迫りくる悪意、失楽の使徒
あれから数日が経過した。結局亡霊は目立った動きはせず、龍賀野で喚び出された存在の死体の一部は不明なままだ。記念トロフィーみたいな感じで扱ってくれるなら良いんだが、どうもそんな簡単に終わる気がしない。
公塚と一緒に再度現場に向かい色々と説明をしたのだが、結局捕まえられたのは傭兵団だけで、亡霊は痕跡一つ残していなかった。その辺はやはり亡霊の十八番というところなのだろう。公塚は頭を抱えていた。改めて見回すと派手にやったもんだなぁと。まぁ今回は俺じゃないから知らないがな。
そして一つ気づいたことがある。喚び出された存在とレンの関係についてだ。あの時……レンは確かに喚び出された存在と相対して結果、思い切り殴りつけることになったわけなのだが、その時の残骸が僅かではあるが残っていたのだ。気づかなかったのも無理はない。その残骸……喚び出された存在の欠片は性質が反転していた。陰陽、プラスとマイナス、正と負、実と虚……言い方は何でも良いが、この二者は正反対の性質を持っていたのだ。結果、より存在としての力が強かったレンの性質が侵食をし、属性は中和され無力化されていた。
即ち……亡霊は相反する二種の存在を異界から召喚することを目論んでいたと結論づけることができる。その結果何を引き起こすつもりだったのかは分からないが、あの女……天満月と話していた女に聞けばわかるだろう。
そんなことを考えながら、俺は事務所でタバコをふかしながら息抜きに適当なバラエティ番組をテレビで見ていた。番組では今、売り出し中のアイドルが水着姿で海の生物を紹介していた。危ないことしてんなぁと思ったが、最近の視聴者はこれくらい刺激的じゃないと目にも止めないんだろう。
そうこうしていると、ようやくザリガニから連絡が来たので住み家へと向かう。
「やぁ仁、早速だけど見てくれよ。」
ザリガニに指示されてモニターの画面を見る。女が映っていた。女には亡霊の刻印が見える。やはり亡霊であったということだ。
「それでこの女は何者なんだ?」
「そこなんだよ。彼女、普通の学生だよ?背景に何もないんだ。どういう経歴で亡霊になったのか分からない。」
「見落としているという線は?」
「仁、僕を馬鹿にしてはいけないよ。こうして仁を呼び出したということは調べ尽くしたんだ。それでも彼女の背景はなかった。普通の一般家庭で育ち、普通に進級している。記録だけじゃない、ここ数日の彼女の動きもサーチした上で、何もないと結論づけたんだ。」
ザリガニがそこまで言うのだ。間違いないだろう。こと情報調査においてザリガニの右に出るものを俺は知らない。そんな彼女が断言したのだ。この女には、本当に何もないのだ。
「ただね、気になることがあるんだ。彼女ね、この家に執着しているみたいで、盗聴器や盗撮器をしかけてるんだ。」
モニターの画面が変わる。何気ない一軒家。いや、表札に境野とある。まさか……。
「レンか。」
不思議なことでもない。召喚をしたのが亡霊である彼女の手引きで、龍賀野で召喚したレンとは相反する存在……。俺によって何らかの企みが妨害された今、亡霊の狙いはレンに向かうのはおかしくないことだ。
「そう、境野レン。彼女の同級生で、君とこの間、温泉街を観光した男さ。」
「……知ってたの?」
「僕に隠し事をするつもりだったの?それは無理だよ仁、その気になれば仁の無駄毛の本数だって把握することは可能さ。まぁいいんだよ?僕はこのとおり温泉には興味ないからね。でもね、あれは駄目だよ。龍星会の女。彼女と付き合うのはやめるんだ。仁があんなのとまだ付き合ってると思うと僕はとても悲しいよ。」
「いや、あれは向こうが勝手に……。」
「それも知ってるよ。でもなんだかんだで仁は付き合ってあげてるじゃないか。この間も結局四人で仲良く温泉街を観光していたよね?しかも手を握るどころか腕まで組ませて。ああいう悪質なストーカーはきちんと突き放さないと勘違いを助長させるだけだよ。」
