襲撃者、そして失われたもの
セキュリティのために用意していた厳重な認証がもどかしい。ザリガニの住み家に攻撃の後はなかった。だが、こんなもの本気で殺す気で来た術師なら無意味な破壊などしないはずだ。故にまだ無事が保証されたわけではない。俺はとにかく焦っていた。自動ドアが開く。ザリガニの私室へと走った。珍しく息が荒くなる。
「ザリガニ!!大丈夫か!!?」
そして俺は勢いよくドアを開けた。そんな俺の姿が珍しいのかザリガニはビクンと身体を撥ねさせていた。
「じ、仁!?お、驚かさないでくれよ。しかもなんだいその姿は、僕にそんな会いたかったのかい?」
俺は安堵で膝をついた。とにかく間に合ったのだ。
「あぁ、そうだよ。お前にとにかく会いたかったんだ。」
「なるほど、僕の身の危険を感じたからこうして急いで来たと。涙ぐましいね。こういう時はね、素直に僕も気持ちを口にすることにしてるんだ。僕は今、凄く凄く嬉しいよ。ああ、日本語というのは難しいね。僕の今の気持ちを表現するのに、こんな言葉で表しきれないのに、いい言葉が思いつかないんだ。」
俺が今までのことを説明すると、ザリガニは目線をきょろきょろとしながら、ニヤついていた。
「あ、あぁすまない。話の続きをしないとね。僕に調査を依頼した住所が消えていたということだけど……仁、正直なところ何の話をしているか僕には分からない。調査なら確かに仁に頼まれて色々としているけど、亡霊と思わしき女の住所?何のことか。」
ザリガニの言葉に嘘偽りは無かった。そしてこんなところで冗談を言う奴でもないことは分かっている。彼女は本当に、何も知らないのだ。ついさっきまでずっと自分が調べていた女のことを。それはつまり……認知の改変、記憶操作。既にザリガニは、敵の手に落ちていた。
怒りを感じた。あの女は、俺の仲間に手を出しやがった。それも記憶操作なんて、下手したら人格に影響しかねない術を使いやがって。
まずはザリガニを解術しなくてはならない。話はそれからだ。
「ザリガニ……お願いがあるんだが……。」
「顔を合わしてのお願いは久しぶりだね、どうしたんだい。」
「今から、俺のすること。全てを受け入れて欲しい。信じて欲しい。少し痛みがあるかもしれないが……。」
記憶操作の解術は危険を伴う。一度封印された記憶を解放する。そのことによって脳に損傷を与えることも多い。いや封印の解放をキーワードに脳を破壊するものもある。ならば……ザリガニはこのままの方が良いのではないのかというとそれも違う。記憶操作とは脳に施す術式。つまり無意識下で洗脳されている可能性もあるのだ。ザリガニはコソコソと隠れて陰謀を張り巡らす今回のような相手にとっては厄介な相手だ。そうでなくてもザリガニを狙う組織は多い。殺される可能性は十分にある。あるいは……死よりも残酷なことが。
「なんだ、そんなことか。仁、君はまだ僕のことを本当に理解していないんだな。仁、僕はね、仁と初めて出会ったあの夜、ゴミに囲まれて逃げることしか出来なかった僕に手を差し伸べてくれた時からずっと……僕は仁のことを信じているんだよ。仁のやることなんだ、きっとそれは正しいことなんだろう。」
ザリガニは目を瞑り俺の前に立った。ありがとうザリガニ、俺を信頼してくれて。
ザリガニの頭に手を乗せる。術式起動、修復術式とともに解析。高度な術師相手なら解析した瞬間、破壊術式を起動させることもある。故に修復術式で破損する箇所を予測し、一瞬で修復させるのだ。───予想どおり。それは何重にも張り巡らされた爆破術式。並の術師が解術をしようとした瞬間、ザリガニの脳は破壊され、廃人となっていただろう。だがそうはさせない。俺がここにいる限り、絶対にそんなことはない。
