セイヤ別働隊
敵襲を告げる声を受け、俺たちは天幕を飛び出した。
見下ろす丘の下から、ガリア兵たちが密集して攻め込んでくるのが見える。
獣の衣をまとったひげ面の蛮族たちの群れを見下ろしながら、ユリアは笑った。
「こうなってくれるとありがたい。もはや兵たちは戦うことしか考えなくて済む」
正規軍たるローマ人とガリア人の大きな違いはその陣形にもあった。
特に今回の部隊は侵攻などとも呼べない小競り合い程度。露骨に言ってしまえば五千人規模の野盗の群れに過ぎない。だからガリア人は陣形などなしに、ただ密集して一塊になって攻めてきた。
雄叫びを上げて迫るガリア人を見下ろしながら、ユリアが言った。
「さあ、ローマの兵士たちよ! ガリア人を打ち倒せ!」
ローマ兵たちが一斉に矢を放つ。手槍を投げつける。
手斧や剣を持った、獣の皮を着た長身のガリア人たちが、ローマ軍の攻撃にバタバタと倒れていく。目の前でリアルの戦いが起こっている。血が流されている。ガリア人の矢もこちらに降ってくる。悲鳴が上がり、負傷者が出たことがわかる。
まるで映画のなかに紛れてしまったような違和感のなか、ユリアを振り返ると、彼女も大きく叫びながら手槍を放つところだった。
ドクン――ッ。まぶたが熱くなる。
これは悲しみでも悔しさでも、もちろん恐怖でもない。
これは――歓喜。
「俺はいまユリア(カエサル)と一緒に戦っているんだ――」
熱い感動を覚えながら、渡されていた手槍を全力で投げつけた。
と、そのときだった。
昨日から何度も聞いている音が、またしても頭上に聞こえる。
その音を矢音と認識する前に、全身が白熱した。
「ユリア、危ないッ」
隣りのユリアに飛びついた。
「せ、セイヤっ!?」「頭、下げてろッ」
ドスドスという音がして、矢が地面に刺さる。馬が前立ちして嘶く。矢が刺さった兵士たちの悲鳴と怒声。ユリアを自分の足元でかばい、楯をかぶせる。剣を抜く。コマ送りのように矢が幾筋も飛んでくるのが見えた。
「くっ!」
払い、薙ぎ、打ち返す。軌道からしてユリアには刺さらないと見切った矢は無視。剣で矢を叩き落とし続ける。頬を矢がかすめた。
「ぐっ!」しかし、目をそらしている暇はない。腕を休める暇もない。
「司令官、セイヤ殿、ご無事で!?」とドミティウスさんの声。矢の攻撃は凌げたのか。
「ああ、私は大丈夫だ」とユリアが立ち上がる。よかった。傷一つない。
ユリアは俺の頬を見て一瞬強ばったが、すぐに「ありがとう、セイヤ」と言い全軍に檄を飛ばす。しかし、それをあざ笑うようにまた別方向から矢が降り注いだ。
相変わらず敵影が見えない。ほんとうにどこから攻撃しているのか――
目の前にいるヘルヴェティ族を迎撃しようとするとまったく別方向から矢が降り注ぎ、じりじりと兵力を減らされていく。
「兵力差があるからごり押しで勝てるかもしれないが、あまり犠牲は出したくない」
ユリアが苛ついていた。「ヘルヴェティ族の血も無駄に流したくないのだが……ッ」
「憎くて戦ってんじゃない。共に幸せになれる世界を目指してるんだよな?」
「セイヤの言うとおりだ」
この丘へ進軍させたのは、ひとえに俺の責任。「絶望の吐息」から逃れるため。
でも、それが「正解」だったら、俺の力で打開できる何かがあるはず――
「ユリア、俺に考えがある」頬の血をぬぐった。
「おれに別働隊を持たせてくれ」
「大丈夫なのか、セイヤ?」
「さっきの俺の力、見ただろ? 俺、剣術稽古はダメだけど、戦いだと強いんだ」
不安げな彼女に思いきり笑顔を作って見せた。「この戦いは勝つんだぜ?」
