族長の娘ヴェルーシア
だるい。まずそう感じた。次に腕と肩に痛みを感じ、だんだん意識が明晰になってきた。
(気絶していたのか……)
身体のあちこちが痛い。心のどこかで警告音が鳴っていた。
重たい目を開けて、まえを見る。地面が見え、その先にこちらを見下ろす誰かが見えた。
「ようやく目が覚めたようだな、異世界の魔術師」
少女の声がした。ユリアではない。その声の主を確かめようとして、やっと、自分が後ろ手に縛られて、地面に転がされていることに気づいた。
「きみは、誰だ?」
「人に名を尋ねるならまず自分が名乗れ。異世界の魔術師」
冷たく、獲物の命をいつ奪おうか考えている肉食獣のような獰猛な目つき。ふてぶてしいまでに尊大なしゃべり方の少女だった。
やや紫色の豊かな髪が、美しく整っていながら意志の強さを感じさせる少女の顔の周りを覆っていた。少しつり目がちの目は猫を連想させる。ユリアほどではないが、身に纏う服を押し上げる大きな双丘。日焼けした褐色の肌。野性的な魅力が溢れていた。
「まあ、あたしは慈悲深いから教えてやる。あたしの名はヴェルーシア。おまえは?」
彼女の横には、彼女の身長と同じくらいの長さの幅広の剣が突き立てられている。
「俺はセイヤ」
急に体が持ち上げられ、土の上に胡坐で座らされた。見れば巨漢のひげの男が俺を持ち上げたようだった。ひげを伸ばす習慣はガリア人の風俗だ。男が何事かを笑いながら大声でしゃべり、ヴェルーシアが怒鳴り返していたが、あいにくラテン語ではなかったので聞き取れなかった。言葉がわからないというのは、案外、不安になるものだなと思った。
どこかで、鳥か何かの鳴き声が聞こえた。
男が唾を地面に吐き掛け、再びヴェルーシアが聞いたことのない言葉で怒鳴る。男は不承不承という顔でヴェルーシアの後ろに下がった。
「ここは、どこだ?」
「我らの本陣だ」
どうやら敵の捕虜になってしまったらしいと、まるで他人事のように思った。
「平野に仕掛けた大量の反射像の罠を回避し、あまつさえ、ドルイドの反射像をよく破った。破壊されれば爆発するよう細工しておいたが、それでも生きているとは異世界人というのは、悪運も強いのだな」
ヴェルーシアが獰猛な笑みを浮かべた。
「反転攻勢に出たローマ軍によって我が方はほぼ壊滅。やってくれたな、異世界人」
「そんなたいそうなものではないけどな」
「しかも、何人ものローマ元老院議員の女性たちに手を出し、食い散らかしているとか」
「そんなことしてないぞ!」どっかのユリアの女好きと一緒になってないか?。
ヴェルーシアの背後の男がまた何か怒鳴り、彼女が男の頬を殴りつけて黙らせた。
「別にいいじゃないか。精が強いほうが、男らしい」
「俺なんかを捕まえて、どうするつもりなんだ」
「おとなしくしていれば殺さない予定だ。異世界人の魔術師なんて滅多に手に入らない」
「身代金でも請求するつもりか」蛮族の常套手段のひとつだろう。
「たぶんな。あと、おまえの命と引き換えにルキウスには死んでもらう」
怒りがこみ上げた。
「何でそんなことをする。おまえらの目的は金と食糧じゃないのか」
「知らん。親父殿が決めたことだ」
「親父殿?」
「あたしの親父殿はヘルヴェティ族の族長。おまえはいま、偉大なヘルヴェティ族の族長の娘と話をしているのだ」
俺は言葉を失った。ヴェルーシアが満足げに笑う。
後ろ手になった腕をよじり、縄を解こうとするが無駄な努力だった。
(どうする? 魔術で瞬間移動か何かできないだろうか)
さっき巨大戦士像を破壊するために結構な魔術を使ったあとで、さらに記憶がどのくらい犠牲になるかわからない。だが、何とかして逃げないと――