それは悪意に悪意を張り巡らせたものだった。破壊術式だけではない。洗脳術式、感応術式、覚醒術式、連鎖術式……多岐に渡る方法で、ザリガニを絶対に殺すという意思を感じた。
「うっ。」
ザリガニのうめき声が聞こえた。鼻血を出している。術式は脳の深層部分に到達している。そのダメージは肉体にも影響する。俺は空いた片手でそっとザリガニを抱きしめた。
「俺の身体を握りしめろ。思い切り強く、気が紛れるくらい。そうすることで肉体的、精神的苦痛を和らげる効果があることが科学的に証明されている。少し楽になる程度かもしれないが……遠慮するな。」
その言葉にザリガニは堰を切ったように俺との距離を縮めて、思い切り抱きしめた。俺も解術に集中する。概ね、敵性術式は排除した。修復、治療を施しながらゴミ掃除のように満遍なく調べる。これだけの術式、痕跡を残してもおかしくはないのだが……。残念ながら痕跡は一つも見つからなかった。
「うぅ……は、鼻血……。」
「安心しろ。治療も並行して行ったから、今は少し気分が悪いかもしれないがすぐに戻る。」
俺はハンカチをザリガニに渡した。鼻血を拭かせる。
「早速で悪いんだが、ザリガニ。ここから立ち去るぞ。敵に居場所がばれて攻撃をされた以上、危険だ。」
「え、仁……それはできないよ……僕に行くところはない。仁のくれたここが僕の居場所なんだ。他に安全なところなんてないよ。」
ザリガニは名残惜しそうに部屋を見回していた。こんなゴミ部屋にも愛着みたいなのが湧くってことか……?まぁ住めば都って言葉もあるくらいだしな。
「荷物なら俺も運ぶから最低限のものだけ、用意して荷造りしろ。安全な場所なら俺の事務所がある。ここより安全だよ。」
「え、仁の事務所に住んで良いのかい?」
「臨時的にな?お前にこんな事を、舐めた真似しやがった奴を叩きのめすまでだ。」
それにレンも一緒に匿っている。警護対象はまとまっていてくれた方がやりやすい。ザリガニは納得してくれたのか、奥からカバンを持ってきて乱雑に荷物を積み込み始めた。
「パソコンは一応あるけど、専門的なのは無いからちゃんと持っていくんだぞ。」
俺の言葉に「分かってるぅ。」と気の抜けた返事がかえってきた。
滅茶苦茶な荷物を運ばれると思ったが、常識的な範囲で意外だった。もっとこう……ゴテゴテした機械とか運ぶものだとばかり。
「IT機器ってのは小型のものが多いからね。サーバーを組むなら話は変わるけど、個人サーバーは別に優先度が高いわけでもないし、あそこに残しておくよ。」
よくわからない会話をザリガニと交わしながら、事務所へと帰ってきた。そういえばレンとザリガニは初対面だ。紹介をしなくては。
「レン、悪いちょっと荷物運ぶの手伝ってくれ……レン?」
変だ。靴がない。事務所の中は静まり返っていた。呆然としている俺の脇を抜けて、ザリガニは事務所の奥に入る。鳥肌が立った。
「待てザリガニ!!奥に行くな!!!!」
最悪の予想。それが脳裏によぎった。だが、それは外れた。突然大声をあげた俺にザリガニはビクンとまた反射して振り返った。
「じ、仁……僕を脅かして楽しんでないか?」
そんなことはない。頬を膨らませて怒った振りをするザリガニに頭を下げた。
だが、心中は穏やかではなかった。レンが消えた。どこに行ったんだ。事務所に侵入の形跡はない。俺の防護術式は完璧だった。レンの為に全てを更新し、最早誰も立ち入れない要塞となっていた。では……結論として自然に考えるとレン自ら外に出た……ということだ。なぜ……?俺の言葉が……信用できなかったのか……?
まるで初めて外泊する子供のように、はしゃぐザリガニとは対称的に、俺は冷や汗をかき、困惑に満ちていた。