ユリアの許可をもらい、俺はドミティウスさんと三十人の騎兵を伴って丘をこっそりと降りた。伝令として、シャールもそばで飛んでいる。ドミティウスさんは副将だったが部隊が防戦一方で膠着状態のため、同行してもらえたのは助かった。
「ドミティウスさん、矢の飛んできた方向へ、正確に向かってください!」
いまローマ軍をまばらに取り囲んでいる木々のなかで矢が発された場所に行きたかったのだが、俺だけでは土地勘がない。単に迷子になっただけでは洒落にならない。
「セイヤ殿、どんな策があるのですか?」
「ドルイドの魔法に対抗するには月の女神の魔術。俺の役目だ」
我ながら全然答えになっていない。
しかし、それでもついてきてくれるのが現状打破の難しさを物語っているようだった。
「信じてますぜ、兄貴!」「兄貴についてきます!」「兄貴は俺たちが守ります!」
ドミティウスさんとごつい騎兵に一緒に来てもらったのにはもう一つ理由がある。
(たぶん、自分一人のときには『あの力』は湧いてこない)
確信に近かった。あの不思議な力はユリアが危機に陥ったときには問答無用で発動するが、ユリアの危機が去ったあとは蝋燭の火を吹き消したようになくなる。
(もし自分の危機にも発動するなら、カテリーナ事件で毒刃を刺されなかったはずだ)
だから、いまの俺はただの高校生の戦闘力しかないと予想したのだ。
「セイヤ殿、あそこの木立です」
ドミティウスさんが前方を指さした。何の変哲もない木立だ。森どころか林と呼べるほどの密集して木が生えているわけでもない。人気も何もなかった。
馬から下りて木立に踏み込む。ドミティウスさんとごつ騎兵たちもついてきた。
魔法とはいえ、このどこかに何かヒントがないだろうか。
「いっそ木を全部焼いちまいましょうか?」と、ごつ騎兵の一人が言う。
「ダメだ。そんなことをしたらガリア人ぜんぶを敵に回すぞ。ユリアも望んでいない」
そうしてしまおうかというささやきが心になかったとは言えない。
魔術で対抗しようにも、魔術はイメージできるものしか発動しない。見えない敵を倒せなんていう命令は、魔術として成立しないのだ。
(だが、勝つための答えはきっとあるはずだ)
「痛ってぇっ」と、そばのごつ騎兵が足元のシダに倒れた。枝に頭でもぶつけたのか。
「ったく、てめぇ、鈍くせぇなあ。うお、痛てっ」
倒れたごつ騎兵を起こそうとした別のごつ騎兵が額を押さえてうずくまった。
「どうしたんだ?」「兄貴、何かここにあるんです」「ああ、何かあるな」
倒れた二人が口々に言う。何かあるって、目の前には木も何もないが。
「何もないけど。……あれ?」
ごつ騎兵の言った場所あたりで手を伸ばしてみると、まるで透明な壁のようなものがあるのがわかった。どうやらごつ騎兵たちはこれにぶつかって転んだらしい。
ノックしてみる。ガラスを叩くような音がした。今度は力を込めて叩いてみる。しかし、びくともしない。ごつ騎兵たちが剣で殴りかかったがダメだった。
何だろう。結界みたいなものだろうか。だとすれば俺の魔術で対抗できるかもしれない。
見えない壁に手を這わす。かなり広い。上方向もあるようだ。
目には見えないが、直接手に触れている以上、イメージはできる。
「……壊れろ」
文字通りガラスの割れる音がした。もちろんほんとうにガラスが割れたわけではない。周りの風景もそのままだ。だが――
「何だ、アレは?」「すげえ」「でけえ」ドミティウスたちが驚きの声を上げた。
天をつく巨身。振り乱された長髪と野性を感じさせる髭。引き締まった顔つき。獣の皮とおぼしきものに覆われた身体は筋肉で大きく盛り上がり、いまにも矢を放たんと弓を構えて油断がない。矢がつがえられていないことを除けば、堂々たる戦士の造形だった。