「逃げようとしても無駄だ。異世界人の魔術が無効化されるドルイドの縄で縛ってある」
まるで心を見透かしたかのような言葉を、ヴェルーシアが投げつける。それよりも、その内容自体が俺に衝撃を与えた。そんなものまでドルイドにはあるのか。
「おい、異世界人。ひとつ、いいことを教えてやる。ローマ人だけが異世界人と交流できると思ったら、大間違いだ。我らのドルイドにも、ときに神々の導きが降りることがある。そして、我が部族にこう言われた。『ルキウスの命を捧げれば、ローマに将来現れる英雄を殺す大英雄を、異世界より召喚してやろう』と」
「……そんなこと、本気で信じているのか」
「いままでは信じていなかった。だが、こうして現実に我らガリア人ともローマ人ともまったく違う顔立ちの人間を見たら、信じる気になった」
「だからって、ルキウスさんの命を生贄にするのか」
「ローマ人だって神々に牛なり何なり生贄をささげるだろう。それと同じだ」
ヴェルーシアが俺のほうに少し近づき、仁王立ちになった。
「別の部族がローマの総督の命を捧げたのだが、娼館に入り浸ってばかり程度の男ではガリアの神々には喜んでもらえなかったようだ。だから、我らが選ばれた。ルキウスは、ローマの通信網の要だ。あいつがいるから、我らガリア人が追いやられる」
ヴェルーシアが怒りの眼差しを叩きつける。
「我々は森を捨てない。ローマがこれ以上広がるなら、ローマ以上の英雄を呼び出して殺戮する。奴隷になって鞭打たれる不名誉は選ばない。それが親父殿の考えだ」
身震いした。どうしたらいいんだ。魔術で何とかならないのか。でも、いまは封印されてるみたいだし、そもそも、この世界の人間はガリア人であっても、俺の魔法では直接傷つけることができない……。
「ところで、身代金の件だけど、どのくらい要求するつもりだ」
何でもいいから話をつなげたかった。彼女との沈黙が耐え難いからだ。
「そうだな。身代金の相場は二タレントくらいだが、おまえなら十タレントくらいか」
通常の人質五人分を請求するのか。
それにしても、俺の身代金は一タレントを六千万円として六億円。ずいぶん値を張ったものだと思う。頭がくらっとした。
でも、常識をかけ離れた金額のおかげで少し冷静になった。
「安いな」縛られたままヴェルーシアを見上げる。精一杯の皮肉の笑みを浮かべながら。
「何だと?」
「十タレントでは安い。俺の価値は五十タレントはあるぞ」日本円にして三十億円にした。
根拠なんてない。ただ、かつてユリアがそう交渉していたのを真似ただけだ。
ヴェルーシアが思案する顔になる。「おまえにそこまでの価値があるのか」
乗ってきた。時間は稼げそうだ。
「きみが言ったとおり、俺は異世界人だ。そして、ユリアは俺を絶対に見捨てない」
彼女が鼻で笑った。
「大した自信だな。だが、そもそもそんなに金が用意できるか」
「支払能力なら問題ない。ローマでいちばんの金持ちのクララはユリアの友人だが、俺の友人でもある。それに、現在、執政官をしているキケロも俺に大きな借りがある」
ヴェルーシアが再び考え始める。
「欲深いローマ人どもが、おまえにそれほど金を出すか」
「ガリア人にもうそをつく奴だっているだろう。ローマ人にも約束を守る奴はいるんだ」
「前の総督はわれらの森を汚した。火を放ち、男たちを殺し、女たちを奪った」
「でも、ユリアは違うぞ。ユリアはきみたちの大切にする森を焼くことを下策だとして退けた。さっき、きみはローマの英雄という言葉を使ったが、それがユリアだ」
ヴェルーシアが胡散臭そうな顔をした。「あの女司令官か――」