俺は「は、はぁ……。」と珍しくまともなことを言うザリガニに面食らいながら気の抜けた返事をした。実際、メスガキはろくでもない奴だが龍星会が役立つことは多いし、メスガキ自体もバルカンと並ぶ実力者だからそれなりに頼りになるのは事実なのだ。だから嫌ってはいつつも、そういう考えがついついメスガキに対して態度として出ていたのかもしれない。
とりあえず俺は後で渡すつもりだった温泉饅頭をザリガニに渡して機嫌を直してもらうことにした。結局のところ分かったのは女の個人情報、亡霊であることの確信、そしてレンが狙われているということだ。で、あればやることは一つだ。まずはレンに危機的状況にあることを伝え、しばらく安全なところに匿う。そして女の住所に向かい、洗いざらい吐かせて、レンに二度と関わらないようにする。簡単な結論だ。
「俺が……亡霊に狙われている……?どうして……。」
自分が狙われる。それは誰にとってもショッキングな出来事だ。レンだって例外ではない。俺は今、先ほど得た情報をレンに伝えた。同級生のあの女が、この一連に関わっていると。
「彼女が……?信じられない……そんな素振りを見せてなかったのに。」
「知っているのか?」
「知っているも何も、友人だよ。ずっと行動をともにしているんだ。ん?ずっと……?悪い少し変なことを言った。」
考えられることとすれば一つ。レンを利用するために友人になる素振りを見せて近づいたのだろう。
「ともかくレン、しばらく隠れてくれないか。俺の事務所なら結界を敷いているから安全なはずだ。」
突然のことに戸惑う様子を隠せないレンだったが、俺の真剣な様子に押されて、事務所へとしばらく宿泊してもらうことにした。両親には合宿するという嘘をつかせた。
「さて……ここらへんが、あの女の家のはずだが……。」
レンの避難を完了すると俺は早速、ザリガニに教えられた住所へと向かった。普通の住宅街だ。こんなところに、異世界からの召喚を可能とする高等儀式術の使い手がいるとは思わないだろう。
スマホのナビに住所を入力し、目的地に辿り着く。そこには驚きの光景が広がっていた。
「嘘だろ……?」
そこは空き地だった。何もない空き地。売却予定と看板が立っている。ザリガニの情報が間違っていた?馬鹿な、そんなことあるわけがない。
スマホの地図を衛星写真に切り替える。衛星写真は年代別に記録しており、過去の写真も閲覧することが可能なのだ。絶句した。今、俺が立っている場所は間違いなく、教えてもらった住所で、そこはずっと前から空き地だったのだ。
俺はザリガニを信用している。彼女がこんな凡ミスをするとは考えられない。であれば考えられることは一つ……!ザリガニの捜査を探知し、虚偽の情報をわざと掴ませた。であるならば……。
「ザリガニが危ない。」
俺は走り出した。ザリガニとは基本的に対面で会うことになっている。何故か。ザリガニは多くの組織から狙われている。故に下手に通信をするとそこから逆探知され、住所を特定されるのだ。組織の中には命を問わず狙うものもいる。それくらいザリガニは、極めて優秀なITスペシャリストで、危険人物なのだ。今回はそれが裏目に出た。肉体強化術式を使用し全力で駆け巡る。
その日、街では謎の突風が吹き荒れた。かまいたちであると街の人は噂する。だが、その正体は仁が全力で駆け抜けた残痕。音速を超えたその走りは、ソニックブームを生じ、周囲の施設を無秩序に破壊した。普段の仁はそんなことはしない。公安の目もあるからだ。だが、仁の第六感が告げていた。今回の敵は、あの女は何かやばい。手遅れになる前に、自分の全力を持って、可能な限りやれることをやらなくては……ッ!
ビルの合間を走る。空を駆け抜ける。電磁術式、空中電場を操作し、クーロン力により自身の肉体に揚力を発生させ浮遊する。空中電場とはこの星に常に帯電している電気の流れである。五行を操る仁にとって既にあるものを操作するだけで行えるこの一連の所作は、容易いことだった。電磁力の出力を上げて空中で加速する。ただ真っ直ぐに、目的地に向かって駆け巡るそれは、まさに一陣の風そのものだった。