「ガリアの戦士像なのかな?」「髭を蓄える風習はガリア民族のものです」
目に見えない壁に隠されていたのは身長の四倍の高さはあろうかという巨大な木の像だったのだ。ギリシャ彫刻にも匹敵する精緻な戦士像。全身を赤色に着色されていた。それがいま目の前にそびえていた。
「この像があの矢の攻撃の秘密なのでしょうか」
ドミティウスさんが剣を構えた。その可能性は高いと思う。しかし、いくら精巧にできていると言ってもただの人形。それがどうやって、あの矢雨につながるのか。
そのとき、高い音を聴いた。聴力検査のときのようなかすかな音だ。
「ドミティウスさん、何か聞こえませんか」「音、ですか」
リーン、リーン、リリリーンという一定の周期を持った金属的な音だ。
「これは――鈴の音か?」
「鈴……ドルイドが魔法に使うベルがあると聞いたことはありますが」
「見てください、兄貴!」「戦士像が動いてます!」
ごつ騎士の言うとおり戦士像がゆっくり回転して向きを変えていた。
そこに何かの空を切る音。シャールが叫んだ。
「セイヤ、矢が飛んでくるよっ」「えっ!?」
どこかに敵兵がいたのか。矢を払おうと剣を抜こうとするが、鞘に引っかかった。
思った通りだ。俺一人のときには敵の攻撃にさらされてもあの超人的な力はまったく湧いてこない。どこの誰だか知らないけど、『カエサル』好きすぎだろ、おまえ。
「兄貴、俺たちが守ります!」ごつ騎兵たちが俺をかばうように楯を構える。その方向からしてあの戦士像の向こうから飛んでくるのか。
(それにしても、少しは自分のことも大切にしてはいかがなものか)
俺が自分のなかの誰かさんに抗議をしていると、翼竜シャールが俺に呼びかけた。
「セイヤ、あれ見て!」とシャールが戦士像を促した。
「矢が、戦士像に当たっている?」
飛んできた矢が次々と戦士像の背中に当たっていたのだ。
「ずいぶん下手な弓兵なんだね」「いや、待て、矢が吸い込まれてるぞ」
リーンリーンという音がまたして、戦士像の弓に矢が出現した。
「すごい数の矢だよ!」
シャールに指摘されるまでもなく今度は見えた。大量の矢が戦士像から次々と放たれている。いやもうこれは「射出」と言ってもいいくらいじゃないか。
「これがドルイドの魔法なのか? 矢はどっちへ!? 丘の上へか!?」思わず声が裏返った。
「丘の上ではありません。それに、いつもの襲撃より矢の数が少なく見えますが……」
ドミティウスさんの意見通り、戦士像から放たれた矢の数は俺たちが体験したあの攻撃と比べれば数が少なく感じる。
「あれ? 向こうにも同じような戦士像があるよ!」シャールが宙でばたばたする。
「何だって!?」
まばらに続く木立の向こう側に、やはり同じような戦士像があった。色は青。その青い戦士像にこちらの赤い戦士像が放った無数の矢が吸い込まれていく。
「あっちの戦士像も動いてるっ」
先ほどと同じように青い戦士像も向きを変え――矢が無数に発射されていく。
「あれ、また矢の数が増えていない?」
「何だって!?」
シャールの言葉で、不意にひらめいた。
「シャール、他にもあの戦士像がないか、見えないか」
「ちょっと待ってて」
ずんぐりした小さな翼竜が、枝の間を縫って上空に浮かび上がっていく。
「いろんな色の戦士像がいっぱいあるよっ。まるで丘全体をぐるっと取り囲むみたいに並んでるっ。あっ、さっきの矢がまた別の像に当たって増えてるっ」
シャールの報告でわかった。
あの戦士像の正体は「反射」と「増幅」だったのか。
ガリアの陣地から放たれた矢がこの戦士像を通すことで、鏡が光を反射するように方向を変え、矢の数を増やして射出する。
