君がいたから
レンがいなくなってから数日過ぎた。足取りを追っているが未だに見つからない。
「仁……気持ちは分かるが少し休んだほうが良いんじゃないか?ほら、お風呂を沸かしたから、入りなよ。」
そばにコーヒーカップが置かれる。それを俺は飲む。ザリガニにはあれからずっと事務所を仮住まいとしてもらっている。結局、あの女を取り逃がしてしまった。安全は保証されていないのだ。意外なことにザリガニは俺の事務所に来てからはちゃんと毎日、シャワーを浴びて清潔でいてくれるのだ。おかげでザリガニ臭は大分軽減されている。
電話が鳴っている。取る気のわかない俺の代わりにザリガニが電話をとる。最近はずっとこんな調子だ。
「公塚って人が仁に用事があるみたいだけど、どうする?」
公塚ということは仕事の依頼だろう。こんな時にも依頼はやってくる。丁重に断りを入れたいが、俺以外の言葉などあいつは無視するだろう。仕方なく電話をかわった。
「ただいま、留守にしております。ピーっとなりましたらお名前とお電話番号を。」
「仁、お前のつまらん冗談に付き合う暇はない。事情は聞いているが事件は待ってくれない。手伝ってもらうぞ。」
俺はわざと舌打ちをしていかにも不快感をアピールしたのだが公塚はそれを無視して、事件の概要を話し始めた。事件の内容はよくある殺人事件……だが現場の痕跡から亡霊の仕業である可能性が高いということだ。今まで特に目立った動きをしていなかった亡霊が何故、こんな動きをし始めたのか謎ではあるが、公安だけでは手が余るというのが公塚の持論だ。
「境野家に応援でも要請してくれ。仁とかいう落ちこぼれは役に立たないので、本家からまともな奴の力が欲しいってさ。プライドの高い連中だ、喜んで力を貸すだろ。」
「謙遜はよせ。俺の知る限り、お前以上の適任者はいない。亡霊絡みで人探しをしているのだろう?なら、今回の事件を利用して、おびき寄せるなんて考えはないのか?」
おびき寄せる……あの女はあれから全く、足取りを見せない。レンを使って何かしようと企んでいるのは分かる。それを邪魔して、向こうから俺を始末するように仕向けさせる……ということか。確かに亡霊のやることを邪魔すればそう動く……というのもありえるか?ただ我武者羅に何の取っ掛かりもなしに探すより、そちらの方が良いかもしれない。
「流石、公塚。陰湿なことを考えさせたら右に出るものはいないな。その手で行こう。」
「最高の褒め言葉だよ。あとで事件のファイルを渡すから署まで来てくれ。」
事件の概要を改めて説明してもらう。まぁ話だけ聞くと、アタッチメントを使ったよくある犯罪だ。亡霊の仕業だと断定したのは監視カメラの映像から……間抜けな話だ。少なくとも幹部の仕事ではない。
「あぁ、そうだ。最後に一つ……。」
公塚は勿体ぶって言葉を付け加えた。いつもなら簡潔に要約して話をするので、こういう言い回しは珍しい。
「最初に出た春の妖精のようにかわいらしい声の女の子は誰だ?できれば紹介してもらいたいのだが。」
「くたばれロリコン野郎。」
電話を切った。公塚とかいう顔もモデル並に整っていて若くしてエリートの道を最短距離で走っているにも関わらず、色恋沙汰の話が皆無、ハニートラップにもまったく引っかからない理由はこれだ。ザリガニをチラリと見る。幼さが残る……というか幼い子供そのものだ。今後十年は絶対ザリガニと公塚を引き合わせるのはやめようと再度心に誓った。あぁ勿論、龍星会のメスガキもだ。あいつの存在が知れた場合は別の意味で公塚が危険だからな。
公塚から事件の調査ファイルを受け取った。早速現場に向かうと確かに恩恵の痕跡を感じる。下手くそな隠蔽だ。相手は素人……。これならすぐに犯人が分かる。似たような現場が数件……恐らく証拠を残すこと自体、特に問題に思っていないのだと見える。犯行に及んでいるのは末端もいいところ。物量作戦、とにかく短時間で多くのことを為す。今も犯行を行っているのだろう。その目的は不明だが。
「まぁ、亡霊の不幸は俺を本気で敵に回したことだ。」
水道管に触れ、また街を支配下に置く。今回は単に調査するだけではない。街の人工物を組み替える。組み替えた人工物は生き物のように変化していき、最低限の動きが可能な式神に作り変える。下っ端相手ならこれで十分だ。
街全体が仁により作り変えられ、亡霊による犯行を警備する一つの兵器と化した。一人二人……変形していく街の警備システムに亡霊の末端どもが捕まっていく。弱すぎる。こうして捕まえた亡霊の末端連中は数十人に及んだ。
「一日でこれだけ捕まえるとは……流石だな仁。お前に頼んで良かった。」
「こいつらは使い捨てだ。本命は別にある。だが安心しろ、下っ端は全員犯行にすら及ばせねぇ。連中には俺を殺さない限りなにもできねぇってことを思い知らせてやるよ。」
