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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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ここは異世界=薄毛のカエサルが、金髪巨乳の美少女の「ユリア・カエサル」な世界

 要約すればこうなる。


 俺は『古代ローマ展』を見学している最中、正体不明の何かに襲われかけ、助けてくれたディアナと名乗る女性に胸を矢で射ぬかれ、古代ローマに送り込まれました。以上。


 何ということだ。十分奇怪な出来事のはずなのに、たった二行で済んでしまった。


 たった二行でけりがついているのは、なぜかラテン語で話せているので、言葉が分かることの安心感が大きく関係している。この点、ディアナはきちんとしてくれたようだ。


「何言ってやがるのです。ラテン語はローマの公用語なのです。話せて当然なのです」


「はあ……」


 さきほどの幼女に、気のない返事をする。


 自分としては日本語を話しているつもりなのだが、出てくる音がラテン語なのだ。


 相手の話している言葉の音もラテン語なのだが、日本語で会話しているのと同じように意味が取れる。


 だが、そうかといって日本語がわからなくなってはいない。俺と一緒にローマへやってきたカバンの中には本が入っていたけど、日本語で書かれたそれらの本を読むことができたので、いきなりバイリンガルになったような感じだった。


 ディアナは古代ローマ人の知識は持たせると言っていたが、こちらについては正直よくわからない。だいたいのローマの領土についての地理的感覚はあって、自分がどこに辿り着いたかはわかっていた。


 だから、馬に揺られながらいまいる町が属州スペイン領のガデスの町だと推定していた。


「俺、なんで馬に乗れてるんだろう」「だからさっきからうるさいのです!」


 蛇足ながら言っておくと、日本にいたときに乗馬の経験はない。


 しかし、身体のほうが覚えていた。これもディアナのご加護だろうか。とはいうものの裸馬ではなく、ちゃんと(くら)(あぶみ)もある馬だったのでスムーズにいけたのかもしれない。


 そう、「鞍や鐙」だ。ここで改めて考え込んでしまう。


 古代ローマに鞍や鐙があったという話は聞いたことがない。いや、なかったはずだ。


 西洋で鞍や鐙の使用が普及したのは、たしか八世紀の出来事。イスラム騎兵がとても強かったので、彼らの使用していた鐙を採用したのだと学校で習った記憶がある。


 しかし、俺はいま鞍と鐙の恩恵を受けている。なぜだ。


 俺の知っている古代ローマと、「何か」が違っている――。


「どうした、今度は浮かない顔をして」


 俺とともに馬を並べ、いま声をかけてきたその美少女こそ、最大の疑問である。


 ユリア・カエサル。彼女はそう名乗った。


『カエサル』ということならばそれは皇帝を意味する。しかし言うまでもなく、古代ローマに美少女はもとより女性の皇帝は立っていない。それにもし皇帝としての『カエサル』ならこんなところで供を数名というわけがないだろう。


 先ほどの様子を聞くと、船で近辺を荒らしていた海賊を成敗しようとしていたところ、船の調子が悪くなり、逆に捕まってしまったところだったという。皇帝がこんなに簡単に捕まってはいけない。


「海賊の奴らめ、このユリア・カエサルの身代金を要求してきた。それも普通の身代金の十倍の二十タレントだ」


「はあ。ずいぶん、高いんだな」


 タレントは金の重量単位で、一タレントが日本円でざっと六千万円くらいだと、ディアナのくれた知識が告げている。つまり、彼女の身代金は十二億円だったことになる。


「安すぎるに決まっているじゃないか!」ユリアは目を丸くして、俺の不心得を咎めた。


「二十タレントでは安い。このユリア・カエサルの価値は五十タレントはあるぞ」五十タレント×六千万円だから、三十億円になったのか。


「まあ、そんなふうに交渉しながら時間を稼いでいたのだが、きみが空から落ちてきてくれて助かったよ。ふふふ」


 ユリアは俺のことを珍しそうに見てはいるが、あっさり受け入れている。


「やっぱりこいつ、おかしなやつなのです。そりゃもう相当におかしいのです」


 ユリアの馬を引いている幼女リヴィアからは、俺は要注意人物扱い。まあ、当然だろうな。ユリアの冷静さのほうが変わっているのだと思う。


「あの、ありがとう」


「何がだ?」


「急に降って湧いて出たような俺に、親切にしていただけるんだな、と思って」


 ほんとうに降ってきたわけだけど。


 行き倒れの俺を介抱し(リヴィアは反対したらしい)、しかも馬まで貸してくれて(当然リヴィアは反対した)、自分の泊まっている館に案内しようというのだ(いまもってリヴィアは納得していない)。種々の疑問はあるとはいえ、ほんとうに感謝していた。


「実は、私の母がユピテルやディアナやヘルメスに捧げものをしていてな。私によき導き手を授け給えと熱心に祈っていたところ、女祭司がご神託を授かった。近く、私の赴任地である属州スペインの港町に異世界からの魔術師が現れるとな」