しかも、それが複数の像の間で任意の回数、繰り返すことができる。
結界で隠蔽され、不可視の中で行われる「反射」と「増幅」のエスカレーションこそが、敵兵なき弓矢の正体だったのだ。
(まずい。ユリアが陣を張るあの丘の上は戦士像たちの取り囲む中心地点だ)
やはり俺たちローマ軍は、ガリア人に強制的にあの丘に追い込まれていたのか。
「矢が丘の上に飛んでってるよっ」と、シャーレが宙に浮きながらばたばたする。
思わず丘の方を振り向く。しかし、どうすることもできない。
ドルイドのベルが連続する。
結界が暴かれたことで魔法の正体が見破られたことが向こうにもわかったに違いない。
一気に勝負を決めようというのだろうか。
「おまえら、あの木像を壊せるかっ!?」ドミティウスさんがごつ騎兵に命じる。
屈強なごつ騎兵たちが束になって戦士像に剣で襲いかかる。が、まるでびくともしない。
「ダメでさぁ、副将」「まるで岩を叩いちまったみてぇです」「腕が、しびれた……」
そうしている間にも次々に矢が戦士像の間を行き来し、「反射」と「増幅」を繰り返しては丘の上に降り注がれている。
「俺がやるッ!」このままではユリアだって危ない。
「ドミティウスさんはドルイドを探してください! ドルイドのベルが聞こえる以上、操っている術者は必ずこの近くにいるはずだから!」
「セイヤ殿!」「像の足元には矢は来ない。さあ、早く!」
まるで天を突くかのような巨像の足元にとりついた。
あの騎兵たちの剣撃にも傷一つついていない。ドルイドの魔法で強化されているのか。
だが、魔術はさっきドルイドの結界を打ち破っている。
「今度もできるはずだ」と、両手を戦士像につけ、念じる。
この攻撃が始まったのはアラウ川に橋を架けようとしたとき、その対岸からやってきたのが最初だ。ならば「範囲」はアラウ川からこの丘全体の木立まで。この「戦士像」と同じものがあれば、すべてに俺の魔術が及ぶように念じる。
「壊れろ!」
ピシリという音がして戦士像に亀裂が走る。破壊まで至らない。イメージが拡散したのか。相変わらず空に矢音が尾を引いき、周囲を巡って飛んでいくのが聞こえる。戦士像は亀裂くらいではその機能を失わないようだった。
「セイヤっ、まだダメだよっ!」
「わかってるッ」怒鳴り返して、大きく息を吸った。
これまでやったことない範囲と方法の魔術。どれだけ記憶を消耗するかわからない。
(でも、ユリアを勝利に導くためなら、記憶の一つや二つ、喜んでくれてやる――ッ)
「壊れろォォッ!!」
ありったけの念を込めて叫ぶ。叫びが力となって戦士像を貫く。俺が触れているところから赤い戦士像の全身に亀裂が走る――
像全体がヒビに覆われ、最後の一瞬だけ収縮し、破裂した。
大爆発が起こった。その爆発に巻き込まれ、木々がなぎ倒され、太い根ごと大地がえぐれた。そばにいた騎兵たちも吹き飛ばされる。
「ぐあっ!」
俺自身も木像の破片と爆風に巻き込まれ、地面に叩きつけられた。ごろごろと転がり、無傷だった木に激突して止まった。
木立のあちこちで轟音が聞こえる。魔術がドルイドの魔法で作られた戦士像を次々と破壊していることを教えてくれた。
大地が揺れるほどの大爆発に木々が激しく揺れ、太陽の光と影が乱舞した。
「セイヤっ!」シャールの声が空から聞こえる。
「ユリアに知らせてくれ。もう、あの矢の攻撃はないって――ッ」
シャールに伝わったのか。ドミティウスさんはドルイドを捕まえてくれたのか――
一際大きな爆発音が聞こえ、俺は気を失った。
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