逮捕した連中は老若男女様々だったが、亡霊に関する手がかりは皆無だった。俺も尋問に立ち会ったが、術式により封じられているとかそういう話ではない。シンプルに記憶がないのだ。無差別にそこらの一般人を利用して命令を下している。シンプルなやり方だが、足取りが非常に掴みにくいのも事実。無差別による犯行なのだからザリガニによる真犯人の特定も困難であろう。
まぁそれも今日までだ。どれだけストックがあるか知らねぇが、街全土に警備システムを配備させた。今度、同じように雑踏で洗脳術式を使用すればすぐに反応する。それが大物で警備システムでは敵わない相手でも、戦えば痕跡は残る。つまり詰みだ。
予想どおり、亡霊の動きは鈍化していった。片っ端から全員をとっ捕まえているが、その数が日に日に減ってきている。そして俺自身は事務所に立て籠もっている。受け身の体制は好まないが、仕方ないことだ。防衛にただひたすら専念したのは初めてだが、かつてない規模の防護結界を組むことができた。
「おー今日も元気にやってるなぁ。」
最初はバズーカだのロケットランチャーだのミサイルだのが飛んできたが、今更そんなものが通るはずがない。次に毒ガスを散布してきたが、浄化分解すればいいだけの話だ。事務所全域を結界魔術で包囲もしてきたが無駄だ。既に事務所自体を結界化しているため、事務所を除く空間が結界になるだけだ。シンプルに食糧、水、電気の供給を遮断もしてきたがそんなの次元干渉術式で既に数年分も確保している。こちらには長年引きこもり続けたベテランアドバイザーがいるんだ。並大抵のことでは揺るぎはしない。
そして今、窓の外でやってるのは市民団体の抗議だ。術式による洗脳ではなく扇動により俺にあらぬ噂を流したようだ。色々騒いでるが、音を遮断しているので何言ってるのかさっぱり聞こえない。
「いやぁ仁すごいねぇ、こんな快適空間を作れるなんて。やはり仁は僕専属のパートナーとして一生傍にいるべきだよ。」
プシュッと音を立てて缶ジュースを開けながら、炭酸飲料片手にザリガニは呑気に答えていた。当たり前だが、俺が立て籠もりをしているのは別にザリガニに快適空間を提供するためではない。奴……あの女の連絡を待っているのだ。痺れを切らしたあの女が直接接触することを望んでくること……それが唯一の勝機だ。
そしてそれは予想どおりやってきた。一通の手紙が投函される。敵性術式確認、問題はない。内容は日付と場所の指定、そしてそこで会おうというシンプルなものだった。
「ザリガニ、実は前々から知ってた上で黙ってたんだが、お前のパソコンで作ってるあのおもちゃ、ちょっと改良を加えて俺のパソコンに入れてくれないか?」
ザリガニは口に含んでいた炭酸飲料を吹き出し咳き込んだ。「な、何のことかな。」と恍けているが俺は既に知っている。ザリガニが密かに俺の人格をシミュレーターしてAIとして再現し、俺が来ていない時はそのAIと会話していることに。もっとも今はいつも一緒だからしばらくご無沙汰だったが。確か名前は……AI仁だった。ネーミングセンスの欠片も感じないが、シンプルでわかりやすい。
「い、いや勘違いするんじゃないよ仁、これはだね、あくまで仁と円滑にコミュニケーションをするために僕が教育用プログラムとして作り出したもので、特に深い意味はないんだ。うん、不愉快なら謝るよ。すぐにアンインストールしてレジストリの欠片残さず消すから許してくれよ。」
「消すな消すな。残して良いから。俺公認で公式アプリにして良いから。俺が言いたいのは、そいつを俺のパソコンに組み込んでほしいんだ。もし、俺が留守でも対応できるように。所謂窓口AIみたいなもんだ。」
俺の意図を理解してくれたのかザリガニは早速、俺のパソコンと自分のパソコンを繋げてデータを移し始めた。
「仁のパソコン古いねぇ……。これじゃあ再現がほとんどできないよ。待ってて、簡略化するから。窓口業務限定なら不要な部分はかなりあるだろうし。」
「あぁ、具体的には術式以外で俺のやれることを簡易再現、それと会話機能もある程度付けてくれ。機密情報は必要ない。隠すくらいなら最初から無いほうが良い。」
ザリガニのキーボードを打つ手が止まった。終わったにしては早すぎる。何か問題でもあったのだろうか。
「なぁ仁……前も言ったよね。僕は仁を信じているって。だから……仁も僕に嘘はつかないよね?」
俺は黙り込む。これからすることに、ザリガニはもう察しがついているのかもしれない。小さいザリガニの背中が、更に小さく、寂しく見えた。
「仁……外出するつもりなんだろう?僕は待っているよ。仁がくれたこの場所で。ずっと。だから……。」
「当たり前だろ。ザリガニ、夕食でも用意して待っててくれ。少しの間だったが、お前の手料理は悪くなかったぜ。」
俺はザリガニを安心させるように、できるだけ明るく答えた。ザリガニは振り向かない。だがキーボードを叩く手はまた動き出した。
「行きなよ仁。後はもう僕一人でできるから。」
「……悪いな、ザリガニ。」
俺は事務所を立ち去った。最後までザリガニはこちらを振り向かなかった。





