ずっと伝えきれなかった気持ち
そのとおりだ。俺は、有栖川の言葉を否定しておきながら、頭の中では納得がいってきている。黙っていると、それに呑み込まれてしまいそうで、必死に否定の言葉を繰り返す。でも無駄な抵抗だった。だって、有栖川の言っていた、この世界の人類誰もが持つ濁り……それは俺にも見えているのだから。今、健気に毒に耐えて苦しんでいる夢野にすら、俺は見える。濁った魂……何かが混ざっている……。
そんな様子を有栖川が満足した様子で眺め、上機嫌に話しかける。
「へぇ、キミには本当に意外に思わせることばかり。"見えるように"なったんだ。私と同じものが。なら、私も見てご覧、私はキミと同じ、人間だよ?」
これもそうだ。有栖川を見る。確かにそのとおりだ。有栖川の魂は清麗そのもので、その輝きは眩しく、輝かしいものだった。俺と同じ光があった。この世界で、この狂った世界で、ただ一人の仲間……同族……。
有栖川は手を差し伸べる。手を取れということだろう。共に目的を為そうという意思表示。俺はその手を……。
「違う……。」
その手を払った。有栖川の言うことは間違っていないのかもしれない。きっと出会い方が違っていたら、別の選択を取っていたのかもしれない。でも……もう遅いんだ。
「例えこの世界の人たちが、正しい人類としての魂でないとしても……それが歪なかたちであったとしても……。みんな一生懸命に今を生きているんだ。俺は知ったんだ。この世界の人たちも、俺たちがいた世界の人たちも、本質は変わらないことに。みんな、胸の底に秘めた悪意はあっても、正しい人間として、毎日を足掻いて生きているんだ。だから……そんな人たちを殺すなんて、俺は賛同できない。」
色々な人と出会った。中には軽蔑に値する、救いようのない者もいた。だがそれは、この世界に限った話ではない。人間とは元々、誰もが隠し事、悪辣、業を抱えて生きているものだ。それでも、そんな悪意に負けてはならないと、正しくあろうと生き続けるからこそ、人間なのだ。それはこちらの世界でも、あちらの世界でも変わりない。だから……。
「寄生虫などでは、断じてないんだッ!夢野も、他のみんなも……俺たちと同じ人間に変わりはないんだよリサッッ!!」
有栖川は呆然と見つめていた。俺の言葉を黙って聞いていた。まるで世界には俺たち二人きりのようだった。爆心地となり、荒れ地となったこの地で、静寂さだけが支配していた。
「同じ……?この世界の蟲が……私たちがいた世界の人たちと……?」
呟くように、確認するように有栖川は呟く。
「なら、私たちがいた世界にも人間なんて一人しかいなかったよ。正しくあろうとするのが人間なら、なんで私はあんな目に遭わなくてはならなかったの?あは、そうか、簡単なことだったんだね。あの世界に人間は私と境野くんだけで、この世界にも私と境野くんだけ。変わらないんだ。違う点があるとすれば、私は寄生虫を掃除できる力があるということ。」
有栖川の様子が変わる。周囲に大気が渦巻いてきた。何かを起こそうとしている。止めなくてはならない、そう思った。
「リサ!もうやめてくれ!俺はお前と戦いたくない!あの茜色に染まる教室で、お前が一人泣いていたあの日から、俺は助けたくて───。」
「うん、大丈夫だよ境野くん。私はね、この世界に転生してから色々な力を手に入れたんだ。その一つがこれ。時間逆行。今から時間を巻き戻す。ただし戻れるのは生きている生命だけ。この意味、分かるよね?」
有栖川は仁と夢野を敵視していた。この二人が最大の障壁であると。それが今、取り除かれた今、彼女を止められるものはもう一人しかいない。同じ存在である、境野連ただ一人。だが境野連は踏ん切りがつかなかった。どうして、彼女に手を出すことができるのだろうか。あんなに苦しんで苦しんで、ようやく報われる時が来たのに。それを邪魔する権利が俺には……。
空間が湾曲する。時間軸がずれ始めた。時間の逆行が始まる。仁も夢野もいない世界の俺は、一体どんな選択をとることになるのだろうか。正しい選択を取ることが……。
「させ……ないです……!!」
突然、逆行が止まった。いや止まっただけではない。まるで逆再生が始まったかのように、空間の湾曲は元に戻り、荒れ地へと戻った。声の方を向いた。夢野が震えながら立っている。
「……は?なん……で?」
有栖川の時間逆行は絶対的なスキルだった。一度発動さえすれば、仁ですら止められない。無論、デメリットも大きい。世界に与える影響が大きすぎるので予想外のイレギュラーが発生しやすいのだ。だが、此度は……そもそも逆行自体が成立しなかった。
それだけではない。既に毒で身体が侵されているはずの夢野が何故生きているのか?何故?しぶといにも限度が……いや……。
「なん……なの……あんた……!化け物……化け物……!私の知ってる寄生虫の中で一番の化け物!!」
夢野の能力は未来を改変する能力。───だけではない。既に夢野の能力は成長とともに進化を遂げていた。それは初めてレンの未来を知った時に気づいた能力。かつて星に降り立った"それ"が持っていた、神にも届きうる能力。
その名を因果律改変能力。夢野は自ら能力のリミッターを外した。そして、あらゆる未来から『毒に侵された身体』という因果を全て改変し『なかったこと』にしたのだ。そして同じく、有栖川が今為そうとしていた時間逆行に対しても同じことを。
だがその犠牲は計り知れないものだった。本来、一度心が壊れ自殺にまで至った能力。それは人の器にはあまりにも大きすぎる能力。耐えきれるものではなかった。夢野は能力を使用した瞬間、脳内にあらゆる知識が雪崩のように入り込んできた。世界のすべてを、無限とも言える膨大な出来事が。それは宇宙そのものだった。限界は簡単に迎えた。
「あっ……あぁ……。」
目と鼻から血が流れる。激痛が走る。知識が脳細胞を焼きつけた。毒は取り除けたが、既に夢野の脳はボロボロに破壊されていた。その場に崩れ落ちる。
「夢野!!」
俺は崩れ落ちる夢野を抱きかかえる。息も絶え絶えで、血まみれの顔が痛々しかった。
「もうやめろ!このままだと、お前が死んでしまう!!」
「さ、境野さん……。わ、わたし……この能力のせいで……つらくて……だから……境野さんを見た時……いけないって分かってたのに……ごめんなさい……ずっとだまして……わたし……ずっと……ともだちになりたかっただけなのに……ずっと一緒に……。ねぇ……もう……わたし……ゆるしてくれた……?」
最初から夢野は、善意で接してくれていた。人が死ぬのは見たくないから、たまたまそんな未来を見てしまったから、底抜けの善人だから、そう思っていた。でも違っていた。夢野は、俺個人のために善意とかではなく、善悪を超えた好意で俺に手助けをしているだけだった。
考えれば分かることだった。夢野の気持ちに何一つ気づいてなかった。初めて教室で食事をした時から、あんなに友達でいたいと言っていたのに。なのに友達に隠し事をしていたのが、ずっと負い目だったんだ。夢野はずっとそれを気にしていて、ずっとずっと下を向いていたんだ。
謝らなくてはならないのは俺の方だ。かけるべき言葉をずっとかけていなかったから。
「許すも許さないもあるか。それでも夢野が負い目を感じているなら……改めて俺と友達になってくれ夢野。俺はお前と友達になりたかったんだ。」
返事はなかったが、いつもの不器用な笑顔を浮かべた。目に溜まった涙が地面にこぼれ落ちた。抱きかかえている身体から力がなくなる。