「そうだ。彼女はこれから偉大な英雄になるんだ。ガリアの部族間の争いにも平和をもたらす。だから、彼女は絶対に俺を見捨てないし、きみとだって話し合う余地はある。そして俺は彼女を英雄にするためにやってきた魔術師なんだ」
ありったけの想いを込め、ヴェルーシアの心に訴えた。
「……なるほどな。気に入ったぞ、魔術師」
わかってもらえたのだろうか。しかし、帰ってきたのはぎらつく目の返事だった。
「おまえが気に入った」「それは、ありがとう」「おまえ、よく見ればいい男じゃないか」「何言ってんだ、おまえ!?」「少しつまみ食いしてやる」「何でそうなる!?」
ヴェルーシアが、舌なめずりしながらこちらにやってくる。そばの蛮族の男が何か言ったが、彼女はその男を再び殴りつけ、男は森の奥へ歩いていってしまった。
「邪魔者はいなくなった。ゆっくり味わってやる」
獰猛な肉食獣の目をした女の子がいた。
「ちょ、ちょっと。――誰か助けてェ!」
逃げたいが、背を向けた途端に押し倒される予感がひしひしとした。
「大丈夫だ。すぐ終わる」「ダメダメダメダメ!」「勝った者が負けた者を激しくしつけるのが、わが部族の掟だ」「やめろぉー!」
いのちよりも、男の子として大事な何かのほうが明らかに危険にさらされていた。
ヴェルーシアがさらに何か言おうとしたとき、けたたましい鳥の鳴き声が森に響いた。
「何だ!?」
さらに、人の叫ぶ声が聞こえてくる。別の男が向こうから走ってきて、大声でヴェルーシアに何事かを告げた。ヴェルーシアの顔色が一変し、俺を睨みつける。
「魔術師! 貴様、何かしたのかッ!?」
何のことかわからず反応できない俺の周りで、人の騒ぎと鳥の鳴き声がますます大きくなった。あまりにも鳥の鳴き声がうるさくて、思わず上を見る。
いや、あれは鳥ではない。鳴き声の正体は、鳥ではなくドラゴン便の翼竜シャールだった。その騒音を縫って、木洩れ日のように鮮烈な少女の声が響き渡った。
「セイヤ! どこにいるッ! セイヤッ!」
「ユリア!」俺は縛られたまま立ち上がった。
「逃がすか!」
ヴェルーシアが怒声を上げ、傍らの大剣を軽々と担ぎ、立ちはだかる。
「貴様は大事な人質だ。だが、腕の一本くらいなくなっても構わんだろう」
ヴェルーシアが迫る。そのときだった。
「セイヤ、あぶないっ」
頭上の枝を縫って、一匹の小さな翼竜が飛来した。翼竜はヴェルーシアの顔に激突し、彼女にしがみつく。
「こいつ、なんだッ! 邪魔するなッ!」
彼女が体のバランスを崩す。大剣を棒切れのように軽々と扱い、周囲を薙ぎ払いながら、シャールを振りほどいた。恐るべきことに彼女は笑っていた。
しかし、いまの俺には戦場でのときのような力は片鱗も湧いてこない。
(どうあっても自分がピンチなのに力を貸してくれないのかよ!?)
となれば――魔術師(俺)が、接近戦で戦士(彼女)に勝てるわけがない!
「ユリア! こっちだ!」
踵を返して逃げ出した。そこに、あの一条の光のような声が聞こえた。
「セイヤ! 助けに来たぞッ!」
太陽の光を跳ね返し、ローマ軍司令官の甲冑姿に身を固め、赤いマントと金色の髪をなびかせた美しい少女が、全力でこちらに走ってきた。ユリアだった。
馬には乗っていない。森のなかで邪魔だったからだろうが、あれだけの甲冑を身に纏っていながら、全力で走れる体力は尋常ではなかった。
「ガリア人よ、おまえたちはすでにわが軍に包囲されている。おとなしく投降しろッ!」
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