 そうしたら俺が降ってきたわけか。でも、魔術師ではないんだけど。あ、でもディアナが魔術どうこうとは言っていた気がする。


「まあ、魔術が使えるかどうか、私は大して気にしていない。魔術も大事だろうがそれより人間の努力のほうが大事たと思うし」


 実に合理的だ。ローマ人らしい精神構造だと思う。


「それにさっきの戦いは魔術師というより、神話の勇者だったぞ」


「あー……。何だか身体が熱くなって無我夢中で暴れたようだけどよく覚えてないんだ」


 女神ディアナに指摘されたとおり、俺の周りにはラッキーなことが起きることが、昔から多々あった。俺自身に恩恵はないが、友達と食事に行ったら友達が一品おまけされたり、一緒にくじ引きに行ったクラスメイトが一等を当てたり。


 その延長上で海賊から女の子を救う……幸運というには、ちょっと出来すぎな気がする。


 いきなり遭遇した美少女との会話という結構難易度の高い行為のため、そんなようなことをとにかく話した。しどろもどろだった自覚はあります。


 それでもユリアは楽しそうに聞いてくれた。すごくいい人なんだな。


「ところで、きみのほうこそ、いろいろ聞きたいのではないのか。ご神託の通りならきみは異世界から来たのだろう?」


 状況を楽しんでる口調だ。現在の状況の理解度はユリアのほうが上らしい。


 俺は、手綱を自分でも感心するほど上手に操りながら、何から聞いていいのか、何を聞くべきなのかを考えた。


「きみはさっきユリア・カエサルって言ったよね」


「おまえ、呼び捨てなんてユリア様に対して失礼なのです」


 リヴィアにギンギンに睨まれた。全身どこもかしこも幼さの抜けきらない幼女に凄まれてもそんなに怖くない。


「いいよ、彼は私の家の奴隷でもないのだし。呼び捨てで構わない」


「よくありませんなのです。ユリア様は現在、ローマ共和国の会計監査員をされているのです。属州の遠スペインに赴任中ですが、ローマにもどれば栄えある元老院議員になることになっているのです。こんな行き倒れとはえらい違いなのです」


 若いのにそんな立派な仕事をしているのか。たしかにえらい違いだ。


「そんなに偉くもないよ。いわゆる昔からの名家の出身で優秀であれば十五歳で元老院議員に名を連ねることも珍しくない。私のカエサル家はずば抜けた名家ではないから、会計監査員になったのも、やっと十六歳になった去年のことだから」


 ということはいま十七歳。まさに俺が今日なったばかりの年齢。同い年だったのか。


 ここまでの会話でわかったことは、この時代のローマは共和政体時代であり、カエサル家が普通の元老院議員の家系であること。つまり、皇帝の時代以前であるということだ。


 これだけではまだ足りない。この時代を特定することができない。その辺の感覚はディアナが授けてくれていないようだ。


 しかも、十五歳で元老院に入れるだって? そんなのは初耳だ。もう少し年を取らないと議員にはなれないはずだ。少なくとも、「俺の知っている」古代ローマでは。


 目のまえの美少女を見つめながら考える。すると急にユリアが顔を赤くした。


「そ、そんなに私の顔とか胸とか、じっと見るな。恥ずかしいじゃないか」


「あ……」言われて俺のほうも恥ずかしくなってしまった。「ご、ごめん」


 でも、胸を見ていたわけではない。考え事をすると目線が下に少し落ちるよね?


「こ、これでも気にしてるんだぞ」


「え?」


「む、胸が大きすぎることをだ!」


 そうだ、思い出した。古代ローマでは二十一世紀と違って女性の大きなバストにはあまり市民権がなかったのだ。ブラジャーのサイズで言えばBカップかCカップが理想的だったらしい。男の俺には具体的にそれがどのくらいのものなのかリアルに説明できないけど。


