ささやかな凱旋とユリアとセイヤ
ヴェルーシアを降伏させてヘルヴェティ族を退けたものの、俺たちはまだローマに帰れずにいた。戦後処理として、ルキウスの手助けをしながら、破壊された町を軍団の労働力で再建する必要があったから、というのがその理由のひとつ。
もうひとつの理由は、俺があることをしたかったからで、ドミティウス以下の軍団の主だった人びとにお礼を述べて回りつつ、その「あること」の相談をした。
「そいつはいい」「ユリア様に喜んでもらいましょう」「さすが兄貴。抱かれたいッス」
少し意外だったのは、ドミティウスさんがものすごくノリノリだったことだ。
「ルキウスにも話を通しましょう。費用は全額出してもらえますぞ。みんな、前総督のことが大嫌いでしたし、みんな、ユリア様のことが大好きになっていますからな」
俺がみんなに相談したこと。それは、ユリアの小さな凱旋式を挙行することだった。
ユリアのもとに俺とドミティウスさん、ルキウスさんの三人で、この町で凱旋式を執り行ってほしいと説明にいったとき、ユリアは心底びっくりしていた。
「セイヤ、とんでもないこと考えるんだな。うーん……凱旋式かあ……」
夢見るような表情のユリアを見て、この企画の成功を確信した。
「ま、まあ、あれだ。戦勝を讃えてくれるのは嬉しいけど凱旋式はやりすぎな気も……」
理性と感情がユリアのなかでせめぎ合っていた。
「みんなでつかんだ勝利をみんなで祝う、っていうのはどうかな?」
俺が出した論理的抜け道に、ユリアが食いついた。
「な、なるほど。セイヤの言う通りだな。うん。私ひとりでやったことではないし、みんながそれで今回の勝利を一緒に喜びたいということなら、うん、受けようかな。いや、受けてやろう。いえ、受けますありがとう」
照れ隠しをしているユリアも、かわいいものだった。
凱旋式の準備は滞りなく進んだ。
町の人々も沸いていた。蛮族の略奪を成敗してくれただけでもありがたいのに、ローマに住む者にしか見ることができない凱旋式を、小さな規模であるとはいえ再現してくれるというのだから大喜びである。老人などはすでにユリアを神さま扱いで拝んでいた。
「何だか緊張するな。クララや母上にも見せてやりたかったな」
ユリアが晴れがましげな顔つきとは裏腹にそわそわしていた。
先ほどまでリヴィアが一生懸命にユリアの身なりを整えていた。ユリアの身体はローマ軍司令官の甲冑姿に包まれている。その姿は姫将軍とでもいうべき美しさだった。
「それは、ほんものの凱旋式をローマでやればいいんだよ」
「セイヤはすごいことをさらっと言うんだな」
「ユリアなら、できると信じてるから」
「ままま、またそんな破廉恥なことを言う!」いまのどこが破廉恥だったのだろうか。
「天気にも恵まれて、よかったな」
実は昨夜が満月だったのでディアナに話をし、晴れにしてもらったのは内緒である。
俺もどういうわけか急ごしらえの凱旋戦車にユリアの横で同乗して、凱旋式に参加することになっていた。傷はディアナが治してくれた。
ヴェルーシアもついてくると騒いでいたが、今回の敵将が凱旋式で一緒に凱旋するのはどう考えてもおかしいので見学に回ってもらった。
「さあ、そろそろ始まるよ」
ユリアがうなずき、輝くような笑顔で前方を向いた。
ラッパの音が鳴り響いた。人びとの歓声が爆発する。凱旋の列が動き始めた。
凱旋式の始まりだ――。
『町の者たちよ、女を隠せ! 女房も娘も赤ん坊も婆さんも女という女はみんな隠せ!』
『女好きで借金まみれの巨乳女がやってきたぞ!』
「ぐああああ!」と、ユリアが頭をかきむしった。
「セイヤ! あの掛け声は何だ!」
凱旋式では、軍団兵たちが大声で掛け声を発して先導する。その内容といえば、凱旋した将軍が慢心しないように、そして神々が将軍の功績に嫉妬しないように、なるたけ凱旋将軍をこき下ろす言葉を選ぶ。なら「女好きで借金まみれの巨乳女」しかないでしょ。
この文句を考えたのは誰か――俺に決まってるじゃないか。
「セイヤ! あんまりだ! せめて『巨乳女』だけは何とかしてくれ」
俺は笑って取り合わないことにした。涙目のユリアもかわいいものだ。文句を言うユリアの胸がたゆんたゆんと揺れていた。
