前には、何の脅威も感じないんだ。」
全てが嘘だった。目の前にいるこの男は虚像で塗り固められていた。今の磯上からは、普段の様子とはまったく異なる、強い意思……いやこれは意思という言葉で言い表しきれない、信念。冷たく煮えたぎるマグマのような、憎悪。それは世界そのものに、この世全てに向けられた怨嗟の思い。
サイレンの音が聞こえる。その音が非日常的だった世界を現実的に戻す。磯上は周囲の人々の様子を見つめる。その目は普段と変わらない筈なのに、なぜだか不気味なものに見えた。
「潮時だな。目的はとりあえず果たしたし帰るよ。そうだ、目的だったか。俺たちの目的は有栖川と同じさ。即ち人類の完全撲滅。この世界の人間を皆殺しにして、そして俺たちも死ぬ。それを亡霊の頭領である俺と、彼ら終末の四騎士が成し遂げる。それじゃあな境野。またいつか再会を祈ってるよ。」
突如空間が歪曲し、裂け目ができる。裂け目に向かって磯上は背中を向けて歩きだした。
「ザリガニ!逃がすな!!」
口が勝手に動いた。仁の言葉だ。それに呼応して空が光る。神の杖。大気圏外からの質量攻撃。立ち去ろうとする亡霊たちに直撃した。瓦礫ごと吹き飛ばされ土煙が舞い上がる。
「ダメだね。予想の範疇といったところだけど。」
土煙は晴れたが、そこには何もなかった。普通なら無惨に神の杖でミンチにされた死体でもあるだろうに……そんな痕跡すらなかったのだ。奴らは、まさに亡霊のように、この場から姿を消したのだ。