 ただ、何というか、ユリアの胸はまあ、大きいよね。


 女神ディアナと比べても大きさも柔らかさも上だと思うって、何言ってんだ俺。


「~~~~~~~~!」


 ユリアが馬を寄せるとぽかぽかと殴ってきた。痛い痛い。


「ユリア様の大きな胸も魅力的なのです。リヴィアは惚れ惚れするのです」


 ぺったんこがユリアを励ましている。だがどうみても贔屓の引き倒しにしか見えない。


「でも、胸が大きいことはおかしくなんてないと思うけど」


「そうなのか?」


「俺のいた世界では恥ずかしがるようなことではないよ」


 正直に申しまして、女性の胸は大きい方が好きであります。


 俺の言葉を聞いたユリアの機嫌がすこぶるよくなっていた。


「おお。そうか、世が世なら私は胸の大きさに身体的劣等感を抱く必要はないんだな」


「え? ああ、むしろ優越感を感じるところだと思うよ」


「そうかそうか。ふふふ。周りの連中ときたら、生真面目だった父と比べては『女好きで借金まみれの巨乳女』とバカにするが、私だって捨てたものではないということだな」


「そうです、ユリア様。そんな連中は無視するに限るのです」


 いまだって十分ずば抜けた美少女だよ、と思い、ふといまのセリフに神経が鋭くなる。


「いま、何て?」


「『女好きで借金まみれの巨乳女』、ひどい言い草ではないか」


「――えっと、それは事実、なの、かな? 女好きとか、借金とか」


 俺の探り探りの質問にユリアが一瞬驚いたような顔をして、それから明るく言い放った。


「事実かどうかと言われれば、事実だ。美しい女性は大好きだし、借金もある」


「その借金って、ローマでいちばんとか?」


 ユリアが今度こそ笑い声をあげた。リヴィアが眉を吊り上げる。


「おまえもユリア様をバカにするのです?」「いやそうじゃなくて……」ここ、けっこう大事なところなんだから邪魔するなよ、ぺったんこ。


 当のユリアはあっけらかんとしたものだった。


「よく知ってるな。きみはやっぱり魔術が使えるのか? おそらくローマでいちばんの個人債務者は私だろう」


 女好き。そしてローマ一の借金王。


 これ、『ユリウス・カエサル』と一緒じゃないか。


 上野で胸像を見ていた、英雄の『ユリウス・カエサル』といえば女たらしで借金まみれ、加えて若ハゲという身体的劣等感を持っていたことでも有名なのだが。


「あっ!」思わず大きな声をあげてしまった。


「急にトイレに行きたくなったといっても無理なのです」ぺったんこは無視しよう。


 単純なラテン語の問題だ。


「ユリウス」というのは男性名。同じ意味で女性名にすると――「ユリア」。


 つまり、目の前にいる「ユリア・カエサル」を男性名にすると「ユリウス・カエサル」。


(『カエサル』が美少女な世界、なのか――?)


 このユリアにはカエサルの三大欠点「女好き」「借金まみれ」「若ハゲ」のうち二つが該当している。そして残る一つ、若ハゲということはさすがになかったが、その代わりにこの時代の女性としての身体的劣等感としての「巨乳」を持っている。


 条件に当てはまりすぎる。しかし「ここは『ユリウス・カエサル』が美少女として『ユリア・カエサル』という名前で存在している世界です」と言われるより、「『ユリア・カエサル』というのはあの『ユリウス・カエサル』の何代か前の先祖に当たる女性です」とか言われたほうがまだ合理的な可能性としては納得もできる。


(たしかに、『カエサル』には会いたかったけど。おっさんより胸の大きな金髪美少女の方がやる気が出るからまあいいか)って、そうじゃないよな、これ。うん。


 せめて、この時代を特定することができれば……。


「ねえユリア、いまって西暦何年だ?」


 ユリアがきょとんとした顔で俺を見る。くっ、いちいちかわいい……。


「セイレキ? それは何のことだ?」


 内心舌打ちした。凡ミスだ。『カエサル』の時代も共和政体のローマ時代もキリスト生誕以前。西暦なんて概念があるわけないじゃないか。


 だが、西暦の考え方の時代であることは特定された。まだ範囲が広すぎるが。


 ローマでは元老院のトップの執政官にちなみ「誰それが執政官であった年」とかいうのだったっけ。執政官は一年交代。残念ながら『ユリウス・カエサル』存命中の執政官を全員知ってなどいない。それでは年代の特定ができないのだろうか。


「ユリア、きみのお父さんの名前、当ててみようか」


「ほう、魔術かな?」


「まあ、そんなとこかもしれないけど」


 ユリアが面白そうに俺の顔をのぞき込む。美少女に顔をのぞき込まれるというのは結構照れるものなんだな。


「ユリア、きみのお父さんの名前は――ユリウス・カエサルだな?」


「正解だ!」ユリアが手を叩いた。「きみは本物だなっ」


 本物でも何でもない。英雄『ユリウス・カエサル』の父もユリウス・カエサル、同名だということを思い出しただけだ。


 無邪気に喜んでいるユリアほど俺は穏やかではなかった。これはとんでもないことだ。


 父親が英雄『ユリウス・カエサル』という選択肢はほとんどないと言っていいだろう。


 そもそも役職が合わないし、もし父親があの『カエサル』なら女たらしも借金まみれもぜんぶ父親のほうの話としてでなければいけないのだが、いまユリアは自分の父親は生真面目だったとも語っている。借金も女好きもすべてユリア自身の話なのだ。


 もうひとつ、何か決定的な確認はできないだろうか――


(『カエサル』の同時代人で、他に有名な人とか――)


 その人物に心当たりがあった。あの人物が存在するなら、時代特定できるのではないか。


 ダメ押しで、自分の恐るべき推理を確認すべく質問することにした。


「あのさ、ユリア、教えてくれ。いまローマでいちばん売れっ子の弁護士で元老院議員をしている人の名前、何だったっけ?」


 ユリアは質問の真意を知ってか知らずか、あっさり答えてくれた。


「そんな奴はひとりしかいない。キケロだ」――ピースははまった。はまってしまった。


 キケロは『ユリウス・カエサル』の同時代人にしてある意味でのライバルでもあった政治家、弁論家にして有名弁護士。日本では思想家としても知られている。


 もうだめだ。認めよう。


 目の前の眩しい金髪の美少女が、どういうわけか知らないが、あの『ユリウス・カエサル』と同一人物なのだということを――

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