ルキウスさんや町の人までこの文句を叫んでいる。ユリア、愛されてるなあ。
怒りと悔しさで頭をかきむしっていたユリアが、柔らかい表情になって俺に振り返った。
「セイヤ、ありがとう。一緒に来てくれて。今日も一緒にいてくれて。いつか、ほんとうの凱旋式を私は挙行する。そのときもきっと隣りにいてくれよ」
不覚にも、涙が流れそうになった。
この戦いはユリアの人生のなかで、ほんの一里塚に過ぎない。
むしろ、これからのほうが大変なことを俺は知っている。
だが、先の戦いはそれだけではなかった。
ユリアと俺が一緒になって戦った最初の戦いだったのだ。
いま俺はここにいて、英雄(仮)のユリア・カエサルと同じ空気を吸っている。
病み付きになってしまいそうな魅力的な時間だった。
凱旋式の歓呼の声が、相変わらず惜しみなく降り注がれる。
人びとの歓声に手をあげて応えていたユリアが、ふと思い出したように話しかけてきた。
「そうだ、セイヤ。私からひとつ、贈り物をさせてほしい」
何だろう。こんなすてきな時間以上の贈り物はないとも思うけど。
「セイヤの名前、兵士たちが奇異に感じていただろう。約束通り、ローマ名を考えた」
ユリアがちょっと恥ずかしげな顔つきになって続けた。
「『セイヤ』という名前は、きみのいた国の言葉で『聖なる』という意味が込められているのだろう? だから、それをローマ風にしたらどうかと考えたんだ」
どくん、と胸の鼓動が高鳴った。それって、ひょっとして――。
「アウグストゥス。ラテン語で『神聖な』という意味だ。ディアナ神の導きでこの地に来たきみにぴったりだと思うのだが、どうだろう?」
周囲の歓声が、俺を別の世界へ誘う。
二千年以上前、いまと同じく万雷の拍手と祝福の下での、遠い遠い記憶。
俺は、ローマ人の歓声の中で、この名前を授けられたことがある――
『我々は元老院とローマ市民(SPQR)の名において、汝をユリウス・カエサルの後継者として讃え、「神聖なる者」、すなわち「アウグストゥス」の名を与えるものである――』
不意にいくつもの疑問が、まるで泡がはじけるように消えていった。
アウグストゥス。カエサルの後継者たる初代皇帝につけられるはずの名前。あのカテリーナ事件のさなかに生まれるはずだった赤ちゃんが、やがてその名を冠するはずだった名前。だが、その子はこの世界に生まれなかった。必要がなかった。
なぜなら、すでにアウグストゥスはこの世界にいたから。
あの『契約の羊皮紙』に俺の名前が俺の筆跡で書かれていたのも、当然だ。
あれを書いたのは二千年以上前の本物のアウグストゥス。
ラテン語で「神聖な」という意味のこの名を日本人名に訳せば「聖也」。俺の名前。
二千年以上前の俺が書いたものを現代の俺にわかるように翻訳すれば、俺の筆跡になるのは当然の道理だ。
二千年以上の昔にアウグストゥスがどういう経緯であの契約をディアナと結んだか、詳細はわからない。
だけれども、アウグストゥスはディアナが遙か未来の自分(俺)を古代ローマに送り込んでくれると予想していたんじゃないか。
でも、それだけではうまくいかない。
俺が契約のことを忘れているからだ。
だから、絶対に俺がその契約から逃げられないように、わざわざアウグストゥス(聖也)という名前で生まれてきたんだ。
どこまで『カエサル』が好きなんだ、俺。
そして、ユリアがそのアウグストゥス(俺)を見出した――
急に笑い出した俺を見て、ユリアが上目づかいになった。
「いまいち、だったかな……?」
そんなことはないよ。最高の名前だ。二千年越しの自分の名前だものな。
「慎んで、お受けいたします。ユリア・カエサル様」
ユリアは太陽のような輝かしい笑顔になった。
願わくは、この笑顔のままのすばらしい英雄にならんことを。
凱旋式の歓声が、俺たちを押し包む――
『ユリア万歳!』
『ローマ万歳!』
『ユリア・カエサル、偉大なる英雄に、神々の祝福あれ!』
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(なお、既刊部分はここまでです)




